episode.3「お疲れ様です、先輩」

 緋煌ひおう学院の所在地・緋煌町を含む常苑とこぞの市の歴史は、おおよそ今から二百年ほど昔にまでさかのぼることができる。その起源は時の将軍、徳川誰それ公の寄進を受け建立された緋煌神社の門前町としてであり云々……というのはあくまで表向きの話。


 事実としては、この土地を創り出したのは異次元から流れてきた魔法使いたちだった。以後、今日に至るまで地球における最古の入植地コロニーとして彼らの末裔まつえいが隠れ住んでいる。


 現在の都市人口は、五十万強。


 そのうち魔法使いは二割に満たぬ少数派に過ぎず、外部社会に存在を露わにすることも全くない。地球世界そのものの巨大さと、莫大ばくだいな人口と軍事力を持つ貪欲どんよくな原住民の存在が、魔法による侵略と征服の企図きとを彼らに諦めさせたという。


 征服の代わりに行われたのが、徹底的な隠蔽いんぺいだった。


 元来、〈魎幻ソリッド〉や魔法の顕現けんげんによって物質世界と魔導領域の境が一時的に混濁こんだくすると、魔力の資質がない人間には周囲の空間を正常に認識することが困難になる。


 常苑の魔法使いたちは、その上に更なる魔法的措置を幾重にもわたって施した。

 場所、あるいは事象に対する認識阻害、意識誘導、記憶改竄かいざん――見せず、寄らせず、考えさせず。


 そうした営為えいいの結果として、地球人類の歴史から外れ、独自の道を歩み続けた彼らは、この小さな都市においては真の支配者であり続けた。


 魔法結社〈緋星會エカルラート〉。


 幼稚園から大学に至るまで各課程の学校と付属機関をようする緋煌学院グループを始め、大小様々な企業・団体の影の運営母体であり、傘下さんかの魔法使いたちを保護、監督する私設統治機関――


