外伝 彼女は気づいていたので――

 待ち合わせ場所に着いた私は、浮足立ちそうになるのを必死に抑えて、時計を確認する。

 短針が三を示していて、もうそろそろだ。


 ふぅ~。

 一度だけ大きく深呼吸。

 緊張する。

 ……まさか、黒崎君と出かけるなんて、夢にも思わなかったから。


 萩野君と一緒って聞いたときは――彼には申し訳ないけど――ちょっとがっかりしてしまった。

 でも、家に帰ったら黒崎君から


「萩野はやっぱり来ないらしい」


 って連絡が来た。


 萩野君は、もしかしたら気を利かせてくれたのかもしれない。

 確か、昔も似たようなことがあったはず。


 友達の背中を押して、後は任せたと去っていく。

 彼ら三人(・・)は、とても仲の良いグループだったから。


 あれ、三人……?

 黒崎君と萩野君と――誰だっけ。


 またずきりと頭が痛みだしたので、私は考えを中断する。

 折角黒崎君と仲良くなれるチャンスなのに、ここで具合を悪くするわけにはいかないから。


 気を紛らわせようと、手鏡で服装を再確認。

 家を出る前に何度も確認してきたけど、もう一度だけ。

 白いワンピースの上に、緑のコットンレースがついたもの。裾の方には幾重にもフリルがあしらわれていて……絵本に出てくる妖精さんの服みたいな感じ。

 お母さんに誕生日プレゼントとして買ってもらった、お気に入りの一品。


「うん、大丈夫」


 いつのまにか、ちょっとだけ待ち合わせの時間を過ぎていた。

 不安を感じて、胸元の小さなネックレスへと手を伸ばす。白銀のチェーンにガラス細工が施されているものだ。


 このネックレスはとても大事な宝物。

 なんだか触っているだけで頑張ろうって気持ちになれるから。


 校則の関係で学校ではつけていないけど、ポケットの中に忍ばせていて、勇気を振り絞るときにぎゅって握ることにしている。


 ――うん、元気出た。


 程なくして黒崎君がやってきて


「……すまん、待たせたか?」


 と軽く謝罪する。

 少しだけ息が乱れてる。

 もしかすると、走ってきたのかもしれない。


「ううん、今来たところだから……」 


 申し訳なさそうな彼に首を横にすることで応える。

 ……なんだか、デートのやりとりみたい。

 自分で言ったのに軽く赤面しながら、私は黒崎君を雑貨屋へと案内する。





 私がアクセサリーの選び方を伝えると、黒崎君はとても感銘を受けたらしく、何度も首を縦に振っていた。

 それどころか、ぺこりと頭まで下げてくる。


 これは自分で考えたわけじゃないのに、そこまで感心されるとなんだか申し訳なくなってきて


「このお店の店長さんの受け売りなんだけどね」


 って照れ笑いするしかなかった。


「少し、回ってみる」


 それから少しして黒崎君がそう言った。

 私としては一緒に回れないのは残念だけど、彼が一人で探したいっていうなら仕方がないと思う。

 だって、プレゼント探しが目的なんだから。


「う、うん。じゃあね」


 黒崎君が立ち去った後、私はもう一度胸のネックレスに目をやる。

 ……このアクセサリも、誰かが私のためを思って選んでくれたんだろうか。


 なんだか、違う気がした。

 むしろ、逆。

 誰かのために一生懸命選んだ記憶がぼんやりと残っている。


 ――誰なんだろう。


 疑問に感じ、私は必死に思い出そうとしていた。

 だけど、ダメ。

 まるで霧がかかったかのように、ぼんやりとした輪郭しか出てこない。


