第八話 クスリ屋の黒い噂
はるかさんがお世話になっているというお寺は、川下にある小高い山の中腹に建っていた。山門まで真っ直ぐ伸びる角がとれた石段の左右には、黄色く色づいたイチョウや紅葉したモミジ、実がなった栗やナラなど色んな木が並んでいる。奥の方には梅や桜、ユリっぽい花も咲いていた。
ここでは季節がめちゃくちゃとはいえ、ちょっと雑然としすぎじゃないだろうか。前にサイラスさんが「不風流だ」って言っていた意味がわかる。一つ一つは綺麗だけど、これだけ揃うとちょっとしつこい。
「端の方を歩いているとウワバミとか入道が脅かして来るから、気をつけて」
「はい。この階段、登るの大変そうですね」
傾斜が急で、一段一段も高めだ。手すりがあればちょっとはマシなんだろうけど、残念ながら掴まれるようなものはなにもない。
うーん……体力もつかな。部活がある時は毎日走っていたものの、最近は妖怪から逃げたり急いで家に帰る時以外あまり身体を動かしていない。
「ゆっくり行けば大丈夫。万年運動不足の私でも昇り降り出来るくらいだし」
そう言って一段目に足をかけたはるかさんに倣い、わたしも階段を昇り始める。
森の中でなおかつ朝ということもあって、空気は澄んでいた。深呼吸すると緑や土の匂いが鮮明に感じられる。生活臭みたいなものは全然しない。ただここにいるだけでリラックス出来る。
(あ、どんぐりだ)
どんぐりも何かの薬の材料になるとかで、サイラスさんの薬棚に入っていた。拾って帰ろうかと腕をのばしかけて、止める。
(サイラスさん、どう思ったかな……)
いつもより遠くまで猫探しに行くから、もしかしたら昼に帰れないかも、とサイラスさんに伝えて、許可も貰った。でもお寺の事やはるかさんの事は言えなくて……ちょっと不自然な態度をとってしまった。
はるかさんに会いに行くのも、人間と妖怪が共存している場所に行くのも、悪い事じゃないはずだ。それなのにどうしてか、サイラスさんに対する罪悪感のようなものがもやもやと胸で渦巻いている。
「夏海がどうやってこの世界に来たのか、聞いても良い?」
「あ、はい。わたしは――」
思考を切り替え、三段くらい前を行くはるかさんにわたしがここに来た経緯――お祭りの日に巨大化した猫に丸飲みされたことを説明した。
信じられないと言われたらどうしよう、とちょっと不安だったけど、はるかさんは真剣な顔で相槌をうってくれた。
「……そういえば、私もあの時猫の声を聞いたような気がする」
「ほんとですか!? それって背中とお腹が白くて、それ以外が黒いバクみたいな柄のぉっ!?」
身振り手振りを交えて話すのに夢中で、危うく階段から足を踏み外しかけた。
「大丈夫? たまに足が滑るのよね、ここ」
「だ、だいじょうぶ、です。ありがとうございます」
はるかさんに手を借りて体制を立て直す。その時ちらりと下が見えて、ぞっとした。ここで転んだら麓までノンストップだ。痛いってもんじゃない、確実にどこか骨が折れる。
気を付けようと硬く誓って、一歩一歩、確実に登って行く。
「はるかさんも、猫に丸飲みされてここに来たんですか?」
「いいえ。私は猫の姿は見ていないの。……ふらふらと山の中を
「山の中を……」
はるかさんはわたしとは違う方法でここに来たのかな。鳴き声を聞いた、って事は猫と全く関係がないわけじゃないんだろうけど。
「私ね――」
静かな声で言って、はるかさんは足を止める。
「向こうの世界で、恋人と親友に裏切られたの」
「え……」
突然のヘビーな告白に、何て言ったらいいのかわからない。
驚くわたしを一瞥したはるかさんは、青い空を仰ぎ、ぽつりぽつりと話し始めた。
「大学を卒業したら結婚しようって恋人と約束していたんだけど、その彼、私の親友とも付き合っていたの。しかもその子とも結婚の約束をして、親に挨拶まで行っていた」
「そんな……ひどい!」
「本当にね。それを知った時はすごくショックだった。親友……だと思っていた子は、私の彼氏だと知っていて彼を誘惑したって言うし、彼の方も最終的に私を捨てて、親友を選んだ」
痛みを堪えるふうに作務衣の合わせを握るはるかさんを見ていられなくて、顔を伏せる。
わたしには結婚とかまだわからないけど、もし彼氏が出来て、その人や親友――冬子に裏切られたら……想像するだけで、胸が張り裂けそうなほど痛んだ。実際にそういう状況に遭ったはるかさんの辛さは、計り知れない。
