第十二話 からかわれるばかり
「――というわけでカイトと一緒に見回りに行ったんですけど、あの人わたしが
濡れ縁に腰掛けてそら豆のサヤを剥きつつ、サイラスさん相手に愚痴る。
助けてくれない所か、カイトはもがくわたしを見て大笑いしてたし。あのオオカミ男め……! 今度会ったらあのふさふさの尻尾をわし掴んで――いや後が恐いから止めておこう。
「一反木綿で
「囮になるのは嫌ですからね」
「奴は人間しか襲わない」
庭の片隅でサイラスさんがぱちん、と
白いスイセンの花と一緒にニラに似た細長い葉っぱも摘んでいたサイラスさんは、いやに真剣な顔でわたしを見た。
もしかして、本気で一反木綿捕獲計画を練っているんじゃ……。
「あれ、結構苦しいんですけど……」
おずおずサイラスさんを伺うと、緑色の目を細め「冗談だ」と小さく笑った。
こういう時のサイラスさんはただ意地悪な印象しかなかったけど、最近は楽しそうに見える事が増えた。ごくたまに、目尻に笑い皺が出来たりもする。大口開けて笑う所はまだ見たことがないけれど。
「もーそういうのは心臓に悪いですって。真顔で恐いこと言わないでください」
「すまんな」
「ほんとにそう思ってます?」
「鬼火の爪の先くらいには」
「爪先って……そもそも鬼火に爪はないじゃないですか!」
持ち上がった口角を隠すよう、サイラスさんはわたしに背を向けた。
からかわれた事にむくれつつ、でもこういう何気ないやりとりを楽しく思いつつ、中断していたさや剥きに戻る。
(たぶん、わたしの顔も緩んでいるんだろうな)
口元を引きしめて、そら豆は籠の中に、内側がふわふわのサヤは後で畑に埋めて肥料にするため地面に落としていく。
しばらく黙々と作業していると、庭の端に行っていたサイラスさんが戻ってきた。
「そのスイセン、どこかに飾るんですか?」
「いや。好んで毒を喰らう知り合いがいてな。その者に渡す」
「毒を食べるんですか!? というか、スイセンって毒あるんですね」
「ああ。悪食極まりないがな。夏海が食べた場合、下手をすると命を落とす。気をつけるといい」
「もちろんですとも! ぜったい食べません!」
怯えるわたしを横目に、サイラスさんは古い瓦版でスイセンを包んで、その上から紐で縛った。
「そのお知り合いは、毒を食べて大丈夫なんですか?」
「幼少時から食していて耐性はあるらしい。やめるよう言ってはいるが、聞きやしなくてな。仕方なく毒性を抑えた改良種を作り、渡している」
呆れたふうに溜息を吐くサイラスさんを見るに、その人は頑固な変わり者なのだろう。どんな人なのかちょっと気になる。
「――ああ、そろそろ”満ち月”の時期か」
桶に汲んであった水で手を洗ったサイラスさんは、自分の手のひらをまじまじと見てそう零した。
「満ち月?」
「ああ。だいだい四十五日に一度、満月が出る」
「……太陽がないのに、月は出るんですか?」
わたしが
「月といっても空に丸い穴が開き、そこから光が漏れて月のように見えるというだけだ。本物のようにクレーターがあるわけではない」
「へー」
相槌を打ちつつ、剥き終わり空になったサヤをいじる。
(やっぱりサイラスさんも、この世界に迷い込んだ側の人なのかな。本物の月とかクレーターなんて、この世界の人は知らないだろうし)
たまにわたしが横文字を口走っても、サイラスさんには通じることが多い。カイトの愚痴を言う前、妖狐の姉弟の事――コウのお姉さんがストーカーされているらしい、って話をした時は通じなかったけど、ストーカーは確か和製英語らしいし。
(どこか他の国から迷い込んだとか? それにしては言葉が流暢で、着物も一人で完璧に着られているみたいだけど……もうずっと長い事、この世界にいるのかな。元の世界に帰りたいとは、思わないんだろうか)
ぼんやりとサイラスさんを見つめていると、サイラスさんの眉間に深い皺が寄った。
「俺の話を聞いていたか?」
「へ? あ、えっと……ごめんなさい」
へらりと笑ってごまかして、サヤの付いたそら豆を手に取る。でもやっぱり、聞かずにはいられなかった。
「サイラスさんも、この世界に迷い込んだ人間なんですか?」
わたしの問いに、サイラスさんは表情をなくす。しばらく待っても、サイラスさんは無表情で黙ったままだった。
「あの、サイラスさん?」
「――ああ、すまない。夏海が言うように、俺も人間だった」
「だった?」
過去形なのが気になるけど、もう一歩突っ込んで聞いても大丈夫かな。さっきの問いに答えるのに長い間が開いたって事は、サイラスさんはあまりこの話はしたくないんだろうけど……。
悶々と悩んでいると、
「もう随分と前の話だ。その頃の話はほとんど覚えていない」
呟くようにサイラスさんが言った。その声音は何の感慨もなく淡々としていて、まるで他人事みたいだった。
(サイラスさんの過去に、何があったんだろう)
色んな予想をしかけて、ふと気付く。
ここの所、サイラスさんについて考えることが増えた気がする。一緒に暮らしていれば当たり前かもしれないけど、反比例するように家族の事を思い出す回数が減った。
(元の世界に帰りたいと思うのはわたしの本心? それとも義務感?)
