episode.17「御無沙汰しております、姐さん」

 カトルス・フィッツデイル・ロズナー――通称『キャット』・ロズナーが営むロズナー商会は、常苑とこぞの市内の勢力図では『その他』に分類される中小勢力の一つだ。


「いやー驚いたぜ。まさか〈緋星會エカルラート〉の総帥が自らのお出ましとはな。そうと知ってりゃそれ相応の準備なりはしてたんだがよォ」


 ロズナーは二十代半ばの男で、日焼けした顔の上に銀色の髪がヤシの木の葉っぱみたいに生えている。ピンストライプの白スーツにラメ入りの紫シャツを着こみ、ネックレスや指輪で金色にかざり立てた風体ふうていは、まるで胡散うさん臭い成金の不動産業者だった。


「いや、こちらこそ急にすまなかった。ヨソならともかく、貴様とはイストラーグで同じ釜の飯を食った仲だからな。部下に任せるのも忍びなかった」


 互いの立場を超えた無遠慮ぶえんりょな口ぶりに、対座するきょう鷹揚おうように肩をすくめてみせる。


「ハッハ。そりゃ光栄だ。で、こんなむさくるしいとこにまでお見えなすった用向ようむきってのは……」


 ロズナーが謙遜けんそんした商会の応接室には、双方合わせて十名ほどの人数がひしめいていた。

 ロズナーが座るソファの後ろに部下が二人、両脇の壁際にも合計で三人。


 荻島おぎしま悠里ユーリを背にして座る享の隣で、木沢きざわが口を開いた。


「はい。実は、先日そちらから御紹介ごしょうかいいただいた傭兵ようへい二名の件なのですが……とある場所で二人組の不審者騒動があった後、ふっつりと姿を消してしまいまして」

「あ、ああ。その件か。話は聞いてるぜ」


 ロズナーは額に汗をにじませる。

 享は、芝居しばいがかった思案しあん顔でうつむいた。


「どういうことかと我々も不思議でな。貴様の口利きなら間違いなかろうと思って雇ったハズだったんだが」


 手配師であるロズナー商会の主な事業は人材の斡旋あっせんだ。

 フリーランスの――時としては非合法の――〈弑滅手ヘルサイド〉や魔法使いを集めては、必要に応じて依頼先へ派遣する。辺境でありながら発展もいちじるしい魔法都市・常苑では、こうした市場のニーズは大きかった。


