第十話 優しいひとたち

 古寺での一件から五日後。

 事情聴取やらなんやらで自警団の詰所で寝起きしていたわたしは、ヤヨイさんに伴われお寺の裏手に足を運んだ。

 どこかで化け亀が雨ごいでもしているのか、今日の空は分厚い雲が立ち込めていて、今にも一雨来そうだった。木々の合間を通り抜ける風も強い。頭上高くで竹の葉が擦れて鳴るたび、またひとひらが緑色の葉が枝を離れ、掘り返された黒い土の上に横たわる。

 まだら模様の地面を見つめているわたしの背を、ヤヨイさんの細い手がそっと押す。促されるまま一歩踏み出し、かじかんだ手に抱えていた菊の花束を供えた。


(……はるかさん、ウキョウさん)


 二人の無念を思うと、やりきれなさに胸を抉られるようだった。



 自警団総出で和尚を締め上げ、お寺の裏や本堂などを調べた結果、人間の骨や遺品などが複数見つかった。和尚が呼んでいたシュウシュウ屋も和尚から人骨を買ったことを認めたものの、既にどこかへ売られた後で、正確な被害者の数はわからずじまい。

 その報告を自警団の詰所で聞いたわたしは、和尚に厳罰を望んだ。だけどこの世界で和尚の行いは罪にはならない。妖怪が人間を食べるのはおかしな事ではないし、食べてはいけないという決まりもない。そんなものいちいち取り締まるか、というのが団長であるカイトの言だ。


「それでも……それでも! わたしは和尚を許せない! はるかさんたちにあんな事をして、お咎めなしなんて……っ」


 どうにかして和尚に責任を取らせたいと懇願するわたしに、カイトは辟易したふうだった。しまいにはバン! と文机を叩きつけ、


「今回は仲間の知り合い烏天狗が食われたから動いただけだ。人間がどうなろうが知ったこっちゃねぇ!」


 と吠えて、どたどたと大股で詰所を出ていってしまった。

 


「――和尚は、どうなったんですか」


 今しがた手向けた菊の花を見るともなしに眺めながら、後ろにいるヤヨイさんに問う。

 ざわざわと竹が鳴る音が途絶えたあと、しめやかなヤヨイさんの声が返って来た。


「詰所の座敷牢にいるよ。全身骨折の所にカイトたちの締め上げがあったから、相当悲惨な状態になっているけどねぇ」

「そう、ですか……」


 いい気味だと思う反面、そう思ってしまう自分が嫌になる。

 わたしがちゃんとサイラスさんにお寺へ行く事を話していれば、悲劇を防げたかもしれない。和尚を痛めつけることで自分のその失態から目を反らそうとしているようで――


(ごめんなさい。はるかさんも、ウキョウさんも)


 借り物の小袖の上から胸を押さえた時、離れた場所にあるたくさんの白い花が目についた。きっとオトドさんたちが供えたものだろう。

 ヤヨイさんが教えてくれた話だと、和尚以外のお寺の人たちは、本当に人間との共存を理想としていたらしい。露呈した和尚の本性や、はるかさんとウキョウさんの事でひどくショックを受け、憔悴しているとの話だった。


「――あの日、自警団の詰め所にカラシ色の作務衣を着た烏天狗が現れてね」

「え?」


 ヤヨイさんの言葉に振り返る。胸元から煙管を取り出したヤヨイさんはそれを手のなかで遊ばせながら、遠くを見るように語り始めた。


「恋人共々和尚に殺された、証拠は寺の裏に埋まっている。それから、夏海を助けて欲しい、とも言っていたよ」

「わたしを?」

「ああ」


 頷いて、ヤヨイさんは続ける。


「夏海に申し訳ない、って詫びていた。和尚に会わせないためにもすぐ家に帰すべきだったけど、自警団よりシュウシュウ屋の方が早く着く可能性があったからね。和尚と鉢合わせる危険があるのを承知で、時間稼ぎのために夏海を寺の裏へ誘導したそうだよ」

「そう、だったんですか……」


 骨を調べたシュウシュウ屋が言うには、二人が殺されたのはわたしが初めてお寺に行った日の夜らしい。二度目にお寺へ行った時に会ったウキョウさんは、幽霊とか残留思念といったものだった事になる。

 よほど未練だっただろう。信じていた和尚に裏切られ、恋人のはるかさんまで殺されて……。


(わたしの心配なんかしなくていいのに……!)


