二十五話 彼女の頬が赤く染まっていたので、想いを告げることにする
「……あはははっ!」
目の前の少年の腹を貫通して、背中から剣が生えていた。
容赦なく引き抜けば、赤い液体が滴り落ちてオレは狂喜の歓声をあげる。
こんな簡単なフェイントに引っかかるなんて。
かつて、あんなに苦戦したアムルタートが、あっさりと血だまりへ崩れ落ちていく。
だって、制御せずに解き放てばアムルタートなんて一瞬で消し炭になってしまう。
それじゃ、つまらない。
オレはこいつの苦悶に歪む顔が見たかったんだから。
なので、オレは殆ど全力を出していない。
やつは気づかなかったのだろうか?
ただの一幹部と、『暗黒の種子』を
希望を与え、その瞬間を狙い絶望へと叩き込む。
確かに有用な戦術。
あえて隙を見せることで、懐に潜り込ませれば有利って思い込ませたのは大成功だった。
わざわざ大鎌で戦っていたのも、杖を剣へと変化させられないって先入観を植え付けるため。
以前から思っていたけど、こいつの戦い方は無駄が多い。
決してオレの命を取ろうとはしない。
必ず寸止めで撤退に追い込むのみ。
そんなことが出来たのは圧倒的な力の差があるからのことで、
だからこそ、アムルタートの必殺技すら余裕をもって対処することが可能だった。
わざとらしく悲鳴を上げ、油断を誘う。
さも狙い通りと言わんばかりに接近してくるやつが滑稽でたまらなくて、こみ上げてくる笑いを抑える方が大変だった。
「……お前が、お前たちさえこなければこんなことにならなかったのに」
一しきり笑ったところで漏れるのは怨嗟の声。
『旅団(レギオン)』さえ来なければ、オレは戦う必要なんてなかった。
僕(・)のままでいられて、幸せに暮らせていたはずなのに。
そして、こいつらに罠に嵌められなければ……。
がりっ。
口内から削るような音がして、オレはアムルタートを見据える。
「……」
やつは何か呟こうとしていたようだが、口内の血で上手く発音できないようだった。
咳き込んで、だらりと口元から血が溢れる。
命乞いだろうか。
だとしたら、酷く無様だ。
虫けらのように這いつくばるアムルタートを一瞥する。
いつぞややられたことの意趣返しだ。
拘束したまま、痛めつけてやろうか。
爪を剥ぎ取り、魔力の針を一本一本を少しずつ体の中心に近づくよう刺していく。
絶叫を上げるアムルタートを想像し、つい頬が綻んだ。
でも、頭を降ることで甘美な誘惑を断ち切る。
殺してしまおう。
それに、南から晴翔を取り返すの方が先決。
勿体ないけど仕方がない。
断罪の思いを込め、剣を振りかぶったそのとき――
「そう、だな……」
聞こえたのは、あろうことか、罪人からの同意だった。
◆
「……すまない、陽太。全部、俺たちの――いや、俺の、せいだ」
アムルタートは必死に身を起こすと、壁にもたれ掛かり言った。
時折吐血でむせているためか、言葉は切れ切れ。
普通の人間なら致命傷だ。例え超人の肉体を有していても、満足に動けるはずがない。
だというのに、こいつは妙に晴れ晴れとした、自嘲の笑みを浮かべている。
理解できなくて、高揚が急速に冷えていくのを感じていた。
「――なんで、オレの名前を知っている?」
胸元まで赤く染め上げてまで語りかけるアムルタートに疑問をぶつける。
さっきまでみたいに熱情に支配されていたなら兎も角、今ならやつがオレの名前を呼ぶのがおかしいってことだけはわかる。
そうだ。
彼は、あのとき――オレが、
あのときは気にしている暇なんてなかったけど――今、オレのことを陽太と呼ぶのはこの世界でただ一人だけのはず。
頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
耳を貸すな。聞いちゃいけない。今すぐ殺せ。
がんがんとこめかみのあたりが痛む。
怖気が背筋を伝っていた。
「……命の恩人、だから、当たり前、そう、言わなか、ったか?」
アムルタートがそう告げた瞬間、役目を終えたとばかりに血濡れの黒装束が光に包まれる。
そこにいたのは――晴翔。
オレの親友で、ずっと見守り続けてくれた男の子。
彼は、戦いの痕跡など見受けられない先ほど南と一緒にいたときの衣服へと変化していた。
だけど、抉り取られた腹部と、体中にこびりついた赤だけは変わりない。
それどころか、出血は止まらず新たな衣服も鮮血に染め上げられていく。
「ひっ……」
オレは、ようやく自分が何をしでかしたのか理解した。
どうして気づけなかったんだろう。
断片的にヒントは散りばめられていたはずなのに。
馬鹿げた空想が、現実となって目の前に広がっていた。
恐怖の前に唇がわなわなと震える。
――オレが、晴翔を傷つけた。
手にしていた剣がからりと音を立て血だまりへと転がっていく。
血が跳ね、新たな赤が辺り一面に飛び散った。
――憎悪のまま、殺そうとした。
頭が割れるように痛い。
膝をつき、首を垂れ、頭を必死で抱え込む。
そして、恐慌から逃れようと銀髪を掻き毟る。
毛先が血だまりに浸かり、朱に染まった。
涙が滴り落ちるけど、そんなもの流れ出た血の前には些細な量でしかなく、薄めることすら出来やしない。
「ああぁぁっ……」
漏れたのは意味をなさない嗚咽。
憎悪に飲まれ、嬉々として剣を突き立てた生々しい感触がまだ残っている。
崩れ落ちる彼を見たときの歓喜もだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
罪悪感の前に胸が張り裂けそうだった。
心が軋み、悲鳴を上げる。
こんなの夢に違いない。とびきりの悪夢だ。
そうに決まってる。
――この剣をオレの胸に突き立てれば目覚めることが出来るだろうか?
