episode.20「お前は俺の邪魔をしたいのか?」

 きょうの指示通り茉奈まなたちとは別れ、あきら木沢きざわの案内で『客』の逗留とうりゅう先へ。


「なるほど、これがVIP待遇か」


 部屋に入っての第一声が闊達かったつさを欠いていたのは、別に嫉妬のせいではない。

 公が住む六畳間のボロさ加減とは比較にもならない別世界だが、一時滞在用のホテルと住居を比べてもせんのないことだ。


「ええ、ここも一応〈緋星會ウチ〉の持ち物で、今は助っ人の宿舎になってます」


 木沢も大して気にしない様子で、支えていたドアを丁寧に閉めた。


 常苑とこぞの駅前一等地のシティホテル上層階――

 一応スイートというやつらしく、広々としたリビングの先に大きなベッドの置かれた寝室が続いている。


 窓の向こうには、五十万都市の中心街が一望できた。


 緋煌ひおう町の駅前よりも遥かに都会的で、ごみごみとした騒がしい街並み。こんな場所から見下ろしていたら『人がゴミのようだ』とか口走ってしまいそうだ。


「ふむ、人がゴミのようですね」


 実際口走った宿泊客は、窓辺からこちらを振り返ってくる。


「では、13サーティーン。あなたにも今日からここへ移ってもらいますが、準備のほうは……」

「荷物なら、後ほどお届けしますよ」


 請け合ったのは木沢だった。


東庄とうじょう君の持ち物のことは、パンツの色としまう場所まで完璧に把握はあくしてありますから」


 ……こいつ、いつの間に。


「そういうことで、後は若いお二人に任せて僕は失礼を……と、いけません」


 部屋から出て行こうとした木沢は、はたと思い当ったように歩みを止めて、


「僕としたことが、お客様のお名前をうかがっていませんでした。東庄君は御存知ですよね?」


 ぎくり。

「……ああ、名前か」


 木沢がわざと狙ったのかは不明だが、実はこの質問、公にとっては非常にまずかった。彼女が享に何と名乗ったか、確認する機会がここまでなかったのだ。


「――ロゼッタ。ロゼッタ・クローディです」


 危ういところで、本人が助け船を出してくれた。

 というか、本来もっと早く……いや、真の問題はそれ以前なのだが。


「ああ、これはどうもご丁寧に。ではどうぞごゆっくり、ミズ・クローディ」


 今度こそ出ていく木沢を慎重に見送って、数十秒ほど間を置いてから、


「で、そのロゼッタとやらはどこの何者だ、リゼット?」


 険のある口調で、『フォース』は彼女に問いただした。


「一体、どういうつもりだ? 来るなら来るで、事前に連絡を入れるのが筋だろう。この間の二人組といい、お前は俺の邪魔をしたいのか?」


 自称ロゼッタこと〈廻廊殿かいろうでん〉の〈弑滅手ヘルサイド〉リゼット・アベリー・アルスティード。

 公の剣幕に気圧けおされてか、彼女はうかがうような上目遣いでしょんぼりと視線を合わせてきた。


「……事前に行くと伝えたら、あなたは絶対に来るなと言ったでしょう?」

「ああ、もちろんだ。それがわかっていて、なぜここに来た?」


 冷たく突き放す問いに、リゼットも反発をあらわにする。


「あなたこそ、なぜ私を避けようとするんです? 過去と向き合うのが怖いからですか?」

「……………っ」


 瞬間、胸の奥底に、むしりたくなるほどの苛立いらだちが走った。


 傍目はためにも、よほどひどい顔をしていたのだろう。おびえを浮かべたリゼットの瞳に、公は一転、強い自己嫌悪を覚える。


「……俺を、見くびるな。この仕事を受けたのは過去に決着をつけるためだ。役立たずの馬鹿を遠ざけるのに特別な理由は必要ない」

「私が、役立たずの馬鹿だと?」


「不満なら訂正してやる。役立たず以下の足手纏あしでまといで、馬鹿よりも酷い大馬鹿だ」

「くっ……」


 怯えと憤懣ふんまんをないまぜにしてにらんでくるリゼットは、結局、反撃より遠吠えを選んだ。


「あなたがどれほど邪険にしようと、私がこの件であなたと組むことは〈廻廊殿〉の決定事項です。ここへ来ることにも上司の裁可は得ていますので、どうぞ、あしからず!」


「ああ、そうか」

 ふん、と公は鼻で笑う。


 そんなことは、わかっている。

 公は〈廻廊殿〉からうとまれているし、こんなひよっこを相棒につけるのは作戦自体にさしたる価値や可能性を見出していない証拠だ。


 うまくいったら、もうけもの。せいぜいその程度の認識に違いない。もし、失敗して公が死んでも、それはそれで手を汚さずに裏切り者を始末したことになる。


