episode.6「……なんで? 魔法使えないのに?」

 まばゆい衝撃が体を叩く。

 視界と音感を圧する爆風が、正面に強く吹き付けてくる。


 それが背後に過ぎ去ったとき、茉奈まなは床にひざまずいていた。


 あ……れ……?


 焼けるような痛み。脚に力が入らない。声が、間近から降ってくる。


「やれやれ、元気のいいお嬢さんだ」


 見上げると、吹き飛ばしてやったはずの敵は、茉奈の眼前に無事で立っていた。殊更ことさらにそれを誇示するでもなく、ずっとその場所にいたかのような落ち着き払った物腰ものごしで――


「しかし……元気が過ぎて、せっかくの魔力を無駄遣むだづかいされては面白くない」


 魔人は穏やかな微笑みをたたえたまま、右足で強烈な回し蹴りを放つ。


 茉奈の体は壁まで飛ばされ、肩からしたたかに打ちつけられた。


「……っぐぅ」

 壁にもたれ、ずるずる床に尻もちをつく。


 痛む脇腹を探った手先に、ぬるりと血のみた制服が触れた。

 魔法か、あるいは何かの武器かで気付かぬうちにやられていたのか……


 魔人はそれ以上の追い撃ちはかけてこず、視線だけで茉奈を見下ろしてくる。


「そう簡単に殺しはしないよ。あちらの蛇を始末した後で、その魔力を頂くまではね」


 負傷の程度から察する限り、殺す気がなかったのは本当らしい。直撃されたというよりも、わざと浅めに引っかれたような……そんな具合のやられ方だ。


 これなら確かに、すぐに死ぬということはないだろう。

 そして、戦えもしないだろう。


 動くに動けず、立ち上がることさえできそうにない。


「…………っ」

 寒気に、体が震えていた。

 傷口の濡れたあたりから、黒々と冷たい絶望のこごりが茉奈の心身を侵食していく。


「というわけで、前菜は無しだ。いきなりメインを頂くとしよう」


 魔人はこちらにはもう目もくれず、自身が『蛇』と呼んだ黒服の少年と対峙たいじしている。


「……下種げすめが」

 吐き捨てるあきら

 不遜ふそんで不敵な仏頂面ぶっちょうづらには、それでもひるんだ様子は見られない。


 あいつ、何か勝算でも……?


 ――と、すがるような茉奈の淡い期待に反して、思わぬところから事態は急転した。


「――――ぁぁああああっ!」

 あまりに痛ましいその声を、裂帛れっぱくの気合と呼んでいいものかどうか。


 白刃がひらめき、銀光がほとばしる。

 ほとんど悲鳴じみた叫びとともに、涼真りょうまは魔人に一刀を浴びせた。


「ぬぅっ!」

 間一髪、身をかわす魔人。


「……っ!」

 鋭く返された切っ先が喰らいつく。


 大きく後方へ飛び退いた魔人の、右腕に浅く裂傷れっしょうが走った。


「お、のれ……っ」

 魔人のうめき。


 涼真の攻勢は止まらない。

 毒づくいとまさえ敵に与えず、遮二無二しゃにむに突っ込んで猛然と斬りかかる。


 何度も、何度も。

 凄烈せいれつ刃風はかぜは猟犬のように、獲物をひたすらに追いたてた。


「――――ちっ」

 軽やかなステップでそれをいなしつつ、魔人は右手にナイフを実体化。一転、靴のかかとを踏みしめ、涼真の切っ先を強く弾き返す。


 わずかに、時間と距離が生まれた。

 戦いの流れを変えすきだ。


「やあぁぁぁっっ!」

 涼真はしかしそれにも構わず、体ごと前へ斬り込んでゆく。


「いやはや、これは……」

 常軌じょうきいっした狂暴な突撃に、魔人は苦笑しながらも後退――


 表情には余裕を取り戻した反面、攻勢の糸口もつかめてはおらず、本気で手を焼いているようにも見えた。


「ただのオマケかと思ったが……あのガキのほうも意外とやるな。大方、仲間がやられてブチ切れたってところだろうが」


 いまいち気のない公の賛辞に、木沢きざわも場違いな半笑いで応じた。


「もちろん、彼女はウチの貴重な戦力ですよ。相性抜群の強力な武器と、使いこなすだけの剣の伎倆ウデ――魔力レベルという指標では測れない強さを持ってますからね。

 ただ……」


 木沢はそこで肩をすくめて、


「アレはブチ切れたなんて格好のいいもんじゃありませんよ。あえて言うなら、一種のパニック状態とでも呼ぶべきところですかね」


「パニック?」

 公が不審げに問い返す。


「ええ」

 木沢の返答はとことん軽かった。


「彼女、こちらへ来る前に故郷で一族を皆殺しにされたとかで。確か、四年前でしたかね……年端としはも行かない女の子が一人、あの剣だけを頼りにして、助けが来るまでをどうにか生き延びていたんだそうです」