そうでなくても、同じところには行けるかもしれない。
そんな希望(・・)が湧き、手を伸ばそうとした瞬間――
「……大丈、夫、だ」
頭の上に暖かい感触があった。
「はる……と……?」
晴翔は穏やかな声をかけながら、オレの頭を撫でていく。
とても大きな手。
「俺は、今までお前のことを、騙していた。……だから、その罰、なんだ」
そんな彼を、オレは仰ぎ見る。
つい、びくびくしてしまう。
もし、晴翔がオレを憎々しげに睨んでいたら――。
いや、それが当たり前なんだ。
だって、殺そうとしたんだから。
誰がそんな人間を受け入れられる?
でも。
そこには、いつもの優しい眼差しがあった。
「なん……で……」
どうして、お前は満足げな顔をしてるんだ?
そんな意味を乗せた問いかけ。
だけど、晴翔は違う風に解釈したらしい。
「この姿は、お前の、力の在り処を、探るための、ものだ」
彼は目を伏せながら続ける。
「友人として、近づいたのも、それが狙い。だから、お前の気が……済む、様にして……くれて構わ、ない」
「どうして……そこまで?」
「覚えて、るか? お前は……俺を、庇って『暗黒の種子』を取り込、んでしまった……」
さっきまでオレの中にあった、アムルタート――晴翔がオレを盾にする記憶。
今なら、それが歪められたものだと判断することが出来る。
アムルタートに晴翔の面影を見たオレは、紛れもなく自分の意思で彼を突き飛ばしたんだ。
オレがこくこくと頷くと、晴翔は続けた。
「だから、その、『責任』が……ある。そのため、なら、お前に殺さ、れる『覚悟』も……出来て、いるんだ」
「そんな悲しいこと言うのは止めてくれよ……っ」
喋るにつれ、どんどん晴翔の顔が青白くなっていく。
「……そうだ、回復魔法!」
押し迫る死の気配を感じ、オレは半狂乱になりながらも唱えていく。
「『ライトヒール』!」
基本的な治癒魔法。
どうして気づかなかったんだろう。
これを使えば一瞬にして傷を治せるはず。
――だけど、オレの手に集まったはずの魔力は何の効力も発揮せず掻き消えた。
「『ライトヒール』!」
もう一度。
でも、同じことの繰り返し。
今度こそ、絶望。
「なんで……?」
「恐ら、く、今の姿では、かつ、ての力は使え、ないんだろう……。心配、するな。この程度、屁でも、ない」
「そんなわけないだろっ!?」
少しでもあいつの体温を感じたくて土気色になった手を握る。
逆に、あいつの身体から急速に熱が奪われているのがはっきりとわかり、かろうじて保たれている心が挫けそうになった。
また視界がぼやけ、項垂れそうになる。
――こんな絶望しかない世界、全て壊してしまえ。
刹那的で、退廃的な誘惑が頭の中に響く。
あまりに甘美に思えて身を任せてしまいそうになるのを、必死で押しとどめた。
まだ晴翔の息が止まったわけじゃない。
何か打破する手段はあるはずなんだ。
懇願を込め、何か手立てを模索するものの、何の成果もあげられない。
自分が情けなくて仕方がない。
目の前で失われつつある命に何もできないなんて。
ただ涙を流すしかない無力感。
いっそ憎んでくれた方が楽だった。
誹りと共に、嫌悪の眼差しを投げかけてくれれば、自らを煉獄へと突き落すことが出来ただろうから。
――罪から逃れたいだけの、自己満足。
でも、晴翔の慈しむような瞳がそれを許さない。
受け入れられることが、却って自分の醜さを際立たせて辛かった。
「お前は馬鹿だよ……。一度庇われたくらいで、オレなんかのために死にそうになって……」
本当に苦しいのは晴翔のはずなのに、心が苦しくてたまらない。
膝の上で爪が食い込むほど拳を固める。ぽたぽたと雫が頬を伝っていた。
浅ましい自分が嫌で嫌で消えてしまいたくなる。
「無論、それだけじゃない……」
だけど、そんなオレを晴翔は片腕で抱き寄せた。
どこにそんな力が残ってるのか疑問に思うほど力強く、抵抗できない。
「ちょ、何を!?」
顔を胸板に押し付けられ困惑するオレに構わず、あいつはもう片方の手で器用に首へと何かを付けてくる。
オレの頬を、まだ乾ききっていない血が赤く染めた。
「くっ……」
拘束が緩んだ瞬間、慌ててばっと距離を取る。
晴翔が苦しそうな呻きを漏らしたのが心配で仕方ない。
――だというのに、晴翔の視線はオレの胸元に注がれていた。
つられるように目をやれば、そこにあったのは天使の羽を象ったシルバーアクセサリー。
「これって……」
呆然とするオレに、晴翔は言う。
死の淵にあるというのに、いつもオレの胸を高鳴らせる甘い笑みで……。
「どうやら、俺は……お前のことが、世界で、一番大切らしい。――だから、命ぐらい、軽いもの、なんだ。お前には……いつも、笑って、いて、ほしい」
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