二十七話 「彼」がそこにいたので、対話してみることにする

 目覚めたのは、暗闇の中だった。

 いや、目覚めたってのはおかしいか。


 眠りから覚めたって感じじゃない。

 夢の中にいる感覚。いわゆる明晰夢ってやつに近い。


 といっても、オレはあまりそういうものを見た経験はないんだけど。


「――やあ」


 突如かけられた声に、オレは身構えた。

 とても聞き覚えのある少女の声。

 ――それは、自分自身のもの。


 だけど、オレにとっては最警戒対象だ。

 何故なら、河原で聞こえてきた誘惑もオレの声だったから。


「お前っ!」

「ま、待ってよ! あれは、僕じゃないから」


 喰ってかかろうとしたところ、オレ同じ顔の女の子が暗がりの中から慌てて現れた。

 白銀の髪に柔和な面立ち。


 だけど、確実に異なる一点がある。


 褐色のオレとは対照的に、白磁の肌。

 そう、彼女はかつての――白銀の魔法少女シルバー・ウィッチとしてのオレの姿だった。

 ……何故か服装はパジャマだったけど。


「えーっと。初めましてかな。飛高ルナちゃん……でいいのかな?」

「……何を言っているんだ? オレは、陽太だ」


 まさか自分(・・)にまで本名を呼んでもらえないとは。

 妙にがっくりときて、項垂れそうになる。


「それも間違いじゃないけど……僕にとっては君はルナなんだよ」


 自称陽太(・・・・)は、オレにそう笑いかける。

 同じ顔ってだけで不気味なのに、こいつはオレが別物だって主張。


 はっ倒してやろうか。


 そんな思いを込めて、オレはきっと睨み付けた。


「本当なんだけどなぁ……」


 すると自称陽太は困ったように曖昧な表情を浮かべる。

 ……その顔は、確かにオレの記憶の中の陽太そっくりのものだった。


「確認するよ? 君(・)は、目覚めたとき取り巻く世界に耐えられなかった。まあ、晴翔君のおかげで少しだけはもったけど……、すぐに駄目になっちゃった。だから僕(・)は君(オレ)になった。それであってるよね?」

「……ああ」


 彼女の言葉に、強く拳を握りしめるしかない。

 苦々しい記憶だった。


 オレは縋りつくしかなかった。

 あのとき、唯一の希望が晴翔だったんだから。


「それは体の中に食い込んでいた『暗黒の種子』の影響でもあった。心に重圧をかけるように――そのまま壊れてしまうように。君は悪辣な呪いを受けていたんだよ」


 どことなく違和感を覚え、首を傾げる。


 ……理由がわかった。さっきから、自称陽太の語り口は他人事のよう。

 自分も陽太だっていうなら、間違いなく自分のことだろうに。


 でも、彼女はそんなオレを無視してサヴァロスの目的について語りだす。


 やつは、あわよくばオレの身体を乗っ取ろうと。

 もしそれが無理でも、破滅への火種を残そうと。


 陰鬱なる悪意を以て、画策し、介入していた。


 オレを取り巻く環境は、奴のお膳立てによるものが大きいのだとか。


 ……南への憎悪が植え付けられたものだと知って、心底ほっとする。


 もしかしたら、一部は元々オレの中に眠っていたものなのかもしれない。

 それでも、ここまで酷くはなかったはず。


 ……いつか、謝らなきゃ。

 一方的に傷つけていたのはオレなのだから。


「僕(・)がオレ・・になっていく中、『暗黒の種子』に取り込まれていた一部は、影響を受けず変わらなかった。いいや、変われなかったんだよ」

「要するに、取り残されたってことか?」

「……うん、そうだね。多分、そうなんだ」


 オレの言葉に対し、自称陽太は満足げに――だけどどこか悲しげに――頷く。


「その取り残された陽太(・・)の断片が僕。その結果、僕は君よりずっと半年前の僕(・)に近い。だから、僕が陽太(・・)で君はルナ・・なんだよ」


 そして、自分とオレを交互に指さし、「ね?」と首を傾けながら言った。

 彼女の物言いは、何処か言葉遊びを思わせる。


 それでも、陽太の言葉には真実味があった。

 ……もう一人の自分だからか、すっと心の中に入ってくるものがある。


 自分を自分で騙すことは出来ない、ってことなのかもしれない。


「僕は、ずっと君を見ていた。夢を見るような感じで……君の心が消耗していく様を。そして、少しずつ立ち直っていくのをね。本当に見ているだけで何もできなかったのが心苦しいんだけど」


 ――自嘲するような笑み。


 多分、こいつは本当に申し訳ないと感じてるんだと思う。

 自分のことを他人のように心配するっていうおかしな状況なのに、何故だか陽太(・・)らしいと実感する。


 でも、慰める言葉をかけることは出来ない。

 そんなことより、オレにはもっと気になることがあったからだ。


「なら、あのとき――河原で聞こえてきた声はなんだったんだ?」

「あれは、サヴァロスの残留思念。僕たちの身体の中に『暗黒の種子』と一緒に潜り込んでいたんだ。彼は、僕を取り込んでいたからあんな核心をついたことが言えた。……だから、ごめん」

