episode.15「お母さんからのお説教よ」

「……テスト?」

「半分、仕事みたいなものだ」


 茉奈まなの疑問を、あきらが訂正する。


「どっちも一緒じゃない。休みの日なのに」


 きょうからの業務命令に、茉奈はあからさまな不満を示した。身支度を済ませて、活動的な膝丈ひざたけのハーフパンツにスニーカーきといういでたちになっている。

 色気にとぼしい用件のせいか全体的にボーイッシュな私服だが、活発な彼女のイメージを踏まえれば、まあ……そんなに悪くはない。


「……なによ。じろじろ見ないで、変態」


 まだ言ってやがる。


 公は相手にするのをやめて、先行する大家の背中を追った。工藤家からアパートの敷地に移って、建物には入らず庭の隅へ向かう。


 古びた板張りの塀に、粗末な扉がしつらえてある。通用口だろうか。


 かちゃり。

 鍵を差し込んだ南京錠が、音を立てて外れた。


「あれ……? くずれ荘にこんなとこあったっけ?」

「くずれ荘じゃなくて、九頭龍くずりゅう荘。入居者の前で悪口言わないの」


 困惑する娘を母がしかりつける。


「だって……」

「だって、じゃありません。ヨソには住めない訳アリの人を引き受けて、うちは組織からお金もらってるんだから。

 お父さんからの養育費なんて大してあてにもならないし、あなたたちが毎日ごはんを食べられるのも公くんみたいな怪しい人が住んでくれるおかげなのよ」


「うー……子供にそういう話しないでよ」

 恨めしげに茉奈がうめく。


 この母にして、この子あり。

 思い浮かんだ感想を、公はあえて言葉にはしなかった。


「ほら、行くわよ」

 大家は木戸のかんぬきを外して、三人を中へ導いていく。


 その先は、広大なお屋敷だった。


「うそ、なにこれ……」

 きょろきょろ見まわし、茉奈は一瞬、言葉を失う。


「絶対、おかしい! うちのすぐ隣にこんな場所なんて……」


 古風な平屋の日本建築に、瓦葺かわらぶきで白壁の蔵。庭の向こうには鬱蒼うっそうとした竹林が広がり、時代劇さながらの景観をていしている。


「これも、魔法だ」

 公は、茉奈の隣に並びかけた。


「意識誘導と認識阻害。視界に入っても気にならないよう、高度な術式で仕向けられてる。この街じゃ他でもよく見る仕掛けだ」


「そういうこと。うちが代々鍵を預かって、ここを管理してるのよ」


『開拓者の末裔』の主婦は、さらりとそう言って、


「ここはちょっと危ないから。間違って、人が入らないようにしないと」


「危ない、って?」

 最後尾の涼真りょうまが不安げに表情をかげらせた。


 公は、右腕のPMDを確認する。


「魔力のバランスが明らかにいびつだ。次元の境が曖昧あいまいになってるような……」

「そう。ここにはよその世界から、いろんなものが流れてきちゃうの。物でも生き物でも、形のある物質は本来そう簡単に次元を越えたりはしないんだけどね」


 大家は公の危惧きぐを認めた。


 つまりは、本来、形のないもの――〈魎幻ソリッド〉ならば簡単に超えてくるということだ。

 享から下った指令の趣旨しゅしも、これでよくわかる。


「典型的な迷宮ダンジョンだな。なるほど、〈主核体カヴァード〉を狩るにはうってつけだ」

「ダンジョンは何となくわかるけど……カヴァード? って何のこと?」


 茉奈は、公に説明を要求した。


「まず――魔力のバランスがおかしい場所には〈魎幻〉が出現しやすい」

「うん」

「そうなった場所には誰も住み着かず、大抵の場合、危険な廃墟はいきょになる。それを慣習的に迷宮と呼ぶ」

「それもまあ、わかる」


「〈主核体〉は、正式には〈主核型魎化幻子体カヴァード・ソリッド〉――魔力を帯びた物質を核として発生した〈魎幻〉だ」

「普通のアレと、何か違うわけ?」

「内部に魔力の発生源があるせいか、がいして普通より強力だ。存在自体が魔力のバランスを更に狂わせて、〈魎幻〉の群れを生むこともある」

「うわぁ……」


「倒せば、中身の『核』が残るから獲物としては狙い目だがな。場合によっては、途方もないレア物が手に入ることもある」

「要するに……アイテムをドロップするボスモンスターみたいなもの?」

「……まあ。理解としては、間違ってない」


 現代っ子らしい茉奈の要約に、公は一応の合格点をつけた。


 横から、管理者が説明を付け加える。


「ここは元々、組織の研究所みたいなところだったらしくて。ロクな整理もできないまま迷宮化して放棄されたから『核』になる材料自体も多いのよね」


 茉奈は再びあたりを見回して、


「けど、言うほど古そうな感じでもないわよ? 廃墟じゃなくて普通に誰か住んでそう」

「多分、自動修復がまだ生きてるんだろう」


「自動修復?」

 公の言葉に、茉奈は首をかしげた。


「街の全域にかけられてる魔法処置の強化版だ。ここでは、家屋や施設に対する戦闘被害に備えて修復用のバックアップデータが定期的に保存されてるだろう?

