二十六話 彼の家族が迎えに来ていたので、渋々帰ることにする

「どうして……そんなこと言うんだよ。オレには、お前に優しい言葉をかけてもらう資格なんてないのに……」


 それは、夢にまで望んだ言葉だった。

 嬉しくて。

 幸せで。


 ――だからこそ、胸を抉るような鋭さを持ち合わせていた。


 決して晴翔は死神の鎌から逃れたわけじゃない。

 むしろ、無理をしたことで体力を消耗してしまっている。


 その全ての原因が――オレだった。


「そんなこと……気に、するな。俺は、お前が、泣いて、いる方がよっぽど辛……い。だから、いつもみたいに、前を、向いて……笑って、くれ……」


 晴翔は笑いながら、震える手でオレの涙を拭う。

 どちらかといえば不器用なあいつには似つかわしくない、気障な所作。


 せめてでもその想いに答えたいと考え、無理に笑う。

 多分、とても不細工。嗚咽のせいで表情を保つことすら難しい。


 だけど、こいつは微笑んでくれた。


 困ったように。

 でも、それでいいと言わんばかりに。


 気づけば、オレの心からどす黒いものは掻き消えてしまっていた。

 耳鳴りのような囁きもだ。


 あたかもそれは、波が引くようだった。


 そして、晴翔は最後の力を振り絞るように告げる。


「陽太……赤石のことを、許してやってくれ」

「南を……?」


 ――そうだ。

 オレは、晴翔の前で想いをぶちまけた。


 半年もの間秘め続けた、禍々しくも醜悪な、歪んだ情動。

 一番聞かれたくない相手にオレはその片鱗を見せつけてしまったんだ。


 でも、そんなことを後悔する暇はなかった。

 晴翔の身体から力が抜けていく。


「あいつは、記憶を……。すまん、疲れた。俺は、寝る……」


 それだけ言い残して、晴翔は瞳を閉じ動かなくなった。


 ま、まさか……。


「は、晴翔! 死ぬな!」


 無我夢中で晴翔を揺り起こそうとするけど、効果は得られなかった。

 固く閉じられた瞳が開く気配は一切ない。


「お願いだから……オレを置いて行かないで……っ」


 彼の頭を抱え、縋るように懇願する。

 ぎゅっと強く抱擁。オレの体温を僅かばかりでも与えられたら――そんな思いから。

 だけど、返事がない。


 不安の前にこらえきれない。

 とめどなく流れ続ける涙が彼の顔を打つ。


 そんなオレをあざ笑うように、落ち着いていたはずの昏い澱みがぞぞぞと再び沸き立ち始める。

 晴翔が命を賭してまで押しとどめてくれたのに。


 泣かないで、笑っていてくれって言ってくれたのに。


 ――オレは、弱い。

 どうしようもなく臆病で、無様だ。


 また心が軋みだした瞬間。


「安心しなさい。寝てるだけだから」


 唐突に凛とした女性の声が聞こえてきて、オレは顔を上げる。


「だ、誰だっ!?」


 この場にいるのはオレと晴翔だけのはずだった。

 反転空間は、普通の人間には入ることのできない場所。


 晴翔の身体は手放さないものの、庇うような体勢を取る。


 そんなオレにお構いなしで彼女は姿を現した。

 鮮やかな金髪が目立つ、強気そうな女性だった。

 髪と良くマッチした金の瞳が特徴的。


 警戒を解かないオレを鼻で笑うと、語り始める。


「こいつは寿命――要するに細胞の劣化以外じゃ中々死なない。親のエゴ・・・・でね。愛じゃなくて、何かあったときの器にするため。酷い話だと思わない?」


 淡々とした語り口。

 にわかには信じがたい、無茶苦茶な話だった。


「あんたも一度見たでしょ? こいつがサヴァロスの攻撃をまともに受けたのを。でも、数日もあれば、晴翔として学校に出られるぐらいにはぴんぴんしてた」


 確かに、オレはルーナとして晴翔――アムルタートがサヴァロスに痛めつけられるのを目撃した。

 そして、数日後には傷一つない姿で登校してきたんだ。


 それが本当だとしたら、心配ない……のか?


「心臓でも貫けば話は別だけど……ギリギリ急所は外れてたみたいね」


 安堵が胸を満たし、ほっと息をつく。


 晴翔が生きていてくれる。

 それだけで、少しだけ心が強く持てる気がした。


 オレは深呼吸して瞳を閉じた。

 晴翔から贈られたペンダントを強く握りしめる。


 そして、次に見開くときにはにっこりと、出来る限りの笑顔。


 晴翔の願いを今一度、実践する。

 もう眠ってしまっているけれど、それでも心配をかけたくなくて。


「でも、なんでそんなことを……」


 必然的に新たな疑問が湧く。

 この女性は、どうして晴翔のことをこうも詳しく知っている?


