第十三話 フカ屋の蛇男

 ヤヨイさんにからかわれて恋心を自覚してしまってから、妙にサイラスさんを意識してしまっていけない。

 今まで面と向かってご飯を食べていても、手がぶつかっても、寝癖でぼさぼさの頭を見られてもなんとも思わなかったのに。サイラスさんの一挙手一投足に目がいって、意外と睫毛が長い事とか、目の下の皺が日によってくっきり出るだとか、肉付きの薄い骨ばった手がわたしの好みにドストライクだった事とか、いろいろと気付いてしまった。 


(サイラスさんとわたしじゃ倍くらい歳の差があるのに……)


 一体いつどこで、どんなタイミングでこんなに年上のおじさんを好きになってしまったんだろう。意地悪だけどたまに優しいし、良い人だとは思っていたけど……まさか恋に発展するとは夢にも思わなかった。


(それともこれも、つり橋効果みたいなものなのかな。妖怪に襲われて恐い思いをしたドキドキと、恋のドキドキを勘違いしているとか)


 それにしては自覚するのが遅い気がするけれど。忘れっぽくて鈍いと評されるわたしの事だから、時間差があっても不思議ではないのかもしれない……って、自分で言っていて虚しくなるな。


「はぁ。どうしたものかなぁ」


 ぶらぶらと買い物カゴを揺らしながら、目的地であるサカナ屋を目指して歩く。

 自分の気持ちに気付かないままだったらこんなに悩む事なく、家主と居候の共同生活を今まで通り続けられただろうに。でも後から――元の世界に帰ってからこの想いに気付いたら、後悔するのかな。


「そこのお嬢さん」

「はい?」


 呼びかけられ足を止めると、舗装されていない道の反対側――白と水色を基調とした石造りの建物の前で、長い前髪で顔の半分を隠している男の人がわたしを手招きしていた。

 ガラス窓のある洋館の主にしては珍しく、その人は長着に羽織といった和装姿だ。が、彼の下半身を見てその理由に合点がいく。


(白い蛇だ……。確かにあれじゃ、ズボンははけないか)


 おずおずと蛇男に手を振り返して、先を急ぐ。

 同心円状の丸い目はそのままに口元だけを緩めたニタァ、って感じの陰鬱な笑い方に危険を感じるし、ガマガエルの時みたいな事はごめんだ。


「待ってくださいな」

「うわぁ!?」


 音もなく近付いてきた蛇男が目の前に立ち塞がる。一点の汚れもない白い鱗がびっしり生えた彼の尻尾の先は、道を横断してもなお建物の中にあった。どれだけ長いんだろう。

 ふと、昔テレビで見た巨大アナコンダの映像が頭を過ぎる。締め付けられたらきっと、ひとたまりもない。一反木綿とどっちが……いや、丸呑みされる危険がある蛇の方が脅威だ。


「すみません、先を急ぐので」

「損はさせませんよお。貴方にも良いお話だと思いますし」

「美味い話には裏があるっていいますし。知らない人に着いて行ってはいけないと言われていますので」

「私はフカ屋をしている、ヤトと言うものです。はい、これで知らない人じゃないですね」


 蛇男は肩の高さに両手を上げてハハハと笑う。まるで外人さんみたいなジェスチャーだ。ますます胡散臭い。


「ちょっと手伝って欲しい事があるんですよ。人間の貴方にしか出来ないことなんです」

「食べられてくれとか、手足を一本くれとかそういうのは無理ですから。さようなら」

「まぁそう言わずに。お茶でもどうです?」

「結構です。では」


 今はまだ午前中だけど、いつ日が暮れるかわからない。妖怪が覚醒する”満ち月”も近いらしいし、危ない方向の変な人とは関わり合いたくない。


「話をきいてくれないと、今ここでぱくっと食べちゃいますよ?」

「っ!?」


 不穏な言葉に思わず足が止まる。一拍遅れて駆け出そうとしたけど、既にわたしの足に蛇が絡みついた後だった。


「ちょ、離して!」

「ああ、そんなに暴れないで。……つい締め付けたくなっちゃいますから」


 ひんやりした蛇の身体からもたらされる圧迫感が強くなって、恐怖に固まる。蛇男が本気になれば全身骨折やら内臓破裂やら恐ろしい未来が待っていそうで……一時的に抵抗をやめた。


「わ、わたしに何をやらせようっていうんですか?」

「ちょっと湯たんぽが欲しくてですね。詳しくは店で話しましょう」

「え、このまま移動するの!?」

「さぁどうぞどうぞ」


 蛇男はわたしを絡めとったまま器用に地を這い、洋館へと向かう。どうにかして隙を見て逃げないと……。


「そうそう、私の仕事は”かえす”事なんですよ」


 数段の段差を越え木製のドアをくぐる手前で、蛇男が言う。


「……かえす」


 それって、わたしを元の世界へ”帰す”事も出来るってこと?

