五話 麺が伸びていたので、一緒に食べに行くことにする
「それで、満足いく仕上がりだったかしら?」
「――それに関しては礼を言う」
俺は実際に姿は見えないとわかっていながら一礼。
このあたり、日本人の流儀に染まっているのかもしれない。
まさか一年もこの世界に留まることになるとは思わなかった。
「ま、あたしが調べたわけじゃないけどね。この世界に残ったあんたの部下たちに言ってやりなさいな」
「ああ。わかっている」
かつて、『旅団(レギオン)』を離反した構成員たちは、誰一人自分たちの世界に戻らなかった。
名を捨て、地球へと溶け込んでいる。
結果、一度だけ使える帰還用の転移装置は廃墟と化したアジトで埃を被ったままだ。
理由は様々。
罪を償うためなのか、故郷に見切りをつけただけなのか――。
それでも連絡を取ってみれば、彼らは俺の目的に賛同してくれた。
仇敵ではあるが、首領の暴走を止めた英雄(ルーナ)にわずかばかりの恩返しをしたいと申し出たのである。
構成員であった彼らは優秀だった。
彼らがサヴァロスの研究データをサルベージし、解析することで今回のデータが完成したのだから。
「あの子たちも頑張るわよね。同封されてたもの、見たかしら?」
「ああ。……ありがたい」
玲緒奈が言っているのは、『暗黒の種子』の浸食率を判別する測定器。
解析の過程で生まれた副産物だとか。すでに自分の端末へとインストールしてある。
現在、陽太の浸食率は80%。
あまりよろしくない数値だ。
恐らくだが、100%になれば今度こそ陽太は消滅する。
今もじわじわと微増し続けていて、猶予はないのだと理解させられた。
「で、勝算はあるわけ?」
「わからん。だが、出来る限りのことを試行錯誤してやってみる」
さて。
調書に書かれていた事柄をまとめるとこうなる。
陽太がルナへと変質した原因は、聖獣が破損した存在をルーナ、『暗黒の種子』と混ぜ合わせて再構成したからである。
ならば同じことをしてやればいい。
今度は陽太の部分を比重に置いて再構成を行う。
それを実現するだけの技術もサルベージにより手に入れたのだ。
元はと言えば、認識が書きかえられたのも、周囲に陽太がルナと化したことを受け入れさせるため。
つまり、陽太さえ元に戻れば解消される。
何故それがわかるのかというと、ある程度『旅団(レギオン)』にも認識改変の技術は備わっているためだ。
実際、俺が晴翔としてとしてこの世界に潜り込んだのも、離反者が一般人として暮らせているのもこれによるもの。
もし、俺がこの世界からいなくなれば、『黒崎晴翔』という男子高校生の戸籍や契約書類は存在が必要なくなり痕跡すら残らない。
ただし、『旅団(レギオン)』の認識改変と、聖獣のそれとでは規模が違う。
俺たちのものは精々、書類を改竄する程度であり、人間の記憶や歴史――それも十年以上も――を改変するほどの力はない。
しかし、問題が一つ。
『暗黒の種子』である。
これがある限り、陽太には危険がついて回る。
それどころか、まるで陽太がルナであることを望むかのように彼女の肉体を守っているのだという。
強引に取り除くことは出来ない。
『暗黒の種子』は、彼女の空白を埋めるように密接に結びついてしまっている。無茶をすれば陽太という存在自体が損傷してしまう。
ではどうするか。
答えは簡単。しかし簡単であるがゆえに――特に俺には――難しい。
一言でいえば、正の感情エネルギーを陽太自身に生み出させる。
正と負、それぞれは反発しあう作用を持っている。
それにより、『暗黒の種子』が弱まったタイミングを狙うのである。
ただし、重要なのは『生み出させる』こと。
外部からではなく、陽太自身が生み出さなければ意味はないのだ。
負の感情が怒りや憎しみ、妬みであるのに対し、正のそれは友情や愛、喜び。
残念なことに、まともでない環境で育ってきた俺には喚起させる方法がわからないものばかりだった。
その旨を玲緒奈に伝えると
「ふぅん……。でも、あんたはすでに一つの感情を与えてるんじゃないの?」
と気づかないことを小馬鹿にした、嗜めるような口ぶりで返されてしまった。
ふむ?
心当たりがない。
むしろ、俺の方が陽太から貰ったものが多いくらいだ。
「どういうことだ?」
「親友なんでしょ? なら、あんたとの友情は感じてると思うけど。あの子はあんたが裏切り者だって知らないんだし」
素直に尋ねてみれば、「まあ、あたしは直接見たわけじゃないけどね」なんて付け足しながら、玲緒奈が答えた。
「……そのはずだ」
――結局、俺は陽太に自分の正体を伝えてはいない。
元はといえば、俺があいつに近づいたのは、
それ以降は、黒崎晴翔という仮初の姿で、感情エネルギーの効率の良い引き出し方を観察していた。
サヴァロスを止めるため、成り行きで共闘することになったものの、あいつは本当の正体を知らないまま凶弾に倒れたのである。
そして、ルナの姿で目覚めた陽太はとても不安定だった。
いつ、『暗黒の種子』が暴走し発狂してもおかしくない有様。……何度思い出しても苦い記憶だ。
結果、それきり伝えるタイミングを失ってしまったわけだ。
勿論、後ろめたさが歯止めをかけているのも事実。
出来る限りなら、知られないまま――。
「絶対に正体がバレないようにしなさいよ。唯一の拠り所を失って、“陽太”の部分が消えちゃう可能性もあるからね」
「ああ」
「そもそも、暗黒の種子を取り込んで、日常生活を送れるような自我が残ってるだけで奇跡みたいなもんなんだから。よほど正の感情が強い子だったのかしら」
この後、考え事をしていて適当に相槌を打った結果、玲緒奈にくどくどと説教をされてしまった。
端末で時刻を確認してみればとうの昔に三分は過ぎている。
……麺が伸びるからいい加減にしてほしい。
◆
さて。
翌日の放課後、俺は陽太を食事に誘ってみた。
「食事は緊張が解れるらしいから、ジャブとしてはいいんじゃない?」
という玲緒奈のアドバイスを受けてのこと。
行ったのは『英楽亭』というラーメン屋。
こってりとしたとんこつスープが特徴の老舗である。
店主が気さくに挨拶してくるほどには俺の行きつけなのだが、元はといえば陽太の紹介によるもの。
陽太が男だったときは、萩野も連れてよく訪れていた。
しかし、ルナの姿になってからは一人で食べることが多くなってしまった。
俺の知る限り半年ぶりに訪れた名店の味に、彼女は舌鼓を打っていたのだが――帰宅して測定器を確認してみれば、殆ど浸食率は変動していなかった。
若干快方には向かっていたものの、本当に若干。
――これは、中々の難問かもしれない。
とはいえ、ある程度は予想済み。
かくなる上は、陽太の周囲の人物に彼女の好みを訊いてみる予定。
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