「…………。」

「そのせいなんでしょうね。彼女、味方のピンチにからきし弱くって。ああなると毎回、前後の見境なく無茶苦茶な戦いを……それで勝てるなら、結果オーライなんですけどねぇ」


「確かに、な」

 と、公がうなずく。


「あのザマじゃ、いずれ殺されるだろう。考え無しに突っ込んで、相手のペースを乱したまではよかったが……どだい、実力の次元が違う。息が切れればそれまでだ」


「ああ、やっぱりそう思いますか? 本当に、素直ないい子なんですけどねぇ……」


 ……一体、こいつら何なんだろうか?


 痛みやら失望やらいきどおりやらで、茉奈は軽く目まいすら覚えた。

『素直ないい子』の死闘をさかなにするこの連中の薄情さときたら、縁側えんがわのヘボ将棋しょうぎに横から口を出す通行人より無責任だ。


「こ……のクズどもっ、わかってるなら助けなさいよッ!」


 痛みを押して茉奈が叫ぶと、二人の注意がこちらへ向いた。


 数秒の間。


 木沢はまゆ一つ動かさず、もっともらしく公へ向き直る。


「そうですよ、お客人。女の子一人に戦わせるなんて、男として恥ずべき行いです」


 お前が言うな、と茉奈としては言ってやりたいところだったが。

 公は腰に手をあてて、悪びれもせず嘆息たんそくした。


「仕方ない。足手まといを助けに寄越よこすとは、きょうの奴も焼きが回ったか」


 嘆息ついでに『戦友』を呪う。

 誰のせいで襲われたかは気にするつもりもないらしい。


 言いたい放題もここまで来るといっそ清々すがすがしいほどだった。


 ひょっとして……本当に勝算があるのか?


 あんまり態度が偉そうなので、魔法も使えないポンコツ〈弑滅手ヘルサイド〉がやたら頼もしく見えてきてしまう。


「とりあえず、あのガキが邪魔だ。死なれても面倒だし、お前たちで止められないのか?」

「無理でしょうね。すっかり頭に血がのぼってますから」


 ぼやく公に、うっちゃる木沢。

 やる気なさげな視線の先では、涼真の無謀な吶喊とっかん攻撃が魔人をしつこく追い続けている。


「まあ、そうだろうな……よし」

 公は頷き、木沢へ右手を差し伸ばした。


「そのメガネ、寄越せ」


 ……なぜに、メガネ?


「どうぞ」

 茉奈をまどわせる頓狂とんきょうな指示にも、木沢は迷いなく眼鏡を外した。


 公はそれを胸ポケットにしまい、


 ――ごずっ!

 いきなり木沢をなぐりつけた。


「……なっ!?」


 目をく茉奈をよそに、もう一発。

 ぐらついた木沢のネクタイをつかみ上げ、無言で拳を顔面に叩きこむ。

 

 更に一発、続けて二発、止まらず三発、四発、五発……

 木沢は気でも失ったのか全く何の抵抗も見せず、公は気でもれてしまったのかそんな木沢を殴り続けた。


 呆気あっけにとられる茉奈を置き去りに、狂気の沙汰さたはエスカレートを加速していき、


「――――ッ!?」

 あろうことか、拳の代わりに公は銃を木沢へ突き付けた。


 撃つ気か……? いや、撃つだろう、間違いなく。


 木沢は確かにあんな奴だが、人殺しはさすがにまずい。

 十歩くらいゆずって殺すにしても、せめて茉奈が見ていないときに――というか、今はそんなことしてる場合じゃあ……


「や、やめっ――」


 ズぎゅぅンっ!


 茉奈の制止もむなしく、銃声は鳴ってしまった。

 思わず反射で目を閉じる。目蓋まぶたの裏に木沢の笑顔が走馬灯のように現れては消えていく。ああ……こんなときでも胡散臭うさんくさい。


「…………。」

 どう、なったんだろうか?


