episode.15「お母さんからのお説教よ」
「……テスト?」
「半分、仕事みたいなものだ」
「どっちも一緒じゃない。休みの日なのに」
色気に
「……なによ。じろじろ見ないで、変態」
まだ言ってやがる。
公は相手にするのをやめて、先行する大家の背中を追った。工藤家からアパートの敷地に移って、建物には入らず庭の隅へ向かう。
古びた板張りの塀に、粗末な扉が
かちゃり。
鍵を差し込んだ南京錠が、音を立てて外れた。
「あれ……? くずれ荘にこんなとこあったっけ?」
「くずれ荘じゃなくて、
困惑する娘を母が
「だって……」
「だって、じゃありません。ヨソには住めない訳アリの人を引き受けて、うちは組織からお金もらってるんだから。
お父さんからの養育費なんて大してあてにもならないし、あなたたちが毎日ごはんを食べられるのも公くんみたいな怪しい人が住んでくれるおかげなのよ」
「うー……子供にそういう話しないでよ」
恨めしげに茉奈が
この母にして、この子あり。
思い浮かんだ感想を、公はあえて言葉にはしなかった。
「ほら、行くわよ」
大家は木戸の
その先は、広大なお屋敷だった。
「うそ、なにこれ……」
きょろきょろ見まわし、茉奈は一瞬、言葉を失う。
「絶対、おかしい! うちのすぐ隣にこんな場所なんて……」
古風な平屋の日本建築に、
「これも、魔法だ」
公は、茉奈の隣に並びかけた。
「意識誘導と認識阻害。視界に入っても気にならないよう、高度な術式で仕向けられてる。この街じゃ他でもよく見る仕掛けだ」
「そういうこと。うちが代々鍵を預かって、ここを管理してるのよ」
『開拓者の末裔』の主婦は、さらりとそう言って、
「ここはちょっと危ないから。間違って、人が入らないようにしないと」
「危ない、って?」
最後尾の
公は、右腕のPMDを確認する。
「魔力のバランスが明らかに
「そう。ここにはよその世界から、いろんなものが流れてきちゃうの。物でも生き物でも、形のある物質は本来そう簡単に次元を越えたりはしないんだけどね」
大家は公の
つまりは、本来、形のないもの――〈
享から下った指令の
「典型的な
「ダンジョンは何となくわかるけど……カヴァード? って何のこと?」
茉奈は、公に説明を要求した。
「まず――魔力のバランスがおかしい場所には〈魎幻〉が出現しやすい」
「うん」
「そうなった場所には誰も住み着かず、大抵の場合、危険な
「それもまあ、わかる」
「〈主核体〉は、正式には〈
「普通のアレと、何か違うわけ?」
「内部に魔力の発生源があるせいか、
「うわぁ……」
「倒せば、中身の『核』が残るから獲物としては狙い目だがな。場合によっては、途方もないレア物が手に入ることもある」
「要するに……アイテムをドロップするボスモンスターみたいなもの?」
「……まあ。理解としては、間違ってない」
現代っ子らしい茉奈の要約に、公は一応の合格点をつけた。
横から、管理者が説明を付け加える。
「ここは元々、組織の研究所みたいなところだったらしくて。ロクな整理もできないまま迷宮化して放棄されたから『核』になる材料自体も多いのよね」
茉奈は再びあたりを見回して、
「けど、言うほど古そうな感じでもないわよ? 廃墟じゃなくて普通に誰か住んでそう」
「多分、自動修復がまだ生きてるんだろう」
「自動修復?」
公の言葉に、茉奈は首を
「街の全域にかけられてる魔法処置の強化版だ。ここでは、家屋や施設に対する戦闘被害に備えて修復用のバックアップデータが定期的に保存されてるだろう?