「あの頃の私は心身ともにぼろぼろだった。私なんて誰からも必要とされない、いらない人間なんだ、って思って、もう何もかもがどうでもよくて……」
赤い数珠に触れたはるかさんの表情が、ふと和らぐ。
「死に場所を求めて当てもなく山の中を歩くうちに、いつの間にかこの世界に迷い込んでいたの。だからどんなきっかけでここに来たのかはっきりとわからないけど、あの時は心底驚いたわ。まさか妖怪に食べられそうになるなんて。
でも一番驚いたのは、死のうと思っていたはずなのに必死に妖怪から逃げ回った自分自身に、なんだけどね」
そう言って、はるかさんはからりと笑った。付き合いの浅いわたしにはそれが自然な笑顔なのか、無理に作った笑顔なのかまでは見極められない。
「和尚さまが言うには、ここに迷い込む人間は大抵生きる気力を失っていたり、絶望して疲れ切っていたりするそうよ」
「そう、なんですか」
それは、わたしには当てはまりそうにないな。部活や勉強で疲れていても、家族とおいしいものを食べたり、冬子たちと喋っているうちに元気になれる。絶望しきるほど嫌な事があったわけでもない。
……でもそれじゃあ、あの猫は一体どんな理由でわたしをここに連れてきたんだろう。
(やっぱり猫を探さないと、元の世界には帰れないのかなぁ)
どれだけ探しても猫が見つからなかった日々を思って溜息を吐きかけたけど、心配そうな顔でわたしを見ているはるかさんに気付いて、慌てて飲み込んだ。
「ごめんね、暗い話を聞かせてしまって」
「いえ! ……こちらこそ、辛い事を思い出させてしまって、すみません」
こういう時気の利いた事を言えればいいのに……わたしの頭ではそういう言葉が思いつかない。
「そんなに気にしないで。綺麗さっぱり忘れられた訳じゃないけど、和尚さまやお寺の人たちのおかげで立ち直れたから」
はにかんだはるかさんは「行きましょう」と言って、ふたたび階段を登って行く。
道中で和尚さまがどんな人なのか、お寺の人たちがどれほど親切にしてくれたかを語るはるかさんは、終始嬉しそうだった。はるかさんがどれほど彼らを好きなのか、表情からも声色からも伝わって来て、わたしまで頬が緩むほどに。
「うわぁ……古そうなお寺ですね」
長い階段の果て、簡素な山門をくぐった先には、横に長い平屋の建物があった。
山門同様飾り気がなく、木材の色そのままだからちょっと質素だったけど、賑やかな山の緑を背景にしているから、むしろ色味がない方がいいのかもしれない。荘厳なお寺だと気おくれしてしまうし。このくらいの方が親しみやすい。
ただ、長い廊下の雑巾がけは大変そうだった。
「このお寺はずっと昔からあるらしいけど、和尚さまでもいつからこのお寺があるのか、正確にはわからないみたい」
「へー。あ、畑があるんですね」
向かって左側――山の入り口とお寺の建物の間には、ナスやトマトなどが実る広い畑があった。なかにはこの世界特有の、子供の落書きみたいなよくわからない見た目をした野菜も混じっている。ああいうの、食べてみると意外と美味しかったりするんだよね。
「畑ではみんなで食べる野菜を作っているの。土を耕したり草を取ったりするのは大変だけど、自分たちで作ったものは特別美味しい。そうだ、今度夏海もやってみる?」
「え? わたしは……雑草と間違えて、野菜の苗を抜いてしまう危険性が高いですよ」
サイラスさんの庭でその過ちを犯して、これがどの野菜の苗で、どう成長してどんな花が咲くか、というのをみっちり教えられた記憶が懐かしい。おかげで野菜に詳しくなった。ものの、たまにうっかり間違えそうになる。
「私たちがちゃんと教えるわ。作務衣も用意するし」
「じゃあ……また今度、教えて下さい」
「ええ、もちろん!」
他にどんな野菜を作っているのか、どう食べると美味しいのかはるかさんから話を聞いていると、
「おかえり、はるか」
どこからか、男の人の声がした。でも辺りに声の主の姿は見当たらない。
「ただいま、ウキョウ」
はるかさんは空を仰ぎ、笑顔で応える。同じように上を見て……驚きのあまりあんぐりと口が開いた。
カラスみたいな
(烏天狗に会うのは初めてだ。天狗って本当に空を飛べるんだなぁ。……あの翼、どんな触り心地なんだろう。ちょっと触ってみたいな)
