十八話 彼女は燥いでいたので、これで良しとする

 それから数日が経過した。

 陽太は変わらず授業に出席し続けている。


 最初は怪訝な目でいた同級生たちだが、次第に陽太の風景は日常と化し、彼らも気にしないようになった。

 教師も同様で、もう授業態度の悪さを指摘することはしない。

 一々、そのために授業を中断するのも馬鹿らしいと考えたようだ。

 障らぬ神に祟りなしといったところか。


 精々、未だに気にしているのは数学教師の女性ぐらいである。

 それすらも日常茶飯事となり、まるでこれが本来の姿と言わんばかりに平穏な日々が流れていく。


 だが俺は若干の焦りを感じていた。

 依然として陽太へのプレゼントのリサーチが進んでいない。

 浸食率の減少も目下停滞中。いや、時折数%ずつ変動したりはしているのだが。


 今までの二人に尋ねたところ、星子は


「お姉ちゃんをもっと見て、自分で考えてください」


 と素知らぬふりをする。

 何やら機嫌を損ねてしまったらしい。


 もう一人の情報源である陽太の母は


「晴翔君が贈ったものならなんでも喜ぶと思うわよ? 最近あの子も張り切っちゃって」


 の一点張り。

 ……何でもいいというのが一番困る。

 知識のない人間相手にかける言葉ではないと思う。





「んーっ……」


 昼休み。

 陽太は屋上で風を感じながら大きく伸びをしていた。

 その姿は、何処か猫を連想させ、俺は目を細める。


 教室を出るとき、四時限目の影響かぐったりとした生徒――特に女子――が多かったのだが、陽太は息切れした様子もない。


 直前の四時限目は体育だった。

 男女ともに長距離走。


 萩野は悲鳴を上げていたが、俺としては、無我夢中で走るだけのそれは嫌いではない。

 下手なルールがない分、よほどわかりやすい。

 陽太も同じなのか、ストレス解消とばかりにすっきりとした顔。

 

「走るのって気持ちいいよな。……この体になってからだよ、長距離走が楽しいって思えたの」


 今の陽太の肉体は、どちらかといえばルーナのものに近い。

 魔法的な補助は失われているものの、しなやかな筋肉は衰えておらず、下手なスポーツ選手に匹敵するスペックを兼ね備えているのである。


 それにしても


「……もう、慣れたのか?」

「何が?」


 キョトンとする陽太。

 振り向くと、柔らかな眼差しで俺を見つめてくる。


「体育。更衣室に入るのだ嫌だって言っていただろ?」


 陽太が授業をサボっている間、もっとも欠席率が高いのが体育だった。

 というより殆ど出ていない。


 体育には着替えが必要である。

 であれば必然的に女子と一緒に着替えることとなる。

 それが嫌で仕方がないのだと語っていたのを思い出したのだ。


 年頃の異性の裸は刺激が強すぎたらしい。

 罪悪感に打ちひしがれていたのを覚えている。


「べ、別になんてことない」


 陽太はぷいっと俺から顔を背けた。

 その頬は赤く染まっていて、どこか微笑ましい。

 益々猫のようだと破顔しそうになる。


「もう慣れたんだ。一々、気にしてられない。わかるか?」

「……あ、ああ」


 が、陽太は一転して強い口調となる。

 合わせるかのように、きっと藍色の瞳で睨み付けてきた。


 気圧されるように肯定を示したものの、俺にはむしろ強がりにしか見えなかった。

 彼女は羞恥に晒されているようで、内心そうでないのだと理解する。


「無理はするなよ?」

「無理なんて……してない」

「積極的に教室に来るようになったのは嬉しいがお前の身体が一番大事なんだ」

「……お前に心配されることじゃないから」


 陽太は憮然として答えるのだが、口元が緩んでいる。

 何か面白いことでもあったのだろうか。


「それより腹減ったろ? 弁当食べよう」


 この話は止めと言わんばかりに陽太はバスケットを取り出した。

 バスケット型の小さなものを三つ。

 どうやらそのうち二つが俺のものらしい。


「いつもすまない」


 礼を言いながら受け取る。

 陽太の分は一つだけでいいようだ。


 俺に弁当を手渡したのが三日ほど前。

 それ以来、彼女は欠かすことなく俺にご馳走してくれている。

 材料費だけでも払うと言ったのだが断られてしまった。

 少し前、ホテルでの食事を奢った返しだとか。

 俺がやりたくてやったことなので気にするなと伝えたのだが、「なら、オレもやりたくてやる」と言われてしまえば強くは出られなかった。


 時折指に絆創膏を巻いたりしているあたり、無理はするなと言いたいところなのだが……。

 どうやらこれが陽太の母の言う“張り切り”のようだった。


 ならば、俺はそれを見守るべきだろう。

 決して悪い影響を与えているわけでもなさそうだし。





「放課後、寄り道しないか?」


 陽太がそう言いだしたのは、俺がサンドイッチを頬張っている途中だった。

 トマトとレタスの挟んだそれは陽太お手製のものである。


 水気の多い野菜は出来る限りそれを取り除くがコツ。

 特にトマトは前日から下準備が必要――なのだそうだ。

 随分と自信満々に語っていたので一度で覚えてしまった。


「別にかまわないが。どうした?」


 普段であれば陽太が寄り道を言い出すのは日常茶飯事だったが、今週になってからは異なる。

 何やら用事があるとかで、自宅へと直帰するようになったのだ。


「……ちょっと、買い物に付き合ってほしくてさ」

「ふむ……」


 口元に手を当てて考える。

 別に用事があるというわけではないが、陽太へのプレゼントを考えなければならない――と考え、星子の言葉を思い出す。


 ――お姉ちゃんをもっと見て、自分で考えてください。


 彼女はそう言っていた。

 ならば絶好の機会ではないだろうか。

 それとなく訊くことも出来るかもしれない。


 そうでなくとも、陽太の憂さ晴らしになるはずだ。

 何かと彼女はストレスを抱えやすいのである。


「わかった。協力する」

「約束だぞ!」


 言質はとったとでも言いたげに燥ぐ陽太に、何やら暖かい感情が湧いてきて――慌てて真顔を保つよう努めた。

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