episode.13「……おんぶ」

「――ああああっ!」

 気合いとともに白刃はくじんが迫る。


 今夜のあきらは、誤算続きだった。


 反射的に銃を構えるが、まさか発砲するわけにもいかない。斬撃を銃身で弾いて後退、お手並み拝見とばかりに涼真りょうまの攻勢をまずは受け流す。


「……ふむ」

 まあ……昨日ほどひどくはない、か?


 身のこなし、キレ、前へと出る勢い。冷静さとは程遠いが、そこそこバランスは取れている。少なくともパニックではないらしかった。


 剣に宿やどるのは、恐怖ではなく――くるおしいまでの怒り。

 その切っ先が見据みすえるものは、素顔を隠した『東庄公とうじょうあきら』でも目の前にいる『レベル13サーティーン』でもないのだろう。


 彼女の街で『殺し』を働く、その行為にいきどおっている。


 一度は故郷を滅ぼされた彼女に、今の公がどう見えているか――後のことを考えると、ますます正体を明かせそうにない。


「しかし……いちいち、厄介やっかいな奴だな」


 意外に、勇者アイツと似てるのかもな、と公は苦笑する。


 そうするだけの余裕はあった。厄介で、面倒で、手間はかかるが……やるべきことは、ごくシンプルだ。

『名無し』のままで、できる限り手早く、傷つけないよう片付ける。そして、逃げた二人を追う。


 そのためには……


「―――――っ」

 半身を開いて踏み込みを誘い、涼真の腕を手繰たぐり寄せる。公は反転、バランスを崩した涼真の体を、勢いに乗せて投げ飛ばした。


 しかし、


 涼真もあえて逆らわず跳躍ちょうやく軽業かるわざじみた反射神経を見せて足元から着地に成功していた。

 猫のように体勢を沈ませ、無意識に両ひざの衝撃をやわらげる。


 その瞬間を、公は逃さない。


「〈縛鎖封陣バインド・グラム〉!」

 かすめ取った魔力を『蛇』が喰う間に、すかさず魔法を発動。涼真の動きを封じにかかる。


 彼女は昨日も気絶していたし、そもそもこちらの正体を知らない。完全に意表をついた手のはずだった。


 涼真は、はっと足元を見下ろし、展開する魔法陣へと右手の刀を振り下ろす。

 斬魔刀〈綺薙あやなぎ〉――


「……なっ」

 ……まさか、本当に斬れるとは。


 当の涼真本人は、自分が何をどうしたのかさえ、わかっていないようだった。

 魔法陣の消えた地面をびっくりした顔で見つめている。剣士としての本能で、反射的に『斬って』しまったのだろう。


「つくづく、厄介な……」

 全く忌々いまいましいことに、公はそろそろ心の底からうんざりさせられつつあった。


 ……たかが、十二のガキを相手に。


 剣の性能もさることながら、扱う本人もかなりのものだった。


 魔力レベル16。

 普通に見れば半人前だが、ただの半人前の強さではない。


 パワー、スピード、反射神経。そして『耐抗レジスト』と呼ばれる防護機能。体内にぞうする魔力の作用で、〈弑滅手ヘルサイド〉は多かれ少なかれ超人的な身体能力を発揮はっきする。