じろじろ見ていると、ふいに烏天狗の真っ黒な目がわたしに向いた。
「この子が昨日はるかが言っていた、夏海か?」
「ええ、そう。夏海、彼は烏天狗のウキョウ。このお寺で一緒に生活している仲間よ」
烏天狗――ウキョウさんの隣に移動したはるかさんが、彼を紹介してくれる。
「は、はじめまして。篠宮夏海です」
「ウキョウだ。はるかから聞いていると思うが、オレもこの寺にいるものも人間を食わない。だから安心してくれ」
ウキョウさんが喋るたび鋭い
少しばかり肩の力を抜いて「はい」と頷くと、はるかさんがイタズラを思いついたふうににやりと口角を上げ、ウキョウさんに軽く肩をぶつけた。
「やっぱりウキョウの顔は怖いわよね。私も初めてウキョウに会った時は叫んで逃げたし」
「すまない」
「いえ! 大丈夫です。あまり表情の変わらない人は見慣れていますし、もっと怖い人も知っているので!」
言ってから、失礼だったと気付く。慌てて謝るわたしに、はるかさんとウキョウさんは「気にしていない」と笑ってくれた。
「す、すみません……」
赤くなった顔を両手でおさえつつ、ちらりと二人を窺う。
はるかさんとウキョウさんの間には、気安い雰囲気が漂っている。お寺の人たちはみんなこんなふうに仲が良いんだろうか。
「和尚さまは本堂?」
「いや。急な呼び出しで出かけて行った」
「ええ!? 今日夏海を連れてくること話しておいたのに」
「仕方がない。和尚さまは忙しい方だからな。山を下りるついでに、以前ここを巣立っていった
「そう……残念」
息を吐いたはるかさんはがっくりとうなだれる。そんなはるかさんを慰めるふうに、ウキョウさんがぽんぽん、と肩を叩いていた。
「ごめんね、夏海」
「いえ。日を改めて、またお邪魔させてもらいます」
申し訳なさそうに眉を下げるはるかさんと次の約束を交わしながら、これからどうしようかと考える。町へ行って猫を探すか、サイラスさんの家に帰るか。そろそろ
「ところで、夏海は今、どこで寝起きしているんだ?」
首を傾げるウキョウさんの隣で、はるかさんも「そういえば聞いていなかったわね」と同じ仕草をする。二人の瞬きのタイミングが一緒だったのが、なんだかほほえましい。
「サイラスさん――クスリ屋さんでお世話になっています。ヤオ屋さんとかの商店がある通りからしばらく行った所にある……えっと」
ここには太陽がないし道も頻繁に変わるから、説明に困る。サイラスさんが書いてくれた地図があれば良いんだけど、今日は持ってきていない。
どうしたものかとうんうん悩んでいると、「クスリ屋……」と、どこか深刻そうなはるかさんの呟きが聞こえた。
「はるかさん?」
なんだか不穏な空気だ。ウキョウさんもうっすら眉間に皺を寄せているし、良い反応とはいいがたい。
「サイラスさんの事、ご存じなんですか?」
「ああ……」
肯定したものの、ウキョウさんはなかなか続きを口にしようとしない。よほどひどい噂でも出回っているんだろうか。サイラスさん不愛想で怖そうな顔しているからなぁ。歳を重ねた凄みみたいなものもあるし。
でも、実際は結構優しかったりする。わたしが手を切ったとき薬を貸してくれたし、この前はようかんを買ってきてくれたし――
「あのね……夏海」
おずおずと、はるかさんが切り出す。
「クスリ屋さんの作る薬はすごく効き目がいいらしいから、その……」
「材料に、人間を用いているのではないか、と言われている」
言いにくそうに口ごもったはるかさんに代わり、ウキョウさんが引き継ぐ。それを聞いて、「へ?」と間抜けな声が出た。
もう何日もサイラスさんと過ごしているけど、そんな素振りは見たことがない。薬の材料は動植物や鉱物、妖怪の一部などで、わたしも髪の毛とか爪を提供したけど、血や肉を求められたことはない。
「わたしが知る限り、そんな事はないと思いますけど」
「和尚さまがね、クスリ屋には近づかないように、って。あとはニンギョウ屋とか、カイタイ屋とかも危ないって仰っていたわ」
サイラスさんはそんな人じゃない。ニンギョウ屋と同列に語られるような危険はぜんぜんない――そう言おうとした時、
「オレも二、三日前に、クスリ屋とニンギョウ屋が一緒にいるのを見た」
ウキョウさんの口から、衝撃的な話が飛び出した。
