二十二話 彼女は傷ついていた
雑貨屋の外に出れば、外出した時間が遅かったとはいえ、すでに日は沈みかけている。
プレゼントを選び終えた後、店主にお茶をごちそうになっていたためだ。
赤石が男の客を連れてきたのは初めてなのだという。
俺の姿を見てどこか訝しげにしていたが……どういうことなのだろうか。
しかし、それを込みにしても、ここまで時間が経っているとは思わなかった。
どうやら、自分では気づかなかったものの、随分と思い悩んでいたらしい。
すっかり赤石には世話になってしまった。
「送ろうか?」
「……いいの?」
「ああ。付き合わせてしまったからな」
以前、陽太が言っていたのだが、遅くなった場合、女を送るのが男の役目だとか。
普段は彼女を家まで送っているのもそのためだ。
それに、半年前のこととはいえ、彼女は『旅団(レギオン)』に誘拐された一件がある。
雑談中に知ったのだが、そのせいで今なお家族が過保護気味らしい。
実は今日出かけるのも、父親に
「男と二人きりで出かけるなど許さん!」
とかなり渋られたようだ。
無理に誘ったのはこちらなので、せめてもの罪滅ぼしである。
「……じゃあ、お願いしようかな」
彼女が頷くと、そのまま人通りの多くない商店街を歩き始める。
◆
「南口からの方が近いかな」
赤石がそう自宅の方向を指し示したのは五分ほど前のこと。それきり彼女は黙り込んでしまった。
何か考え事をしているような雰囲気。
俺が選んだアクセサリーを見てから、彼女は度々このような顔をする。
俺はあまり口数が多い方ではないため、積極的に話しかけることはしない。
どことなく緊張感が漂っていて、陽太と一緒にいるときとはまた違う感覚である。
ただただ無言のまま、赤石の歩幅に合わせて歩き続けていた。
そして、ようやく商店街を抜けようとしたとき
「……アクセサリを送る相手って」
赤石がぼそりと切り出した。
昂ぶりを抑えようとするように、震えた少女の声。
あまりに唐突すぎた。思わず俺は立ち止まって振り返る。
「間違ってたらごめんね。……ルナちゃんだよね」
「……ああ」
正直に話すか迷ったものの、素直に肯定。
俺の動揺を知ってか知らずか、赤石は探るような口調で続ける。
「やっぱり……。アクセサリを見たとき、ぴんときたの。……その人を想って選んだんだから当たり前だよね」
どこか、思い詰めたかのような表情。
それに対し、俺は無言で対応することしかできない。
「あ、文句を言ってるんじゃないよ。黒崎君が私の言ったことを実践してくれたってことだし。それだけ想いが強いってことだと思うから。でも……でもね?」
一度言葉を切って、彼女は俺を見据える。
強い決意を湛えたまなざし。
……気迫を感じる。
どことなく、戦場に挑む戦士のそれを思わせた。
俺は身構えると彼女の一挙一動に着目する。
◆
その日の夕方、オレが出かけたのはたまたまだった。
母さんから、商店街まで行って卵を買ってきなさいって
星子に押し付けようかと思ったけど、残念ながら部活でまだ帰ってきてない。
今日は遅くまで練習がある日らしい。
面倒くさかったけど
「卵がなくなった原因は、ルナの料理の練習で全部使っちゃったからなのよねえ……今日はオムライスの予定だったんだけど」
って言われたらもう反論できなかった。
うん、たまたまじゃないな。
殆どオレのせいだ。
でも、大量の卵を犠牲にした結果、腕はめきめきと上達していると思う。
時間が有り余ってるのも功を奏した。
そのせいで中々晴翔と放課後を過ごせなくなったのは残念だけど……。
これならいつ嫁に出しても問題ないと母さんからのお墨付きをもらったぐらい。
――ただし、卵焼きとかおにぎり、サンドイッチみたいな簡単なものに関してだけ。残りはまだ経過観察が必要って冗談交じりに言われてしまった。
でも、最初は九割ぐらい母さんが作っていたお弁当も、最近は五割ぐらいオレ製になっている。
まだ揚げ物は腰が引けちゃうけど、この分なら一人で作れちゃう日も遠くないだろう。
その日、晴翔にオレの想いを伝えよう。