 希望に飛びつきたいのは事実だけど……。


「はぁ……察しが悪いわね」


 そんなオレに対し、彼女は呆れたようにため息。

 ちょっとだけカチンとしてしまう。


「そう言ってやるなよ。混乱しちまうのが当然だぜ! よう、また会ったな、嬢ちゃん!」


 そんなオレを襲ったのは、耳をふさぎたくなるほどの大声。

 見覚えのある男の人だった。

 以前あったとき同様、トレンチコートなのは変わらない。女性に対し馴れ馴れしく肩を抱こうとして、ぺちんと跳ね除けられていた。


「えっと、金剛さん……? じゃあ、この人は」

「あたしは玲緒奈。聞いてない? 晴翔の姉替わりよ。ま、あんたとは初対面じゃないけどね」


 ……初対面じゃないって言われても、オレには全く記憶にない。

 自然と怪訝な顔になってしまう。


「いい加減気づきなさいよ。晴翔がアムルタートなんだから――レオーニャとディアマンテ。そういえばわかる?」


 言われてみれば、どことなく面影がある気がした。

 ――いや、そう認識した途端、二人の人物がはっきりと重なっていく。


 これは、晴翔がアムルタートだってわかったときにも起きた現象。


 でも、オレにとってのレオーニャのイメージって……。


「……鞭の女王様?」

「……馬鹿にしてる? っていうか、あんた随分性格変わったわね。最後に会ったときは、いかにも正義のヒロインって感じだったのに」


 彼女は前かがみに詰め寄ると、オレに向けて谷間を強調する。

 ピチピチのスーツからまろびでそうなほどデカい。

 それに比べて俺は……。


 うっ。

 言葉に詰まってしまった。


「まあいいわ。とりあえず晴翔は回収しておくから、あんたも家に帰りなさい」

「お、オレもついてく!」

「今、何時だと思ってるの? 夜の八時よ? あんたも家庭の事情ってもんがあるでしょうが。それとも、家族が探し回ってても気にしない人間?」

「ち、違うけど……」


 捲し立てられて、ついしょぼんとしてしまう。

 オレは、晴翔とずっといたいぐらい心配なだけなのに……。


「わりぃな。玲緒奈もお前のことを心配してんだぜ? じゃなきゃ、こいつは口うるさくしねえからな」

「金剛は黙ってなさい! まぁ、積もる話もあるだろうし、明日に来なさい。この程度の傷・・・・・・なら晴翔も目覚めてるでしょうし」


 金剛さんのフォローに顔を赤らめながら、玲緒奈さんは続けた。


「じ、じゃあ、晴翔のこと、お願いします」

「それでよし。あ、反転世界のまま自分の家まで帰りなさい。一人歩きは物騒だし。それに血だらけなのもあたしの魔法でどうにかしてあげるから」


 ……確かに、玲緒奈さんは心配性っていうか、お節介みたいだった。





 家に帰ると、母さんに散々怒られた。

 もう少しで警察に電話するところだったらしい。

 母さんに叱られるのは勿論悲しい。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だけど、それだけオレを心配していてくれたのだと考えると、やっぱり家族なんだって実感できた。


 ――オレは、それさえ捨てて暴走しようとしていたんだ。


 家族の暖かさを前に、また泣き出してしまいそうになる。

 なんだか一日中泣いてばっかりだ。でも、この涙は今までの物と違い、晴翔の約束を破ってでも流していいものに思えた。


「それで、こんな遅くまでどこに行っていたの? 結局お使いも済ませてないみたいだし」

「えっと……それは」


 問い詰められて言葉に詰まる。

 まさか、晴翔と戦っていたなんて言うわけにもいかない。


 でも、煙に巻ける雰囲気じゃなかった。

 語気は強いけど、オレを見つめる母さんの瞳が揺れていたから。


 もしかしたら、ルナとして目覚めたときの改竄された出来事――『旅団(レギオン)』による襲撃に巻き込まれたっていうのが母さんの心に深い傷を残しているのかもしれない。


 どうしたものかとおろおろしていると、夜遅くだというのに電話が鳴り響く。

 受話器を取った母さんからは険しいものが消えていた。


 どうやら、電話をかけてきたのは玲緒奈さんで、たまたま晴翔と出会って向こうにお邪魔していたことにしてくれたようだ。

 それでも長時間の説教を受けたのは事実なんだけど……。


「母さん、ごめん……」

「本当に、ほんっとうに心配したのよ? 女の子なんだから気を付けなさい。晴翔君と一緒にお泊りだとしても、絶対に私への連絡は欠かさないこと」

「はい……」


 結局、オレは疲れのためか、遅めの夕ご飯を食べ、お風呂に入るとあっという間に眠りに落ちてしまった。

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