第六話 自警団のオオカミ男
ガラの悪いカラスとのんびりしたツキノワグマに連れて来られた自警団の詰所は、どこの組ですか? と聞きたくなるくらい、怖い人だらけだった。一つ目のスキンヘッドの妖怪とか、毛むくじゃらの身体に無数の金属の輪を結び付けた妖怪とか……見ているとうっかり目が合ってしまいそうで、慌てて目を伏せる。
「団長。この人間がリョウガエ屋と揉めてたんで、しょっ引いて来やした」
前へ進み出たカラスが団長とやらに事情を説明する間、土間に直接正座させられたわたしは一切の口出しも許されず、強面のお兄さんたちから注がれる突き刺さるような視線にただただ耐えていた。
「――で。
尊大そうな物言いに顔を上げると、土間から一段高い場所であぐらをかき、傍にある机に頬杖をついているオオカミ男と目があった。彼が自警団の団長なんだろうか。
見た感じ二十代半ばくらいで、座っていてもかなり大きい。二メートルくらいありそう。赤地に黒い竹が描かれた派手な着物の胸元は大きく開いていて、肩には虎の毛皮らしきものを掛けている。いかにも
無造作に布を巻いた頭から生えている灰色のオオカミの耳や、畳の上で左右に動いているふさふさの尻尾だけを見れば可愛さもあるけど……残念ながら筋肉質でいかつい身体や横柄な態度が、全力でそれを駆逐している。
「おい、聞いてんのか!」
灰色の目に睨みつけられて、全身がびくっと跳ねた。前にサイラスさんの事をマフィアみたいだと思ったけど、甘かった。本物がここにいた!
「聞いていますすみません!」
一瞬見えた鋭い牙にますます怖じけつつ、慎重にさっきのカラスの報告――リョウガエ屋ことガマガエルの言い分を訂正する。
「わたしがあのガマガエル、さんを殴ってしまったのは、本当です。けど、壺とかは壊していないですし、盗ってもいないです。断じて」
ガマガエルがしたと言う話は大人しく聞いているのが耐えられないくらい、酷いものだった。わたしが勝手に屋敷に侵入して、ガマガエルの宝を盗もうとした。悪事が露呈すると今度は宝を壊した、なんて……。挙句の果てに、わたしが暴言を吐いたとまで言ったらしい。あのガマガエルめ……!
「屋敷内に入ったのは認めんだな?」
「庭へは、ぼうっとしていてうっかり入ってしまいましたけど、家の中へはガマガエルさんに無理やり連れて行かれて、です。良い物を見せてやる、って言われて」
「宝を壊していないっつう事を証明出来るか?」
「それは……貧乏性だから気をつけていた、としか。あと、壊したりしたらガマガエルさんが後でうるさそうだな、と思って」
オオカミ男の質問に正直に答えていくけど、これで良いんだろうか。コウブツ屋の天邪鬼の件があるから、いまいち不安が拭えない。
「何かが壊れるような音はしたか?」
「それは……」
逃げるので夢中で、あまりよく覚えていない。ただ、
「わたしに飛びかかって来たカエルたちが、甲冑や箱の山に突っ込んでいたような気はします」
「わかった」
何事か考えるふうに、オオカミ男は目を伏せる。それきり、黙ってしまった。
家の人を――サイラスさんを呼んでもらえませんか、ってお願いしたいけど、真剣なオオカミ男の様子を見ていると言い出すのをためらってしまう。
「――この子、良い匂いがするよね」
ぼそっと、背後でツキノワグマの声がした。
「そうかぁ? 草っぽい匂いしかしねぇぞ」
誰かに鼻を寄せられた気配に、うなじの辺りがぞわっとする。右後ろの方からは何かを咀嚼するようなくちゃくちゃとした音も聞こえてくるし。これはアレだろうか。『後でお前を食ってやるよ、うへへ』という無言の圧力か……。
切実に、今すぐ帰りたい。ここに来る
「とりあえず、手前は一晩泊まっていけ」
「え……」
家に帰った後の事ばかり考えていたから、オオカミ男の言葉をすぐには理解出来なかった。頭が動きだすと共に、口の中が乾いて、指先が冷たくなる。
「帰、らせて、もらえないんです、か?」
おずおずと問うわたしを、オオカミ男はなにふざけたこと言ってんだ? というような目で見下ろす。そういう目で見られると、さもわたしが間違っているみたいで……居心地が悪い。
「オレらの縄張り荒しておいてただで済むと思ってんのか? そりゃ随分甘ぇんじゃねぇか、お嬢チャン」
オオカミ男が馬鹿にしたふうに笑う。わたしの後ろにいる団員たちも野卑な感じでげらげらと笑いだした。