 あの日見たウキョウさんの悲しそうな顔が瞼の裏に浮かぶ。握った手のひらに爪が食い込みけど、はるかさんやウキョウさんが味わった痛みに比べればこんなもの大したことじゃない。もっともっと痛んで、傷になればいい。


「あんたが責任を感じる事はないんだよ」

「でもっ!!」


 強く反駁はんばくすると、眉を下げ苦く笑ったヤヨイさんに抱きしめられた。ふわりと甘い匂いが鼻先で香って、背中をぽん、ぽん、と優しく撫でられる。


「夏海があの子らと同じ立場だったとしてさ、クスリ屋に人食いの噂があるから家を出た方が良い、って言われたら。素直に聞き入れられたかい?」


 柔らかな声色に問われ、答えにきゅうする。

 わたしは、はるかさんたちから聞いた噂より、サイラスさんを信じた。はるかさんたちもきっと、わたしが「和尚は危険だ」と告げても、和尚を信じただろう。


(そうだとしても、こうならなかった可能性はある)


 やるせなさに奥歯を噛み、ヤヨイさんの着物にしがみつく。抱きしめられている暖かさも相まって、身体に力を入れていないと涙がこぼれてしまいそうだった。わたしに泣く資格なんてないのに。


「強情だねぇ、夏海は。この数日、あの子たちが化けて出てきて、夏海をなじったり恨んだりしたかい?」

「……ないです。でも、わたしの顔も、見たくないのかも」

「そんなに卑屈になるもんじゃあないよ。……世の中には、どうがんばっても力が及ばない事もある」


 呟くように言って、ヤヨイさんはわたしを抱く腕にぎゅ、と力を込めた。


「夏海が自分自身を許せないなら、アタシが夏海を許す。夏海は悪くないって、何度だって言うさ」

「――っ!」


 耐えきれなくなった涙が溢れて、しゃくりあげそうになる。ヤヨイさんの胸に顔を押し付けて歯を食いしばっても、次から次へと嗚咽が漏れた。

 この妙な世界は怖い事や辛い事が多いのに、わたしの傍にいる人たちはこんなにも優しい。


「ぅあ、……あぁ……っ、ぅあぁぁぁぁ!!」


 ヤヨイさんの腕の中で子供みたいに泣きながら、はるかさんとウキョウさんの事を想う。

 死後の世界があるのかわからないけど、せめて二人が苦しむことなく、幸せでいてくれたらいいと、切に祈った。


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 クスリ屋まで送ってくれるというヤヨイさんの申し出を丁重にお断りして、一人でサイラスさんの家に帰る。その道中、顔見知りになったヤオ屋さんや子鬼たちがわたしの泣きはらした目を見て心配して声をかけてくれたのが申し訳なくもあり、嬉しくもあった。


(……どんな顔をして、サイラスさんに会えばいいんだろう)


 クスリ屋、という表札がかかった門の前まで来たはいいけど、あと一歩が踏み出せない。

 少し前から降り出した雨に濡れながら頭を働かせても、いっこうに良い案がひらめかず……石畳の先にある家の戸をただただ見つめ立ち尽くす。


(忠告されたにも係わらずお寺に行ったし、五日も留守にしたし、もうこの家にわたしの居場所はないかも……)


 顔を合わせるなり「出ていけ」と言われる光景を想像をして寂しさに襲われたけど、仕方がないと諦める気持ちもある。ヤヨイさんが詰所で一緒に暮らさないかと言ってくれているから、路頭に迷う心配はないけど――