 特に重要な施設なんかでは、壊れなくてもそれが動いて補修するようになってたりもする」


「へー。この街って、そんなことになってたんだ」

「ここが相当に高度な魔法都市だってのは、少し歩くだけでもわかることだが……まさかお前、そんなことも知らずに街中で魔法なんかぶっ放してたのか?」


「……う」

 茉奈はいきなり言葉に詰まる。どうやら本当に知らなかったらしい。


「はぁ……ほんとに、恥ずかしい子」

 額に手を当てて母親がなげく。


「そ、それで……結局、何なのよ? わたしに、何をどうしろっての?」


 誤魔化ごまかすようにそっぽを向いて、茉奈はいらいらと腕組みをした。不信感いっぱいの目で、公と母親を横にらみにする。


「私、お姉様から指令書を預かってきました」

 応えたのは、涼真だった。


 ポケットから封筒に入った書類を取り出して、


「ええと……

『テストとして、茉奈と涼真の二人だけで〈主核体〉を三体討伐とうばつし、戦利品を提出すること。制限時間は三時間。戦利品の種類は問わないこととする。なお、課題を達成できなかった場合……罰ゲームとして、涼真が公に…………ふえぇぇっ!?」


 なぜか、途中で真っ赤になって読み上げるのをやめてしまう。

 茉奈は、ますます不審げな目つきで指令書を横から取り上げた。


「何よ……って、ほんとに何よコレ!」


 同じように真っ赤な顔でビリビリに破って地面へ投げ捨て、更に足で蹴りつける。


「あんたって男は……」

 公を見る目は不審を通り越し、もはやはっきりと敵意に満ちていた。


「中一の女の子になんてこと要求してんのよッ! 変態、ロリコン、犯罪者!」


「いや、俺は――」

 木沢きざわに言われて来ただけで、指令書の中身など一度も見ていないのだが。


 茉奈は言い訳を許してくれなかった。


「話しかけないで、けがらわしい! ほら、水薙みなぎももっと離れて!」

「ま、茉奈先輩、私は……」


 強引に涼真の手を引き、二人で公から距離を取る。


「……お前ら」


 打つ手なし。

 弱り切った公に、びし、と茉奈が指を突きつけた。


「よく聞きなさい、エロ魔人! どーせできないと思ってるんでしょうけど、こうなった以上は意地でも課題を達成してあんたの野望を打ち砕いてやるわ! 見てなさいよ!」

「せ、せんぱい……」

「ほら! 行くわよ水薙!」


 うろたえる涼真を引きずるようにして、茉奈は迷宮へ突き進んでいく。


 意気軒昂いきけんこうたる我が娘を見て、母はしみじみ呟いた。


「さすがにきょうちゃん、茉奈をやる気にさせるのがうまいわねぇ」


「…………あいつ」

 あの指令書は、そういうことか。


 やりどころのない雇い主への怨嗟えんさを、公はむなしくつぶした。


◇◇◇◆


「おりゃあああッ!」


 茉奈の声だけが、遠くから聞こえてくる。開始からまだ五分と経っていないが、早くも敵に遭遇したらしい。


 どかーん、と爆音がとどろいて、公の足下までが揺らいだ。


「……飛ばし過ぎじゃないのか、あいつ。魔力はともかく体力が持たんぞ」


 きっと、何も考えていないのだろう。怒りに任せて暴れているだけだ。その場の気分で、やる気も出たり、出なかったり。


 だから、素人だというのだ。

 魔力は大きいが、プロの〈弑滅手ヘルサイド〉が助手として使うにはあまりに未熟であまりに幼い。


「ごめんなさいね、面倒かけちゃって。あれでも、悪い子じゃないんだけど」


 娘の不出来に、母親は溜息をついた。

 並んで立つ公を見やって、


「さっきは大丈夫だった? わりと直撃だったでしょ」


 起き抜けで見舞われた〈光矢撃ルミナス・ボルト〉のことだろう。

 集中して放った一撃ではなかったし、元々が低級な術式だ。見た目ほど深刻な害のあるものではない。


「まあ……それは、なんとか」

 謝られても気まずいので、適当に答えた公だったが。


「そう。やっぱり、ちゃんと耐抗レジストはできてたみたいだもんね」


 横目で見上げてくる視線には、分析するような鋭さが宿っていた。


 耐抗というのは、魔導経脈まどうけいみゃくの働きによって身体を防護する『魔力の鎧』のようなものだ。絶対の守りとまではいかないが、コレなしでは生身で〈魎幻〉とは戦えない。


