四話 正体を秘匿してきたので、これからも隠すことにする

 書店の帰り道。

 結局、俺たち長々と立ち読みをしてしまった。

 そのせいで空は茜色に染まりつつある。


 本屋に入る前は疎らだった人影も、帰宅時間だからか増えてきていた。


「お前って、一人暮らしだよな」

「ああ」


 唐突に陽太がそう訊いてきた。


「どんな感じなんだ? やっぱり、楽か?」

「……まあ、気楽ではあるな」


 俺の家は小さな一軒家。

 今にも潰れそうなボロ屋である。

 その分格安で買い取ることが出来た。


「溜まり場にされがちなのが難点だが……」

「お前、溜まり場にされるような知り合いいたっけ?」

「む。……いや、いないな」


 陽太は中々鋭い。

 確かに俺の交友関係は広くない。家族は死んで、その遺産で暮らしている。

 わざわざ俺の家を訪ねてくる人間なんてそうはいない――ことになっている。


「しかし、何故そんなことを?」


 だから話を逸らすことにした。

 陽太の両親は健在で、妹が一人。

 かつての家族仲は悪くなく、妹も確かよく懐いていたはずだ。


「……いつか、家を出たいなと思ってる」

「そうか」


 彼女がか細く漏らすので、俺は理由を察した。


 ――恐らく、自分をルナとしか見ない家族が辛いのだろう。


 彼女が授業をサボっても学校に来るのは、家にいたくないからだ。

 だが、わかってはいても口にはしなかった。


「どうせなら、うちに寄っていくか?」

「いいのか?」


 なんて会話をしていると、曲がり角の電信柱にもたれかかる大男が一人。

 二メートルはあるだろう、屈強な体躯で佇んでいる。

 もう六月だというのにトレンチコートに身を包んでいて中折れ帽をしていた。

 当然ながら、かなりの異様さ。

 表情はサングラスで窺うことは出来ず、明らかに堅気ではない。


 だが、彼は――


「晴翔! 久しぶりだなあ」


 随分と嬉しそうな声でこちらに駆け寄ってきた。





「晴翔、誰だ?」


 小声で聞いてくる陽太に、俺は説明しようとして


「俺の名前は黒崎 金剛(こんごう)! あんたがヨータか。晴翔がいつも世話になってるって聞いてるぜ!」


 大声に遮られた。

 至近距離でこの男の声を聴くのはかなりハードだ。

 鼓膜が破れてしまいそうなほど喧しいからである。


「少しは声を落とせ……」


 呆れて苦言を呈せば、金剛は肩をすくめ、やれやれとでも言いたげなポーズ。

 苛立ちを覚えなくもないが、そういえば益々頭に乗るのだろう。

 この男、相手の気持ちがわかっていて逆なでしてくる節がある。


「黒崎? もしかして、晴翔の親戚か?」

「俺はこいつの兄替わりみたいなもんさ! 離れて暮らしてるから、たまにしか会えないんだけどな!」


 残念なことに陽太が食いついてしまった。

 金剛が握手を求めれば、彼女も応じる。

 もしかすると、陽太と呼ばれたことも関係あるのかもしれない。


「晴翔が人間らしくなったのも、あんたのおかげらしいな。感謝してる!」

「あ、ああ……」


 ぶんぶんとまるで振り回されるかのような陽太。

 少女となった彼女――とはいえ、以前も背が高いわけではなかった――からすれば台風に巻き込まれたようなものである。


「それで、何の用なんだ、金剛。ただ顔を見に来たわけじゃないはずだ」


 いい加減に鬱陶しい。

 不機嫌さを一切隠さずに問いかける。


 通行人すべてが俺たちに注目していた。

 金剛という男、一々挙動が目立つのだ。それには、生来のやかましさもプラスされている。


「悪い悪い。つい盛り上がっちまった! 頼まれてた調査が終わったからな。それを届けに来たんだよ」


 それだけ言って、胸ポケットへと手をやる。

 まるで以前陽太の家で見た、アクション映画の悪役が拳銃を取り出すような動き。

 現に、一部の群集たちが身をこわばらせたのが俺には分かった。

 しかし、実際はデータ端末が一つ握られているだけ。


「……首尾は?」

「問題ない。お前の望んだとおりのことが書かれてる筈だぜ!」


 金剛は、言いたいことは言ったとばかりに、満足げに去って行った。

 台風一過。

 あたりに静寂が戻り、野次馬も飽きたのか疎らになる。


「すまん、陽太。用事が出来た。家に来るのはまた別の日にしてくれ」


 目をやれば、陽太は乱れた銀髪を手鏡片手に整えていた。


「……わかったよ」


 不満そうに口を尖らせながらも渋々従う。

 せめてもの侘びと、俺は彼女を家まで送ることにする。 





「あ、晴翔さん! こんにちは! ルナお姉ちゃんもお帰り!」


 陽太の家に向かうと、彼女の妹である星子が出迎えてくれた。

