episode.5「……は? あんた、魔法使えないの?」

 再び、地下一階。

 救出作戦が折り返しを過ぎ、復路に入った一行の空気は往路以上にギスギスとしていた。


「不細工だな。力任せにも程がある」


 たった二言。

魎幻ソリッド〉を片付けた茉奈まなの手並みを、あきらが手短に酷評こくひょうしてくる。


「……あはは」

 連戦に息を弾ませる茉奈は、思わず自然と笑っていた。


 傍観ぼうかんに徹する『お客様』の顔には、汗の一つも浮かんでいない。

 至って涼しげな仏頂面ぶっちょうづらだ。

 目に入るだけで笑えるほどムカつく。


「キレイじゃなくて悪うございましたねぇ。百戦錬磨ひゃくせんれんまの勇者候補様と違って、ワタクシはただの高校生なもんで」


 茉奈の露骨な嫌味にも、あちらは顔色一つ変えない。


「言い訳しても強くはなれんぞ。敵にもそうやって命乞いのちごいする気か?」

「…………っ」


 しかも、なんだか正論だ。言い合いでは明らかに茉奈の分が悪かった。


 その上、涼真りょうまに至っては、茉奈の背中に隠れたままで一言も口をきかない始末。

 可哀想に、すっかり萎縮いしゅくしてしまったらしい。


 こうなってはもう、詭弁きべん屁理屈へりくつのスペシャリストに御登場願うしかないだろう。


「ちょっと、木沢きざわ! あんた、何とか言いなさいよ!」

「いや、何とか言えと言われましても……」

 迷惑そうに尻込みするメガネ。


「……木沢?」

 茉奈が視線をとがらせてすごむと、木沢はしぶしぶうなずいた。


「仕方ありません。では、言わせて頂きます……」

 こほん、と神妙に咳払せきばらいして、


「茉奈たん、可愛い! 全然不細工じゃな――」


 ごすんっ!


「わたしに言ってどうするッ!」

 木沢の頭をなぐり倒すと、茉奈はそのままの勢いで公のほうにもみついた。


「ていうか、あんたもっ! お偉くて、お強いのはよーくわかったから、ちょっとぐらいは手伝いなさいよね! 女の子にばっかり戦わせといて、男として恥ずかしくないの?」


「戦いに男も女もない。それに……」

 公は平然と『正論』をぶって、右手の銃を持ち上げる。


「俺の得物えもの消耗品しょうもうひんだ。魔錬銀ミスリルの弾丸ってヤツは、これで結構高くつく」


 鈍く、禍々まがまがしい光沢を帯びた真っ黒でデカい鉄砲。


 テレビや映画で見たことがあるのとは、雰囲気からしてもう違っていた。銃火器の類にうとい茉奈でさえ『なんか凄そう』だと認識できるほど強烈にハッタリが効いている。


 魔錬銀弾仕様の『魔銃』――つまりは〈魎幻〉を狩るための武器だ。


 魔力によって鍛えられた魔錬銀の合金は、それ自体が魔力を帯びているために術者から魔力を供給されずとも〈魎幻〉へダメージを与えることができる。

 とはいえ、それなりに値の張る代物なのも確かで、使い捨ての銃弾にするのは珍しい。

 万一に備えた護身用。せいぜい、それが現実的だろう。

 そうでなくとも、魔法の使える〈弑滅手〉に飛び道具の使い手は少ないのだ。


 つまり……


「だったら、そんなのしまっときなさいよ。横着せずに魔法使えば済む話でしょ」


 多分、誰だってそう思う。茉奈も単純にそう思った。

 公は銃を持つ右手を引っ込めて、代わりに左手を突き出してくる。


「俺は魔法が使えない。〈廻廊殿かいろうでん〉を出るときにコイツで魔力を封じられたからな」


 袖口そでぐちからのぞく左の手首には、何やら呪術的な刺青いれずみめいた黒い線が一周していた。


 腕時計ほどの細い幅で、途切れなく巡らされた魔封じの印――

 蛇か、何かの意匠いしょうだろうか?