 期待と疑惑を込めて蛇男を見つめると、わたしの心のなかを読んだみたいににこりと笑って、頷いた。


「世の中持ちつ持たれつです。不安でしたら、お話の間私をイスに縛りつけてくださって構いませんよ」

「……わかりました。お話聞かせてください。あと、縄もください」

「おやおや」


 本当に縛るんですか? と言いつつも、蛇男はちゃんと縄を用意してくれた。



 外観同様、フカ屋の内装もフローリング敷きで壁紙が貼られた、洋風の仕様だった。

 二階へ続く階段の前以外には、柔らかそうなクッションとローテーブルが一体になったものが等間隔に並べられていて、その上に様々な色と形をした卵が一つずつ置かれている。フカ屋というのはきっと、”孵化”から来ているのだろう。


「さぁさぁ、こちらへどうぞ」


 壁の低い位置に掲げられたランタンや、天井に吊るされたシャンデリアを眺めていると、窓際に置かれた猫足のテーブルとソファの元へ案内された。

 そこで二人掛けの長いソファに座った蛇男ことヤトさんを、縄でぐるぐる縛らせてもらう。


「紅茶の一つも淹れて差し上げたかったのですが」

「いえ、結構です」


 本当はしばらく飲んでいない紅茶に心ひかれたけど、何が入っているかわからないものは飲めない。ヤトさんに対しても半信半疑だし。


「どうぞ、貴方も座ってください」


 ヤトさんは長い蛇の尻尾の先をわずかに持ち上げて、わたしに向かいのイスを示す。

 遠慮なくどうぞ、と言われたから人間の上半身はもちろん、蛇の下半身も雁字搦がんじがらめにしたけど、着物の布が見えないくらい縛るのはちょっとやりすぎたかもしれない。


「それで、”かえす”ことが仕事っていうのは、ここにある卵の事ですよね」

「ええ。お客様から預かっている大事な卵たちをかえす事が私の仕事です。けれど、貴方を人間の世界に”かえす”ことも出来ますよ」


 じっとりと湿った沼を思わせる目に見つめられ、びくりと肩が揺れる。得体の知れない蛇男が恐い反面、元の世界へ帰れる事への期待感もあるけど……。


(ずっと探していた帰る方法が見つかった嬉しさより、この世界で知り合った人たちと別れなきゃいけない辛さの方が先に立つなんて……)


 自分の親不孝ぶりに、気分が沈む。お父さんもお母さんも、向こうでわたしを探してくれているだろうに。


「ただし、一つ問題があるんですよ」

「……問題?」

「ええ」


 ヤトさんは口元だけ笑みの形をした感情の読めない顔で、淡々と説明していく。


「私が貴方を”還す”場合、貴方がその肉体と精神で過ごしてきた人生の続きを歩むのではなく、全く新しい命として人間の世界へ生まれることになります。平たく言えば”転生”ですね」

「転生……それって、篠宮夏海として両親や友人には会えない、ってことですか? 全くの別人として、赤ん坊から違う人生を生きなきゃならないの?」


 あんまりな話に震える声で問うと、ヤトさんは「そうです」とあっさり肯定した。


「同じ時代に転生すれば会う機会くらいはあるでしょうが、相手が貴方を娘として認識する事はない。友人になるには、その方とまた一から関係を築き上げなければなりません」


 ヤトさんを疑って期待し過ぎなかったのは、かえって良かったかも知れない。おかげでショックはそれほど大きくなくて済んだ。

 でもまさか、そういう帰り方があるなんて……思いもしなかった。


「もし転生をお望みでしたら、諸々準備もありますし、お早めに仰ってくださいね」

「準備って、例えばどんな事をするんです?」

「こちらとあちらの時の流れを同化させる必要があります。日刻鳥ひこくどりの目覚めの時間を長くさせ、夜はぐっすり眠ってもらう生活を何日か続けていると、短い間ですが二つの世界が同化するんですよ。

 人間の方をおかえしした事はありませんか、妖怪の方を何名か人間として転生させているので、実績はあります。その点はご心配なく」


 ヤトさんの営業用っぽい笑みがいやに胡散臭い。彼の言葉が本当なのか嘘なのか、わたしには見極められない。


(でももし本当なら。万が一バク柄の猫も、他に帰る手立ても見つからなかった場合。これが最後の手段になるかもしれない)


 頭の中に両親の顔が浮かぶ。けど、はっきりしないおぼろげな造詣に、背筋を氷水が伝ったようにぞっとする。少しずつ、向こうの記憶が薄れているんだろうか。

 ここ最近頻繁に思考を占拠する「帰りたいのか、帰りたくないのか」という問いが、気持ち悪いくらいにリピートしている。


(わたしは……どうしたいの?)


