閑話 風邪を引いていた
――風邪、か。
すでに三回目となるジェットコースターの列に並びながら、晴翔に言われた言葉を回想する。
あいつはオレが顔を赤らめるたび言うけど、本気でそう思ってるんだろうか。
――恋の病。
そんなワードが頭の中に湧いてきて、思わず俯いてしまう。
な、なんだそりゃ。
星子に読まされた漫画の影響だろうか。
乙女チックにもほどがある。
自分でも顔全体がカッとなるのがわかった。
多分、第三者から見れば真っ赤になってる。
そういえば、一度だけ晴翔が病欠したときがあったなあ。
◆
僕と義弘君が訪れたのは――こういっちゃなんだけど、未だに無事に建っているのが奇跡なほど老朽化した廃屋――じゃなくてお家だった。
「ここで、あってんだよな?」
「そう思うけど……」
思わず不安になり、先生から貰った住所をスマホのアプリに打ち直す。
うん、間違いない。
ここが晴翔君の家。
僕たち二人は欠席した彼のお見舞いにやって来たのだ。
――ぼそぼそと、話し声が聞こえた。
男性のものと、続けて女性。
晴翔君の家族だろうか。
でも、確か彼に家族はいないって聞いていたけど……。
「ごめんくださーい」
期待はしていなかったけど、この家に呼び鈴はついていなかった。
出来る限りの大声を出す。
もし眠っていたら悪いのは承知の上。メールを送っても返事がなかったので、一応の礼儀だ。
――ガタガタガタッ!
と慌てふためくような物音が聞こえて、止んだ。
僕は義弘君と顔を見合わせる。
「な、何の音だろう」
「泥棒とか……いや、こんなボロ屋にわざわざ入るのか?」
「……急ごう」
不安が拭い去れなくて、僕たちは彼の家へと足を踏み入れた。
◆
「陽太に萩野か……どうした?」
「お見舞いに行くってメールはしたんだけど。見てない?」
晴翔君は四畳半の部屋に布団を敷き、そこで横になっていた。
顔は真っ赤。聞けば熱を測ってすらいないのだという。
「先ほどまで寝ていたんだが……起こされてな」
「え、誰に?」
一人暮らしのはずなのに。
もしかしたら僕たちの呼びかけのせいだろうか。
晴翔君は失言とばかりに唇を噛んでいた。
「いや……ネズミだ。この家に住みついてて、困る」
「げぇっ! いや、如何にもな雰囲気だけどよ。もしかしてさっきの物音もそれか?」
「多分、そうだろう」
こくりと頷く晴翔君を見て、心底不快そうな義弘君。
彼はネズミとかゴキブリとか、そういうのが大嫌い。まあ、ハムスターみたいな小動物なら兎も角、好む人も少ないと思うけど。
……さっきの話し声も、聞き間違いだったのかもしれない。
テレビの音とか……。でも、見た限りこの部屋にそんなものはない。
「それで、お見舞いとはなんだ?」
「えっと……病気の回復を手伝うことかな?」
「晴翔、お前してもらったことないのか? 寂しい奴だなあ」
義弘君の足を、晴翔君に見えないようさりげなくぴしゃりと叩く。
流石に言っていいことと悪いことがある。晴翔君は両親と死別しているのだから。
「あ、悪い……つい、忘れちまってよ」
「いや、気にするな。……ただ俺の鍛え方が足りないだけだ」
「そういう問題じゃないと思うんだけど……」
テーブルの上にはカップラーメンの容器と幾つかのサプリが置かれているだけ。
これじゃ栄養なんて取れるわけもなく、体調を壊すのは必然だ。
……でも、一つだけ違うものがあった。
スーパーの袋に包まれた何か。
「これ、開けていいかな?」
「ん、ああ。構わない」
中にあったのは、桃缶だった。
病気の子供に食べさせる定番の一つ。でも、封は切られておらず、このままじゃ手の出しようがない。
「晴翔君、これ食べる?」
「……貰ったのはいいが、うちに缶切りはない」
「あー」
僕と義弘君は、どこか納得してしまう。
なんというか、晴翔君の家は何処か空虚だ。
老朽化してるとかは関係ない。ただ食べて寝る場所、そんな雰囲気に溢れている。
誰から貰ったのは気にかかるけど、多分ご近所づきあいだろう。
「あ、そうだ。アイス買ってきたんだよ。食べる?」
「もし今食わねえなら冷蔵庫に入れとくけど」
危うく忘れてしまうところだった。
学校帰りにコンビニで購入しておいたのだ。ひんやりとしたこれなら、食欲がなくても喉を通るはず。
「冷蔵庫もないな」
「おいおい……」
これには義弘君もあきれ顔。
僕も、よく生活できるものだと感心してしまう。
「溶ける前に食べよう!」
「おう!」
コンビニからこの家までは少し距離がある。
肌寒くなった季節とはいえ、随分溶けかかってきている。
袋から急いで取り出す僕たちを見て、晴翔君はキョトンとした表情。
「何を急いでるんだ?」
「アイスだぞ? 溶けるだろーが」
「……そういうものなのか」
普通なら不可思議な反応だけど、ここまでくれば察しが付く。
勿論、彼が熱に浮かされてぼうっとしている可能性を除けばだけど。
「……晴翔君、もしかして、アイスも?」
「初めてだな」
――僕と義弘君はお互いに視線を合わせると、はーっっと大きなため息をつくしかなかった。
◆
晴翔君は、人生初のアイスに感嘆の声を漏らしていた。
いつの間にか随分と血色も良くなっている。
「……さっきまで三十八度近くあったのに」
「ば、化け物か?」
こんなこともあろうかと――彼の家にはそれすらなかった――持参した体温計を使ってみれば、すでに平熱の域。
二人して驚愕していると
「このぐらいまでならなんともない」
「いやいや、ありえねーから!」
「看病する人がいなければ死んでてもおかしくないよ!?」
なんてこともないように言う晴翔君にツッコミを入れるしかない。
ただの風邪と侮るなかれ。
高熱の前には下手をすれば命を落としかねないのだから。
「明日には登校できそうだな」
「だからって無茶すんなよ。ぶり返してもしらねえぞ」
身体の調子を確かめるような彼を義弘君が嗜めた。
意外と面倒見がいいことを僕は知っている。
晴翔君も異論はないようで神妙にうなずいて同意する。
「そろそろ、お暇しようかな。あんまり長居してもあれだし」
時計を確認すればすでに六時を過ぎていた。
授業が六限まであったから来るのも遅かったけど、結構な時間いたことになる。
回復の傾向にあるとはいえ、病人に負担をかけるのはよろしくないはず。
「お前がいないとつまんねえからな。出来るだけ早くこいよ?」
「うん、無理せずにね。晴翔君もクラスの一員なんだから」
「……ああ」
去り際の言葉。
――何故だか、僕には晴翔君の横顔が愁いを帯びた物に見えて仕方がなかった。
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