弑滅手ヘルサイド〉としての工藤茉奈くどうまなって立つのは、そういうところだった。


◇◇◇◆


「お疲れ様です、先輩」


 控え目な賛辞に振り返ると、後輩の女子生徒が茉奈へ丁寧ていねいなお辞儀をしてきていた。


 守衛隊――ESF(緋星會守衛隊Ecarlate Security Force)の連中と違って制服がちっとも焦げていないのは、炎を全部かわしきったからだろう。

 茉奈とデザインが違うのは、中等部の一年生だからだ。


「ああ、水薙も呼ばれてたんだ」

「はい。お姉様の言いつけで、今日は一日お供をする予定でした」

「ふうん……」


 しずしずと、水薙涼真みなぎりょうまうなずいた。

 左手に白鞘しらさやの刀を持つ彼女は、無論、茉奈と同類の〈弑滅手〉だ。


 背丈は、茉奈よりだいぶ低い。中一としても小柄な部類だろう。まだランドセルのほうが似合いそうなくらいだが、見た目には独特の雰囲気がある。


 ふんわりと淡い亜麻色の髪に、肌理きめの細やかな色白なほお、ややくすんだ灰色の瞳。

 遠い異国の妖精を思わせるそんな容姿とは裏腹に、所作しょさは至って日本人的だ。

 古き良き撫子なでしこの凛とした慎み深さと、サムライの質朴しつぼく謹厳きんげんたたずまいとを一人の少女に同居させたような……


 コレで、実は異世界から来た魔法使いです、と言われると、まぁ意外とそんなものかと思えてくるから不思議だった。


「いやー、どうも。御苦労様です」


 うなじで髪を一つに束ねた小さなサムライの頭越しに、薄笑いのメガネ男が茉奈に笑いかけてくる。

 すす一つ付いていないケロリとした顔が、なぜだか妙に腹立たしい。


「……で? 片付けたけど何なのよ、一体」

「ええ。説明しますから、どうぞこちらへ」


 木沢きざわが二人を導いた先は、戦場の道路を越えた向こう側だった。


 駐車場つきで二階建てのビル。

 高さに比べて奥行きが広く、学校や病院のようにも見える。


 今日も今日とて、茉奈の魔法は必要以上に絶好調らしかった。


 正面ゲートの警備事務所は半分近く吹っ飛んでいて、ビル本体のエントランスも中々に無残な状態だ。幸い避難は済んでいたようで、人の姿も見当たらないが――


「まず、工藤君がぶっ壊してくれたこのビルなんですけど……実は〈緋星會ウチ〉が持ってる魔導研究施設なんですよね」

「ふーん、そうなんだ。だから、あんなのが出てくるのね」


 遠回しな木沢の苦情を、茉奈は気付かぬふりで一蹴いっしゅうした。


 そもそも〈魎幻〉という奴らは、そうした『魔力の働きが強い場所』にいて出てくるものなのだ。

 極端な話、ここに限らず〈緋星會〉の魔導関連施設が集中する常苑市一帯が、地球最大の頻出ひんしゅつスポット、〈魎幻〉の巣窟だということもできる。


「ええ、そうなんです。まぁ主要部分は地下にあるんで被害は大きくないハズですが――」


 廊下を奥へと進んでいきながら、木沢もさして気にせぬていよどみなく先を続けてきた。

 元々口数の少ない涼真は、茉奈の隣にくっついて大人しく話を聞いている。


「――何にしろ、今回の〈魎幻〉の発生については原因がはっきりしてます。ここの奥にある次元廻廊じげんかいろうを動かした途端、わらわらと湧いて出てきたそうで」

「次元廻廊って……なんで、わざわざそんなもの。誰か、どっかに行くわけ?」


 次元と次元を繋ぐ廻廊、と書いて次元廻廊。

 読んで字のごとく、異次元世界の間を移動するための魔法施設だ。


 人類には足を踏み入れられない魔導領域を通じて、次元の異なる世界同士を行き来する――詳しい理屈はよくわからないが、地球でいえば国際空港みたいなものだろうか。


「いいえ、逆ですよ。我々がお客様をお迎えするんです」

 木沢はかぶりを振った。


「お客?」

「ええ。総帥閣下の肝煎きもいりでお招きした、とても大事なお客様なんですが……

 この方が、ちょっと訳アリでしてね。

廻廊殿かいろうでん〉の管理下にある正規ルートは使えなかったんですよ。で、私設の裏ルートを久々に使ったらあのザマってことです」


「つまり……わたしたちは今、そのお客を迎えに行かされてるってこと?」

「話が早いですね。さすが工藤君です」


 木沢はにっこりと、怪しく微笑んだ。


「……大丈夫なんでしょうね、それ」

 訳アリとか、裏ルートとか、どうも出てくる単語がキナ臭い。


 ちなみに、〈廻廊殿〉というのは、廻廊の管理など次元を超えた魔法世界の秩序をになう権力機構だ。

 正式名称『超次元統合魔法評議院』。

 茉奈たちが所属する〈緋星會〉も一応、加盟組織の一つとされている。


 廊下の途中で行き当たった階段を、地下一階へと降りていきながら――

 木沢は、至って軽薄な楽観論で茉奈の懸念けねん一笑いっしょうに付した。


「はっはっは、御心配には及びませんよ。訳アリとはいっても、ただ〈廻廊殿〉の超次元S級指名手配犯に指定されてるだけですから」

「ちょ……S級ってマジものの超凶悪犯じゃない!」


 泡を飛ばす茉奈に、木沢はしれっと言ってのける。


「まぁ確かに、未登録の〈弑滅手〉といえば〈廻廊殿〉にとっては犯罪者でしょうけど。ウチみたいな面従腹背めんじゅうふくはいの末端組織にとっては必ずしもそうと限りませんよ。報酬ギャラと義理と気分次第では実に頼れるプロの仕事人です」


「…………。」

 ……こりゃダメだ。


 茉奈は心底、絶句した。

 この業界のこういう部分には、とてもついていけそうにない。


 大体、この木沢という男も何なのだ?

