外伝 元凶は満足していた
雪の降りしきる聖夜。
宿主(・・)の強い呪怨を受け、彼(・)は生み出された。
全ては、滅び去る肉体を脱ぎ捨て新たな器を手に入れる為。
代用品が、不遜にも憐憫の情を浮かべ近づいてくる。
彼(・)は、更に宿主の怨恨が強まるのを感じていた。
やつは道具の分際で自我を持ち、それどころか宿主へと反旗を翻した忌むべき存在。
生き写しに作った存在だからこそ、若かりし姿のまま自分の選べなかった道を歩む姿に憎悪と嫌悪を抱き続けてきた。
だが、彼(・)にとってはそんな宿主の想いはどうでもいい。
適合を示すかどうか。それだけが重要なファクター。
幸い、代用品は鏡映しの存在だ。心配はないだろう。
自我など奪い去ってしまえば何の問題もない。
昏い喜びと共に、彼(・)は魔弾となり突き進む――はずだった。
気づいたとき、彼(・)は予定外の存在に取り込まれていた。
それどころか、本質は正の側の存在だ。
反発こそすれ、彼(・)の存在を受け入れられるはずがない。
彼(・)は失望に囚われた。
このままでは新たな宿主ごと消滅し、彼(・)の存在も無へと還る。
それだけは避けねばならぬ事態だった。
しかし、世界(・・)では彼(・)の思いもよらぬ出来事が巻き起こっていた。
聖獣が全力を尽くし、新たな宿主を現世に留めようとしていたのである。
それは代用品や裏切り者たちも同様であり、彼らは力を束ねていく。
少しずつ収束していく新たな宿主。
だが、宿主の存在は世界にとって歪でしかない。
誰にも受け入れられることなく、孤独が彼女(・・)を打ちのめすだろう。
それを恐れた聖獣たちは、世界すら改変することにした。
彼女(・・)でありながら、かつての存在としても受け入れられる優しい揺り籠。
矛盾を孕みつつも、誰も気に留めない。歪な暖かみを持った世界。
恩義に報いる為、例え存在が消滅しようとも聖獣たちは祝福の聖歌を紡いでいく――。
それは、彼(・)にとって千載一遇の好機だった。
彼(・)が唯一恐れるのは
皮肉なことに、彼女は聖獣に再生されることで新たな宿主たる器を手に入れた。
とはいえ、聖獣が一片でも存在していれば、新たな
ならば今、聖獣を自分の手で始末してしまえばよい。
改変へと全てを注ぎ込んでいた聖獣は驚くほど無防備。
彼(・)は不意を突いて一方的に攻撃を加える。
彼(・)が拍子抜けするほどあっさりと聖獣は消滅した。
それだけでは終わらない。残った祝福へと介入し、恣意的に捻じ曲げ、悪意を以て改変する。
外殻はすでに完成していたものの、呪詛で塗りつぶすには充分な余白がまだ残っていた。
――それは、誰もが彼女を彼女でしかないと規定する世界。
根底から存在を否定し、過去の痕跡すら奪い去る。
彼女は一人でしかないのだと追い込むための舞台は整った。
絶望を思い知らせてやれば――かつては心優しき少年だった彼女も、孤独の前に膝をつき、世界へと憎悪をまき散らすはずだ。
いわば、悪辣な時限爆弾。
滑稽にも、周囲が彼女を気にかければかけるほど時計の針は早く進んでいくだろう。
そうなれば誰も彼(・)のことを浄化することは出来ない。
彼(・)は昏い笑いと共に、世界の行く末を見守ることにした。
◆
事態は彼(・)の望むように推移していった。
彼女の家族たちは面白いほど無自覚に彼女の心を抉っていく。
気の置けない仲間ですら、彼女のことを距離感のある別人としか認めなかった。
少しずつ、じわりじわりとどす黒いものが彼女の心を染め上げていく。
このままいけば、彼女の心も肢体同様に闇へと堕ちるだろう。
だが、そこに歯止めをかけるものが現れた。
――それは、代用品。
彼(・)にとっては器になりそこなっただけの取るに足らない存在。
偽りの姿のまま居座り続ける男に何ができるというのか。彼(・)は、余裕を持って見下していた。
しかし、ここで誤算が生じる。
――代用品だけは全てを忘れ去っていない。
何故なら、本質はこちら側の人間だから。