 が、魔力レベルの数字とその強さが単純に一致するとは限らない。


 肉体強化の効果を決めるのは、体内魔力の総量よりも魔導経脈まどうけいみゃくという循環じゅんかん・伝達組織の密度によるところが大きいからだ。

 どれほど巨大な力があっても回路がなければ伝わらないし、一本当たりの回路に流せる力の量には個人差が少ない。

 ここでは魔力の絶対量より、伝達の効率性が問われる。


 ある意味、茉奈まなとは好対照だった。

 茉奈は典型的な遠距離型の〈弑滅手〉で、攻撃魔法の威力に比べると肉体強化の度合いは貧弱だ。


 魔導経脈の密度は、魔力的な負荷ふかをかけた鍛錬たんれんの度合いや、生まれ持った肉体の素質に依存するといわれる――

 水薙涼真みなぎりょうまという少女には、そのあたりの強みがあるらしい。


 認識を改める必要があるだろう。

 殺すつもりでやるのならともかく、今日の彼女は昨日ほど簡単にあしらえるような相手ではない、と。


「ならば……喰らえっ!」

 公は左手を突き出して、最後に残るなけなしの魔力で涼真へ光の矢を放つ。


 彼女は、案の定それを斬り裂き、返す刀で突撃してくる。


 ――よし、来い。


 新たな魔力を奪いたい公とて接近戦は望むところだ。右手にげた自慢の愛銃は、この際、おとりの意味しか持たない……


 はずだったのだが。


 誤算続きだった今夜の総決算。

 抜き差しならない修羅場しゅらばきわで、公は涼真がここにいる理由を思い知らされることになった。


「…………っ!」

 咄嗟とっさに、銃口をもたげて発砲――弾道は涼真を外して、背後に出現した〈魎幻ソリッド〉を打ちくだく。


 それと気づかぬ涼真のほうは、撃たれたと思い込み斬りつけてきた。


「おい、待て……っ」

 すんでのところで回避はしたものの、猪突癖ちょとつへきは相変わらずで涼真は公しか見ていない。


 そんな彼女の背中を襲う、黒い獣の両前脚――


「クソっ!」

 迫る刃に身をさらし、公は彼女を正面から抱きとめた。


 二人一緒に倒れ込みながら、獣の腹に魔錬銀ミスリル弾を見舞う。地面に転がって体勢を立て直し、更に続けて三連射。


「……ふう」

 合計五体の〈魎幻〉を片付け、公はようやく一息ついた。


 ひたいにじむ血と汗を右手の甲でぬぐい取る。

 視界がやたらと明るく見えるのは、サングラスが壊れたからだろう。


「……東庄、さん?」


 おかげで、涼真に正体がバレた。


 つぶらな瞳は大きく見開かれ、焦点しょうてんも怪しげに揺らいでいる。信じられないものを見た――表情がそう、物語っていた。


「い――やぁぁぁっ!」

 絶叫。


 路上にへたり込んだ彼女はそのまま、顔を手でおおってうずくまってしまう。明らかに、様子が尋常じんじょうでなかった。


「ああ、あ……」

 顔から離した両手を見つめる。何か、汚れでもついているみたいに。


「いやっ、いやぁ……」

 歯の根の合わない涙声で、両手を衣服に必死ででつける。


 当然、何も変わりはしないが、彼女がは公にも痛いほどわかった。


 ……逃げた二人は、あきらめるしかないだろう。


 涼真をこのまま放っては行けないし、奴らがあのまま逃げきってくれるのなら、それはそれで当初の目論見もくろみ通りだ。


「落ち着け、水薙。血なんてどこにもついてない」


「…………?」

 涼真が顔を上げた。目には涙、肌から血の気も完全にせている。


「でも、わたし、東庄さんを……」

「見ればわかるだろう、俺は何ともない」


「でも……わたしは……」

 譫言うわごとのように涼真は繰り返す。


 彼女がショックを受けたのは、公が『悪い人』だったせいではないだろう。

 それなら、自分の手など見つめない。『仲間』の公を傷つけた――いや、殺そうとした自分自身への激しい呵責かしゃくと恐怖の念が、悪夢にも似た幻を見せている。


 あまりに、あわれだった。

 所詮しょせん、公は裏切り者で、彼女の好意を受ける資格など到底あり得ない人間だというのに。


 何しろ、俺は……


「よく聞け、水薙。俺にも俺の言い分はあるが、奴らを殺そうとしてたのは事実だ。お前に斬られたところで文句を言えた筋合いじゃないし、お前のとった行動にも恥ずべき点は何一つない。

 だから、俺を『仲間』だなんて思うな。所詮は雇われの流れ者で、壊すのも殺すのも平気な人間だ。お前とはんでる世界が違う」


「……ちがわないです……だって、わたし……」

 涼真は力なくかぶりを振った。


「ああ……そうだな」

 公も沈鬱ちんうつうなずいた。


「こうして、二度もやり合えばわかる。お前の剣は、剣だ。お前の故郷を滅ぼしたのは〈魎幻〉でも魔人でもない、ただの人間だったんだろう?」


「…………。」

 彼女は否定してこない。


 公自身、四年前の惨劇のことは昔のきょうから聞いた覚えがある。たったの八つでしかない少女が、斬魔刀を返り血に染めてただ一人だけ生き延びていた、と。

 その地獄が、幼い心にどれほどのものをきざみつけたのか――同じ『人殺し』の公にさえ想像が及ぶところではないだろう。


「だから、何だ?」

 それでも、公は言い切った。


「敵を殺して、自分をまもった。ただそれだけのことだろう。ここがあまりにも平和すぎるだけで、〈弑滅手〉として生きていくならそれをけて通ることはできない」


 彼女の前に左手を突き出して、


「血なんてものは洗えば落ちる。これが、本物の烙印らくいんだ」

 公は声もなく笑った。


 手首にめぐる無限の蛇は、あの日からずっと変わらぬ姿で消えない罪をあかしている。


「〈廻廊殿かいろうでん〉を出た二年前、俺は自分の仲間を殺した。俺は、そのとき死ぬはずだった。今の俺は歩く死人だ。生きる価値も理由もないくせに、背負しょいこんだ命が重すぎるせいで死ぬこともできずに殺しを続けてる。

 ……こんな俺を殺す奴がいるなら、俺は感謝すべきだろうな……行くべき地獄ところへ、ようやく行けるんだ」


「っ……、……っ」

 涼真は、何も答えない。


 さかんにしゃくり上げ、むせび泣く吐息といき

 熱いしずくこぼれ落ち、かつえ、かわいた蛇の上へと後から後から降り注ぐ。


 こんな涙に触れるのは、いつ以来のことだったろうか……?