 ふいに目の前が青色に染まり、雨が止んだ。ゆるゆると視線を上げていくと、青い長着と白い長羽織をまとったサイラスさんが、蛇の目傘を手に立っていた。


「……サイ、ラスさん」

「ああ」


 頭一つ分くらい高い所にある仏頂面を見ただけで、胸の中がほんわかする。愛想の欠片もない低い声も、耳に心地よい。サイラスさんと会わなかったのは五日だけど、もっと長い事会っていない気がした。


(何か言わなきゃ)


 心の準備は万全じゃない。でもこのまま黙って立っているわけにはいかない。

 頭のなかをぐるぐる巡っている言葉を無理やり引きだそうとしたとき。頭上で笑う気配がした。


「酷い顔だな」

「……元から、そんなに綺麗な顔じゃないですし」

「それもそうだ」

「そんなにすぐ肯定しなくてもいいのに」


 腕で顔の下半分を隠しつつ、サイラスさんを上目に睨む。

 ついさっき大泣きしたし、それ以前にもほとんど泣きっぱなしだったから、見るに堪えない顔をしているのは事実だ。でもそんなにずばっと指摘することないじゃないか。


「わたしのなけなしの乙女心が傷つきました」


 当て付けっぽく、すん、と鼻をすすった拍子に「ぶえっくしゅん!」とオヤジみたいなくしゃみが出た。


「…………」

「…………」

「……わ、笑いたければ笑えばいいさ!」


 口元に手を当て小さく肩を震わせているサイラスさんに食ってかかる。わたしを一瞥したサイラスさんは、にやりと目を細めた。さもおかしいといわんばかりに。


(こんの人は相変わらず意地の悪い事で!)


 ひとしきりわたしをおちょくって満足したのか、サイラスさんは短い息を吐く。

 長めの瞬きのあと少しばかり真剣な顔をして、口を開いた。


「ヤヨイから話は聞いている」

「う、うん……」


 サイラスさんがヤヨイさんを呼び捨てにした事に、ちょっと戸惑う。まともに話が出来る状態じゃなかったわたしの代わりに、ヤヨイさんがサイラスさんと連絡を取っていてくれた事は知っているけど……今までずっとサイラスさんの他人への無関心ぶりを見ていたから、驚いた。


「夏海が無事でよかった」

「っ!!」


 うっすらと眉間に皺を寄せて笑うサイラスさんが、後悔を抱えているように見えた。

 強面の見た目に反し、優しいサイラスさんの事だ。もっと強くわたしに忠告していれば、と考えているのだろうか。サイラスさんのせいじゃないのに!


「サイラ」

「言わなくていい」


 普段丁寧に薬草を扱う指が、わたしの唇を制する。触れそうで触れない人差し指に意識を引っ張られつつ、ぶんぶんと左右に首を振った。

 言いたいことも謝りたいこともたくさんあるのに、これはずるい。不満を込めてサイラスさんを見上げていると、「お前を宥めるのは面倒だ」と言われた。酷い!

 言うだけ言ったサイラスさんはわたしに蛇の目傘を押し付け、家へと戻っていく。


「待って! ちょっと待ってくださいサイラスさん!」


 玄関の所でやっと追いつき、家の内と外で向かい合う。


「断じてサイラスさんのせいじゃないです。あと、この前は生意気な事言ってすみませんでした」

「……この前というのに心当たりがありすぎるんだが」

「う。えっと、家族のことで、色々」

「ああ」


 あっさりと相槌を打ったサイラスさんは、無表情で羽織についた雨を払った。


「お前にとっては家族は大切だというだけの事だ。謝罪の必要はない」

(……それはちょっと、寂しいんだけどな) 