やっぱり、あいつに気付いてもらうのは無理があった。
だから、はっきりと言う。
オレは、女の子になっちゃったとき辛かったけど、今はちゃんとした一人の女の子なんだって。
だからもう心配しなくていいよ……って。
オレは――今がとても幸せだ。
たまに困惑することもあるけど、それでも昔みたいに笑うことが出来るから。
半年前の鬱屈とした気持ちが嘘のよう。
料理を教えてもらうことで母さんと話す機会は格段に増えた。
星子も、余計な茶々を入れてくるけどオレのことを想って相談相手になっていてくれるのは間違いない。
父さんは――たまーに
「キャッチボールしないか?」
なんて昔みたいに言っては母さんたちに総ツッコミを受けている。
母さんたちからすれば
「女の子相手に何言ってるんだか」
って感じなんだろうけど、オレとしてはすごく嬉しい。
……流石に実際にはやらないけど。
家族はルナとしてだけじゃなく、どこか昔のオレも重ね合わせて見ていてくれてる。
それもすべて、あいつのおかげ。
ずっと、オレのことを見続けていてくれたちょっととぼけた男の子。
お互いが空回りすることもしばしばだけど、それでも心に暖かいものを与えてくれた。
あいつがいてくれたから、オレはオレでいられるんだ。
旨そうに弁当を頬張るあいつの顔を思い浮かべると、自然と笑みが零れ――。
っといけない。これじゃ一人で含み笑いしている変な奴だ。
怪訝に思ったのか、通りすがりのサラリーマンがじっとオレを見つめているのを感じ、慌てて顔を引き締める。
とりあえず、今は買い物に集中しよう……。
母さんから受け取ったメモを見れば、渡されたお金が少しだけあまりそう。
そのお駄賃で新しい食材を買って帰ろうかな。
ワンパターンにならないようレパートリーを増やさないと……なんて考えていたら、あっという間に商店街の間近に来ていた。
今のオレは視力もとても良い。授業中だけ眼鏡をかけたりしていたけど、今は裸眼で2.0はある。
遠目に晴翔がいるのを見つけ、声をかけようとして――
頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。
そこにいたのは、晴翔と見つめ合う小柄な少女。
――南だ。
その途端、眉間に皺がよる。
なんであいつと晴翔が――二人きりで?
胸がざわつき始め、ついつい口内に力を込める。
――いや、クラスメイトなんだ。出かけることだってあるだろう。
それに、昨日グループワークで一緒になったばかりなんだし。もしかしたら、義弘が近くにいるのかもしれない。
自分の心臓の音がやけにうるさく感じられる中、オレは自分に言い聞かせ続ける。
二人が何を話しているのか殆ど聞き取れなかった。
当然だ、これだけ距離が離れているんだから。
一歩。
踏み出そうとした瞬間だった。
突風が吹き荒れた。
髪が顔にかかり、つい顰めてしまう。
もしかしたら、風が運んできたからなのかもしれない。
その言葉だけがやけにはっきりと聞き取ることが出来たのは。
「私は、あなたのことが好きです」
凛とした表情で、強い決意を込めた――とても耳障りな響き。
……幻聴かと思った。
無意識のうちに後ずさる。
――いや、晴翔がそれを受け入れるかはわからない。
だって、晴翔だ。天然ボケの、どうしようもない。
多分、あいつは真顔で
「友達になりたいということか?」
なんてとぼけて返すに違いない。
半ば願望交じりで――あいつの声が聞き取りたくて、オレは晴翔へと焦点を合わせる。
でも、南が何やら呟くと、晴翔は屈みこむ。
南の背丈に合わせての行動。
嫌そうなそぶりなんて見せやしない。
同時に南が晴翔へと近寄っていく。やつは、首元に手を這わせ――。
そして、晴翔は、南にへと――いつもオレに対してするように――柔らかく微笑みかける。
吐き気がこみ上げてきて、見ていられない。
胸がずきずきと疼く。
これ以上は駄目。そう、心が警鐘を鳴らし続けていた。
もう、限界だった。
オレは――。
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