閑話 浚われていた

 晴翔に送ってもらい帰宅すると、オレは自室のベッドに横になる。

 以前と異なり、家族と関わりたくないからじゃない。


 ……頬が熱を持ってしまって仕方ないからだ。

 女の子として生活できる姿を見せつける……なんて決意したのはいいけど、恥ずかしすぎる。


 あいつは、文句ひとつ言うことなく、オレを見守っていた。

 間接キスなんて一切気にすることなくアイスを差し出してきた。

 ごく自然に気障な台詞を吐いてくる。


 それが全部天然だっていうんだから、もしかして晴翔ってとてつもない強敵なんじゃないか……?

 果たして、オレはあいつに勝てるんだろうか。


 ある意味じゃ、もう負けてるのかもしれないけど……。


 遊び疲れたのもあって、うとうとしてしまうのにそう時間はかからなかった。





 ――南ちゃんがいなくなった。


 彼女のお母さんから、僕に連絡が来たのは十分ほど前のこと。

 習い事の迎えに来たというのに、いつまで経っても南ちゃんは現れない。

 不安に思ったおばさんが先生に問い合わせたところ、南ちゃんはとっくの昔に稽古を終えたのだという。


 ……時計を見れば、今は夜の八時。

 今は十二月。当然日が落ちるのも早い。八時となれば真っ暗だ。

 どう考えてもおかしい。中学生の女の子が独り歩きするような時間じゃない。


 仲の良い子に片っ端から連絡をしているというおばさんの声は震えていた。

 僕への連絡が速かったのは幸いだった。


 ――心当たりがあったからだ。


 魔力の膨れ上がる感覚を、以前アムルタートと戦った廃工場の方角から感じる。

 聖獣も同意を示していた。

 南ちゃんの失踪。『旅団(レギオン)』の活動。


 この二つの符号を見逃すほど僕は馬鹿じゃない。


 白銀の魔法少女シルバー・ウィッチの姿となり、闇夜を駆け抜ける――。





 反転世界の廃工場へと辿り着いた僕は唖然とした。

 そこに広がっていたのは広大なクレーター。


 元より廃墟に近かったのだけれど、それすらも無と化し、破壊の痕跡だけが残されていた。

 いや、反転世界なのだから現実世界に影響はない。

 あるとしても精々、小さな衝撃が襲うぐらい。

 それでも、惨状の前に我を失ってしまう。

 

「……これは、一体」

「ルーナさん! 助けてください!」


 そんな僕の前に踊りだす小柄な女の子が一人。

 南ちゃんだ。


 走ってきたのだろうか。

 息切れしながら、僕に呼びかける。


 ……彼女は酷く憔悴しているものの、特に酷い目に遭った様子はない。

 精々、少し頬に擦り傷がある程度。


 ――良かった。


 安堵から胸をなで下ろす。


「大丈夫だよ、南ちゃん。僕が君を送り届けるから」

「……どうして私の名前を?」


 ――下手をこいた。

 一応、僕は報道なんかもされている。彼女が僕の名前を知っているのは当たり前だろう。

 だけど、僕が見知らぬ女の子を南ちゃんだと判別できるのはおかしなことだった。


「えーっと。……そうだ、男の子が行方不明の女の子を探してたから。それで特徴を聞いたんだよ」

「も、もしかして、陽太君ですか!?」

「た、多分そうだね。名前までは聞かなかったけど」


 これじゃまるで自作自演だ。

 後ろめたさについどもる。


「少しだけ怪我をしてるね。家族が心配するかもしれないから――『ライトヒール』」


 彼女の頭上へ翳した手から光が溢れる。

 傷口は塞がれ、元々のきめ細やかな肌が取り戻された。流れた血は消えないものの、洗えば彼女の家族にはバレないはずだ。


「ありがとうございます……でも、助けて欲しいっていうのはそういうことじゃないんです!」

「……? どういうこと?」


 南ちゃんの言うことがわからない。

 もしかして、他にも攫われた人がいるのだろうか?


 そう考え訊いてみたけど彼女は首を横に振る。


「違うんです。私のことを逃がしてくれた人がいて……その人は多分今も戦ってるんです!」

「それは、どんな人?」

「背の高い男の人で黒ずくめでした。口元を覆っていて顔まではわからなかったんですけど……」


 ――反転空間に出入りできる人間なんて限られている。

 だから僕はその説明でピンと来た。


「……アムルタート?」

「わかりません……。でも、私を助けてくれたんです。だから、お願いします!」


 縋りつくような南ちゃん。


 そんな姿を見れば僕の心は決まっていた。


 矛盾なのかもしれない。これからも、彼とは戦うことになるだろう。

 でも、僕にはその少年――アムルタートを見捨てることは出来なかった。


 だけど、状況がわからないのも事実。

 この戦いは白銀の魔法少女シルバー・ウィッチと『旅団(レギオン)』の戦いのはずだ。


 だとしたら、『旅団(レギオン)』のアムルタートが戦っているのは一体誰だっていうんだ?