 いじけたようにくるくる蛇の目傘を回していると、サイラスさんにきつい視線をもらってしまった。慌てて傘を閉じ、外に向けて二、三度振って雨粒を飛ばす。


「わたしは弱いから、一人じゃいられないんです。楽しい事があればみんなで分かち合いたいし、辛い時は誰かに傍にいてほしい。わたしにとってその最たる相手が、家族です」


 サイラスさんに背を向けたまま、声が上擦らないよう気をつけつつ、質問を投げかける。


「サイラスさんは、家族と何かあったんですか?」


 一瞬、空気が止まった気がした。

 サイラスさんの表情は見えないけど、人の心に土足で踏み込むような問いだった自覚はある。でももう、ちゃんと話を聞かずに後悔することはしたくない。

 わたしもサイラスさんも無言の間、しとしとと降る微かな雨音だけが聞こえていた。


「――いつか、サイラスさんの気が向いたときに話してくれたら、嬉しいです」


 静寂に耐え兼ね、サイラスさんを振り返る。新緑色の目でじっとわたしを見下ろしていたサイラスさんはしばしの後、「覚えていたらな……」と言って顔を背けた。

 それで会話が終わるかと思ったけど、わたしの予想に反し、今日のサイラスさんは饒舌だった。


「夏海は、元の世界に帰りたいか」


 疑問形というより確認するみたいな問いに「はい」と応えたつもりが、実際には声は出ておらず、口が動いただけだった。


「……家族や友達に会いたいし、勉強や部活も、投げだせないですから」


 サイラスさんの表情が見えないのが急に不安になって、敷居を跨いで家の中に入る。


「それに、このままこの世界にいると、ちょっと身が持たないかな、って」


 へらりと笑うと、サイラスさんが少しばかりわたしの方に身体を向けてくれた。


「あ、この世界が嫌いって訳じゃなくて、サイラスさんと出会えた事も良かったと思ってますよ。自分の気持ちがわからなくなったり自己嫌悪したり、色んな事があったけど……サイラスさんがいてくれたから、挫けずにいられるし。そこだけは、あの猫に感謝してます」


 なんだか気恥ずかしくて落ち着かない。もじもじと傘をいじっていると「夏海」と名前を呼ばれた。


「はひ!?」


 顔を上げた瞬間飛んできた手ぬぐいが、顔面に直撃する。前にもこんなことあったなぁ。懐かしく思っていると、わたしの手から蛇の目傘が抜き取られた。


「その悲惨な顔を洗って来い。多少は見られるようになるだろう」

「了解でーす」


 くるりと方向転換して外へ出る。雨はもう上がっていて、雲間からは微かに光が差していた。ぷくぷくと気泡が湧く明らかに何かが潜んでいそうな水たまりを避けて井戸へ行き、久しぶりに水を汲む。


(もしわたしが、サイラスさんの家族になれたら――)


 考えかけて、苦笑いで打ち消す。たとえ家族になれたとしても、わたしはいつかここを去り元の世界に帰る。その時にサイラスさんが寂しさを感じてくれるかどうかわからないけど、別れの辛さを味わわせてしまうのなら、今のまま家主と居候の関係でいるのが無難な気がした。

 でもその結論に、胸の奥がちくりと痛んだ。


---+---+---+---+---+---+---+---+---+---


 サイラスさんの家で今まで通り掃除や料理、仕事のお手伝いなどをするなかで、気になる事があった。

 わたしがいない間、サイラスさんはどうしていたんだろう。部屋は綺麗だったし、洗濯ものも溜まっていなかった。でも竈が使われた形跡はなく、食材も減っていなかった。

 お隣のキヨコさん――夜になると光るサギの妖怪が、「何度か食事を差し入れしたんだけど、お仕事に没頭しているみたいだったわよ」と教えてくれた。キヨコさんが差し入れした食事は食べていたらしいから、全く飲まず食わずだったわけではなかったそうだけど。