それどころか、彼女の記憶を肯定し、彼女を親友の少年だと――それだけは忘れないと固く誓う。
――だが、気休めでしかなかった。
いや、そのはずだった。
例え代用品が肯定しようとも、世界全体による否定は彼女の心を苛んだ。
現に彼(・)は八割ほど彼女の心を掌握していたのだから。
ここまでくれば時間の問題だ。
どのような外敵からも守ってやろう。しかし、心の傷だけは別。更に煽り立て、追い打ちをかけてやる。
かつての想い人への憎しみを植え付けてやったのは痛快この上ない見世物だった。
何らかの要因で新たな
幼くも確かな愛が、怒りと苛立ちへと貶められていく。
彼女はそれが外部からの影響だと気づくことなく、自己嫌悪の前に打ちひしがれていった。
どれだけ代用品が行動しようと無駄な話。元の姿などに戻させない。
滑稽にもがく様を見るたび、愉悦が彼(・)の中を駆け巡る。
彼(・)は嘲笑と共に彼女の心がひび割れるのを今か今かと待ちわびていた。
だが、ある日。
代用品が彼女の心に一筋の希望を齎した。
月を照らす太陽のごとく、光を差し込ませたのである。
それが、計画の破綻の始まりだった。
◆
代用品の一挙一動に彼女は注目するようになった。
投げかけられる言葉の前に心躍らせ、献身に胸を高鳴らせた。
乙女のようなその姿は、彼(・)にとっては不快でしかない。
――だが、彼(・)にはどうすることもできなかった。
力を失うにつれ、世界を覆っていた偽りのヴェールがいとも簡単に剥がされていく。
聖獣の望んだ、彼女をかつての記憶と共に迎え入れる世界。
それが実現するにつれ、加速度的に彼女の心は更に平穏を取り戻した。
しかも、彼女は自身の心を受け入れ、女であることすら肯定してしまう。
どんどん彼(・)の存在は薄くなっていく。
焦燥、恐怖。
それは、本来なら彼(・)が与える側に回るはずの感情。だというのに、完全に立場が逆転してしまっていた。
どれだけ手段を講じようと歯止めはかからない。
かつての宿主同様に、彼(・)が代用品へと強い敵愾心を抱いたのは当然の帰結だった。
だが、八割を埋め尽くしていた憎悪がすでに二割を切り始めたころ。
偶然にも起死回生の瞬間が訪れたのである。
◆
代用品と、彼女のかつての想い人の逢瀬。
彼(・)には何が起きたのかはわからない。
しかし、彼女の最も恐れていた事態が発生したのは紛れもない事実。
彼(・)は代用品の失策を見逃すはずもなく、それにより生まれた心の風穴より忍び寄る。
彼女の心は砂上の楼閣。
根底を崩されたそれを砕くのは最早一方的な殴打に近い。
逆転を前に、彼(・)の心は湧きたった。
彼女は最後まで僅かばかりの抵抗を見せた。しかし押し流してしまうのは赤子の手を捻るようなもの。
残る力を振り絞り肉体を反転空間へと転移させたものの、ほんの時間稼ぎでしかないはずだ。
彼(・)はこれで自分の存在が消えてしまうのだとしても満足だった。
◆
「――想定外だが、それ以上の結果を生み出してくれたよ。まさか、
宵闇の中、ぶつぶつと彼(・)は呟いていた。
「妨害は厄介だったが……最早手遅れだ」
彼(・)はどこか恍惚としながら、高らかに叫ぶ。
「――白銀の心は折れ、翼は禍々しく闇に染まる。さあ、始めよう、アムルタート――第二幕の幕開けだ!」
――彼(・)は、サヴァロスが死に際に生み出した分身。
サヴァロスの死に際の強い怨恨。そして、代用品――アムルタートへの憎悪。
それが『暗黒の種子』へと乗り移り、形となったもの。
彼女――
『暗黒の種子』は依然残り続けるものの、彼(・)は長くないだろう。
しかし、例え彼(・)の存在が消えたとしても、闇に染め上げられた情動は止まらない。
血沸き肉躍る、仇敵による同士討ち。
どうしようもなく悲愴で、どうしようもなく滑稽な喜劇となるだろう。
特等席で見届けられないのだけが残念だと思いながら――力を使い果たし彼(・)は掻き消えた。
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