(確かに、殴ってしまったわたしが悪いけど……)
あれは正当防衛だ。捕まったら売られていた。そうなればきっと、命の保証はなかっただろう。そう訴えたいのに、言葉は喉につっかえて出てこない。
ガマガエルの誘いを断り切れず家の中へ入ってしまった負い目もあるし、何より今の状況が――周りは見知らぬ男の人たちばかりで、誰もわたしの味方じゃないのが、今更ながらに恐怖をもたらした。
人間に優しくないこの世界で問答無用で食べられることなく、一晩の拘束で済むのはむしろ温情なのかもしれない、なんて弱気な考えも浮かんでくる。自警団の人たちが約束を破らない保証は、どこにもないけれど。
(どうしよう……)
いつもより早い間隔で鼓動を刻む心臓を押さえた時、前にサイラスさんとした会話が思い出された。
『法律とまでいかなくても、掟みたいなものはないんですか? 他人のものを盗っちゃいけません! とか』
『ない』
『うぅ……無法地帯』
あれは裏を返せば、何にも縛られず各々が自由に”ルール”を決められるって事でもあるんじゃないだろうか。たとえば気に入らない奴を排除して良いとか、思い通りに行かない奴は力でねじ伏せていいとか……力のある集団がそういう決まりを設けていたら、個人ではきっと太刀打ち出来ない。
自分でした想像に怖くなって、甚平を握る手に嫌な汗が滲んだ。
「可愛そうに震えちゃって」
「オレらが楽にしてやろうか? あ?」
愉しそうに揶揄してくる妖怪の声がひどく不快だ。首を横に振るしか出来ない自分がもどかしい。もっとちゃんと主張しないといけないのに。
「こんなチビの小娘食った所で腹の足しにもならねぇ。それよりも――」
オオカミ男の声と共に、空気が動く気配がする。こわごわ顔を上げると、オオカミ男がパキパキと指を鳴らしながら土間に降りて来てくる所だった。
「オレらに嘘をついたあの業突く張りのカエル野郎にも、礼をしねぇといけねぇな」
灰色の目がぎらりと光り、鋭い牙が剥かれる。オオカミ男の加虐的な笑みに、やる気に満ちた団員たちが雄叫びを上げた。その声が耳鳴りみたいにわんわんと響く。
「ついて来い」
わたしの目の前に立ったオオカミ男が詰所の奥――暖簾がかかった場所へ向けて顎をしゃくる。着いて行けばきっと、このまま一泊させられてしまう。それは避けたいのに、頭も舌も空回りするばかりで何も出来ない。
「早くしろ」
「いっ!?」
強引に二の腕を引っ張り上げられる。だけど足がしびれていてまともに立てず……あろうことかオオカミ男の足に縋りついてしまった。
「あぁ?」
(ご、ごごごごごごめんなさい!!)
目の前にある硬い太ももから離れたいのに、ジンジンと疼く足の痛みで身じろぎ一つ出来ない。声すら出せない。
「手前ぇ……ふざけてんのか!?」
自警団の誰かが背後で怒鳴る。決してふざけているわけじゃない。そう見られても仕方ないかもしれないけど……ああ、だめだ。今のわたしはすごく弱気になっていて、いつもの調子が出ない。
「ごめ、なさ……っ」
ようやく声が出ても、気を抜くと嗚咽が混じってしまいそうで喋れなかった。泣きたいわけじゃないのに勝手に涙が滲んで、オオカミ男の赤い着物に染みる。情けなさに、さらに涙腺が緩んでいく。
「ひゃ!?」
突然甚平の襟を掴まれ、身体が持ち上げられる。露わになったお腹と背中がすーすーするなか、土間から浮いた自分の足を見つめていると、すぐ傍で溜息が聞こえた。
「団長! そいつぶち込むならオレらがやります」
「いい。こいつにも一言言っておきたいからな」
オオカミ男はわたしの首根っこを掴んだまま、ずんずん歩いていく。
家の端にあった暖簾を潜り、真っ暗な通路をしばらく行くと、錆びた扉を開ける時のようなギギギという音がした。
「おらよ」
「わ……っ!? い、痛い……」
荒っぽく放り投げられ、ささくれた畳らしきものに顔をぶつけた。ひりひりする鼻や頬を押さえている間に、背後で乱暴に扉が閉められる。
「大人しくしてろよ。まぁ、出来たらの話だが」
不穏な言葉を残して、オオカミ男が去って行く。大股の足音が遠ざかり、唯一の出入り口に板戸が引かれ――一切の光が絶たれた。
完全な暗闇の中では自分の手すら見えない。あちこち手探りしていると、部分的に湿っていたり、何かの
もしかしてここは、座敷牢なんだろうか。淀んだ空気はかび臭く、少し肌寒い。
(ああ、本当に捕まっちゃったんだ)