 総帥に取り入って腹心面ふくしんづらなどしているが、元々はどこの誰とも知れぬ流れ者の新参ではないか。

 そんな奴が手配犯なんぞを組織に引き入れて、一体何をやらかすつもりやら……


 考えるだけで、頭が痛い。ていうか、もう帰りたい。


「嫌ですねぇ。そんな顔しないでくださいよ。ちゃんとお金で話はついてますし、事故でよほど気が立ってない限り襲ってきたりはしませんって」

「……もういい。わたしはそんなのとっっさい、関わる気ないから、あんたが責任もって相手しなさいよね」

「……まぁ、それも結構ですが……」


 ――と、階段を降りきったところで。


「先輩」


 茉奈と木沢が交わす会話に、初めて涼真が割り込みをかけてきた。


 身構えた彼女に一瞬遅れて、茉奈もその気配を察知する。


「やっぱり出たわね」


 何もなかったはずの行く手に、甲冑かっちゅう姿の騎士が六体。

 中世ヨーロッパ的なアンティーク調でそれぞれが手に武器を持っている。いずれの個体も、バイザーが下りたかぶとの奥は真っ暗闇の空洞だ。


 もう、見るからに〈魎幻〉だった。


「〈光矢撃ルミナス・ボルト〉!」


 出会い頭に、まず一撃。


 茉奈の放った白い光が、銀色の胸当てを正面から射抜く。ごく基本的な攻撃魔法だが、強い魔力の持ち主が使えば雑魚の始末に不足することはない。

 茉奈と銀色の動く鎧リビング・メイルは、まさに強者と雑魚だった。


 先頭の一体が消滅すると、抜刀した涼真が右手に駆けだし、茉奈は続けて左手を狙う。木沢は一人、当然のように茉奈の後ろで高みの見物。


 ぎぎぃ、ぎしりっ、と。

 陽炎かげろうのように現れたよろいは、きしみと重い足音を発して古びた長剣を振り回してくる。


「――っ!」

 素早く、跳ねるように刀をおどらせ、涼真は敵の剣撃をくぐった。


 小柄な体の、か細い両腕で――まされた白刃が、重厚な鎧の板金をいとも鮮やかに切り裂いていく。

 刀傷から、血煙のように黒い粒子がき出した。


〈魎幻〉とは、虚空こくうから出現する実体のない存在だ。

 攻撃の媒体ばいたいが武器であれ魔法であれ、奴らを破壊できるのは同じ位相に働きかけられる魔力の作用以外にない。


 魔力の怪物と、魔法使いと。


 物理法則を超越した戦場においては、魔力の質や強弱こそが相克そうこくの勝者を決定づける。魔力レベルと呼ばれる指標が重要視されるのはそれだからこそなのだ。


「もいっちょ――喰らえぇっ!」

「――っ、やぁっ!」


 決着は、あっという間だった。


 初歩の魔法と細身の刀に、鎧の騎士たちはなす術なく滅んだ。


「素晴らしい。さすが僕の見込んだお二人です」


 おざなりな木沢の称賛は捨て置いて、茉奈はふと、横合いを見やった。


「――――?」

 まだ何か、気になる。


 研究室のドア。

 涼真の剣が、それを斜めに斬り裂いたのはまさに次の瞬間だった。


 彼女も、何かを感じ取っていたらしい。

 更なる攻撃を叩き込むべく、茉奈も魔力を集中しようと――


「ま、待った!」


 男の声。

 両断されたドアの向こうから、白衣姿の人影が現れる。


「僕はここの職員だ。避難が遅れて、ここから出るに出られなくなってしまって……」


 両手を上げたその若い男は、確かに全くの丸腰だった。

 戦闘能力があるようにも見えない。


 二人を制して歩み出た木沢が、白衣の胸についたネームプレートを読み上げる。


「研究員の石本いしもとさん、ですか……?」

 そのまま小首をかしげること、数秒。


「人事部の資料でお顔を拝見はいけんしたことがあります。このたびはとんだ災難でしたね」


 木沢の言葉に、石本氏は表情をほっとゆるませた。


「ですが」

 と、木沢は前置きして、

「我々は現在、VIPの救出という重大な任務に従事しています。こちらであなたを保護するためには、更に奥までの御同行ごどうこうを願うことになりますが……」


「悪いけど、そうさせてもらうよ。ここに取り残されるのは御免ごめんだ」


 一も二もなく石本は言い切り、足手まといは二人に増えた。

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