「――ああ、すまない。それは無理な話だよ。間に合わなかったようだからねえ」


 突如、天上から響く声。

 南ちゃんは体をびくりと震わせ、怖気だつような圧迫感が僕を襲う。


「――!?」


 仰ぎ見れば、空中で一人の老人がアムルタートの首を掴み、持ち上げていた。

 彼の腕はだらりと垂れ下がっていて、気を失っているのだと推測できた。


 老人は僕たちの動揺など気にも留めないとばかりに、そのままゴミでも投げるように無造作にアムルタートを放り投げる。

 少年とはいえ、それなりの体躯の彼が、いとも簡単に宙を舞う。


 次の瞬間には、極太の光線が空中のアムルタートを襲っていた。

 恐らく、直径は五メートルほど。小手調べのような先ほどとは異なる、規格外の一撃。


 着弾と共に視界を白光が覆い尽くす。


 思わず、怯む。

 見た目以上に圧縮された莫大な魔力なのだと直感的に理解してしまったから。

 恐らくクレーターを作ったのもこれだ。

 着弾すれば四方を灰燼と帰す規格外の大魔術。


 それをまともに喰らったアムルタートの姿は、光が収まった後どこにも存在しない。


「きゃぁぁぁっ!」


 僕を現実へと引き戻したのは、絹を裂いたような南ちゃんの悲鳴だった。





 南ちゃんは糸が切れたかのようにへたり込む。

 目の焦点があってない。唇を震わせながら、少年の死の光景を前に怯えていた。


 無理もない。

 先ほど目の前で行われた光景。それは、正気を失わせるに足る非日常だ。

 僕だって、恐怖に慄いてしまいそうになる。


 それでも、僕は彼女を庇うように前に出た。

 そのまま、天空より舞い降りた一人の男を睨み付ける。


 禿頭の老人だった。

 だというのに、やけに眼光は鋭い。

 服装はタキシード。髑髏を象ったステッキとシルクハットを右手と左手に持っていて、一見すると老紳士。

 だというのに、視線の奥底に潜むぎらついたものは隠せていない。


「――やあ、ルーナといったかね。お初にお目にかかる」


 彼は慇懃無礼にお辞儀をすると、シルクハットをかぶる。

 どこか芝居染みた動き。


「アムルタートが迷惑をかけたようだね。ちゃんと処分しておいたから、安心してほしい。――いや、君たちの言葉では殺すというのだったかな?」


 男を前に被りを振り、必死で冷静さを取り戻す。

 アムルタートが、死んだ?

 僕があれだけ戦って、一度たりとも勝てなかった彼がこうもあっさり?


 冷静になればなるほど、絶望的な恐怖が、僕の心を浸食しそうになる。


 ――怖気づくな。僕が戦わなきゃ、南ちゃんが危ない。


「誰だッ!」


 敵意をむき出しに吠える。

 現状を考えれば相手の名前なんて意味はない。恐らく、僕と彼が戦うことは避けられないのだから。

 それでも叫ばずにはいられない。

 じゃなきゃ、恐怖の前に僕の心が折れてしまう。


「私の名はサヴァロス。知ってのとおり、『旅団(レギオン)』の首領だ。まあ、それも今は存在しないがね」

「……どうして、彼を? 仲間じゃないのか?」


 サヴァロスは目を細める。

 好々爺のようでいて、侮蔑的な眼差し。


「勘違いしては困る。アレ・・は仲間ではないよ。元はといえば、私の所有物なのだから。他の部下も同様だ。怖気づいたのか裏切るとは……。だが、却ってよかったのかもしれない。主の邪魔をする飼い犬など、邪魔なだけだろう?」

「お前ッ!」

「――焦ってもらっては困る。君は何のためにここに来たのか忘れてしまったのかい?」


 人と人と思わない物言いに対し、激昂のまま食って掛かりそうになり、その言葉でハッとなる。

 そうだ、南ちゃん――。


 ここで戦うわけにはいかない。南ちゃんを巻き込んでしまう。

 状況的に、彼女を攫ったのはサヴァロスだろう。だとすれば、彼も南ちゃんを傷つけるのは本意ではないはずだった。


「お前は、何のために南ちゃんを……?」

「私たちの――いや、私の目的は、感情エネルギーだ。そのぐらいは知っているだろう?」

「……ああ」


 受け答えをしながらも、警戒は解かない。

 少しでも不審な動きがあれば、障壁を張ることのできる構え。

 ――とはいえ、僕の障壁が通用するかは大分怪しいけど。


「研究の末、私が求めているのはその片方だけだと判明したのだよ。正と負――後者だ」


 サヴァロスの姿は、警戒を続ける僕とは対照的。

 知識をひけらかす子供のように、喜色を隠すことなく語っていく。


「妬み、恨み、恐怖――。君は自分の存在が非効率だと感じたことはないかい?  誰かを守ろうとする感情は、外敵がいなければ生まれない。だが、他者を攻撃し排除しようとする衝動……。それは知的生命体が二人いれば生じるのだ。武器にするなら圧倒的にこちらの方がいい」

「……本気で言っているのか?」

「勿論だとも」


 信じられない。

 理論的には正しいかもしれないけど、そんなことをしても待っているのは闘争の末の破滅だけだ。

 そんな思いを込めての質問に、サヴァロスは鷹揚にうなずくことで答えた。


「だが、意外と集まりが悪いのだよ……。どうやら、一度に人間の感じる負の感情には限りがあるらしい。実験してみたのだが、元より後ろ向きな人間が生み出すものは驚くほど少量だった。振れ幅が小さいのがいけなかったのかな」


 ――温度のようなものだろうか。

 プラスに限界が存在しないのに対し、マイナスには絶対零度が存在するかのように。

 感情が揺れ動くことでエネルギーが発生するのであれば、確かに開始地点がマイナスであればあるほど効率は悪くなる。


「逆に、前向きで純真な人間ほど、絶望すれば多くの負のエネルギーを生み出してくれる。つまり、落差が大きければ大きいほど、収集対象としては好都合なのだ」

「……まさか」

「ここまで言えば流石にわかるか。偶然にも、私と聖獣は同じ結論に達した。――光栄に思うといい。君も、その候補だったのだよ? だが、残念なことに、それは叶わなかった」


 にやりと笑うサヴァロス。

 狂気が、狂喜へと変貌する。


「もう一人の白銀の魔法少女シルバー・ウィッチ候補、赤石南。彼女の心を絶望に染め上げることで私の研究は完成する……!」

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