「ああ、そりゃもちろんだぜ。なんつっても、この稼業は信用が命だからな。身元の確認には気を遣ってる」

「ですが、我々はくだんねずみどもと〈廻廊殿かいろうでん〉の繋がりを疑っています。それらしい証拠なども、無いわけではありませんので……」


 ロズナーが力説、木沢は無表情に応じる。

 享が声を低めて言った。


「〈廻廊殿〉といえば、ロズナー。以前、貴様のところも未成年をいかがわしい店に派遣したとかでにらまれてたはずだな。

『何か』と引き換えに目こぼしでももらったか……?」


 薄いイエローのサングラスの奥で、ロズナーの瞳が動揺する。


 商会が、つまらないヘマで〈廻廊殿〉の不興ふきょうを買ったことがあるのは事実だ。その先が事実でないことを証明する手段は……残念ながら、この場にはないだろう。


「……いや、こいつは少々先走り過ぎたな。憶測おくそくだけで言っていいことじゃない」


 享は撤回てっかいしたものの、その自戒じかいは口先だけだった。獲物に牙をかけた嗜虐しぎゃく的な微笑が、憐れなロズナーを気ままにもてあそぶ。


「とはいえ、身元の確認に気を遣ってなおこの始末というフシ穴だ。どこぞの鼠と通じたやからが、手下の中にいないとも限らんな」


 言い草は、憶測どころか、もうほとんど侮辱ぶじょくに等しい。


 ぎりっ、と歯軋はぎしりの鳴らす音。


「このガキ、黙って聞いてりゃあ――」


 享と一番近い場所にいたロズナーの部下が大声を上げた。

 つかみかかろうとした瞬間、


「ごはッ!?」

 悠里の蹴りが、背丈の高いそのあごを跳ねあげる。


「だからさー、こうゆう物騒ぶっそうで乱暴なお仕事には、あっきーが向いてると思うんだよね」


 倒れかけたそいつのえり元をつかみ、悠里は無造作にもう片方のてのひらを顔に向けた。


 威嚇いかくだ。

 その気になれば、一撃で頭を吹き飛ばしてやれる。


「……で、どうするの、享たん? もすこし、暴れたほうがいい?」

「さて……どうしたもんだろうな、ロズナー?」


 ロズナーの日焼け顔は青ざめていた。あわてて、両手を開いて立ち上がる。


「ま、待ってくれ! 俺みたいな半端モンがいっぱしに店を構えてられんのは、あんたの引き立てがあったからだ。それでなくたって、〈緋星會〉の総帥相手に弓を引こうなんざ思いもしねえこった。ホントだぜ!」


「ほう……」

 さして興味を引かれた風もなく、享は弁明の続きをうながす。


「いや、実は俺もあの二人を直接は知らねえんだ。クォートルガのナジー・ウィーレスが推薦状付きで寄越よこしやがったもんだから、つい信用しちまって……」

「失態だな。『信用が命』が聞いて呆れる」

「わ、悪かったよ……ちゃんと調べて、報告する。嘘はつかねえ。絶対だ」


 しきりに強調するロズナーに、享は目を伏せて許しを与えた。


「いいだろう。貴重なツテを潰してしまっては元も子もないからな」


 示談成立。

 ロズナーがほっと息をつき、悠里もつかんでいたシャツから手を放す。


 再び開いた享の目が、対面を見据みすえて冷たく光った。


「……せっかく、こうしてまた会えたんだ。私の友情を裏切ってくれるなよ?」


 果たしてそれは、誰に向けられた言葉だったろうか――


 木沢は無言で、眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。


◇◇◇◆


 工藤家からほど近い路肩ろかたに、一台の白いバンが停車している。

 味もそっけもない車体は、薄汚れていて型もやや古い。見るからに商用車だ。


「……ああ。今のトコはあれっきり、追手おってはかかっちゃいねェようだ。13サーティーンの旦那とも、直接は会わないようにしてる」


 運転席。

 電気工事の作業服姿で、ルースは通信モードのPMDに語りかけた。

 ちなみに隣の助手席では、同じ服装のアウガーがむしゃむしゃと菓子パンにかじりついている。


「けど、〈緋星會〉に潜り込むのはもう無理だな。完全にめんが割れちまってる。

 やっぱ、おとなしく傭兵のフリだけしとくほうがよかったかもしれねえが…………ああ……いや、ちょっと待て。あんた、今……ホテル? 駅前の、って……こっちに来てんのか?」


 驚きに、つい大きな声を出す。


「んぐ?」

 アウガーが顔を上げた。


 見返しつつ、ルースは耳元の音声に傾注けいちゅうする。


「……そうか、わかった。こっちは一旦、切り上げることにする。旦那には、そっちから伝えといてくれ」


 通信を打ち切り、溜息をついた。


「大丈夫なのかね。〈廻廊殿〉もりずによくやるぜ」


「んぐ、んぐ」

 アウガーは早々と咀嚼そしゃくを再開している。喰ってるときのコイツにはモノを説明するだけ無駄骨だ。


「出すぜ、相棒。ベルト締めとけ」


 ルースは車のキーを回す。


 ……と。

 ちょうど一人の若い女が、バンの脇を通り過ぎていった。ミニスカートのスーツ姿で、足取りは妙になまめかしい。


「今の女、どっかで……?」


 それとも、何かの思い過ごしか?

