閑話 悪夢を見ていた

 あの後、晴翔と別れ家に帰ってすぐベッドに横になった。

 ピンクの壁紙の、落ち着かない自室。


 ここ半年、オレは帰宅すると自分の部屋に籠りきりになる。

 家族と話したくないからだ。

 星子のやつはお構いなしに接してくるけど……。


 母さんは


「反抗期かしら」


 なんて言うけど、もっと薄暗い情念が原因。

 でも、口にすることは出来ない。

 いや、口にしてもわかってもらえない。

 それが身に染みて理解しているからこその行動。


「晴翔のやつ。あんな知り合いいたんだな……」


 知らなかった。

 オレのことを変わらず陽太と呼んでくれる、ただ一人の彼。

 そんな彼にも、家族はちゃんといた。

 とても親しげで、オレよりも大事な用があるって――。


 ぎりっ。

 気づかないうちに、強く奥歯を噛みしめてしまっていた。


 多分、これは嫉妬。

 邪険にしつつも家族とどこか通じ合った様子の晴翔になのか。

 大事な用とやらを届けに来た金剛という男になのか。

 オレにはわからない。


 でも、胸がざわつくのだけは止められなくて、今にもどろどろとしたものが口からついて出そうになる。

 自己嫌悪が溢れそうになって、オレは意識を手放すことにする。





 十二月二十五日。

 僕は――多分、自分のベッドの上で目を覚ました。

 なぜ多分かというと、ところどころ配置が様変わりしていたから。

 ピンクを基調に整えられていて、星子の部屋かと一瞬思ってしまうくらいだった。


「生きてる……?」


 確か、僕は真正面から攻撃を受けて……。

 思い出そうとして、ずきりと頭が痛んだ。


 ……とても大事な人を庇おうとしたのは覚えているんだけど。

 それが誰なのか、靄がかかったように思考が働かない。


 兎に角、起き上がろうとして――僕は異変に気付いた。


「んんっ」


 僕の声はこんなに高かっただろうか。

 男子高校生にしては高い方だけど、ボーイソプラノだったのは遠い過去のこと。とっくに変声期は過ぎている。

 なのに、今の声はソプラノだった。


 まるで、ルーナのときみたいに――。


 もしかすると、――一度もそんなことはないけど――変身したまま意識を失っていたのかもしれない。

 そう考えて自分の掌を見て――日焼けしたように小麦色であることに驚いた。


 え……?