「もうちょっと自分の身体とか大事にすればいいのになぁ……」


 川原の土手に座って、緑色のスカーフに口元をうずめて独りごつ。

 サイラスさんは今も家で仕事中だ。何でも急ぎの依頼があるとかで、わたしがいると邪魔になりそうだから外に出て来た。本当は何か手伝えたらよかったんだけど「何もしない事が一番いい」と言われてしまったし。


「……ひまだなぁ」


 家から持ってきたべっこう飴を口に放り込んで、がりがり齧る。笹の葉で個包装していたから匂いがちょっと移ってしまっている。砂糖を入れ過ぎたのも失敗だったなぁ。甘ったるくて喉が渇く。水筒も持って来れば良かった。

 手持無沙汰を紛らわそうと川面を見つめるも、今日は大ウナギも魚人もいないみたいで見ごたえがない。バク柄の猫を探そうかとも考えたけど……今はわたしだけ望みを叶えようとする気にはなれなかった。

 手近にあった石を取って、川に向かって放る。緩い放物線を描いた石は水の中に落ちる……前に、水かきのある緑色の手にキャッチされた。水中から顔を出した子河童は、その石をわたしに投げ返す。手元に戻って来た石は、ちょっと濡れていた。

 これは、石を投げるなよ! ってこと? そういえば河童の頭にあるお皿って、割れるとまずいんじゃ……!


「ごごごごめんなさい!」


 川岸に身を乗り出し、河童の様子を窺う。けど、河童の目はわたしじゃなく、わたしの後ろ――風呂敷の上に広げたべっこう飴に向いているようだった。


「……食べる?」


 飴の一つを掲げると、河童が頷いた。きゅうりだけじゃなく、甘いものも好きなのかな? 警戒しながら距離を詰めてきた河童へ、飴を投げて渡した。

 河童はいろんな方向から飴を見ていたが、やがてばくっと笹の葉ごと食べてしまった。


「あ」


 慌てて皮を剥く仕草をしたり、実際に一つ包みを開けてみせるも、河童はわたしには全然興味がないようで、興奮気味にばしゃばしゃと水しぶきを上げている。

 喉に詰まったんだろうかと心配しているわたしのもとへ泳いで来た河童は、水かきのついた両手を差し出して来た。どうやらお気に召したらしい。

 残っているべっこう飴を幾つかわけてあげると、河童の子供は嬉々とした様子で水中へ帰って行った。水のなかで溶けないといいんだけど。あとお早めに食べて下さい。そう波紋に呼びかけるも、伝わったかどうか。


(そういえば、河童も人を襲う事があるんだっけ。溺れさせたり、尻子玉を抜くとか)


 思いがけぬ接近に今更肝が冷えた。でも、飴を欲しがられた以外何もされていない。

 色んな人間がいるように、河童の中にもいろいろな考えや好みの人がいるのかな。ただの気まぐれも否定できないとはいえ、人間を襲わない河童もいるなら……交流を続けるうちに、わかり合えるんじゃないだろうか。ほかの妖怪とも、同じように。

 きらきらと光を弾く水面を見ていると、そんなふうに思えてきた。はるかさんとウキョウさんや、あのお寺に集まった人たちみたいに――


「こんな所でなにやってんだ、小娘」

「うひゃぁ!?」


 突然ガラの悪い声をかけられ、危うく川に落ちそうになる。


「っ、バカでけぇ声出すんじゃねぇよ!」

「ご、ごめんなさい!」


 さっと立ち上がり、仁王立ちしているオオカミ男――カイトの元へ行く。

 今日も今日とて極彩色の派手な着物に虎の毛皮姿のカイトは、どっかりとその場に腰を下ろし、わたしにも座るよう顎をしゃくって促した。

 わたしに何か用だろうか。お寺の一件で色々と意見したり、醜態を晒したりしたから、ちょっと気まずいんだけど。逃げたら逃げたで後が面倒そうだ。

 仕方なくカイトの隣に一人分のスペースを開けて、座った。


「なんだそりゃ?」

「えと、これはべっこう飴です。わたしが作りました」

「お前が? 嘘だろ」


 カイトに鼻で笑われ、むっとして言い返す。


「こう見えても、家事は一通りできますから!」

「へぇ。米焦がしたり、砂糖と塩間違えたりしそうだがなぁ」

「…………」


 どっちもやらかした事があるから、返答に詰まる。最近そういう失敗は滅多にしなくなったけど、全くないわけじゃない。この前もいつの間にか火トカゲが竈で寛いでいて、意図しない火力になってしまったし。