 そして、おそらく……


フォースが〈廻廊殿〉を裏切ることはあっても、リゼットを裏切ることは有り得ない』


 陰で糸を引く連中にはそんな読みもあるのだろう。


 つくづく喰えないクソ野郎どもだ。あの亡者もうじゃどもに比べれば、のこのこ自分から人質ひとじちになりに来た大馬鹿もまだ可愛く見えてくる。


 いずれにせよ、公の故意もしくは不手際によって身元が暴露されてしまった場合、リゼットが即刻〈緋星會〉に八つ裂きにされるという状況が出来上がったことは確かだった。

 以前に木沢が言った通り、『闇の中から出てきた人たちにはそのまま闇に消えてもらう』だ。


「……まったく、すっかり性格がじ曲がって……昔はあんなに……」


 こちらに命運を握られたなどと気付いているような様子もなく、彼女は一人でぷりぷりとごとつぶやいている。


「ところで、さっきの話だが」

「さっきの……何です?」


 リゼットが怪訝けげんな顔で聞き返す。

 やっぱりコイツ馬鹿だ、と公は再確認しつつ、


「〈緋星會〉との取引だ。奴らとの繋がりを作っておくことで〈解呪印章デコード・マーク〉を手に入れ、決行当日に〈廃都呪令アルタヴィオン・コード〉が発動した後もこの街に留まり続ける――狙い自体は理解できるが、あの連中もそうそう鈍くはないぞ。少しでも怪しいところを見せれば、あっという間にお前は吊るされる」


 例の不審者騒動以降、〈緋星會〉の警戒もかなり厳しいものになってきている。ルースとアウガーが傭兵ようへいとしてこの街に入ってヘタを踏んだ以上、同じ手はもう使えそうにない。

 だからといって、わざわざ商談など持ちかけて取り入るのもかなり危ういやり方だ。


「その件ならば大丈夫、私に抜かりはありません」


 自信満々、リゼットは大きく胸を張った。

 ……見ないうちに随分ずいぶんと立派に育ったものだが、ちっとも頼もしく見えないのはなんでだろう?


「〈砂漠王の炎ギュナム・クォーツ〉はきちんと実物を用意してありますし、奪いに来る敵についても手配は済んでいます。実際に私たちが襲われれば、あちらも偽の取引とは思わないでしょう」

「どうだか……な。手配した『敵』ってのは、またあの二人組か?」


 ルースとアウガーの二人からは、拠点を他に移して潜伏と偵察を続けるとの連絡が一度あったきりだ。

〈緋星會〉に捕まったという話は今のところ聞いていない。その後も無事でいるのなら、リゼットとは定期的なやり取りがあるはずだった。


「いいえ。彼らは、既にめんが割れていますから。今回はより万全を期して、こちらの身元を伏せた上で本物のプロを雇いました。当人は狂言と知らずに本気で品を奪いに来ます」

「おい……大丈夫か?」

「御心配なく。入念に吟味ぎんみを重ねた上で、一番ダメそうなへっぽこを選んでおきました。あなたなら軽く返り討ちにできるでしょう」

「……恐ろしく嫌な役回りだな。さすがに相手が気の毒だ」


 ぼやいてみたところで、既に計画は動き出している。

 公としては、与えられた枠組みの中で極力ましな状況を作り出せるよう努力するしかない。


 観念して打ち合わせに入ること小一時間――ポットのお茶も冷めきった頃に、入り口のドアがノックされた。


 木沢が戻ってもいい頃合いだが、ひょっとしたら敵かもしれない。


「東庄? わたしだけど……」

 呼びかけてきたのは、茉奈の声だった。


「工藤か」

 ドアを開けると、いつものように涼真りょうまも背中にくっついている。


 ぐっ、と公の鼻先へ、茉奈がスポーツバッグを突き出す。


「ほら。木沢から預かったの、持って来てやったわよ」

「ああ、すまん」

「……で? 働き者の健気けなげな助手にこんなとこまで荷物運びさせといて、お茶も出さずに帰らせようっての?」


 それでもいいかと思ったが、後々何かとうるさそうなので一応入れることにした。


 五秒後には、やめときゃよかったと思っていた。


「うわ、広っ! 何この部屋!? これで一泊いくらなんだろ?」


 客であるリゼットへの遠慮も何もなく、茉奈は室内をじろじろ見渡して、


「――って、ちょっと。スイートって聞いてたけどベッドルーム一つしかないじゃない。若い男女がこんなとこで一緒に泊まっちゃうわけ? やーらしいんだぁ」


 下世話かつ非難がましい視線で、いわれもない言いがかりをつけてくる。喧嘩の仲直りもまだ済んでいないし、嫌がらせでもしに来たのだろうか?