 僕は、日本人だ。

 お父さんも、お母さんも生粋の。


 でも、今の僕の肌の色は違った。

 手だけじゃない。

 全身が、明らかに日本人離れしていた。


 こんがり焼けばこんな色になるのかもしれないけど、あいにく今は十二月。

 冬なのにこんなに褐色化するわけがない。


 髪を一房、前の方まで手繰り寄せると――銀髪。

 そこにほっとする。


 やっぱり、変身したままなのかもしれない。

 そう思って


「解除!」


 と呟いてみる。

 読んで字のごとく、変身を解くための合言葉(コマンドワード)。

 ――何も起きなかった。


「解除! 解除!」


 祈るように何度も唱えるのだけど、変化は見られない。

 普段なら魔力が収束し、大気中へ溶けていく感覚があるのに、それすら起きないのだ。


「……お姉ちゃん?」


 僕の声に気づいたのだろう。

 扉を開く音がして、そこには星子が立っていた。


「星子? こんな顔だけど、僕だよ、陽太だよ!?」


 ルーナの姿で星子に会ったことはない。

 部屋に入り込んだ不審者と思われては敵わないと、必至に弁明する僕。

 でも星子は困ったような顔をするだけ。


「ルナお姉ちゃん? 何言ってるの? 陽太って誰?」

「ルナ……? それにお姉ちゃんって……」

「ルナお姉ちゃん、南さんと出かけたときに襲撃に巻き込まれたって……心配したんだよ? 気絶してるところを晴翔さんが助けてくれたんだって」


 星子は僕の呟きを無視する。


「とにかく、お母さんたち呼んでくるね!」


 それだけ言って、彼女は部屋を出て行ってしまった。





 どたどたと階段を上る足音がして、お父さんとお母さんが飛び込んできた。


「ルナ!」


 入ってくるなり、お母さんは僕じゃない名前を呼びながら抱きしめる。

 僕は少しだけ強引にそれを剥がしながら、叫ぶ。


「お母さん、お父さん! 僕は陽太だよ! 息子のことがわからないの!?」

「何を言ってるの、ルナ。あなたは、私たちの娘よ?」

「違うよ、僕はそんな名前じゃない! 太陽みたいに明るく育つようにって名付けたって教えてくれたじゃないか!」


 僕は幾度となく必死に訴えたんだけど、誰も聞いてくれなかった。


「強い爆発に巻き込まれたらしいからな……傷はないけど、頭を打ったのかもしれない」

「そっか、それで記憶が混乱してるんだね」


 もっともらしい説明をするお父さんと、それで納得する星子。


「違うよ、僕は……」


 そう言いかけて、僕は部屋の机の上に飾ってある写真を見て、呆然とする。

 それは、昔家族で――星子がまだ自分で歩けない頃――行った遊園地のものだった。

 なのに、その写真に写っているのは僕じゃなかった。

 銀髪の、女の子。


「これ……」

「あなたの小さいころよ? ……もしかして、わからないの?」

「アルバム……アルバムを見せて!」


 嫌な予感がして、必死に要求する。


「え、ええ……ほら」


 お母さんはすぐに本棚からアルバムを取り出した。

 家族の思い出が綴られた、記録。


 だけど、その中に僕は一枚たりとも映ってなんかいなかった。


 その子は、星子とお揃いの白いワンピースを着てはにかんでいた。

 お父さんに肩車をしてもらい燥いでいたり。

 南ちゃんと一緒にケーキの蝋燭を吹き消していたり。


 そのすべてが、僕じゃなかった。

 この一年間、僕が慣れ親しんだ面影のある少女へと塗り替えられていたんだ。


 僕が愕然とした隙に


「あなたが死んでしまったらって思うと……」


 お母さんは、ルナの体温を確かめるかのようにまたぎゅっと抱擁。

 それを、僕はまるで他人事のようにぼうっとした頭で受け入れるしかなかった。


「ああ……ルナが無事で良かった……」


 でもお母さん。

 その子は僕じゃない。

 僕は陽太なんだ。


「ルナが生きていてくれてよかった」


 涙を流すお父さん。

 違う。

 生きているのは僕。

 ルナなんかじゃない。


 あまりの無慈悲に、僕の心は滅多打ちにされ、目が潤む。


 それをお父さんたちは、生きていた喜びだと解釈したみたいだった。


 ――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 僕の叫びは声にならなくて、誰にも届かなかった。

 結局そのまま僕は、泣き疲れて眠ってしまったらしい。





 目が覚めても僕は僕でなく、ルナという少女だった。

 鏡で確認してみたところ、その顔はルーナそっくりで、まるで格闘ゲームのカラーバリエーションのよう。


 でも、家族は誰一人僕を噂の魔法少女だとは思わないようだ。


 僕には一つの希望があった。

 もしかすると、この奇妙な状況は僕の家族だけなのかもしれないと。

 だとしたら、心を強く持てばきっと家族も僕のことを思い出してくれる。


 まず義弘君に連絡を取ることにした。

 彼は僕の幼馴染で、よく遊んでいた付き合いだ。

 そんな彼が僕のことを忘れるはずがない。


 ――半ば願望だった。


 少しの間、コール音が鳴って、耳に慣れた声がする。


「よ、義弘君? 僕だよ、陽太」

「あ、あのルナさんですか? お、俺に連絡ってなんでしょう!?」

「冗談だよね……?」

「いえ、ルナさんは、憧れでありますからにして……」


 ――結局わけのわからないことを告げる義弘君とは、三言言葉を交わしただけで通話を終えた。


 次に南ちゃん。

 彼女も同様に――だけど、事件に巻き込まれたことは知っているからルナ・・のことを心配していた。

 あまりの理不尽さに、思わず舌打ちをする。


 それから何度も僕はいろんな人に連絡した。

 最初はクラスメイト。少しだけ疎遠になった小学校や中学校のころの友達。お世話になった先生。


 全員の答えは悲しいことに一致を見せていた。

 途中から、もう涙が止まらなくてまともに話すことが出来ず


「もしもし、ルナ?」


 なんて言われた時点で電話を切ってしまっていた。

 大分失礼な行動だとは思うけど、そんなことを気にする余裕、僕にはなかったから。


 そして、電話帳の最後の一ページ。

 最初はルーナとして出会った、僕の一番新しい友達。


 ――黒崎晴翔。


 でも、僕の心を占めるのは絶望でしかなくて。

 彼への連絡は、ただの義務感だった。

 もしかすると、いっそのこと僕は自分の心をべきりと折ってしまいたかったのかもしれない。

 胸の奥から湧き上がる、昏くドロドロした感情に溺れるために。


 もう陽太はいないんだ。

 僕は見たこともない、記憶にもない少女のルナでしかないんだ。

 そんな確認作業。


 そして、コール音。

 多分一種の死刑宣告を待ちわびていると


「……陽太か?」


 返事は、僕がもっとも望んでいたものだった。





 それから、僕は晴翔君に事情を説明してもらった。


 ルーナが世界を救ったこと。

 陽太という少年が実質的に消滅したこと。

 そして、ルナという少女が新たに生まれたこと。


 晴翔君は、『暗黒の種子』を取り込んだ僕のことを心配してくれた。

 どうやら、その影響で精神に変調をきたす可能性も高いのだとか。


 でも、僕の心をもっとも苛んだのは、そんなものじゃなかった。

 僕のことを僕として認識してくれない世界。


 優しげにルナと呼ぶ声は、まるで死の宣告のようだった。


 親しげにルナへと笑いかけるその表情は、まるで嘲笑のようだった。


 愛おしげにルナを抱きしめるその手は、首を絞められるかのようだった。


 ――結局一週間も持たずに僕の心は折れてしまい、僕(・)は死に、オレ・・が生まれた。

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