 恐る恐る目を開けてみると、しかし木沢は生きていた。

 どうやら、壁を撃ったらしい。


 涼真と魔人の攻防もさすがに、突然の銃声で中断されている。


「見ろ、クソガキ」

 銃口を再び木沢に向けて、公は涼真のほうに呼びかけた。


「馬鹿めが。俺が擬態ぎたいした〈魎幻ソリッド〉だってことにまだ気がつかないのか。さあ、どうする……お前がそっちで遊んでいる間に、仲間がもう一人死ぬことになるぞ?」


 ……もう一人、って……わたし、まだ生きてるんだけど。


 あえて突っ込みはしなかったが、公が意図していることは茉奈にも何となく理解できた。


「う……」

 案の定、涼真は可哀想なほどに混乱した顔で目に涙を一杯にめて、


「うあああああっ!」

 悲壮ひそうなまでの掛け声とともに公へ向かって斬りかかってくる。


「ふん」

 してやったりと、公が笑う。


 魔人よりも邪悪な微笑。

 予期した通りの惨劇が待っていた。


「――――っ!」

 公は涼真の斬撃をかわして、ガン=カタみたいな要領で銃のグリップを振り下ろす。

 もちろん、涼真の頭へと。

 躊躇ためらいも容赦もへったくれもなかった。


 ごぎっ!


 ひどく鈍い音を響かせて、涼真は床へ轟沈ごうちんする。

 公はとても満足げに言った。


「よし、片付いた」


 …………。

 なんというかもう、非難する気も起きてこない。


 味方二人を戦闘不能にしおおせた公は、涼しげな顔で涼真の刀を床から拾い上げる。


「斬魔刀〈綺薙あやなぎ〉……ああまでも魔人に嫌がられるとは、うわさ以上の代物らしいな。折角せっかくの機会だ、持ち主が起きるまで使わせてもらうか」


『斬魔刀』の名に恥じず、あの刀も魔錬銀ミスリルと同じ〈魎幻〉を討つための力を宿すものだ。由緒ゆいしょがあるとは聞いていたが、公にまで噂が届くほどならやはり相当な業物わざものなのだろう。


