八話 彼女は笑っていたので、成功ということにする

 メインディッシュは牛肉のステーキだった。

 コースには四種類提示されていて、ステーキ以外にも魚などがあったのだが、両者一致でステーキに決まったのだ。


「それで、どうしてオレを此処に連れてきたんだ?」


 ……陽太の追及が始まった。

 視線を俺へと向けたまま、肉を器用にナイフで切り分ける。


「友人と食事を取るのに理由が必要か?」

「お前が言っても説得力がなさすぎる。暇さえあればインスタント食品ばっかで、たまに誘えばラーメンのくせに」

「む……」


 苦しい言い訳なのは自覚しているが、陽太は容赦なかった。

 確かに、俺が真っ当な食事をする機会はそう多くない。

 一人暮らしではあるものの、自炊の経験は殆どないからだ。


 基本的に、腹を満たせればそれでいい生活をしてきたためである。

 カロリー優先。足りない栄養素はサプリで補えばいい。……と伝えたら目を丸くされた記憶がある。


「そもそも、ホテルで奢りなんて有り得ないだろ……恋人同士じゃあるまいし」

「初めて会った日から、陽太には世話になっているからな。その礼だ」

「晴翔。お前、生活苦しいんだろ? 無茶なことは止めろよ」


 そういえばそんな設定だった。

 ――確か、『黒崎晴翔』という架空の人物の詳細を決めたのは玲緒奈だったはず。


 人付き合いが悪い俺のために、家族が死んで天涯孤独というお涙ちょうだいのものを。

 色々と一般常識から外れていても問題ないよう、貧乏に。


 一部は事実であり、玲緒奈は都合がいいとか言っていたが、それがここにきて裏目に出ている。


「少し前に、金剛という男に会っただろう?」

「ああ……お前のお兄さん?」

「兄じゃない。兎も角、あいつから仕送りを貰った。だから余裕はあるんだ」

「なら尚更だろ。人のためじゃなく自分に使えよ」


 陽太は頑なだった。

 ……その割に、食事の手は緩めていないが。


「こ、これは折角奢ってもらったのに食べない方が勿体ないからだ」


 視線に気づいたのだろう。

 陽太は照れながらもう一切れ口に放り込んだ。


「それなら、もう食べてしまったんだから考えるだけ無駄だ。今は楽しんでくれ」

「……変な晴翔」


 結局陽太はぺろりと完食し、デザートとコーヒーまで注文していた。

 そのぐらい遠慮がない方が、俺も気持ちいい。





「はあ、満腹」


 満足げに腹を撫でながら、陽太は目を細める。

 実際このランチ、上品に盛り付けてある割には量も兼ね備えていた。

 俺もすぐには動けそうにないほどだ。


「本当に、奢りでいいのか? ……っていっても、お金ないんだけどさ」

「ああ。知り合いということで割引が効く」


 嘘である。

 従業員にかつての『旅団(レギオン)』の構成員が何人か再就職しているものの、流石にそこまでの権限はない。


 学生二人による貸切にもいい顔はされなかったのだが、頭を下げることで強引に頼み込んだのだ。

 陽太――ルーナのためであることを告げれば、彼女たちは積極的に行動してくれた。

 恐らく、罪の意識を感じてのことだろう。


 それに、貸切のため値段は跳ね上がっていて、決して陽太に払いきれる金額ではない。 


「後、お前に渡したいものがある」


 さて、ここからが本番である。


 星子へのリサーチの結果、提示されたものだ。

 これは中々難易度が高い。

 参考資料として手渡された書籍の人物たちは、よく素面で行えるものだと感心する。

 しかしタイミングは今しかない。


 ――実行に移そう。


 パチリ。

 気取った感じで指を鳴らすと、一人の従業員が現れた。

 かつての部下の一人である。


 そして恭しく俺へと手にしていたものを渡す。

 大輪の薔薇の花束だ。


 受け取ると深紅のそれを胸に掲げ


「受け取ってくれないか」


 と囁いた。

 よくわからないが、これが星子のいう女の子なら・・・・・誰でも喜ぶシチュエーションらしい。


 沈黙が場を支配する。


「ぷっ……」


 それを打ち破ったのは、陽太の漏らした笑い。


「あははははっ……! なんだそれ!」


 彼女は腹を抱えて大爆笑。

 そのまま机を叩きながら


「何やってんだよ晴翔、意味わかんねー!」


 息も絶え絶えにしながら叫ぶ。


 ――うむ。

 どうやら成功のようである。

 流石は妹というべきか。星子は素晴らしい知識がある。

 女の子でない陽太がここまで喜ぶのだから。


「喜んでもらえてうれしい」

「喜んでねーよ! 笑ってるんだよ!」


 残念なことに、俺には違いがわからない。

 しかし、目的は果たしたことに変わりはないのだ。


 一しきり笑った後、ようやく陽太は落ち着きを取り戻したようだった。


「……誰から聞いたんだ、それ?」

「いや、誰にも」

「わかりやすい嘘をつくな。絶対お前の発想じゃないことはわかるよ。……ある意味お前ぐらいしか実行しないけどさ」


 やはり陽太は鋭い。

 こうなっては隠す意味もあるまい。

 素直に協力者をばらしてしまおう。


「星子だ。お前を喜ばせたいと言ったら協力してくれた」

「お前、星子の言うこと真に受けるなよ。言っとくけど、あいつは夢見がちっていうか……大分ずれてるぞ」


 呆れた様な顔。


「なんたって、中学生に上がったのに小学生向けの少女マンガ雑誌毎月買ってるからな」


 ……参考資料として提出されたそれは、結構興味深かったのだが。


 妹に対して随分と信用がないらしいが、今回に関しては大成功といっていい。

 何故なら


「でも、お前が笑ったのは久しぶりだ」

「……え?」


 陽太がルナになってから、浮かべるのは常に冷笑や嘲笑の類だった。

 少なくとも俺の前で腹を抱えてなんて、数か月の間一度もなかった。


 かつての陽太は、表情豊かで穏やかな笑みを絶やさない少年だったというのに……。


 だから、間違いなく成功したのだ。


「もしかして、貸し切ってまでこれがやりたかったのか?」

「ああ」


 信じられないような顔をする彼女に首肯を示すと、藍色の瞳が揺れる。


「……馬鹿だな、お前」


 その声は震えていた。

 そして、次の瞬間、陽太の表情は嬉しそうな――しかし何処か泣きそうな――微笑みで俺を見つめていた。

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