「え……」
驚きのあまりウキョウさんを凝視していると、ウキョウさんは険しい顔で語ってくれた。
「和尚さまの遣いで町へ行った時に、リョウガエ屋付近の路地裏で何か話しているふうだった」
二、三日前といえば、自警団に捕まって家に帰れなかったわたしを探してくれていたのかな。いやでもそれはもう少し前の話だ。最近サイラスさんからニンギョウ屋に会った、なんて話は……そういえば、「ニンギョウ屋がわたしの手を欲しがっている」ってサイラスさんが言っていた。あれはいつどこで、誰に聞いたんだろう。
もしかして、本当にニンギョウ屋と会ったのかな。その場合、会おうとして会ったのか、偶然会っただけなのか――。
(いやだな、わたし。サイラスさんを疑うなんて)
左右に首を振って、浮かんだ疑念を打ち消す。
サイラスさんがわたしに危害を加えたことなんてない。むしろわたしの方がご飯を焦がしたり失敗作のおかずを食べさせたりと、サイラスさんに被害を与えている。
それなのにサイラスさんは、わたしを丸飲みにした猫と何らかの関わりがある、ってだけの理由で、衣食住の面倒を見てくれて――
(もしわたしが、あのバク柄の猫となんの関わりもなかったら。サイラスさんはあの家に住ませてくれただろうか)
ふと、傘オバケが薬代として置いて行った作り物の足を思い出す。あの足みたいに、どこかへ売られてしまったりしないと言い切れる? その確証は――
「――、――海、夏海!」
「っ!?」
はるかさんに強く呼ばれ、身体がびくりと跳ねた。
「大丈夫? 顔色が悪いけど」
「だ、だいじょうぶです! サイラスさんには良くしてもらっていますし、身の危険を感じた事もないですよ」
思わず早口になる。それが言い訳臭くて、顔が歪みそうになった。
「そう? それなら良いけど……。何かあれば、いつでもこっちに移って来てね。和尚さまには私から言っておくから」
「はい。ありがとうございます」
心配してくれるはるかさんに笑って見せるけど、うまく笑えなかった気がする。
その後、はるかさんとウキョウさんは他の仲間を紹介してくれた。一つ目の鬼とか巨大な生首とか妖怪だらけでドキドキしたけど、接してみると気さくで良い人たちだった。
「血の繋がりもないし種族も違うけど、みんな家族なのよ」
幸せそうにそう言ったはるかさんたちの笑顔が強く印象に残って、サイラスさんの家に帰る間、何度もお父さんやお母さんの顔が脳裏をちらついた。
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「今日は随分と大人しいな」
囲炉裏の向こうでお茶椀をお膳に戻しながら、サイラスさんが言う。
テレビもスマホもないサイラスさんとの静かな食事にもすっかり馴染んだはずなのに、今日は居心地が良くない。意味もなくもぞもぞと座りなおしつつ、里芋の煮っ転がしに箸を刺す。と、サイラスさんの目が鋭くなった。お行儀が悪かったですね、すみません。
「わたしだってたまには静かにご飯食べますよ」
「本当にたまにだがな」
「む。ならサイラスさんもたまには面白い話でもしてくださいな。どこの武道の達人か、ってくらい隙のない顔をした人面犬が「オレに触れたら火傷するゼ」って言って燃え上がったとか、お米をといでいたら豆粒みたいな小さなおじいさん妖怪が「米くれ米くれ」って催促してきたとか」
「それはお前の体験談か? おかしな者の所には妙な奴が集まるものだ」
「わたしは変人じゃないです!」
訂正を求めるも、鼻で笑われて終了。不満を訴えるためわざと音をたててお味噌汁を啜ってみたけど、サイラスさんからは何の反応もないから、虚しくなって止めた。
(……昼間はるかさんが言っていた事、気になっているんだけどなぁ)
こんな噂聞いたんですけど、と冗談交じりにサイラスさんに確かめてみようと、何度も思った。でもそのたびにためらいが勝って、何も聞けないでいる。そのせいでいつもより口数が減っているのだろう。サイラスさんに黙ってお寺に行った罪悪感も、まだ胸の底でくすぶっているし。
「ごちそうさん」
「あ、はい」
夕飯を食べ終えたサイラスさんは、食器を台所に片づけてくれる。ついでにわたしが洗い物をしやすいようにと、台所の傍の行燈に火をいれてくれた。口と性格は悪くても、こういう所は優しい。
やっぱり、サイラスさんがわたしを騙しているとか、薬の材料として利用しようとしているとか、思いたくない。
「――サイラスさん」
お寺の和尚さんがしていたという噂を否定してほしい。その一心で、お箸を置いてサイラスさんに向き直る。
「川下にある古いお寺の和尚さんの事、知っていますか?」
「和尚?」
行燈の明かりに照らされたサイラスさんの顔が歪む。そこには、色濃い不快感のようなものが混じっていた。
思わぬ反応に戸惑うわたしをじっと見ていたサイラスさんは、大きな溜息を吐く。
「遠出すると言っていたのは、寺に行くからか」
「は、はい。……ちゃんと目的地を言わなかったのは、悪かったと思ってます」
「どこに行こうが夏海の自由だ。ただ、自ら危険に飛び込むような真似は控えろ」
「危険? あのお寺が?」
「ああ」
きっぱりと言い切ったサイラスさんは、苛立たしげに金の髪をかき上げる。俯いたせいで彫りの深い顔に影が落ち、表情が見えにくくなった。
どうしてそこまで不機嫌なんだろう。わたしの身を案じてくれるのは嬉しいけど、それだけじゃない。何かがある気がする。
「……サイラスさんは、和尚さんとお知り合いなんですか?」
「誰があんな胡散くさい奴と」
わたしの言葉尻に、サイラスさんの言葉がかぶった。よほど和尚さんが嫌いらしい。
サイラスさんがここまで感情を露わにするのは珍しいけど、サイラスさんが語る和尚さんの人物像と、はるかさんやウキョウさんから聞いた印象は随分違う。真逆と言っても良い。
一体どっちが本当なんだろう。身内には親切で、それ以外には当たりがキツイとか?
「その顔では性懲りもなく、また寺へ行きそうだな」
「う」
真実を確かめるためにも、和尚さんに会ってみようと考えていた。はるかさんとまた会う約束もしているし。
何も言えずにだらだらと冷や汗を流している間に、サイラスさんの目力が攻撃力を増していく。し、視線が痛い……。
「――あの寺では、たびたび人間が消えるそうだ」
「お寺を出て独り立ちしたから、とかじゃなく?」
「和尚が食っているという噂もある」
「…………」
まさか、と言ったつもりが、擦れて声になってなかった。
サイラスさんが言った事が本当だとしたら、はるかさんたちは和尚さんに騙されている事になる。はるかさんは、和尚さんたちのおかげで立ち直れたって言っていた。お寺の人たちもみんな和尚さんの事をすごく尊敬していたのに。
はるかさんの嬉しそうな笑顔が思い浮かんで、胸が苦しくなる。和尚さんが悪い人であって欲しくない。でも、サイラスさんがそんな嘘をつく理由はないし――
「家族だなんだと綺麗事を吐く奴は信用ならない」
冷たく吐き捨てられた言葉に、かちんときた。
「なんですか、それ」
サイラスさんを睨むと、凍てつきそうな目で見返される。背筋がぞくりとして唇がわなないたけど、サイラスさんの言葉は受け入れがたい。
「家族を大切に思って、何が悪いんです? 血の繋がりがあってもなくても、種族が違ったって、お互いを尊重して支え合う……そういう人の繋がりを、サイラスさんは否定するの?」
「そういうお前は俺の価値観を否定するのか? 家族は大事だと自分勝手な考えを押し付けて」
「わたしは……っ」
言葉が続かず、ぐっと唇を噛む。
わたしにとって家族は、暖かくて特別な存在だ。口うるさくて面倒くさいと思うこともあるけど、お父さんもお母さんも好きだし、遠くに住むおじいちゃんおばあちゃんだってそう。わたしがみんなを大切に思うように、みんなもわたしを大事にしてくれている。
でも親を嫌う友達もいるし、ニュースでは家族の不和が原因の事件も多々報じられているから、全部の家族がそうだと決めつけるつもりはないし、無条件に信じろ、大切にしろと言うつもりも毛頭ないけど……。
「忠告を聞くも聞かぬも好きにすればいい。だが、俺に手間をかけさせないでくれ」
抑揚のないサイラスさんの言葉が、衝撃をともなって心臓に突き刺さる。まるで崖の上から突き落とされたみたいな感覚に、身体がすーっと冷たくなった。
外套を手にしたサイラスさんが「出かけてくる」と言って家を出ていっても、何も言えず……しばらくその場から動けなかった。
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