閑話 彼女は思い出していた

 あの後、晴翔はまたタクシーを呼び、オレを家まで送ってくれた。

 貸切送迎サービスらしい。

 どうやらタクシーの運転手も知り合いで、頼み込んだようだった。


 金剛って人の伝手だって言ってたけど、晴翔はいったい何者なんだ?

 もしかして、金持ちの親戚がいたりするのか?

 両親は死んだって言ってたけど、それも嘘だったり……。


 住む世界が違う・・・・・・・

 そんな言葉が頭の中に思い浮かんだ。

 お忍びで御曹司が一人暮らしをするみたいな、以前ドラマで見た展開。

 結局そのドラマのエンディングは、主人公は自分の家へ――上流階級へと戻っていった。


 だとすると、あいつもいつかオレの前からいなくなるんだろうか。

 そりゃ、一生一緒にいられるなんて思っていない。

 進学や就職によって遠く離れることもあるだろう。

 だけど、それでも親友であることは変わらないと思っていた。


 でも、あいつの立場次第じゃそれも叶わないかもしれない。

 じわりと、心の中に不安が広がっていく。


 ――いや、あいつを疑っても仕方ない。

 晴翔はそんなやつじゃないし、あいつのおかげで、少しだけ気持ちが上を向いたんだ。

 ベッドに横になって、今日楽しかったことを思い出そう。


 ……あいつの、花束を手にした顔は傑作だった。

 普通、あり得ない。


 あんな漫画かドラマの世界の出来事を、俳優でもないのに真面目くさってやるのは晴翔ぐらいだ。

 もしかして、演技(・・)の才能があるんじゃないだろうか。


「あはは……」


 つい思い出し笑い。

 っていうか、よくレストランのウェイターも笑わなかったよな。

 オレだったら絶対吹き出しちゃう。


 晴翔みたいにやれって言われたら恥ずかしくて死ぬかも。

 ……って待てよ?


 あのとき、花束を渡された俺もかなり恥ずかしいんじゃないだろうか。

 まるで、馬鹿な彼氏とその彼女――傍からはそう見えたんじゃ……。

 だって今のオレは女で、あいつは男。


 羞恥に、顔全体が熱を持っていくのが自分でもわかった。


 それに、久々に笑ったオレ見た晴翔の優しい笑顔――。

 思い出すだけで、胸の鼓動がどんどん早くなる。

 ……やばい。


 ――こんなときは、寝るに限る!


 オレは、布団を被り、電気を消した。

 出来る限り、幸せな夢を見られるよう願いながら……。





「――オレはお姉ちゃんじゃない!」


 オレ・・になってから二日してからのことだった。

 星子がしつこくて、苛立ちの限界に来たオレはそう叫ぶ。


 そのまま、部屋の隅にあったぬいぐるみを掴み、投げつけた。

 もちろん、星子に当てるつもりはない。

 単なる八つ当たり。


 ウサギの形をしたそれは、壁にバウンドしぽとりと床に落ちた。


「ひ、酷いよ、ルナお姉ちゃん……。それ、あたしとお揃いだってお母さんが買ってくれたやつなのに……」

「ルナじゃないし、そんなものを買ってもらった記憶もない!」


 確かに見覚えはあった。

 星子が小学校に上がりたてのとき、旅行先の動物園で買ってもらったものだ。

 でも、オレはそんなものは貰ってない。


 オレが買ってもらったのはジグソーパズル。

 だって、オレは男なのだ。

 ぬいぐるみなんて欲しがるはずがない。


「出てけよ、星子!」


 もううんざりだった。

 自分じゃない名前で呼ばれるのも、覚えのない思い出話をされるのも。


「――荒れてるな」


 すると、少し低めの声と共に一人の男が現れる。

 長身の、見知った顔。


「晴翔さん……」

「星子、二人だけにしてくれないか?」

「は、はい」


 晴翔が促すと、星子は退室する。

 ……清々したかって? むしろその逆。どうしようもない、ざらつくような不快感が胸の中で渦巻き続ける。


 そんな気分のままオレがベッドに腰掛けると、晴翔はドアを閉め、壁にもたれかかる。


「陽太。落ち着け。お前の怒りをぶつけてもどうにもならない。説明しただろ?」

「うるさい……! お前にわかるのかよ、いきなり別の名前で呼ばれる気持ちがさ。ルナが、ルナがって……誰だよ、そいつは」

「……確かに、わからん」


 そのまま晴翔は深く考え込んでしまった。

 こいつはこいつでなんなんだよ。


「っていうか、なんで晴翔だけにオレの記憶があるんだ。おかしいだろ。何か知らないのか?」

「……すまない。それもわからない」


 オレをこんな姿にしたらしい聖獣は、力を使い果たし消えたらしい。

 命を救うためだってわかってても、受け入れ難いことに違いはない。

 だから手がかりは、経緯を知っている晴翔しかないってのに。


「もしかしたら、ルーナのことを知っていたからかもしれない」

「……ルーナを?」


 オレの正体を知っているのは、晴翔だけだった。

 それ以外の人間は――例え家族であっても秘密。

 勿論心配をかけないため。


 そもそも晴翔に正体がバレたのも偶発的な出来事なのだ。

 以来、あいつは色々と協力してくれたけど……。


 それが、裏目に出たってのかよ。


「だから妹に当たるな。お前の本意じゃないだろう」

「……ああ、そうだよ!」


 家族を傷つけたくなんかない。

 だけど、駄目なのだ。


 ――ルナお姉ちゃん。


 そう呼ばれるたび、胸がかき乱される。

 オレは、オレは陽太だってのに。


 ――陽兄ちゃん。


 オレの知っている星子は、そう呼んでくれたはず。

 でも、彼女が呼ぶのはオレじゃなくてルナという少女なんだ。


「なあ、晴翔……」

「どうした?」


 一つの可能性に思い至り、背筋がぞくりとした。


「――お前まで、オレのことを忘れたりしないよな?」


 もし、聖獣の改竄が晴翔に時間差で訪れていないだけだとしたら。

 いつの日か、こいつまでオレのことをルナって呼び始めるのかもしれない。


 そうなれば、陽太(・・)は死ぬ・・。そう考えると、怖くて怖くてたまらなかった。


「――安心しろ」


 一拍おいて、晴翔は答える。

 眼差しは力強く、オレを見据えながら。


「お前のことは忘れない。お前は、ずっと陽太だから」


 そのままオレに近づいてきて――


「だから、俺は絶対にお前をルナとは呼ばない」


 視線を同じまで腰を落として、頭を撫でる。

 撫でるほどでもなく、ただ頭の上に置いただけかもしれない。

 多分、昔「泣いてる子供をあやすときにはこうしろ」って教えたことまんまの行動。

 でも、安らぎを覚えたのは紛れもない事実だった。


「よろしくな、親友」

「……うん」


 涙ながらに頷くと、晴翔はオレに笑いかけた。

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