 星子は中学一年生。

 部活が終わって帰宅した直後なのか、セーラー服姿だった。


「久しぶりだな、星子」

「相変わらず、お姉ちゃんと仲がいいですね!」


 この子も金剛に負けず劣らずテンションが高い。

 話す度、体が揺れて頭からちょろりと跳ねた髪の毛も同期する。

 とはいえ、あいつと違って不快なものではないが。


 星子は黒髪のウェーブがかったショートカットで、色白ではあるものの生粋の日本人であることに変わりない。

 本来なら、陽太と二人が並んでも誰も兄妹――姉妹か?――だとは思わないだろう。


 しかし、この世界の住人達は完全に受け入れてしまっている。

 よく似た姉妹だと、誉めそやされることすらあるのだ。


「今日は、うちに寄ってくんですか?」

「いや、用事があるからな」

「ふーん、あたしも晴翔さんみたいな彼氏欲しいなあ」

「――星子!」


 妹の挨拶にもだんまりだった陽太が、ようやく口を開く。


「オレと晴翔は、そんなんじゃない」


 そして厳しく睨み付ける。

 流石の星子も意気消沈。


「ごめんなさい、悪ふざけが過ぎました」


 しょんぼりとした様子で、頭を下げていた。


 まあ、陽太が怒るのは当然だ。

 彼女(・・)はあくまで男(・)なのだから。

 同性の友人を恋人と言われれば不愉快になるのも仕方がない。


「……わかればいいんだよ」


 陽太は決まりが悪そうにそれだけ。

 彼女は家族に対し、苛立ちは覚えているものの、決してそれは憎しみではないのだ。


「俺は帰るよ。また明日」


 別れの挨拶に、陽太は


「ああ」


 とだけ短く返し、星子はぺこりと頭を下げていた。





 帰宅し、今にも底が抜けそうな四畳一間に腰を下ろす。

 年季の入った畳に、足の弱りつつあるちゃぶ台。

 向こう側が窺えてしまう障子は、本来の役目を果たしていない。

 もう一年ほど過ごしたとはいえ、どうにもみすぼらしい一室だ。


 すぐさま俺は自分の端末に、受け取ったデータを読み込ませた。


『飛高ルナ、暗黒の種子についての調書、及び浄化方法について』


 独特の言語でそのような文面が表示されると、まずは目次に目を通し、一言一句逃さぬよう、深く読み込んでいく。


 ……時が経つのも忘れていた。


 読み終えたのは、完全に日が沈み、胃袋が強い空腹を訴えてくる時間帯のことだった。

 満足感とともに、俺は立ち上がり、機能しているのが不思議なキッチンへと向かう。


 集中ゆえの疲労を感じ、湯を沸かすだけに留めておく。

 備蓄している非常食は大量にある。

 カップラーメンである。技術を要せず、迅速に摂取が可能な食品としてお気に入りなのだ。


 今から三分。

 タイマーをセットしたところで、スマホが着信を告げた。


「げ……」


 宛名を見れば「黒崎 玲緒奈」。

 無視するわけにもいかず、受信を選択する。


「久しぶりね、晴翔」

「……何の用だ?」

「あらあら。用がなきゃ連絡しちゃいけないの?」


 どこか挑発的な玲緒奈に、俺はため息をついた。


「姉が弟の様子を気にかけるのってそんなにおかしいかしら? お兄ちゃん――も心配して来てくれたのよ? たまには定期連絡ぐらいしなさいな」

「お前と俺に血のつながりはないだろう。それに、金剛も」


 『お兄ちゃん』という単語に含み笑いを隠さない彼女に、俺はぴしゃりと言い返す。

 そもそも戸籍的にも俺と彼らは兄弟ではない。


「はぁ……。ちゃんと今回は晴翔って呼んでるでしょ? 何が不満なのよ」

「ふざけた記事を書くのは止めてくれ」


 俺が言うのは昼に本屋で見たゴシップ誌について。

 陽太が『旅団(レギオン)』の一員とは、悪ふざけが過ぎる。


「わざとよ、わざと。ああやって面白おかしく現実味がない風に掻き立てることで、あえて攪乱してるんだから」

「それに、あの二つ名はなんだ? 自分で書いていて恥ずかしくないのか?」

「――なら、正確に書いてあげた方がよかった? 『雷帝』アムルタートって」


 物言いに、頭を抱えるしかない。


「それもお前が勝手につけた名前だろう」

「あらあら、ノリノリだったじゃない。ルーナちゃんに『雷帝の力を見せてやろう』なんて言ってたの、忘れてないわよ」

「ぐっ……」


 返す言葉もなかった。

 論破完了とばかりに、玲緒奈――いやレオーニャは高笑い。


 ――そう、黒崎晴翔というのは偽名に過ぎない。


 俺の名は、アムルタート。

 かつて白銀の魔法少女シルバー・ウィッチ――陽太を監視する任を受け、近づいた『旅団(レギオン)』幹部の一人である。

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