 ルースは首を後ろへひねるが、垣間かいま見た顔と背中だけでは記憶の呼び起こしようもなかった。


◇◇◇◆


「まあ、こんなところかしら。だいぶきれいになったわ」

 と、地上から満足げな史奈ふみなの声。


「ごめんなさいね、こき使っちゃって。こんな機会でもないと滅多めったに入らないから」

「……はあ」


 二時間ぐらいは作業しただろうか。

 脚立きゃたつの上にまたがったあきらは、目いっぱい伸ばしていた高枝切りばさみのを元に戻す。


 下へ降りて、史奈から受け取ったちり取りの小枝をゴミ袋へ移していると、


「これはどうも、大家殿。東庄とうじょう君も、ご精が出ますことで」

 九頭龍荘の四号室住人こと、メガネ野郎が屋敷の庭に姿を現した。


「やっほー! 日曜日なのに会えちゃったね、あっきー」

 続いて悠里が駆け寄ってきて、


「久しぶりだな、ここへ来るのも」


 最後に、荻島を従えた享。


 その二人を見て、史奈も掃除の手を止めた。


「あら、享ちゃんにヨシくんまで。珍しいわね」

「は。御無沙汰ごぶさたしております、あねさん」


 ヨシくんこと、荻島美樹おぎしまよしきは直立不動で一礼する。

 この男も、総帥たる享の護衛役としてイストラーグでも戦った猛者もさなのだが……

『昔は結構やるほうだった』という史奈の自負は、あながちただの与太よたでもないらしい。


 オールバックのいかつい黒スーツと、エプロンにほうきの主婦。

 一種の異様な光景に自然と視線が集まった中で、見せつけるように享は小走りした。


「史奈っ」

 エプロンの胸に、飛び込みで抱きつく。からん、と箒が地面に倒れて、


「っ、と……享ちゃんたら、どうしたの?」

「せっかくの休日にロクでもない仕事が二件も入って心がすさんでたからな。こうしてるといやされる」


 ふくらみにほおり付けながら、享は蚊帳かやの外の男どもを振り返った。


「ふふふ、いいだろう。ウチは母親が病気がちだったからな。私はこのおっぱいで大きくなったんだ。実の娘が反抗期で、今ではコレも私だけの特権だ」


 ぽよん、ぽよん、と両手をえて総帥閣下はご満悦まんえつの様子。


「なるほど。さすがは閣下、奥ゆかしい。頂き物だから遠慮したんですね」

「……どういう意味だ、木沢?」

「いいえ。何でも」


 十五歳女子の平均より下の位置からにらみ上げる視線に、木沢は神妙にかぶりを振った。


「ところで公」

 と、享。


 首の上から塵取りを生やしてゴミまみれの木沢を捨て置き、彼女は尋ねた。


「茉奈と涼真の様子はどうだ?」

「一応、ずっと追跡はさせてるが……」


 右手のPMDをタップして、ホログラム・スクリーンを展開する。

 平面的な地図の上に二人の魔力反応を示す赤いポイントが並んで一つずつ。


 端に表示された小さなウインドウの数字を公は読み上げて、


「過去二時間二十分で、戦闘は推計十回。撃滅個体数121のうち、魔力レベル30前後の大物が二体混じってる。上々と言っていいだろう」

「エマージェンシーは一度も無しか?」

「ああ。ヤバくなったら押すように設定して水薙みなぎに着けさせておいたが、今のところまだ電話すらない」

「涼真か……あいつ、メカにはからきしなんだがな。健闘してるなら、それでいいんだが」


 横から画面をのぞきつつ、享は親指で自分の顎を撫でる。


「そうそう、茉奈もいつになくやる気満々で。享ちゃんと公くんのおかげね」


 ぱん、と史奈が手を打ち鳴らした。

 我が子が熱心に勉強にはげむのを喜ぶような母親の顔だ。


「あの子、魔力だけは無闇むやみに凄いでしょ? 最低限、自分の身を守れるぐらいにはきたえてやらなきゃと思ったんだけど……どうも不器用で大雑把おおざっぱだから、ついつい横からダメ出ししちゃって。ずっとやる気なさそうだったのに、公くんが来てから目の色が違うみたい」


 公が、来てから。

 それって、あんまりいい意味じゃないのでは……?


 嬉しそうな史奈に指摘する度胸の持ち主は、この場にいないようだった。


「まあ……。真っ昼間のこの時間帯なら、それほど危険でもない場所だからな」


 享が画面から目を離したので、公もスクリーンの表示を戻そうと、


「…………っ!?」

 突然、画面が赤く点滅する。


 やかましいほどの警告音。


 目立つ中央に現れた文字列は、『非常事態エマージェンシー』を示すものだった。


「公――」

「水薙からだ」

「魔力レベル……44だと?」


 新たに出現した反応の数値に、享は舌打ちする。


「油断した。魔力界乱相マナ・タービュランスの影響が、もうここにまで及んできたか」


 聞き終わる前に、公は走りだしていた。


 地図が示す、二人のいる場所へ――

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