 リゼットが苛立ちをつのらせる気配が、並んで立つ公にもありありとわかった。


「余計な心配だ。俺の部屋もある意味スイートだが、二部屋で問題なく木沢と共存してる」

「そうなの? なんか、うわさになってるっぽいけど」


 ……噂?

 実体の無いロゼッタなんたらとかいう人物について、公とどんな噂があるというのか。根も葉もないものならまだいいのだが……


 まぁ、ここはとりあえず否定しておこう。


「以前に仕事で関わって、今日、久しぶりに会った相手だ。もちろん今も仕事中で、それ以外の関係はない」

「いや、そっちじゃなくて木沢とのほう」

「…………、…………………。」


 予想を斜めに裏切る返答にしばし言葉を失っていると、腕に柔らかな感触が当たった。


「13、私にはこの方たちを紹介してくださらないのですか?」


 何を思ったか、リゼットがこちらの腕を取り、わざと胸に押し当ててきている。


 むにゅむにゅ、むにゅん。

 なんか、とっても柔らかい。

 ……誤解させてでも追い返せ、ということなのかコレは?


「……こっちが工藤くどう、そっちが水薙みなぎ。二人とも享の部下で、今は俺の助手だ」

「そうでしたか……」


 何事か、意味深な含みがありそうな反応だ。

 これまでの報告で二人のことは当然、彼女にも知らせてあったのだが……


 公が裏を勘繰かんぐる前に、彼女は型通り『ロゼッタ』としての自己紹介を終え、茉奈と涼真も彼女らなりにそこそこ無難な挨拶あいさつを返した。


 このあたりが、潮時だろう。


「工藤、水薙」

 公は改まって、助手の二人を追い返しにかかる。


「骨折りには感謝するが、お前たちもさっきの話は聞いただろう。俺は今、敵に狙われた客の護衛中だ。埋め合わせは必ずする。今はこの場所を離れてくれ」


 ここに居られて困る理由は他にも無論あるわけだが、今はそれが第一だ。

 リゼットがどんなへっぽこを雇ったかはさて置くとして、彼女と公のいる場所は戦場になる危険性が高い。


 茉奈はしかし、納得しなかった。


 はぁ、と不機嫌そうな溜息をつくのは、ついさっきのいざこざを引きずっているせいばかりではないらしい。


「それくらい、わかってるわよ。だから、わざわざ来てやってるんでしょうが。あんた、水薙がどれだけあんたのこと心配してたか、わかってんの?」

「心配、と言われてもな……」


「公さん……」

 思わぬ反応に困惑する公を、真摯しんしすぎる涼真の視線がいたく不安げに見上げてきていた。


 あまりの健気さに、良心が痛む。ここ最近、ずっとこんな調子だ。


 彼女には、例の『悪癖』の不安もある。

 万一、敵との殺し合いにでもなれば平常心ではいられないだろう。そういう意味でも、ここには絶対いて欲しくない存在だった。


 ここは心を鬼にして、公は二人に言わねばならない。


「とにかくダメだ。今は帰れ。享も指示を待てと言っただろう。俺に助けは必要ないし、心配なら神にでも祈っててくれ。ここは、お前たちの居ていい場所じゃない」

「何よ? わたしたちじゃ役に立たないっていうの?」


 茉奈は妙にやる気満々だった。わずかな間に実戦を数多く経験したことで多少の自信もついているのだろうが、あまりいい傾向とは思えない。


 あくまで、普通の女子高生。

 彼女の一番彼女らしい部分が、自分と関わったばかりに変わってしまったとしたら――それはひどく、罪深いことのように思えてくる。


「……役に立つとでも思ったのか?」


 どう言うべきか迷った末に、鬼となった心のままに公は忌憚きたんなく言ってやった。


「相手はプロだ。素人が何人味方にいてもお荷物が増えるだけでしかない。特に工藤――魔力の大きさしか取り柄のないお前は、いざというとき自分の身を守れずに足を引っ張る可能性が高い。それでも、ここに残りたいか?」


「…………っ」


 かなり気まずい、間を置いて。


「…………わかった、帰る。もう来ない」


 怒りの声はない。

 茉奈はただ、硬い表情でそう言って、こちらへ背中を向けてしまった。


 知り合って以来、彼女のこういう反応は初めてだ。


「せ、先輩っ……」


 あたふたと二人を見比べていた涼真も、茉奈をあわてて追いかけていく。


「じゃあ」

 と、去り際に茉奈はたった一言。


「お、お気をつけてっ」


 最後に言い残す涼真の声も、ドアの閉じる音に断ち切られてしまった。

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