PART.2 咎人たちの交差点

episode.8「おっぱいは大きいのと、小さいのと……」

「ごめんなさい……名前が無いなんて、わたし、知らなかったから……」


 困惑した彼女の顔は、とても優しく思えた。


 豊かで柔らかな金髪と、やや下がり気味の大きな目。彼女に抱いた最初の印象は、勇者候補の肩書に似つかわしい類のものではなかった。


「別に、そんなものなくても困らない。あんたが二番目で、俺が四番目フォース。それがわかれば十分だ。俺は、戦いの道具と同じだから」

「でも、そんなのって寂しいわ。道具じゃないときのあなたのことを呼びたい人だって、きっといるはずなのに……」

「そんな俺は、どこにもいないよ。俺は、戦うことしか知らない」


「戦う、って……何のために?」

「俺が、俺であることに理由なんて必要ない。違うか?」


「……違うと思う、多分。そこに理由が何もないなら、きっとそれは本当じゃないのよ。本当のあなたは、きっと素敵な名前を持ってるわ」

「変なことを言う人だな。だったらあんたこそ、何が理由で戦いしかないこんなところへ来たっていうんだ?」

「わたしは……大切な人たちをこの手で守ったり、自分の力を人の役に立てたりしたくて……」

「物凄く平凡だな」


 言うと、彼女はおかしそうに笑った。


「ほんと、そうね。でも、そうでなきゃ戦えないもの……わたしは、道具じゃないから」

「……俺とは、違うってことか」

「違わないわよ、絶対。いつか、あなたにも理由が見つかって、名前がないと困るようになるわ。……ううん、そのときにはもう、誰かが名前を付けてるかも」


「ふうん。名前一つで、随分ずいぶん大げさなんだな」

「そう? でもわたし、『フォース』って名前も嫌いじゃないのよ。ファリスとフォースってなんだか弟ができたみたい」


 二つ年上の彼女は、いつもそうして笑っていた。

 ……あのときまでずっと、そして、あのときにも。


 どんなに望んでも届かないその笑顔は、どんなに望んでも脳裏から消えない。


◇◇◇◆


 かんばしい香りと小鳥のさえずり。朝の光が、目にまぶしい。


「…………。」

 狭苦しい六畳の部屋で、『東庄公とうじょうあきら』は夢からめた。


 古びた蛍光灯のり下がる天井。

 薄っぺらい布団を蹴飛ばして起きると、これまた薄い壁に開いた穴から頭巾ずきんを被ったメガネがひょこりとのぞきこんでくる。


「ああ、お目覚めでしたか。ちょうど朝食の支度ができたところです」

「……なんで、穴が開いてるんだ?」


 眠る前には、ただ変なしみが浮かんでいるだけの薄汚い白壁だったはずなのだが……


「ああ、これですか」

 景気よく一メートル以上もぶち抜いている立派な穴を、木沢きざわはひょいとくぐりぬけてきて、


「何しろ、築百年にも届こうかという歴史的建造物ですからね。日本のこの種の建物には、居住者に仕える従卒じゅうそつ隠密おんみつのために抜け穴が用意してあるのが常です。

 非常時には、脱出にも利用されたとか何とか……まあ、封建ほうけん時代の名残なごりというやつでしょうか」


「封建領主層が住むような場所には到底見えんのだが……」


 きしみ、ひび割れ、くもったガラス、破れたふすまにささくれた畳……

 このボロさ加減を百年分巻き戻してみたところで、『木造二階建ての貧乏長屋』以上のモノには決してなり得ないだろう。


「ははは、気のせいでしょう。さあ、どうぞ僕の部屋へ。朝食が冷めてしまいます」

「……しかも、お前の部屋か」


 問い詰めるだけむなしい気がして、それ以上の追及はあきらめることにした。


 公自身、ここに至るまでの経歴を思えば、世話役と称して監視の一人もつけられて当然の怪しい身の上だ。もし、これが仮にきょうの差し金だったとしても、戦友を恨むような筋合いではない。