「――南ちゃん」


 私のことを親しげに呼ぶ声。

 だけど、それが男の子のものなのか、女の子のものなのかすらわからない。


 そんなに大切に想っていた人のことがわからないなんて……。


 自分がとても不誠実な人間に思えて目を伏せる。


 でも、実は、これでもまだマシな方なのだ。

 数週間前まで、ネックレスの存在すら思い出せなかったのだから。


 部屋の整理をしていたらプレゼントの包みごとバッグの中から転がり出てきた。

 その存在感は、今までどうして気づかなかったのか不思議なほど。


 疑問に感じ、両親にも尋ねてみたのだけれど、訝しげな顔をされるだけだった。


「あれ、南ちゃん。一人かい?」

「あ、店長さん……」


 ぼうっとしていた私を気にかけてくれたのか、雑貨屋の店長さんが私を呼んだ。

 お母さんのお友達で、頭にバンダナを巻く独特のスタイル。

 高校で出会って、それからずっと交流が続いているのだとか。自然と私とも親しくしてくれている優しい人。


「ちょっと顔色悪いけど、大丈夫?」

「いえ、平気です」


 心配そうな彼女に、慌てて元気そうな表情を無理に作る。

 なんだか後ろめたくて、胸元のネックレスを服の中にしまおうとしたのと


「あら、それつけてるんだね」


 店長さんが興味深げに呟いたのはほとんど同時だった。


「……知ってるんですか?」

「え? 好きな人へのクリスマスプレゼントにって南ちゃん買って行ったじゃない。もしかして、渡せなかったの?」


 店長さんの言葉に、断片的に記憶が掘り起こされる。

 そのとき、店長さんは私にアクセサリの選び方を教えてくれたんだ……。


 好きな人――それで思い浮かぶのは黒崎君だけど……。


 私は彼とクリスマスに遊ぶ約束なんてしていない。

 その日、一緒にいたのはルナちゃんだけのはず。


 ――私は引っ込み思案だから黒崎君を誘えなかった……?


 そう考えれば辻褄はあうけど……だとしても当事者の私が全く覚えていないのはおかしい。


 もっと言えば、このネックレスは彼にはそぐわない。

 どちらかといえば黒崎君に似合うのは、落ち着いた雰囲気の大人っぽいアクセサリー。

 彼のイメージカラーは、とても深くて全てを受け入れるような優しい黒だと私は思う。


 だから、彼のことを思い浮かべてアクセサリーを買ったのなら、青いネックレスは不適当なはず。

 何処か店長さんとの会話が噛みあわなくて、再び頭痛が私を襲ってくる。


 それはまるで、ずきずきとした、誰かの呼び声。


「あ、確か、参考にって学校行事で撮った写真も見せてくれたよね」

「そ、それってどんな人でした!?」


 まさかの手がかりに、思わず私は喰い気味になる。

 店長さんが少し引いたのを見て、ちょっと反省。


「あれ……? どんな子だったかね。忘れちゃったよ」


 だけど、すぐに店長さんは首を傾げた。

 まるで、意識した途端、記憶が失われたとばかり。


「おっとりとした、優しげな子だったような気がするんだけど……」

「他に、誰か映ってませんでしたか?」


 少しでも情報が得たくて、私は続ける。

 普通に考えたら、一人だけ忘れるなんて有り得ない。

 でも――。


「あ、それなら覚えてるよ。さっき、シルバーアクセサリー見てた背の高い男の子。他の二人が笑顔なのに一人で仏頂面してて、印象的だったねえ」


 打って変わって詳細に語りだす店長さん。

 ……背の高い男の子って、もしかしたら黒崎君?