 何も言えないわたしを見て、カイトは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。それが悔しくて、胡坐をかいているカイトへ、笹の皮で包んだ飴を一つ差し出す。


「あんだよ?」

「お疑いなら食べてみてください。ちゃんと出来てますから」


 腕をのばし続けることしばし。胡乱うろんな目をしていたカイトはひったくるように飴を取って、がり、と勢いよくかみ砕いた。

 でも飴を食べたカイトは盛大に顔をしかめて「甘ぇ」と悪態を吐く。


「そりゃ飴ですから」


 ぼそっと突っ込みを入れたのが聞こえたのか、鋭い目に睨まれた。怪力のカイトを怒らせると頭蓋骨を粉砕されかねない。ごほん、と咳払いでごまかして、わたしも一つ飴を食べた。


「それで、自警団の団長さんがわたしに何のご用ですか?」

「オレぁ知らせなくても良いと思ったんだが、ヤヨイがうるせぇからな」

「ヤヨイさんが?」


 カイトに対する信頼度は低いが、ヤヨイさんが言った事なら話は別だ。真剣に聞く態度を見せると、カイトの眉間に皺が寄った。そんな恐い顔したって、人徳の差だからしょうがないじゃないか。


「和尚を解放した」

「……え?」


 ぽかんと開いた口から間の抜けた声が漏れる。危うく飴が落ちそうになって、急いで口を閉じたけど……告げられた内容はあまりにも衝撃的だった。


「ヤっちまっても良かったんだが、あそこら一帯はオレらの縄張りじゃねぇ。寺の連中も引き取ると言って聞かねぇからな。

 まぁあのていじゃしばらく悪ぃ事は出来ないだろうが……手前みてぇなぼんやりした鈍い甘ちゃんは格好のエサだ」

「……いろいろ気になる部分はあるんですけど」


 ヤっちまうとか、和尚はどれだけ重傷なのかとか、カイトのわたしに対する評価とか。

 でも一番はやっぱり、和尚が今自由の身である事。もしかしたらこの世界のどこかで、また会う可能性があるかもしれない。その時にわたしは、冷静でいられないと思う。

 怒りに任せて、ガマガエルの時みたいに殴ってしまうかもしれないし、それ以上のことをしてしまうかもしれない。


「相手を信用させてから食うような回りくどい奴は、大抵真っ向勝負出来ない弱ぇ奴だ。あのぶくぶくしたヒヨコだって、手前が思い切り踏みつけりゃしまいだ」


 カイトの言葉が悪魔のささやきのように聞こえて、ぞっとする。

 確かにバスケットボール大の時の和尚なら――恐ろしい想像をしかけて、慌てて頭を振る。そんな事をしても、きっと虚しいだけだ。はるかさんもウキョウさんも、もう戻ってこない。頭ではわかっている。でも――


「もし――もしわたしが、和尚をどうこうしたら。カイトに捕まりますか?」

「あぁ?」

「あ、すみませんつい呼び捨てに!」


 オオカミの耳をぴんと立たせたカイトに睨まれ、慌てて謝る。初対面のカイトに良い印象がなかったから敬う気になれなくて、そのままずっと呼び捨てにしてしまっていた。

 怒鳴られるのを覚悟して目を瞑っていると、意外にも「んな小せぇ事気にしねぇよ」と冷めた声が返って来た。


「オレらの縄張りじゃなきゃ、煮るなり焼くなり好きにしろ」

「……良いんですか、それで」

「縄張りん中の治安維持がオレらの役目だからな。他はどうだっていい」

「そうですか」


 自警団が一番治安を乱していそうな気がするのは、偏見かな。人を見た目で判断しちゃいけないのは身にしみているけど、自警団はガラの悪い人多いんだよなぁ。ツキノワグマとか一部例外もいるとはいえ、わたしが連行された時、町の人の評判もあまり良さそうには見えなかったし。