「――魔力を封じられてるといっても、ゼロになってるわけじゃない。

 体外に放射される段階で遮断しゃだんされてるってことかしら。どんな種類のものであれ、魔法を使うには魔導領域との接続が不可欠だけど、見たところ内的な魔導経脈の作用には影響がないみたいだし」


 世間話と変わらない調子で、専門用語がすらすらと出てくる。


「…………。」

 公は否定も肯定もしなかった。


 決して難しい推論ではなかったが、プロであるからには自分の能力を軽々しく他人に明かせるものではない。


 ましてや、相手の意図が不明だ。

緋星會エカルラート〉の一員として私はお前を監視している、との警告をこめたメッセージなのか。


 アパートの大家であり、茉奈の母親。


 工藤史奈くどうふみなという名前で、茉奈との関係を直感できなかったのにはいくつか理由がある。

 例えば、年齢だ。

 ジーンズにざっくりした春物のニット、そしてエプロンという格好はいかにも子育て中の主婦じみているが、高校生の娘がいるようには見えない。二十代でも通りそうだった。


 しかし――何より大きかったのは、魔力を全く感知できないことだ。


 娘には、あれだけの魔力があるのに。

 しかも、魔力がないはずなのに、魔法はきちんと認識できている。


 ……謎だ。

 まさか、公と同類でもないだろう。一体、何者なのか。


 緊張した公をからかうように、視線が柔らかくなった。


「ふふっ、当たってるでしょ? こう見えて私も、昔は結構やるほうだったのよ。あの子ができて、引退しちゃったけどね」


 史奈はあっけらかんと笑って、自慢げに腕をさすってみせる。


「そのとき、特殊な〈魔章紋マナグラフ〉を刻んで魔力は封印しちゃったの。それとはちょっと違うみたいだけど……あなたの左手、それも一種の〈魔章紋〉よね?」


 けっぴろげな言い方だった。

 さすがに、素肌をさらしたりはしなかったが。


〈魔章紋〉とは要するに、魔力で肌に刻み込む呪印だ。無論ただの刺青いれずみとは違い、力の源となる存在との契約の証を意味している。


 その存在は実体を持たず、人の身でじかに触れることはできない。魔導領域にむとする説もあるが、姿は神話や伝説の中に語り継がれているのみだ。


焔霊シャーラ〉、〈雷精ユーグ〉、〈霜鷺エーネス〉、〈骸手フォドム〉――偉大なる超越者たち。


 魔法使いたる人間たちは、彼らを『神霊しんれい』と呼んだ。その名を借りて行使する魔法は、特に『神霊魔法』と称されている。


 流派や結社、一族などにより比較的幅広く共有される神霊魔法に対し、契約の証である〈魔章紋〉を得られるのは神霊一つにつき同時代に一人だけ。

 それだけに、もたらされる恩恵も大きい。

 契約者の魔力を封じたりするのはむしろ例外的な部類で、本来は保持者に固有のスキルといったほうが正確なところだろう。


「……これは……」

 公は、無意識に左手首を撫でていた。


 神霊〈無限蛇ウロボロス〉の刻印。

 触れられて、愉快な話題ではない。


 史奈もそれ以上、突っ込んではこなかった。

 公に向けた顔を逸らして、彼女は遠くへ視線を投げる。茉奈たちの声がするほうへ。


「私は、ね。誰かを『好き』になるってことは、その人が心の中に勝手に住み着いちゃうようなものだと思うの」


 誰もいないそこへ語り掛けるように、史奈はゆっくり言葉をつむいだ。


「何かを見たり、聞いたりしたとき、自分が何かをしてるとき……その人がそこにいなくても、ふと気づいたら考えてるの。

 あの人がこれを見たらどう思うだろう、こんなことしてる私に、あの人はなんて言うだろう、って……」


 ……いきなり、何の話を始めるのか。


「何の話だ、って思ったでしょ?」


 無言の公に視線を戻して、史奈はまた微笑んだ。


「お母さんからのお説教よ。魔力を封じるなんてよっぽどのことだもの、立ち入ったことはあえてかないけど……

 何があっても、あなたの中にいる『誰か』を悲しませるような生き方だけは絶対にしちゃダメよ。いいわね、公くん?」


「…………。」


 動けなかった。

 んだ瞳の眼差しに、自分の胸がき通ってしまったような錯覚を覚えさせられる。


『誰か』――あの二年前から、いや、もっと前からずっと。


 そこに思い浮かんだ顔を、公は否定できなかった。


「……善処ぜんしょします、大家殿」

「そう、いい子ね」


 史奈は、にっこりうなずく。


 親子だと言われれば、確かに似ていた。

 とはいえ、あのじゃじゃ馬があと何年かすればこんな綺麗になるんだろうか……?


「どぉりゃああ、喰ぅらええええッ!」


 ……ちょっと、信じられない。

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