身体中から力が抜けて、鉄の棒を掴んだ手に頭を預ける。目を瞑っていても開けていても黒一色の世界は変わらない。呼吸をするたび、まるで周囲の闇が体内に浸食してくるみたいに、じわじわと冷えていく。
(何も見えない。何の音もしない……誰もいない)
この妙な世界に迷い込んでしまった時は、混乱や恐怖の方が強かった。その後もサイラスさんが居候させてくれて、なんだかんだと面倒を見てくれたから。家族や友人を恋しく思っても、孤独に苛まれることはなかった。
でも今は、どうしようもなく辛い。独りがこんなに怖いなんて、知らなかった。
縋るように首元のスカーフを握りしめて、はっとする。サイラスさんに頼りすぎないようにと思っていたはずなのに、結局はすごく依存してしまっている。カラスとツキノワグマに連行された時だって、サイラスさんに助けてもらおうと考えた。
何が迷惑かけたくない、だ。自分の身勝手さが嫌になる。
ぎゅっと強く目を閉じれば、瞼の裏に両親や友人たちの顔が浮かぶ。皆の所へ帰りたい――でも未だに猫は見つからないし、他の手がかりもない。ままならない事ばかりのやるせなさに唇を噛めば、微かに血の味がした。
目が覚めたら、全部夢だったらいいのに――いつもサイラスさんの家の薬草の匂いがする布団のなかで、眠りに落ちる前にそう思っているけど。一度だって叶ったことはなかった。
---+---+---+---+---+---+---+---+---+---
ぼんやりした意識のなかで、ぎしぎしと軋むような身体の痛みを覚えた。どうやら鉄格子にもたれたまま眠ってしまったらしい。凝り固まった身体をゆっくりのばしていると、遠くの方が微かに明るくなった。次いで、二種類の足音が近づいてくる。一つは草履みたいな軽さで、もう一つはぽっくりを履いているような音だ。
「今回の夜は短すぎねぇか?」
「文句なら
男の方は自警団団長のオオカミ男だけど、女の人の声に聞き覚えはない。そろそろと視線を上げると、二つの手燭の明かりが目にしみた。
「あんた、大丈夫かい?」
衣擦れの音がして、光のなかに黒い猫耳のお姉さんが現れる。長い三つ編みを片側に垂らした彼女の目は紫色で、瞳孔は縦長だった。左目の周辺に火傷の跡があるものの、はっきりした目鼻立ちの美人さんで、目尻の赤いアイシャドウと同じ色の鮮やかな口紅が目を引く。
しゃがんでいるためはっきりとは見えないけど、紫色の振袖には蝶や彼岸花が描かれているみたいだ。足元では二本の黒い尻尾が揺れている。
(だれ……?)
口を開いたものの乾いた喉から声は出ず、咳き込んでしまった。
「ったく、女の子をこんな所に入れるんじゃないよ」
三角の猫耳をぴんと立てた女の人は、腕を組んで仁王立ちしているオオカミ男を睨みあげる。当のオオカミ男は「へーへー」と気のない返事をして、錆び気味の座敷牢の扉を開けた。
「さぁ、出ておいで」
猫女さんが柔和に笑って、手を差しのべてくれる。彼女からはほんのり甘いお香のような匂いがする。暖かさと匂いとにひかれるよう手を重ねると、思いのほかしっかりと握り返され、牢の外へと連れ出された。
「ありがとう……ございます」
「いいんだよ。それより、歩けるかい?」
「はい。大丈夫、です」
「そりゃ良かった」
細くて白いお姉さんの手が離れる。その爪先を追いかけそうになって、慌てて引っ込めた。子供じゃあるまいし、手を繋いでいたいなんて。
(独りになって、よっぽど参っていたんだろうな……)
ふと、今まで入っていた座敷牢を振り返る。オオカミ男が掲げた
「うわぁぁあぁぁあ!!」
思わず猫耳のお姉さんの後ろに隠れた。
「なっ、あ、ぅあ、あぁぁ!!」
「なんだ、今頃気付いたのか?」
にやにやしたオオカミ男が背を屈め、わたしの顔を覗き込んでくる。すっごい嫌味な表情に一言もの申したいけど、今はとても余裕がない。
ついさっきまでわたしがいた座敷牢は、所々畳が黒く変色しているわ、無数のひっかき傷みたいなものはあるわ……元は白かっただろう壁にも蜘蛛の巣状の亀裂が入っている。一体ここで昔何があったのか……考えるのもおぞましい。一晩あそこで過ごした事をなかったことにしたい。
「カイト。いじめるんじゃないよ」
カイトというらしいオオカミ男をたしなめた猫耳のお姉さんは、わたしの背を軽く押して、暖簾の外へ促してくれた。