 そんな義理も資格もないのに、どうにかそれを止めてやりたくて、


「だから……お前は、俺とは違う。殺し合いをしてでも護りたいものがあるなら、それはまだちゃんと生きてる証拠だ。そんなふうに自分を怖がらなくていい」


 がらにもなく公は、そんなことを言った。


 彼女は、泣きやんでくれなかった。


「……っく、うぅ……えぇ……っ……」


 公の左手に取りすがり、ついに声を上げ泣きじゃくり始める。無限の蛇はなされるがまま、涙と鼻水に濡らされていた。


 魔力を喰ったわけでもないのに、何かが流れ込んでくるような……

 そんな、妙な感覚。


「――ぅぇぇええええっ!」

 ……ていうか、声デカい。


 さすがにいたたまれなくなってきたので、公は左手をぐい、と引っ張った。


「帰るぞ、水薙。門限はもうとっくに過ぎてる」


 つられてこちらを見上げてくるのは、色んなものでべとべとの顔。


「……おんぶ」

「…………まず、ハナをけ」


 ちーん。

 鼻水をかむ涼真を背負って、公は夜道を歩きだした。


 さっきの戦いが嘘のように軽いが、享の家までは結構遠い。ずっと運ばせるつもりだろうか。


 図々ずうずうしくも負ぶさっておきながら、涼真はやけにおっかなびっくり耳の後ろからささやいてくる。


「あの……私は、東庄さんのパートナー……ですよね?」

「別に、嫌ならやめてもいいぞ。お前から言えば享も許すだろう」

「い、いえ、嫌ではないです、とんでもないです」


「……背中で動くな、歩きづらい」

「……ごめんなさい…………でも……私……」

「何だ、便所か?」


「ち、違いますっ……だから、そうではなく、その……………………あ、公さん、と……お呼びしてもよろしいでしょうか……? ……パートナーですし」

「好きにしろ。どうせ偽名だ」


「……それは、ちょっと寂しいです」

「俺は寂しい人間だからな。触れ合いが欲しいなら他の奴を当たれ」

「むー……」


 ねた声を出し、涼真は黙り込む。

 閑静かんせいな夜の住宅街を、公も黙々と歩いた。


「……公さん」

 今度は少し、落ち着いた声で。


「まだ何かあるのか?」


「公さんは……やっぱり、『仲間』だと思います。私のことも、助けてくれましたし……こんなに背中が温かい人が、生きてないわけないです、ぜったい」

「…………。」


 ……………………俺は。


◇◇◇◆


 遠ざかっていく二人の背中を、茉奈は物陰からそっと見ていた。


「……ま、訳アリってのは見るからにだけど。アイツもやっぱ色々あるのね」

 しみじみとつぶやく。


〈魎幻〉の出現を察知して、あわてて引き返して来てみれば、敵はきれいに片付いていて、涼真がひどく取り乱していて……

 出ていくかどうか迷っているうちに、立ち聞きするには重すぎる話を聞いてしまったような気がする。


 涼真の過去に傷があるのは、組織で戦闘にたずさわる者なら誰もが知っていることだった。

 とはいえ、そこに正面から触れたのは公が初めてではないだろうか。


 そして……公が語った彼自身の過去。


 仔猫こねこのようにり下げた襟首えりくびを持ち上げ、茉奈は黒焦げの白スーツに問いかけた。


「あの話、あんたは知ってたの?」


「ええ」

 大破したひょっとこのお面が頷く。


「勇者と彼と亡くなったもう一人は、当時の〈廻廊殿〉が誇る看板パーティでしたから。彼の裏切りは、全魔法世界に激震を走らせたと言っていいほどの大事件ですよ」


「そっか……」

「やはり、信用できませんか? 仲間殺しの裏切り者は」


 仲間殺し。


 改めて突き付けられると、ぞっとするような語感がある。

 けれど……暗く、冷たいその響きと、いつも横柄おうへい無愛想ぶあいそうなあの顔はどうしてもうまく結び付かなかった。


「昨日と今日しか知らない相手に、信用できるもできないもないけど……」


 難しいことを考えるのは苦手だ。

 脳ミソがぐつぐつ立ってしまう。

 ましてやあいつの腹の底なんて、それこそまるでうかがい知れない。


 ……だけど。


「なんていうか……あいつ自身がそれを望んでない気がする。なんか、すごく寂しい奴だ」


 感じるままに呟いた言葉には、不思議と確信めいたものがあった。


PART.2 END

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