特に重要な施設なんかでは、壊れなくてもそれが動いて補修するようになってたりもする」
「へー。この街って、そんなことになってたんだ」
「ここが相当に高度な魔法都市だってのは、少し歩くだけでもわかることだが……まさかお前、そんなことも知らずに街中で魔法なんかぶっ放してたのか?」
「……う」
茉奈はいきなり言葉に詰まる。どうやら本当に知らなかったらしい。
「はぁ……ほんとに、恥ずかしい子」
額に手を当てて母親が
「そ、それで……結局、何なのよ? わたしに、何をどうしろっての?」
「私、お姉様から指令書を預かってきました」
応えたのは、涼真だった。
ポケットから封筒に入った書類を取り出して、
「ええと……
『テストとして、茉奈と涼真の二人だけで〈主核体〉を三体
なぜか、途中で真っ赤になって読み上げるのをやめてしまう。
茉奈は、ますます不審げな目つきで指令書を横から取り上げた。
「何よ……って、ほんとに何よコレ!」
同じように真っ赤な顔でビリビリに破って地面へ投げ捨て、更に足で蹴りつける。
「あんたって男は……」
公を見る目は不審を通り越し、もはやはっきりと敵意に満ちていた。
「中一の女の子になんてこと要求してんのよッ! 変態、ロリコン、犯罪者!」
「いや、俺は――」
茉奈は言い訳を許してくれなかった。
「話しかけないで、
「ま、茉奈先輩、私は……」
強引に涼真の手を引き、二人で公から距離を取る。
「……お前ら」
打つ手なし。
弱り切った公に、びし、と茉奈が指を突きつけた。
「よく聞きなさい、エロ魔人! どーせできないと思ってるんでしょうけど、こうなった以上は意地でも課題を達成してあんたの野望を打ち砕いてやるわ! 見てなさいよ!」
「せ、せんぱい……」
「ほら! 行くわよ水薙!」
うろたえる涼真を引きずるようにして、茉奈は迷宮へ突き進んでいく。
「さすがに
「…………あいつ」
あの指令書は、そういうことか。
やりどころのない雇い主への
◇◇◇◆
「おりゃあああッ!」
茉奈の声だけが、遠くから聞こえてくる。開始からまだ五分と経っていないが、早くも敵に遭遇したらしい。
どかーん、と爆音が
「……飛ばし過ぎじゃないのか、あいつ。魔力はともかく体力が持たんぞ」
きっと、何も考えていないのだろう。怒りに任せて暴れているだけだ。その場の気分で、やる気も出たり、出なかったり。
だから、素人だというのだ。
魔力は大きいが、プロの〈
「ごめんなさいね、面倒かけちゃって。あれでも、悪い子じゃないんだけど」
娘の不出来に、母親は溜息をついた。
並んで立つ公を見やって、
「さっきは大丈夫だった? わりと直撃だったでしょ」
起き抜けで見舞われた〈
集中して放った一撃ではなかったし、元々が低級な術式だ。見た目ほど深刻な害のあるものではない。
「まあ……それは、なんとか」
謝られても気まずいので、適当に答えた公だったが。
「そう。やっぱり、ちゃんと
横目で見上げてくる視線には、分析するような鋭さが宿っていた。
耐抗というのは、
「――魔力を封じられてるといっても、ゼロになってるわけじゃない。
体外に放射される段階で
世間話と変わらない調子で、専門用語がすらすらと出てくる。
「…………。」
公は否定も肯定もしなかった。
決して難しい推論ではなかったが、プロであるからには自分の能力を軽々しく他人に明かせるものではない。
ましてや、相手の意図が不明だ。
〈
アパートの大家であり、茉奈の母親。
例えば、年齢だ。
ジーンズにざっくりした春物のニット、そしてエプロンという格好はいかにも子育て中の主婦じみているが、高校生の娘がいるようには見えない。二十代でも通りそうだった。
しかし――何より大きかったのは、魔力を全く感知できないことだ。
娘には、あれだけの魔力があるのに。
しかも、魔力がないはずなのに、魔法はきちんと認識できている。
……謎だ。
まさか、公と同類でもないだろう。一体、何者なのか。
緊張した公をからかうように、視線が柔らかくなった。
「ふふっ、当たってるでしょ? こう見えて私も、昔は結構やるほうだったのよ。あの子ができて、引退しちゃったけどね」
史奈はあっけらかんと笑って、自慢げに腕をさすってみせる。
「そのとき、特殊な〈
さすがに、素肌を
〈魔章紋〉とは要するに、魔力で肌に刻み込む呪印だ。無論ただの
その存在は実体を持たず、人の身で
〈
魔法使いたる人間たちは、彼らを『
流派や結社、一族などにより比較的幅広く共有される神霊魔法に対し、契約の証である〈魔章紋〉を得られるのは神霊一つにつき同時代に一人だけ。
それだけに、もたらされる恩恵も大きい。
契約者の魔力を封じたりするのはむしろ例外的な部類で、本来は保持者に固有のスキルといったほうが正確なところだろう。
「……これは……」
公は、無意識に左手首を撫でていた。
神霊〈
触れられて、愉快な話題ではない。
史奈もそれ以上、突っ込んではこなかった。
公に向けた顔を逸らして、彼女は遠くへ視線を投げる。茉奈たちの声がするほうへ。
「私は、ね。誰かを『好き』になるってことは、その人が心の中に勝手に住み着いちゃうようなものだと思うの」
誰もいないそこへ語り掛けるように、史奈はゆっくり言葉を
「何かを見たり、聞いたりしたとき、自分が何かをしてるとき……その人がそこにいなくても、ふと気づいたら考えてるの。
あの人がこれを見たらどう思うだろう、こんなことしてる私に、あの人はなんて言うだろう、って……」
……いきなり、何の話を始めるのか。
「何の話だ、って思ったでしょ?」
無言の公に視線を戻して、史奈はまた微笑んだ。
「お母さんからのお説教よ。魔力を封じるなんてよっぽどのことだもの、立ち入ったことはあえて
何があっても、あなたの中にいる『誰か』を悲しませるような生き方だけは絶対にしちゃダメよ。いいわね、公くん?」
「…………。」
動けなかった。
『誰か』――あの二年前から、いや、もっと前からずっと。
そこに思い浮かんだ顔を、公は否定できなかった。
「……
「そう、いい子ね」
史奈は、にっこり
親子だと言われれば、確かに似ていた。
とはいえ、あのじゃじゃ馬があと何年かすればこんな綺麗になるんだろうか……?
「どぉりゃああ、喰ぅらええええッ!」
……ちょっと、信じられない。
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