episode.9「お――お姉様っ?」

 放課後、理事長室に出頭しゅっとうする頃には、徒労とろう感でうんざりとなっていた。魔人でも相手に戦うほうが、まだいくらか楽かもしれない。


 理事長室であきらを待っていたのは、にやにやと笑うきょうの顔だった。


「来たか、うわさの三年生。充実してるようで何よりだよ、公」

「そりゃ、どうも。……しかし、お前にその名で呼ばれるのはまだ何か妙な感じだな」

「なんだ、折角せっかくつけてやったのに名付け親に呼ばせないつもりか? 恩知らずめ」


 名付け親……か。

 今朝方の夢を思い出しかけて、すぐに頭から追い出した。それこそ、どうでもいいことだ。この二年間で名乗った偽名など、数え上げたらキリがない。


「で、今日は一体、何なのよ? わざわざ昨日のメンバー集めて反省会でもするつもり?」


 声を上げたのは茉奈まなだった。

 応接用のソファに陣取り、退屈げに足を投げ出している。隣の席に座った涼真りょうまは、相変わらずこちらと目を合わせようとしない。


「いいえ」

 と、これは公をここまで連れてきた木沢きざわ。ひび割れた眼鏡にセロテープが貼ってある。


「今日の話題は昨日ではなく、三週間後に予想される事態です」


「三週間後……?」

 いぶかしげに繰り返す茉奈に、理事長席の享がうなずく。


「公にはもう知らせてあるが、緋煌町を中心とする常苑市一帯に大規模な魔力界乱相マナ・タービュランス現象の発生が確実な状況だ。おそらくは、未曾有みぞうの規模で〈魎幻ソリッド〉の襲撃を受けることになる」


「……えっと、マジで?」

 さしもの茉奈も、表情を軽く引きらせた。


 享はさすがに落ち着いた顔で、ぎしり、と椅子に背中を沈ませる。


「もちろん、大マジだ。ちゃんと〈廻廊殿かいろうでん〉にも届け出てある。今週中には〈緋星會エカルラート〉の全組織に周知されるだろう」


 魔力界乱相とは、特定の領域内で魔力の相が大きく乱れることにより、〈魎幻〉の異常発生や魔導装置の誤作動といった事象を引き起こす一種の魔法現象だ。

 それ自体は必ずしも災害ではないものの、結果としては人類に好ましくない事態を招来するという――気象における低気圧みたいなもの、とでも言えばわかりやすいだろうか。


「この危機に対処すべく、現在我々は組織の総力を上げて戦力の増強を図っている。既に傭兵ようへいは集まりつつあるし、お尋ね者の公をかくまうのもそういう下心があってのことさ」


「…………。」

 享の説明に、公はあえて何の反応も示さなかった。


「なお、当日には〈廃都呪令アルタヴィオン・コード〉を発動、常苑市内を完全遮蔽しゃへいする。

 おそらくは全域が戦場となるだろう。

 我々の側でも魔力相の再安定化に全力を挙げるとして……少なくとも数時間程度〈魎幻〉との戦いに持ちこたえない限り、魔法都市としてのこの街は滅ぶ」


「……あのー」

 そろそろと、茉奈が右手を挙げる。


「ああ、〈廃都呪令〉というのはですね――」

 待ってましたとばかりにしゃべりだしたのは木沢だった。


「かつて魔導実験の失敗で大災害を発生させた、とある魔法都市を強制的に封鎖ふうさするため、〈廻廊殿〉が開発した儀式魔法です。

 一度ひとたび発動と相成あいなれば、封じ込めの対象とあらかじめ〈解呪印章デコード・マーク〉を受けた人間以外は効果範囲から排除される、という極めて強力な人払いの術式ですよ」


「えーと、じゃあ、それでここを封鎖してみんな仲良く避難するってのは……」

「却下だ」


 ぴしゃり、と。

 素晴らしく後ろ向きな茉奈の提案を、享はにべもなくねつけた。


「魔法に関わる事象は全て、魔法使いのいる場所で起こる。我々で始末をつけなければ、他の世界にまで被害を及ぼす巨大災害にもなりかねん」

「だったら、〈廻廊殿〉の人たちに全部任せて逃げるとか」


 茉奈もしぶとく食い下がる。


 初対面の昨日から公も薄々感じてはいたが、戦うのが嫌で仕方ないらしい。臆病おくびょうなようには見えなかったから、おそらくそういう主義なのだろうが……


 そんな友人の頑強がんきょうな抵抗を、享はやはりかぶりを振って退けた。


生憎あいにくと、気安くそういう真似ができるほど我々も『奴ら』を信用できてない。掃除屋に我が家を乗っ取られるようでは笑い話にもならんしな」


 と――

 後ろめたさがあるせいか、享の言葉が何となく公には意味深に聞こえてしまう。


「さて……そこで、だ」

 享は結局、何食わぬ顔で話題を公へ切り替えてきた。


「戦力としてなら貴様は全く申し分ないが、この街には如何いかんせん不案内だ。

 当日には木沢も付けてやれんし、今日以降、作戦行動では基本的に茉奈と涼真を助手に使ってくれ」


「お――お姉様っ?」

 思わずという感じで、だまり込んでいた涼真がソファを立った。


 まあ、無理もないだろう。

 公と彼女は依然いぜんとしてまだ一言の会話さえ交わしていない。


 うまくやる自信など、こちらにもなかった。


「冗談じゃないわ。そんなの無理に決まってるでしょ」


 今までのお返しでもなかろうが、茉奈もすぐさまそう斬り捨てた。


「だってコイツ、昨日水薙みなぎのこと思いっきりぶん殴って気絶させたのよ? ていうかそれ以前に、いきなり鉄砲撃ってきた時点でもう完全にあり得ないし……そもそも、こういう危険人物を女の子に近づけるのが根本的に間違ってるわ」


 なかなかひどい言い草だったが、公も大筋で同意見だ。


 地球育ちの高校生と、流れ者の指名手配犯。


 あちらとこちらではむ世界が違う。

 好きとか嫌いの問題ではなく、相容あいいれない部分は当然出てくる。


「……そうか?」

 デスクで首をかしげる享には別の考えがあるようだった。


「勇者ローグと仲間たちの話は、涼真の大のお気に入りだったはずなんだがな……まぁ、私としても可愛い妹にあえて無理いしようとは思わんが」


「ぅ……」

 涼真の表情に戸惑いが走った。


 戸惑っているのはさっきからだが、今は迷いの色が濃い。

『仲間たち』の一人としては、今更昔の武勇伝など引っ張り出されてもいい気はしないのだが。


 公の顔を遠慮えんりょがちに見上げて、彼女は『お姉様』に視線を戻す。


「……やります。お姉様のご期待に応えて、立派に露払つゆはらいをつとめてみせます」


 言い切る顔には、迷いがなかった。


「そうか」

 さっきと全く同じセリフで、享は彼女をめるように頷くと、


「さて、茉奈はどうする? 可愛い後輩をたった一人で『危険人物』の毒牙どくがさらすのか?」


「あんたがそれ言うか……」

 恨めしげにうめいた茉奈も、やがて握った拳をゆるめ、怒らせた肩をがくりと落とした。


「……って、結局わたしが何言ったとこで押し付けられるのは変わんないのよね。だけど享、やってみてちょっとでもヤバいと思ったら水薙ともども降りるからね?」


「ま、どうしても合わないならそのときは考えるさ。

 それと、公。一応確認しておくが、貴様にとっての私は依頼人クライアントではなく雇用主オーナーだ。

 人事に関する拒否権は認めんぞ?」


「……そういうことなら、是非もない。後悔することにならなけりゃいいが」


 不服を表に出し過ぎぬよう、公も消極的に同意しておく。


 これはこれで、木沢とはまた別口の監視役かもしれないのだ。あまり嫌がると疑われかねない。


「よし。これで今から、公は二人のマスターというわけだ。まずは改めて自己紹介だな」


 どうにも腹の底が知れない顔で、享は妹分に優しくうながした。


「は、はいっ」

 向き直った涼真はしゃちほこばった姿勢で、小さな声を精一杯に張り上げる。


「……え、っと……緋煌学院中等部一年C組三十三番、水薙涼真! 特技は剣術、好きなものはおせんべい、将来の夢は勇者とお嫁さんですっ!」


「高等部一年、工藤茉奈。以上」

 こちらはそっけなく、座ったままの茉奈が続く。


「ああ……よろしく頼む」


 ……これを、俺にどうしろというのか。


 公が曖昧あいまいこたえると、享はくすりと小さく笑った。


「それでは、二人に初仕事だ。公に街を案内してやれ」


「りょ、了解です!」

 びし、と涼真が背筋を伸ばす。


 どうせ、断れはしないのだろう。

 公もここは観念して何も言わないことにする。


「ウチの門限は夜の七時だ。涼真のことはくれぐれも、責任をもって送り届けろよ」


 妹扱いをされるだけあって、自身の手元に置いて保護しているということらしい。

 念押ししてくる享の口調はやけに楽しそうだった。


「子守りもタダじゃないからな。延長料金はきちんともらうさ」

 肩をすくめて、公はせいぜい皮肉を返す。


『では、僕も』と言いだす木沢を『らん』の一言で突き放し、三人は街へと繰り出した。


◇◇◇◆


「置いてかれちゃいました」


 デスクの前で、木沢は軽くおどけてみせた。


 三人が去った理事長室には、彼と享の二人だけ。

 さっきまでが嘘のように静かだ。


 享が、椅子いすきしませる音――


「構わんさ。現時点で四六時中しろくじちゅうの監視までは必要ない。いちいち貴様が間に立っては当人たちも馴染なじめんだろうしな」


「やはり、彼女たちでなければいけませんか?」


 木沢が口に出したのは、自分が外された不平ではない。

 探るような問いかけに対して、返答にはやや間があった。


「……そうだな。茉奈は私の大事な友達だ。こういうイカレた世界に生きてて、あれだけマトモな奴は珍しい」

「性格はだいぶ乱暴ですけどね」

「それも、時によりけりだろう。あいつのそういう部分が貴重に思えることだってある」

「なるほど……では、他のお二人は?」


 意地が悪いとわかっていながら、あえてそれを問うてみる。

 享も困ったように苦笑した。


「そりゃあ、確かにマトモとはほど遠い。だが……」


 言いさして、また黙りこむ。


 その沈黙は木沢にとって、何より雄弁な答えに思われた。

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