「……いや、オレこそごめん。その隙を作ったのは間違いなくオレだから……でも、それならまた同じようなことが起きるのか?」


 オレの心が弱い限り、今夜みたいなことが起きてしまうんだろうか。

 弱点を正確無比に切り裂いた言葉のナイフ。

 果たして、今度は抗えるんだろうか。


 もし、また呑まれてしまえば――手に肉を貫く感覚が蘇りぞっとする。


 晴翔は不死身みたいなものだって玲於奈さんは言ったけど、次どうなるかはわからない。

 どす黒い靄に呑みこまれたまま、今度こそ殺してしまう可能性もあるんだ。


 すると、陽太は首を振る。


「ううん。サヴァロスは消えたよ。だから僕は今君と話せてる」

「……そっか。なら、お前もいつかオレと一緒になるのか?」


 二つに分かたれているものが一つに戻る。

 あたかも傷が癒えるように。


 オレにはそれがとても自然なように思えた。


 だけど


「申し出は有難いんだけど……無理だよ」


 陽太はふるふると首を振った。

 悔恨を秘めた眼差しでオレを見つめる。


「人格としては影響を受けていないはずだけど、取り込まれたからか、僕は負の性質を帯びてしまっている。それに、ルナちゃんはもう昔の僕(・)とは完全に別の道を歩いてしまってるんだよ」

「……どういうこと?」

「昔の僕(・)なら男の子の晴翔君を好きになるなんて有り得なかった。だって、男の子だったからね。でも、今の君はその想いを抱えている」

「なっ……!」


 陽太の言葉に、オレは耳まで朱に染まる。


 ……晴翔が南と付き合うかもしれないと思ってあんなことになったんだ。

 流石のオレも自覚はなくもない。


 もし、その資格があるなら、晴翔に優しくぎゅっと抱きしめて欲しい。


 でも、相手がかつての自分とはいえ、面と向かって言われるのは恥ずかしいに決まってる。


「あはは。そのあたり、僕には理解できないんだ。だって、僕は未だに南ちゃんのことが好きだもん」


 そんなオレを笑い飛ばす陽太。

 だけど、すぐに表情を引き締める。


「それが理由で僕は君とは一つになれない。君の胸の奥で眠り続けるんじゃないかな……見守らなきゃならないものもあるからね」

「でも……!」

「ううん」


 オレの言葉を、陽太は首を振ることで妨げる。


「ルナちゃん。陽太(・・)は変わらず君の胸の中にいる。だから、君は思うままに新しい自分になっていいんだ。もしかしたら、これから辛いことを押し付けちゃうかもしれないけど……」

「そんな……オレなんかより、お前の方がよほど辛いだろ!?」


 違う。

 辛いことを押し付けてるのはオレの方。

 こんな暗闇の何もない空間で――これじゃ、幽閉だ。


 それに、晴翔が本当に助けたいって思っているのは、もしかしたら今のオレじゃなくて昔の僕(・)なんじゃないのか……?


 そう考えて手を伸ばすと、陽太は振り払うことできっぱりと拒否を示す。


「――泣かないで、ルナちゃん」


 オレの頬を熱いものが伝っているのを、指摘されてようやく気付く。

 ……涙だ。

 泣きたいのは陽太のはずなのに、情けなくもオレの方が泣いてしまっていた。


「僕は本当にそれでいいと思ってるんだよ。だって、君も間違いなく陽太(・・)なんだから。むしろ、変われなかった僕の方が異端なんだ」


 あやす様な声。

 だけど、オレの涙は止まらない。


「それに、いつかまた――もし、君の中に僕が必要なくなったとき。何年後かもわからないけど、君に会える日が来るよ。多分、その時は全部忘れた別人としてだけど」


 そのままぽんぽんと頭を撫でる。

 優しく、包み込むような所作。

 それは、まるで――


「……お兄ちゃんみたいだ」


 オレが昔、虐められて泣く星子のためにやってあげたことそのままだった。


「そっか、そういう考え方もできるね……。もしかしたら、分かたれた僕たちは双子の兄妹なのかもしれない」


 漏らした声に、陽太は呆気にとられた顔をしていた。

 そして、


「もっとも、この姿じゃ僕は兄なのか姉なのかわからないけどね?」


 とはにかんだ。





「……それにしても、随分と女の子らしくなったよね」

「……はあ?」


 感覚的に「そろそろ目覚めそう」と思ったタイミング。

 目の前の兄(・)はおかしなことを言い出した。


「いや、自然に内股だし……変わったんだなあって」

「そりゃ、半年も経ってるし……」

「そうだね……。うん。やっぱり、ルナちゃんは自信を持ってもいいんだよ。昔の僕が言うんだから間違いない」


 陽太によいしょしてもらっても……これじゃ、自画自賛だ。

 確かに、これ以上なく信用できる相手なのかもしれないけど。


 別れ際に言うことなんだろうか。


 どこかのほほんとした彼女に、調子を狂わされるのを感じていた。


「無駄話をしてるってわけじゃないよ。昨夜、ルナちゃんは自分が女の子かどうかで悩んでたでしょ?」


 オレの気持ちを察したのか、陽太が先手を打つ。

 ……理解が深いのはやはりもう一人の自分だからだろうか。


「星子じゃないけど、ルナちゃんは十二分に女の子だから。そういう意味では一番怖いのは晴翔君かな。彼は凄い天然だから……頑張って。僕にはそれしか言えない」





 目が覚めると朝だった。

 随分と寝ていたような感覚があるけど、まだ八時前。


 ……夢のせいかな。

 オレの夢に出てきた、かつてのルーナの姿をした少女――陽太。


 いや、これは便宜上の呼び方であって、オレも陽太だって想いは変わらないけど。

 まあ、ルナって呼ばれ方もいいんじゃないかな。

 オレは、このとき初めて諦念じゃなく肯定的にそう思えた。

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