 だとしたら……。





 それから少し時間が飛んで帰り道。

 送ってくれるという黒崎君に甘え、私は夕方の商店街を歩いていく。


 ……行きのときのドキドキは失われていた。


 喉に小骨が詰まったような、妙な不快感だけが心の中に残ってる。

 手が届きそうで、全然届かないもどかしさ。


 多分、手掛かりは目の前にいる、彼。

 もし今というタイミングを逃したら、もう二度とそれはやってこないかもしれない。


 ――だから、覚悟を決め、私は切り出した。


「アクセサリを送る相手って……間違ってたらごめんね。……ルナちゃんだよね」


 黒崎君は無言。

 だけど、私には確信めいたものを感じていた。


 天使の羽のシルバーアクセサリー。


 私がそれを見て思い浮かべたのは、青い衣を纏った銀髪の少女。

 力ない人々を――そして、私を助けるために駆けつけてくれた姿。そんな女の子が、記憶の片隅でルナちゃんと合致していたから。


「……ああ」


 少しの間をおいて黒崎君はそう短く返した。


「やっぱり……。アクセサリを見たとき、ぴんときたの。……その人を想って選んだんだから当たり前だよね」

「……」

「あ、文句を言ってるんじゃないよ。黒崎君が私の言ったことを実践してくれたってことだし。それだけ想いが強いってことだと思うから。でも……でもね?」


 これから私が頼むのは、とても不躾なこと。

 だから自然と気負ってしまう。


「それを、もう一度見せて欲しいの」


 だって、黒崎君はお店でわざわざラッピングしてもらったんだから。

 確認のため開封してくれなんて、普通あり得ない。


「……どうしてだ?」

「ルナちゃんに贈る。黒崎君はさっき、そう教えてくれたよね」

「ああ」

「だけど、私にはルナちゃんだと思えないの。……馬鹿な話って笑うかもしれないけど、一人の……顔も思い出せない男の子が思い浮かんだから」


 私の持っているネックレスと、彼の選んだペンダント。

 殆ど共通点のない二つなのに、私には同じ人物をイメージしているように思えてならなかった。


 どこか歪な、憶測――それどころか妄想に近い共通項。


 でも、黒崎君が息をのむのが私にはわかった。


 ――彼は何かを知っている。


 私は確信をもって――あんまり迫力はないだろうけど――彼に強い視線を浴びせる。


 ……それは店長さんと写真について話していたときのことだった。

 ふとした一言が切っ掛けのフラッシュバック。


 丁度、この商店街の入り口が舞台。

 大きなクリスマスツリーの前、私に小さな包みを手渡そうとする男の子の姿。

 私も彼にプレゼントを渡そうとして――弾かれたように男の子は駆けだしていく。


 その横顔はとても切羽詰まっていて、胸が締め付けられたのを覚えている。


 そして、彼はそれきり帰ってこなかった。


 もしかしたら夢なのかもしれない。

 普通に考えたら何かの物語と記憶を混同しているだけ……。そう考えた方がよほど自然だから。


 でも、私には現実味を帯びたものとしか考えられない。


 だからこれは一種のショック療法。


 黒崎君が取り出してくれたアクセサリーを見比べることで確信する。

 私はようやく胸の中のもやもやに決着をつけられそうだった。





「私は、あなたのことが好きです」


 昨日までの気持ちはどこへ行ってしまったのか、不思議なほど空虚な言葉だった。

 黒崎君もそれがわかっているのか、無言。


 屈んでくれた彼に青いネックレスをつけて――。


「……似合わないね」

「まあ、な」


 そりゃそうだと言わんばかりの黒崎君の顔を見て笑う。

 私のネックレスはちょっと子供っぽいデザインで、こうして見ると黒崎君には完全に無理がある。


 ――それは、記憶の埋め合わせだった。


 記憶を再現してみることで、矛盾があるんだって自分の心に教え込む。


 ……私はクリスマスのあの夜、彼にこうして贈り物がしたかった。

 そして、想いを告げたかった。

 自惚れではなく、二人の心は通じ合っていたと思うから。


 おぼろげだけど、心の奥底に沈んでいた姿が蘇ってくる。

 誰かのためなら進んで身を投げ出せる、勇敢で穏やかな――男の子。

 思い出せたのに、名前はわからないまま。


 偽りの告白の結果、自分でも驚くほど綺麗さっぱりと黒崎君への恋心は消えていた。

 靄が晴れたみたいに前を向くことが出来る。


 今なら、はっきりとわかる。


 私が黒崎君へと抱いていた想い。


 ――それは、あの日、身を犠牲にしてでも私を助けてくれた黒装束の男の子。

 彼はどことなく黒崎君に似ていて、その断片が原因だったのかもしれない。


「……陽太だ」


 ぼそりと黒崎君が呟いた。


「それって」


 顔を上げると、黒崎君は見惚れてしまうほど穏やかで幸せそうな笑顔。


「赤石の言っている男の子の名前は陽太という」

「それが、ルナちゃん?」


 黒崎君はこくりと首を縦にする。

 そっか。陽太君か……。


「ごめんね、気づいてあげられなくて……ごめんね……」


 誰もが私のように彼のことを忘れてしまっているのだとしたら、なんて残酷な世界なんだろう。

 ようやく今までのルナちゃんの――陽太君の嘆きがわかって愕然とする。


 私は、彼にとっての救いにはなれなかった。

 むしろ、裏切り責め立てる側の人間でしかなかったんだ。

 想いが通じ合っていたのに――いや、いたからこそ、深く彼を傷つけたに違いない。

 失望され、憎まれるのも仕方がない話だった。


 そんな陽太君――ルナちゃんにとって、唯一の救いが黒崎君。

 だからきっと、彼女は彼のことが――。


 私はただただ彼女に謝ることしかできなかった。

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