「それで、手前は復讐すんのか?」

「……ずばっと聞きますね」

「どうなんだよ」


 重ねて聞いてくるカイトは真摯で、茶化すような気配は一切ない。視線を反らさせてくれない強い眼差しにたじろぎつつ、わたしもちゃんと、本心を語った。


「正直、和尚を許せない気持ちに変わりはないです。どこかで会ったら手が出ちゃうと思いますし。……でも」


 ぐっと手を握って、少しばかりカイトの方へ身を乗り出す。


「和尚を恨んだ所でどうにもならない。それなら、はるかさんやウキョウさんがそうだったみたいに、人間と妖怪が分かり合えるように頑張っていけたら良いな、って。

 また誰かがこの世界に迷い込んだとき、妖怪と人間が仲良しだったら、人間が襲われる事も減ると思うんです」

「はっ、ご立派な理想だな」


 嘲笑うふうに言われたのもつかの間。目の前にカイトの手がのびてきて、思い切りスカーフを引っ張られた。


「っ!?」


 目と鼻の先にカイトの顔があって、灰色の目のなかに驚いた顔のわたしが映っている。


「オレが手前を食う気だったら、今頃喉掻き切られて死んでるぞ」


 カイトが喋るたび、わたしの唇に息がかかる。今すぐにでもカイトを突き飛ばして逃げたいのに、視界の下の方で見え隠れする鋭利な牙に身体が竦んで、動かない。


「手前に良い顔してる奴だって、他に美味いもんがあるから好んで人間を食わねぇだけだ。仲良くなりてぇなんてほざいて隙見せてたら、あっという間に胃袋ん中だ」


 突き飛ばすように手を離され、咄嗟に後ろ手をつく。へたり込むわたしを余所に、カイトは舌打ちをして立ち上がった。


(怖かった……。けど、今のは忠告してくれた、ってこと?)

 

 首を押さえながら、立ち去ろうとするカイトの背中を見上げる。

 思えば自警団の詰所でお世話になった間、和尚の処遇で言い合いをしたり、人間を軽く扱われても、わたし自身が邪険にされる事はなかった。端から見ればめそめそ泣いてばかりの小娘なんて、うざったかっただろうに。


(その事と、ヤヨイさんの弟だから、って理由で信用すると、またカイトに甘いとかバカだとか言われそうだけど……)


 立ち上がって、カイトに向けて叫ぶ。


「カイトと仲良くなるには、どうしたら良い?」

「あぁ?」


 ドスの聞いた声と鼻に皺を寄せた険しい顔で凄まれると、まだちょっと怖い。でもここでめげたらおしまいだ。逃げそうになる視線をカイトへ繋ぎ止めて、返事を待つ。


「つまんねぇ事考えてる暇があったら、ねぐらへ帰んな。じきに日が暮れるぞ」


 空を指さしたカイトは、口の端を持ち上げて笑う。子ども扱いされた気がするけど、それを理由に突っかかって行くのは本当に子供っぽい気がする。

 とりあえず、拒絶されなかっただけ良しとしよう。さらっと流されはしたけど。


「カイトも気をつけてね!」

「手前誰に言ってんだ?」


 足を止めたカイトがこっちに戻ってくる。なんだかこめかみに青筋が立っているような……。これはまずい!

 アイアンクロ―の餌食になる前に、荷物を引っ掴んで脱兎の如く逃げ出す。後ろで盛大な舌打ちが聞こえた気がするけど、精神衛生のため忘れることにした。

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