 ましてや……事実として公は、享や木沢をあざむいて組織に潜入した裏切り者なのだから。


「まあいい、入るぞ」


 集合住宅なだけあって、穴の向こうも同じような造りの部屋だった。湯気の立つ朝食をせたあの丸いテーブルは、確かちゃぶ台とか呼ぶんだったか。


 味噌みそスープの香りに誘われ、公は座布団に腰を落ち着けた。


 寝覚めの心地よい空腹感。

 見計らったようなタイミングで、木沢が米飯の茶碗を差し出してくる。


「どうぞ、僕の手作りです。お口に合えばよろしいのですが……」


 はにかんだように、わざとらしくほおしゅに染める木沢。

 ひよこがらの黄色いエプロンのすそを、くしゅ、と可愛らしくにぎりしめていたり……

 どこか引っ掛かるものがないではないが、とりあえず今は何よりも食事だ。


「……ん。」

 焼いたメザシをみ砕き、米をきこんで味噌汁をすする。


 意外というべきか、美味い。


 この種の食文化は他次元の世界でも比較的よく見受けられるものだが、お世辞を抜きにして地球のそれはかなり水準が高いようだ。


 ふぅ、と一息ついたところで、茶をれた湯呑みを木沢がさっと置く。


「おう、すまん」

 ず、ず、ずずーっ……


 東庄公の新生活は、おおむねこんなふうにして始まった。


◇◇◇◆


 どうにも信じ難いことに――最初は、何かの冗談かとも思ったが――『緋煌ひおう学院高等部三年A組三十七番東庄公』は、その肩書き通りの第一歩を常苑とこぞのの街に記すこととなった。


 つまるところ、制服を着て学校に行き、授業に出席させられたのだ。


 公にしてみれば、学生という身分はあくまで名義だけのもので、こちらで暮らすために必要な便宜上べんぎじょう措置そちでしかない……というつもりだった。


 が、親切で親愛なる彼の戦友は、そうは考えなかったらしい。


 木沢に伝言をたくしていわく、

折角せっかく若いんだから、少しぐらい青春してみろ』


 と、

 まあ余計なお世話なのだが、事実上の業務命令では逆らうわけにもいかなかった。


 木沢に連れられて登校して、朝一番。


「一同、静粛せいしゅくに。いきなりだが今日は転入生を紹介する。東庄公君だ」


 担任教師の紹介で、公は教卓の前に引き出される。


 教室の様子は、ごく『普通』の学校のそれだった。一見して魔法使いと察せられる人間は片手の指で数えるほどしかいない。


 おそらくはそのうちの一人であろう、若い女性の教師は続けた。


半端はんぱな時期の転入で怪しく思う者もあるかもしれんが、理事長がゴリ押しでねじ込んできたのでそういうものだと思ってあきらめろ。命がしければ無用な詮索せんさくはしないことだ」


 臆面おくめんもない担任の言葉に、平和な国の普通の生徒たちがひそひそとささやきを交わしだす。


「え、なに……理事長、って?」

「ほら、例の……」

「……ああ、あの」

「マジかよ……」


 よほど、理事長の評判が悪いのか。

 公に集まる胡乱うろんげな視線には、どこか奇妙な納得が感じられた。


「何か、質問のある者は?」


 おさえの効いた低い声で、教師がざわめきを制圧する。美人だが、目つきのわった女だ。


「はいはいはいっ!」

 静まり返った生徒たちの中に、空気を読まずに手を上げる馬鹿がいた。


「あたしっ、あたし悠里ユーリ! あっきー、あたしのこと覚えてる?」


 冗談みたいなピンク色の長い髪。見覚えはある顔だった。


「ああ……昨日、享の奴と一緒にいた」


 それ以上の答えは浮かばなかったが、やや不満げにその馬鹿は首をひねる。


「んー……じゃあ、あっきーには今、好きな人はいますか?」

「……いない」


 今度はいきなり何をくのか。

 というか、誰があっきーだ。


 相手のテンションに押され気味な公に、続けざまの質問が飛ばされてくる。


「年下と年上ならどっちが好きですか? ていうか、同級生は有り?」

「……いや、待て」

「じゃあ、おっぱいは大きいのと、小さいのと……」

「……だから」

「むしろぶっちゃけ、おっぱいの大きな同級生はどうで――ごはッ!?」


 眉間みけんに、絶妙なコントロールで出席簿の角が直撃。

 立ち上がって大きな胸を揺らす同級生は椅子の上で悶絶もんぜつした。


「いい加減にしろ」

 平然と言う担任の暴挙に、教室の気温がさらに低下する。


「では、僕から改めて質問を」


 凍りかけた空気にかしこまった声が響いた。眼鏡を、指で押し上げながら――


「メガネ男子な同級生はお好きで――」


 ごしゃーん、と派手な衝突音。


 投げつけた教卓の椅子いすと一緒に、木沢は机ごとひっくり返った。


「東庄公だ。よろしく頼む」


 完全に絶句する生徒たち。


 公の教室デビューは終わった。

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