恐ろしい考えが頭を過ぎってぞっとする。両手で自分の腕を抱いたとき、「夏海」とサイラスさんに呼ばれた。
「は、はい」
「腹でも壊したか?」
「……どうしてお腹限定なんですか。人を食いしん坊みたいに言って」
「事実だろう」
少しばかり首を傾げたサイラスさんは、揶揄するふうに目を細める。さらりと揺れた金色の前髪が綺麗で思わず目を奪われて……反論を忘れた。
「仕方ない、もう一度説明してやる」
「よろしくお願いします」
居丈高に腕を組むサイラスさんに平身低頭で応えて、見入った事をごまかす。
「満ち月には妖怪たちが覚醒する。力が増したり、変化が解け本性が強く表出したりといった変化が起こるが、本能のままに行動するあまり自制が効かなくなる者もいる」
「……それって、わたしにとってはものすごい脅威ですよね?」
「だからこうして説明しているだろう。二度も」
「す、すみません」
ちゃんと話を聞こうと居住まいを正し、身体ごとサイラスさんの方を向く。
「妖怪同士の無用な争いを避けるためにも、満ち月が近づいてくると家々の軒先に提灯を提げ、"
だがそれで十分な安全が確保出来るわけではない。満ち月が終わるまでは暗くなる前に帰って来い。遠出も控えるように」
「わかりました。けど、その満ち月っていうのは何日後なんですか?」
「さぁな」
「え? さっきだいたい四十五日に一度、って言ってませんでした?」
「だいたいであって、多少のズレはある。大抵の妖怪は自身の力の高まりや感情の変化で満ち月の時期に当たりをつけ、各々対処する。満ち月が近くなったら再度夏海に注意を促すが、この世界は一日の長さが不定期だ。早くから用心しておくにこした事はない」
「りょ、了解です」
いつ頃その満ち月になるのかわからないのは不安だけど、帰宅を早めるのは自分で気をつけられる。この先カイトの監視をするには午後に出かける必要も出てくるだろうし、日刻鳥の変化には注意しておかないと。
「俺は花を届けてくるが、お前はどうする?」
「今日は大人しく家でご飯の支度をしてます」
籠に山となったそら豆を示すと、サイラスさんは「そうか」と言ってスイセンの花束を抱え、門の方へ歩いて行く。
サイラスさんって案外花束似合うなぁ。もう少し派手な花――バラとかの方が見栄えがしそうだけど。
(金髪の渋いおじさんがバラの花束持って現れる、って、映画のワンシーンみたい。和装だとちょっとちぐはぐだけども)
サイラスさんは洋装はしないのかな、と思いつつ、門を出て行くサイラスさんに「いってらっしゃい」と手を振った。
---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+
お隣のキヨコさんからおすそ分けしてもらったおはぎを持ってヤヨイさんに会いに行くと、いつも以上の笑顔で迎えられた。片側で結った長い三つ編みを指先でもてあそぶ様は艶っぽいけど……何か企んでいそうで、ちょっと腰が引ける。
ヤヨイさんは大人の女性、って感じの人だけど、実際はけっこう悪戯好きだ。座布団の下にネズミのぬいぐるみが隠してあったり、お茶の中に煮干がぎっしり沈められていたり……そういう事をして、わたしの反応を楽しむ。
今日は何をされるんだろうとどぎまぎしつつ、勧められるがまま座布団に座った。
「これ、お土産です。少しですけど」
「ありがとね。夏海の顔を見られるだけで嬉しいんだから、
「いえいえ。ヤヨイさんにはお世話になってますし、サイラスさんは甘いものダメなので。家にあると一人で食べすぎちゃって」
両頬を触りながら、情けなく笑う。鏡を覗くと怖い顔した女の人の妖怪が映り込んだり、自分の顔が歪みに歪んで映ったりするから、この世界に来てからあまり自分の顔を見ていない。知らないうちにぷくぷくになっていないといいんだけど。
「じゃあありがたく頂くよ。うちには甘いもの好きがいるからね」
ヤヨイさんが奥の部屋に声をかけると、ツキノワグマがぬっと顔を出した。おはぎを見たクマはほくほくした様子でお礼を言い、襖の向こうへと戻っていく。
ツキノワグマと聞くと怖いイメージがあるけど、あの団員はおっとりしている。わたしの事を美味しそうとか言わなければ、巨大なぬいぐるみみたいで可愛いのに。
「――ところで夏海」
温めのお茶をいれてくれたヤヨイさんの猫の目が、きらりと光る。
「最近カイトと良い仲らしいねぇ」
「そうですか? 今までとそんなに」
湯飲みに口をつけようとして、はっとした。