 シンプルな分かえって不気味だが、この際それは問題ではなかった。


「……は? あんた、魔法使えないの?」


 一応、尋ねてはみたものの、冗談を言っているようには見えない。

 公の肯定こうていもあっさりしたものだった。


「言った通りだ。魔力が無ければ魔法は使えない」

「何それ……」


 ちょっとばかりじゃなく、衝撃の事実。

 あまりのことに、またしばし絶句し――弾かれたように茉奈は叫びだす。


「じゃあ、何? こんな口だけエラそうなポンコツの出迎えで、わたしたちはこうやって苦労させられてるっての? バッカじゃない!」

「否定はしない。同情する」


 淡々と、公。

 叫んだところで相手がこれでは、ムキになるほうが馬鹿馬鹿しい。


 茉奈はふんっ、と鼻息を荒らげ、大股でずんずか歩きだした。


 このクソ野郎、どうしてくれようか。

 苛立いらだち紛れの勢いで、くるりと後ろを振り向いて、


「それでは勇者候補サマぁ、危ないデスから、離れないようについて来てクダサイネー?」


 かろんじ、あなどると書いて『軽侮けいぶ』。

 一時間目の国語で習った熟語そのままの態度で、茉奈は公をバカにしまくってやった。魔法が使えない〈弑滅手ヘルサイド〉なんて、怒らせても別に怖くないし。


「――待て」

 後ろ歩きで遠ざかる茉奈を、公が硬い声で呼び止めてくる。


「あーら、怒った?」

 これはちょっと、気分がいい。


 茉奈は冗談めかして笑うが、公の表情は硬いまま。

 というか、


「――ひぃっ!?」


 撃たれた。

 揺らした髪に触れるほどの距離で、銃弾が茉奈の横をすり抜けていく。


「ちょっ……そこまで怒ることないでしょうが! あんた冗談通じないわけ!?」


 実際、冗談ごとではなかった。

 涙目でわめく茉奈に、公の叱声しっせいが飛んでくる。


「馬鹿言え、敵だ!」


 敵?

 向き直ると、いつの間にやら人が立っていた。


 その辺ではまず見ないような、タキシードっぽいスーツの男。ロマンスグレーの整った髪に紳士然とした小粋こいきなチョビひげと、見た目は五十がらみくらいだろうか。


「やあ、お嬢さん」

 ぴん、と男が指を弾くと、銀色の物体が床に跳ねる。


 あれは――まさか銃弾? 色々な意味で、ただの人間とは思えない男だ。


「はん、まぁた〈魎幻〉ってわけね」


 二度も同じ手を喰わされてたまるか。

 茉奈は迷わず、先制攻撃の発動句を詠唱。


「〈光矢撃ルミナス・ボルト〉っ!」


 光の矢が標的を捉え、小規模な爆発を巻き起こす。

 轟音ごうおんと爆風と震動と――それらの余韻よいんが消え去った後、男は小揺るぎもせず立っていた。


「なるほど、素晴らしい魔力だ」


 全くの無傷。

 男は余裕たっぷりにうそぶき、スーツのほこりを払ってみせる。


「うそ……今の効いてないわけ?」


 咄嗟とっさに放った低級な術だが、手加減をしたつもりはない。

 そんな芸当ができるなら最初から公に酷評もされないし、今までの敵ならこの一撃でカタがついていたはずだ。


「やはり、そうか」

 戸惑とまどう茉奈とは対照的に、公の声は落ち着いている。


「さっきの〈魎幻〉もおそらくはコイツが操ってたんだろう。銃弾一発で死ぬ程度の雑魚ざこに、人真似ひとまねを演じきる知恵はないだろうからな」

「何、どういうこと? 〈魎幻〉を操るって……」


 茉奈の呟きに答えてきたのは、公ではなく木沢の声だった。


「それはつまり、魔人というやつではないかと」

「魔人、って……あんなのが?」


 茉奈は目をしばたたかせて、眼前の敵を凝視ぎょうしする。

 中肉中背、手足は二本ずつ、目、鼻、耳も顔色も普通で、口元から牙がのぞいていたりもしない……


「でもあれ、ちっともバケモノっぽくないじゃない」


 茉奈の抱く『魔人』像からすれば、もっと、こう――

 わかりやすく翼とか角とか第三の目とかが物騒ぶっそうげについていて、狂気をはらんだヤバめな言動を示してしかるべきだった。

 あと、触手とか。


 不老の肉体、不死の生命、圧倒的な魔力と引き換えに人間性を捨て去った怪物。


 それが、魔人という存在だ。


 あんまり度を越して強力になると『魔王』なんて呼ばれちゃったり。

 ……だというのに、ああいう普通のおっさん的なモノが魔人でなどあるはずがない。


 そんな茉奈の希望的観測は、公に軽く一蹴いっしゅうされた。


「なんだ、初めて見るのか?」

 まるで、友達でも紹介するみたいに。


「奴らも元は人間だからな。容姿みてくれも中身も千差万別だ。魔力に酔っぱらったヤク中ジャンキーまがいのイカれた奴もいれば、何百年と生きてさとりきったような奴もいる。ただ……」


 と、どういう神経をしているのやら、このに及んで公はくすりと愉快げに笑う。


姿形ナリはどうであれ、人間としてはとうに終わってる。何しろ連中、俺たちのことがエサにしか見えてないらしいからな」


 それの何が面白いのか茉奈にはさっぱりわからなかったが、魔人もニヤリと笑っていた。


「ああ、その通りだよ坊や。私は君を喰いに来たんだ。うわさの『蛇』というのは君だろう?」

「次元廻廊の揺らぎに乗じて隙間すきまからコソコソ入り込んできたか。悪食あくじきのゴキブリ野郎め」


 互いに笑い合いつつ、虫だの爬虫類はちゅうるいだのと低次元なののしり合いを始める二人の来訪者たち。

 ハタで聞く限り、茉奈たち地球人類はどうも巻きえを食っただけのようだが……


「しかし、望外ぼうがいの収穫だ。魔法文明最果さいはての地にあって、これほどの巨大で良質な魔力の持ち主に出くわそうとはね……」


 舌舐したなめずりせんばかりの魔人の視線は、明らかに茉奈の肢体したいをなぞるものだった。

 肌が自然と粟立あわだつほどに、いやらしくてスケベったらしい。


 これは……物凄ものすごくマズイんじゃないだろうか?


 茉奈の悪寒おかん戦慄せんりつに気付いていたのかいないのか、横から木沢があっさりと言ってくる。


「これは、物凄くマズイですよ」


 ちっともマズく聞こえない口調だが、中身は掛け値なしに物凄くマズかった。


「魔力レベルが、なんと55――正真正銘しょうしんしょうめいの魔人です。工藤くどう君と水薙みなぎ君で足し算しても37と16でちょっと足りないみたいですね」


 お前はらんのか、という突っ込みはともかく。


 魔力レベルという指標では、単体で〈弑滅手〉として戦力になるのがおおよそ20前後からと言われている。これより下だと、戦闘要員としては一山ひとやまいくらの兵卒へいそつ扱いが相場だ。

 それよりも上の20を超えて、30くらいまでがまずまず平均的な〈弑滅手〉のレベルで、30を超えてくると大概たいがい一流の使い手と見做みなされるようになる。

 そして、更にもっと上の段階――40以上にまで到達できるのは、ごく一部の先天的な『才能』の持ち主だけだという。


 生まれ持った膨大ぼうだいな魔力の絶対量と、それを安定して運用するための感覚センス技術スキル。全てを兼ね備えた魔法使いでなければ、そこまでの力は発揮できない。

 一応、十五歳でその域に手が届きかけている茉奈は、相当有望な部類らしいのだが……


 聞いての通り、魔人という連中はそうした人間のみみっちい尺度など豪快に飛び越えた世界にんでいる。

 レベル、55。

 茉奈がこれまで戦った〈魎幻〉にこれほど強力な奴はいなかった。自分よりも高レベルな敵に一人で勝った経験もない。


 けど……


 振り返ってみると、味方サイドの陣容じんようはそれ以上に心許こころもとなかった。

 公はただ鉄砲を撃つだけのポンコツだし、木沢に至っては実戦で働いたという話さえ聞いたことがない。


 頼みの綱は涼真だったが、


「…………っ」

 完全にビビってすくみ上がっている。下手するとかえって足手まといだ。


 ……やるしか、ない。


 一旦そうと決めてしまえば、思い切りがいいのが茉奈の特質だった。それを美点と呼ぶには少々、見込みの薄い賭けではあったが。


「〈焔霊群舞シャーラ・フライト〉!」


 茉奈は呪文を解き放ち、通路をめ尽くす火球の群れを魔人一体へ殺到させる。


 炸裂さくれつ、爆発、炎上、破壊。

 両側の研究室を派手に巻き込み、火と熱と衝撃が閉鎖空間にうず巻いた。


「ちょっ、工藤君っ! ここ、地下ですよ! 全員生き埋めにする気ですか!?」


 木沢の悲鳴は捨て置いて、新たな術式を組み上げる。

 次は、もっと強力な奴を――


「〈鬼顎吼ギガス・ハウル〉っ!」


 爆煙の向こうへ、放射状の光が収束していく。

 濃厚な灰色の煙幕にまれ、消えてしまったかに見えた数瞬の後。


 かっ――と爆発的にあふれだした光が、通路を白くり潰した。

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