 とはいえ、魔力を持たない公が使って、どれほどの威力を発揮できるのか……


 右手は銃を持ったまま、問題の刀は封印を施された彼の左手に握られている。


「注文通り、前菜は抜いたぞ」

 こつん、こつん、と。

 不敵なまでに悠々たる運びで、公は魔人へ歩み寄っていく。


「だが悪いな、人喰い野郎。今日のメインは品切れだ……!」


 気障きざったらしく啖呵たんかを切って、いきなり銃の三連射――


 銃声と硬い金属音とが、まばたきほどの時間差で響き合う。


「それは、困った。いくら喰っても喰い足りんのだよ、こんな豆鉄砲ではね」


 目にも留まらぬ魔人のナイフは、撃ち込まれた三発全てをことごとく弾き落としていた。出会い頭に防がれたことといい、この敵を相手に銃撃は通じないらしい。


 小手調こてしらべなど不要とばかりに魔人はナイフも捨ててしまい、その手の指をパチリと鳴らす。


「さあ、始めようか。ここからは、喰うか喰われるかだ」


 魔人の足元が燃え上がり、炎の柱が津波のように公をめがけて床を走った。


 公は右手の銃を下げ、左手の剣を後ろに引きつける。

 逃げの姿勢では明らかにない。


 ひゅん、と。

 横薙よこなぎに軽く振り払う刃が、炎を一息に吹き散らした。


「さすがに名刀だ。それとも、お前の技がマズいのか?」


『魔』を断ち斬る白銀のきらめき――霊験れいげんを敵へ見せつけるように、公が剣を目の前にかざす。


「ほう、そんなもので最後までしのげるつもりかね? 勘違いさせたのならお気の毒だが、私は『蛇』に用がある。宿主などは焼き尽くしても一向に構わんのだよ」


 露骨な挑発を向こうに回し、魔人はむしろ愉快ゆかいげな様子で眼差まなざしをふっと細くした。


「能書きはいい。ならば、とっととそうしてみせろ」


 まっすぐ敵に切っ先を向け、公は大きく一歩踏み込んだ。


「ああ、そうさせてもらうとも……ッ」


 先手を取ったのは魔人だった。


 足元にまつわる炎が弾け、全方位から公を迎撃――

 まるで、幾筋いくすじもの燃えさかる尾のように、それぞれが標的の動きを追って自在な軌道を描きだす。


「…………っ!」

 敵に近づくことさえできず、公は防戦を強いられた。


 右手の銃は沈黙させたまま、構えはあくまでも左手の一本だけ。

 前後左右に身をらし、斬魔刀で炎を散らす。


 さすがに大口を叩くだけあって刀捌かたなさばきは鮮やかなものだが、次々と飛来する炎に対しては焼け石に水というしかない。


 このままでは、いずれ……


 手に汗にぎる茉奈の耳元で、

「始まりましたね、アレが噂の〈無限蛇ウロボロス〉ですよ」


「木沢、生きてたの? ……ていうか、顔近いんだけど」

「すいません、メガネ持っていかれちゃいまして……しかしこうして見ると、工藤君って凄く美人なんですね」

「……なーに、まだ殴られたいわけ?」


 こっちは、傷がまだ痛むのに。


「いえ、それは……正直、工藤君に殴られたのが一番効きますたごふぁッ!?」


 とりあえず木沢は殴っておいて、茉奈は攻防に視線を戻した。


〈無限蛇〉。


 聞いたことはある単語だ。

 自らの尾を喰らう蛇の怪物とか……確か、そんな感じ。

 魔人の炎がそれかとも思えたが、この場で『蛇』と言ったら公だろう。


「……でも……」

 その当人は防戦の挙げ句、更なるピンチへ追い込まれていた。


「……ち果てし籠手こての、きせぬ戦慄わななきに、呪い、うたえ、骸手むくろでの王よ……なんじいまわしきその切っ先にて、死出しで征途せいとを導きたまえ……」


 炎で公を釘付けにしながら、魔人の本体は別の魔法をぶつぶつと何やら詠唱している。


 小技で相手を牽制けんせいしておき、続く大技で狙い撃ち。

 パーティ連携の基本を一人でやっているようなものだ。基本なだけに、避けるのも難しい。


「――〈骸手の穿突フォドム・ゴア〉っ!」


 入念に練り上げ、引きしぼられた魔力。

 魔人は掌を公へと突き出し――


「…………ッ、なん、だ……?」

 そのまま、そこで固まってしまった。紳士服売り場のマネキンみたいに。


 狙ったはずの大技は、何も発動されていない。

 足元からは炎が消えて、青白い光の線が床に模様を描きだしている。


「〈縛鎖封陣バインド・グラム〉……っ!」


 答えを口に出したのは、動けなくなった魔人自身。

 その言葉が意味するところは、対象者の動きと魔力を封じるという魔法の術式名だ。


「……なんで? 魔法使えないのに?」

「それはですね……」


 茉奈がこぼした当然の疑問に、しぶとく木沢が答えてくる。

 こいつ、解説が趣味なのか。


「彼の魔力を封じているのが、〈無限蛇の烙印らくいん〉という超レアものの封印術だからですよ」

「……どういうこと?」


「実を言うと、彼の魔力そのものは『封印』されているわけじゃないんだそうです。あの左手に施された蛇――アレが、彼の魔力を片っ端から年中無休で喰い続けているとかで。とすると、あの蛇に彼以外の魔力を喰わせれば……」

「あいつの魔力が、自由になるって?」


「御名答です」

 木沢は得意気に胸を反らして、


「ですが、それだけじゃありません。武器の性能で凌ぐのが精一杯だと見せかけておき、コツコツと魔力を蛇に喰わせながら『魔法を使えない』という思い込みの裏を最も効率の良い手でいた――誰にでもできることじゃないですよ」


 つまり……アイツは、口だけエラそうなポンコツじゃなかったということか。


「そう。まさに、彼こそが『邪神を弑する者ヘルサイド』――魔人殺しのエキスパート」


 木沢の解説の正しさは、事実をもってたちどころに証明された。


「わざわざ俺を狙ってきた割には敵情の分析がお粗末そまつすぎたな」


 勝ち誇りも浮かれもせずに、冷めた調子で王手を宣告。身動きのとれない敵に歩み寄り、公は粛々しゅくしゅくと斬魔刀をおどらせる。


「――――ッ!」

 ひらめく光と、跳ね飛ぶ血潮ちしお


 解体された魔人の破片は、ちりへと還って跡形あとかたもなくこの世界から消滅していく……


 のだが。


 その前に目をつぶらなかったことを、茉奈は痛烈に後悔することになった。

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