「え、あ! そっちの意味ですか!? ちちち違います! 別に何もないです!!」
驚きのあまりお茶を零してしまう。それでさらにわたわたしてしまって……ヤヨイさんが貸してくれた手ぬぐいで畳を拭きつつ、弁明を試みた。
「カイトの見回りについていって、飲み屋通りへ続く門や猫を探すのが、わたしにとって好都合なだけですから!」
カイトが見回りに行くのは、だいたい三日に一度。でもきちっと時間が決まっているわけじゃないから、朝一で自警団の詰所に顔を出してカイトのスケジュールを確認し、午前中の見回りならそのまま同行。午後からならサイラスさんの手伝いや買い物などの用事を午前のうちに終わらせて、一緒に着いて行く事にしていた。
決してデートなんかじゃなく、妖狐のコウから荷物を返してもらうための取引なんだけど……端から見ればわたしがカイトを慕って後を追っているように見えるんだろうか。最近はカイトも諦めたのか、わたしが着いて行っても何も言わなくなったし。
しかしこれじゃあ、わたしの方がよっぽどストーカーじみているような……。
「と、とにかく。カイトがいると他の妖怪にちょっかい出されないので、一人より楽なんです」
「専属の用心棒、ってわけかい?」
「あ、いや、カイトを利用しているわけじゃなくてですね!」
忙しなく首と手と振るわたしがよほど必死に見えたのか、ヤヨイさんは口元に手をあて「わかってるよ」と笑った。
本当はちゃんとした理由を言いたいけど、カイトが――あなたの弟がとある女性に付きまとっている疑惑がある。なんて、言えるわけがない。ヤヨイさんもカイトもべったりした姉弟ではないものの、お互いを尊重しているみたいだから、余計に。
「夏海がアタシの妹になるのは、大歓迎なんだけどね」
手ぬぐいを握り締めていたわたしの手に、ヤヨイさんのほっそりとした白い手が触れる。身をかがめたヤヨイさんに上目に見つめられ、心臓が変なふうに跳ねた。
普段背の高いヤヨイさんを見上げることの方が多いから、どうにも落ち着かない……。
「わ、わたしもヤヨイさんがお姉さんなら良いな、って、思います。けど、カイトとはそういう関係じゃないですから」
「じゃあ、クスリ屋とはどうなんだい?」
「へ? な、なんでここでサイラスさんが出てくるんですか!?」
動揺のあまり、顔がかあっと熱くなる。いや慌てたからって顔に熱が集まるわけじゃないかもだけど。どっどっ、と怒涛の勢いで鳴り出した心臓を押さえ、早口に捲くし立てる。
「サイラスさんは家主でわたしは居候ってだけですごくお世話になっている事に感謝していますけどそれだけであって別に好いた惚れたとかじゃあ……ない、です」
最後は息切れしつつも、なんとか言い切った。これですっきりしたはずが、足りなくなった酸素を補っている間、顔の熱も早鐘を打つ心音も、いっこうに収まる気配がない。
(これじゃあまるで、わたしが本当にサイラスさんをすき、みたいじゃ……)
どくん! と一際大きく胸がなる。ついにはつきつきと締め付けられるような痛みを生じ始め……頭の中まで熱を持ち始めた。
「わわわわたしの事より、ヤヨイさんこそどうなんですか! サイラスさんと知り合いみたいですし、わたしが
「焼きもちかい? かわいいねぇ」
首を傾げたヤヨイさんに微笑ましいものでも見るように笑われて……色んなものが限界を超した。
(うわぁああぁぁあぁ!!)
ずさっと後退り、膝を抱えて耳を塞ぐ。けどそれが返って自分の心臓の音を意識させて、ますます落ち着かなくなる。
……そういえば前にヤヨイさんが「クスリ屋が焼く」って言っていたのは、やきもちの焼きだったのか。サイラスさんとやきもちって言葉が一ミリも繋がらなくて、全く思いつかなかった。
「夏海が心配するような事はなーんにもないよ」
「別に心配してませんー」
指の隙間から聞こえる耳触りの良い声に反論し、そっぽをむく。と、ヤヨイさんがわたしにしなだれかかってきて、指の背でわたしの頬を撫でた。
「アタシは男よりも可愛い女の子が好きだからさ。ちょうど夏海みたいな、ね」
至近距離で艶やかな笑みを見せ付けられ、くらりと眩暈がした。大混乱に陥った脳が悲鳴をあげるみたいに、ふっと意識が遠退きかける。そのせいで、
「ふふ。あんたは本当にからかいがいがあるねぇ。でも、もうちっとばかり警戒しな。でないと悪い奴に食べられちまうよ」
楽しげなヤヨイさんの声が、どこか遠いところから聞こえているかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます