PART.3 ホーンテッド・ダンジョン

episode.14「せっかくの日曜日だってのに……」

 コン、コン、コン、コン……


 素晴らしい日曜日の朝だった。


 日曜だから休みだし、休みだから学校に行かなくていいし、学校に行かなくていいから早起きもしなくていいし、早起きしなくてもいいのに「いつまでも寝てるんじゃないの」と叩き起こしにくる母親も今朝はなぜかこないし……


 窓から差し込む陽射ひざしは柔らかく、ぽかぽかほどよく温かい。


 今日も、いい天気だ。


「……ん……」

 ベッドの中で寝返りを打ち、茉奈まなは意味のない鼻声を漏らす。


 ぼやけた意識とぬくもりに抱かれ、ただ安らぎだけがある。アレやらコレやらアイツやら、茉奈を悩ます面倒事も今は全てが遠い彼方だ。


 あの日から、もう一週間とちょっと。


 昨日も一昨日もその前も、罵声ばせいと酷評とめ息を聞きながらバケモノ相手に戦わされた。

 素人、へたくそ、役立たず。

 こっちだって我慢して頑張ってるのに、どうしてああまでも言われなきゃならないのか。


 ……わたしは、普通の女子高生なのに。


 鬱積うっせきする不満からしばし解き放たれ、心と体が欲するままに一時の惰眠だみんむさぼりつくす。

 誰にも邪魔されぬこの場所と時間だけは、疲れた茉奈にひたすら優しかった。


 ああ、日曜日。なんて、素晴らしい日曜日。

 大好きな休日、大好きなベッド。

 願わくば、いつまでもずっとこのまま――


 ……コン、コン、コン、コン!


「っ、だぁーうるさいッ! 何なのよ、人がいい気持ちで寝てるのに!」


 茉奈は、布団を飛ばしてね起きた。


◇◇◇◆


「もう、せっかくの日曜日だってのに……」


 ぶつくさとぼやきながら、茉奈は自室から一階へ降りていく。


 工藤家はごく平均的な、木造二階の一戸建てだった。

 階段を下りて、トイレと洗面所はひとまずスルーして、リビングのドアへ。


「おかーさん、さっきから何の音ー?」


 ドアを開けると、涼真りょうまと目が合った。


「あ。おはようございます、先輩」


 春らしい半袖はんそでのシャツと、スカート。私服だが、動きやすそうな格好だ。


「……うん。おはよう」

 なぜ、ここに? 

 尋ねる前に、しかられた。


「なあに、今頃起きてきたの? 休みだっていうとすぐにだらけて」


 開け放たれたき出し窓から、母の呆れた声が飛んでくる。

 庭に出ているということは、何か庭仕事でもしている音だったのだろうか。


「おばさま、お茶が入りました」

 涼真が、手に持っていた湯呑ゆのみのお盆をそちらへ運んでいく。


「あら、ありがとう。それじゃあ、あきらくん、ちょっと休憩にしましょう」

 うなずき、母も笑顔になった。


 よし、ナイスフォロー。さすが、よくできた後輩だ。


「……って、アキラくん?」

 首をかしげる。


 聞き間違い……だろうか。

 でないといしたら、イヤな予感が。


「了解しました」


 聞き覚えのある声だった。


 オフホワイトのチノパンツに、白Tシャツと黒のトップス。

 葬式場の垂れ幕みたいな白黒の服を着た仏頂面が、脚立きゃたつの上から降りてくる。


「御苦労様、助かるわ」

「いえ、このぐらいは」


 母と話す礼儀ぶった口調に多少の違和感はあるが、それはどう見てもあの顔だった。


「な……なんで?」


 指さして口をぱくぱくする茉奈に、ああ、と母がこともなげに言う。


「前から、そこの雨樋あまどいが壊れてたじゃない。今度の乱相らんそうは大きいっていうから、その前に直してもらおうと思って。ウチは今、男手がないし、ほんといい子が来てくれたわー」

「いや……怪物が出てくる災害に雨樋とか関係ないし……ていうか、そうじゃなくて! なんで東庄とうじょうがウチにいて、おかーさんと普通に話してるのよ、わたしに何の断りもなく!」


 呑気のんきに笑う母へ、茉奈は抗議する。

 母の応答は、想像を絶していた。


「そりゃ、話ぐらいはするわよ。ウチのアパートに住んでる子だもの」

「……………………は?」


 ウチのアパート。


 意味するところは茉奈にもわかった。工藤家の所有する不動産であり、大家おおやである母が管理している独居用の賃貸住宅だ。

 率直に言ってボロくて汚いし、間違っても住みたいとは思わない。今、この瞬間も茉奈の視界で、庭をへだてた隣の敷地しきちにみすぼらしい姿を横たえている。


 と、いうことは、つまり…………どういうことかというと。


 公は、隣に住んでいる、ということか?


「な、な、なな……何よそれ!? わたしに黙って、いつの間にか隣に住んでるなんて!」


 ストーカー? 変態? 変質者?