 ぐっと甚平の胸元を掴んで、奥歯を噛む。

 今までの十六年の人生――友達との学校生活や、家族と過ごした時間、辛かった受験勉強や、これからの将来への展望が、走馬灯のように頭のなかを駆け巡る。

 元の世界へ、慣れ親しんだ生活に戻りたい。でもサイラスさんの無愛想な顔や、意地悪く笑った様子が過ぎって……どうしようもなくわたしを迷わせた。


「還る間近になって『やっぱり辞めます』というのもアリなので、とりあえず準備だけしておきませんか?」


 ソファに縛りつけられた身体を捩るヤトさんが、悪徳セールスマンに見えた。「とりあえず先に契約しちゃいましょうか」といって判子を押させて騙す手口を、テレビで見たことがある。


「……転生させてもらう代わりに、わたしは何をすればいいんですか?」


 問い返す声は自分で驚くくらい低かった。それでもヤトさんは気にしたふうもなく、にこっと口元だけを動かす。


「あちらに卵がありますでしょう?」


 ヤトさんは唯一動く首を巡らせ、クッションの上に安置されている多種多様の卵たちを見遣る。


「貴方にはあの卵を温めて欲しいんです。暖めるといっても、膝に抱えていてくだされば十分です。人間の熱で育むと成長が早いですから。あ、転生云々を抜きにしても手伝ってくださると大変ありがたいです」


 そう言ったヤトさんの口から、先が二股に分かれた舌が覗く。

 もともと蛇は得意じゃないけど、ヤトさんもまた苦手かもしれない。こういうタイプの人とは接した事がないし。


「何の卵なんですか、これ」

「色々ですよ。仕事中の濡れ女様から預かっているもの、打ち上げられてしまった河童の卵、それから食用に育てているものもあります」

「食用!?」


 低空飛行だった声が、驚きのあまり元の高さに戻る。


「ええ。孵化する直前のものを好む方もいらっしゃいますから」

「うえぇ……」


 想像してしまって、そのグロさに胸が悪くなった。どこかの国でもそういうのを食べるらしいけど、わたしには無理だ。絶対ダメ。


「かくいう私も」

「いいいいいですそれ以上言わなくていいです!!」


 話を聞くだけでも気分が悪くなる。油断すると吐きそう……。


「そうですか。ではそういう卵はお任せしないようにします」

「そうして下さい……って、まだ手伝うなんて一言も言っていませんからね。しばらく考えさせて頂いて、転生をお願いするようであればお手伝いをしますけど」

「はい。承知していますとも」

(どうだか……)


 いまいちこの蛇男は信用しきれない。とりあえずサイラスさんに評判を聞く――となると、サイラスさんに”還れる”事を話さなきゃならなくなる。

 そんなこと、普通に話せるかな。おかしな態度をとってしまわないだろうか。

 元の世界へ帰りたいのかここに残りたいのか、自分の気持ちがはっきりとわからないうえ、自覚した恋心ゆえに挙動不審になってしまう事もあるだろうし、不安で仕方がないけど。

 とりあえず、お使いを済ませて家に帰ろう。


「――お邪魔しました」


 ソファから立ち上がり、ドアへと向かう。が、ヤトさんを縛ったままなのを思い出して踵を返す。


「すみません、縛ったまま帰ろう……と?」

「いえいえ、ご心配には及びません。自力で縄抜け出来ますから」


 振り返った先で、ヤトさんは笑っていた。彼の身体を拘束していた縄は全て解かれ、床に落ちている。


「自分で抜けられるなら縛った意味ないじゃないですか!!」

「でも私が縛られることで、安心していただけたでしょう? 夏海さん」


 ふるふると怒りに震えるわたしを余所に、蛇男はうっとりとした様子で縄を拾い上げていく。


「しかし縛られるのも良いものですね。私、狭くて窮屈な所が大好きでして。この前大うなぎ様のお宅へ行ったときも、つい長居してしまいましてね」

「お……お邪魔しましたっ!」


 だめだやっぱり関わっちゃいけない人だった。妖しいことこの上ない!


「またのお越しをお待ちしていますよ」


 背中にかけられるねっとりした楽しげな声を振り払うよう、全速力で逃げた。

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