 頭の中に警報が鳴る。

 まさか……アブない奴だとは思ってたけど、こんな方向で来ようとは。


 汚物を見るような茉奈の視線を受け、公もきまり悪げに首を振った。


「わざと黙ってたわけじゃない。俺もお前が大家殿の娘だとは、今日、水薙みなぎから聞くまで知らなかった」

「ほ、ほんとです。私も、公さんのお住まいを聞いてびっくりしましたし!」


 さすがのよくできた後輩ちゃんが、今度はこっちの先輩をフォローする。


「うぅー……」

 うめく。

 本当に悪気がなかったにせよ、何かに落ちない。生理的に無理な感じがする。


 あの夜――

 涼真と公が交わした会話と、仲間殺しの過去。

 あんな話を聞いたからといって、それだけで嫌うのは違うと思う。少なくともあのとき、公は涼真に対して真摯しんしだった。


 ならば、日頃の言動のせいか。

 横柄おうへい無愛想ぶあいそうで、茉奈に対しては特にそれがひどい。


 嫌う理由としては十分な気もするが、それしても、この、鳥肌が立つほどの気持ち悪さは一体……


「……あ。」

 唐突に、茉奈は気付いた。恐る恐る、それを口にする。


「ねえ……あんた。こないだ、隣に木沢きざわがいるとか言わなかった?」


「…………。」

 公が目をらし、涼真は下を向く。


 母はあっさりと言った。


「ああ、隼人はやとくん。一昨年あたりから住んでるけど、茉奈には口止めされてたのよねー」


 ズバリ、大正解。

 途端とたんに、背筋を悪寒おかんが走る。


「――うわああああっ、無理! それだけは絶ぇっ対、無理ぃッ! しかも、一昨年からずっとって――何なのアイツ、気持ち悪すぎるぅぅぅ!」


 茉奈は自分の両腕を抱いて、その場で激しく地団駄じだんだを踏んだ。


「木沢先輩、かわいそう……」

「俺は自業自得だと思うが」


「……まったく、この子は朝っぱらから」

 部外者たちの無責任な感想に同調して、母は娘をたしなめた。


「もう、バカみたいに騒いでないで、さっさと着替えて顔を洗いなさい。男の子の前で、恥ずかしいでしょ」


「え?」

 茉奈の足が止まる。


 言われてみれば、その通りだった。

 ベッドから出たまま、思いっきり油断したパジャマ姿――顔を洗うどころか、起きてからまだ鏡も見てない。毎朝、結構寝癖ひどいのに。


 なんだろう、これ……裸を見られるより恥ずかしい気がする……


「…………。」

 公と目が合う。


 何やってんだ、と言わんばかりの冷ややかな視線。顔が耳まで熱くなった。


「うわあああん、見るな、あっち行け、この痴漢っっっ!」


 脳ミソまで熱い。

 もはや自分でもわけが分からず、茉奈はめちゃくちゃに手を振った。


「うおっ!?」

 脚立ごと、公が光に呑まれて吹っ飛ぶ。庭の隅で爆発が起こった。


「こら、茉奈! 人に向けて魔法を撃つなっていつも言ってるでしょうが!」


 母の怒声と、頭に拳骨げんこつ


 素晴らしい日曜日の朝は終わった。


◇◇◇◆


 車内に、くしゃみの音が響く。


「……これは、失敬。どうやら、いずこかで可憐かれんな乙女が僕のうわさをしているようです」


 助手席の木沢が吐く妄言には、同乗者は誰も取り合わなかった。


 日曜の道路は比較的空いており、車は快調に走行している。


 たっぷりとゆとりを持ったスペースに、高級な本革張りのシート。エンジンは静かで、揺れも少ない。黒塗りの車体は特殊装甲仕様になっていて、当然ガラスも同様だ。雰囲気を察した一般車両は、近づこうともしてこない……


「あーあ、つまんないの」

 日曜だというのに制服姿で、後部座席の高階たかしな悠里ユーリはほっぺたをふくらませた。


「あたしも、あっきーと一緒がよかったのにっ。なんで、木沢キザーくんや荻島オギーさんと一緒に、きょうたんのお供なの? 茉奈っちとリョーマくんばっかりずるい」


「……悪かったな、おっさんと一緒で」

 享を挟んだ反対側で、腕組みをした荻島おぎしまがぼやく。


「すまんな、悠里。私もあっちへ行きたかったんだが」

 こちらもやはり制服姿の享。

 退屈そうに、助手席の木沢を呼ぶ。


「それで? 貴重な私の休日を潰してくれたのはどんな野暮ヤボ用だ?」


「は。」

 制服の胸ポケットから、木沢はわざとらしく手帳を取り出す。


「本部ビルにて午前十時半より、『ヘレンブルート・カンパニー』の御嶽ヶ原みたけがはら氏と商談の予定が入っております。閣下に直々でお引き合わせしたい相手がいるとかで」


「ふん、なるほどな」

 鼻を鳴らして、享は毒づいた。


 ヘレンブルート・カンパニーHBC

 悪名高い密輸シンジケートのフロント企業というやつだ。


「奴らは、折り紙付きの悪徳だ。付け入らせれば、金蔵かねぐらちりまで根こそぎさらって請求書を置いていく。この目でにらみを利かせておかんと、何をしでかすか知れたものじゃない」


「いかにも。閣下のお出ましがなければ始まりません」

 おべんちゃらを言いつつ、木沢はぱたんと手帳を閉じて――


「それと、もう一件。先日の廃工場の件で、手配師のキャット・ロズナー氏との面会が。こちらも、閣下自らの御出座ごしゅつざを願えればより効果的かと……」


「ほう。あの件はロズナーか。なら、私が行くべきだろうな」

 享の口角こうかくが、不吉にり上がった。


「恐れ入ります、閣下」

「なに、構わん。さっさと片付けて、みんなで茉奈の奴をからかいに行くとしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る