自己紹介もそこそこに、猫耳のお姉さんことヤヨイさんが着替えやお風呂を貸してくれた。おかかとお醤油を混ぜたおにぎりまでごちそうになると、心身共に満たされて……昨日の夜挫けそうになっていた気持ちが回復してくる。
「うちの連中がすまないね」
「いえ。こちらこそ色々とありがとうございました」
昨日取り調べを受けた部屋で向かい合わせに座り、ヤヨイさんが淹れてくれた温いお茶を飲む。地獄で仏に会ったよう、とはこういう事なんだろう。
(はぁ……。生き返る)
両手で持った湯呑みをちびちび傾けていると、ヤヨイさんが
「吸っても良いかい?」
「どうぞどうぞ」
「悪いね」
色っぽく笑ったヤヨイさんは、手慣れた様子で刻んだ葉っぱのようなものを煙管に詰め、火鉢に近づける。燃え差しの墨の端っこに微かに残っていた炎がにょん! と伸びて、煙管の先端を撫でるようにして火を着けた。
「ところで夏海」
「はい」
「あんたなんだろ、クスリ屋に居候している人間ってのは」
ゆっくり味わうように煙管を吸ったヤヨイさんは、断定的な聞き方をしてくる。
わたしが初めてサイラスさんに会った時、「わたしはこの人のものですから!」って大勢の妖怪の前で宣言したし、サイラスさんのおつかいであちこち行ったから、それで噂になったんだろうか。
「はい、そうです。……ヤヨイさんは、サイラスさんとお知り合いなんですか?」
「少しね。しかしまぁ、捻くれもので他人と関わる事を厭うあの男が、人の世話をするとはねぇ」
感心したふうに言って、ヤヨイさんは楽しそうに目を細める。
確かにサイラスさんは人との関わりに消極的だ。クスリ屋のお客さんやご近所さんに対して不愛想でにこりともしないし、わたしに対してもすごく意地が悪い。優しい所がないわけじゃないけど、大抵斜に構えている。
それに、サイラスさんは自分自身にも関心がない節がある。二、三回ご飯を抜いても平然としているし、肉食植物の採取中に噛みつかれて出血しても全く頓着しない。
(なんだかサイラスさんを見ていると、何もかも諦めているみたいな感じがする時があるんだよね。上手く言えないけど……陰があるというか、淡々とし過ぎているというか)
クスリ屋の仕事もやりがい云々よりも、どこか機械的な印象を受ける。わたしがうっかり埃を立てたり、触っちゃいけないものに手を出しそうになると、眉間に深い皺をこさえて注意されるから、手を抜いて適当にやっているわけじゃないんだろうけど。
(サイラスさんの過去に、何かあったのかな。聞いてみたいけど……不用意に他人に立ち入られたくないよね)
自制を決めたとき、胸に小さな痛みが生じた。相手の事を知りたい気持ちを抑えるのは、やっぱりちょっと寂しい。
「あいつに変なことされてないかい?」
ヤヨイさんに話しかけられて、はっと我に返る。
「だ、大丈夫です。色々と、良くしてもらってます。……むしろ、迷惑ばかりかけてしまって申し訳ないくらいですし」
ぼそぼそと自分の不甲斐なさを付け足すと、ヤヨイさんは「おやまぁ」と小さく目を瞠った。
「あの男がそんな事をねぇ」
煙管の灰を落としたヤヨイさんの猫耳が、ぴくりと動く。縦長の瞳孔をした紫色の目には、好奇が滲んでいるようだった。
「夏海はあの堅物に、どんな迷惑をかけたんだい?」
「……焦げたご飯や魚を食べさせたり、台所を煤だらけにしたり、着物を洗って色落ちさせてしまったり」
指折り数えるたび、改めて酷い失敗だと思う。よく愛想を尽かされなかったなぁ。嫌味や呆れたふうな溜息だけで済んでいるのだから、サイラスさんの心の広さは計り知れない。
「おはようございます! 姐さん!」
威勢の良い声と共に、詰所の入り口から四、五人の男たちが入って来る。昨日見た自警団の団員たちだ。昨日の今日で顔を合わせづらくて、こそこそと顔を逸らす。
「ああ、おはよう」
ヤヨイさんが優雅な所作で煙管を持ち上げ、団員に応える。
「……あねさん?」
こっそりヤヨイさんに問うと、わたしに流し目をくれた。
「アタシはただの留守番なんだけどね」
「何言ってんすか。団長のお姉さんを気安くは呼べませんよ」
そう言う団員は、わたしたちの奥――壁に寄りかかって片膝を立てているオオカミ男を見遣る。
「団長の、お姉さん……」
目つきの悪い横柄なオオカミ男と、綺麗で優しい猫耳のお姉さんが姉弟……なんてことだ、全く似てない! 派手な恰好をしている所は共通しているけども。
じっとオオカミ男――確かカイトって名前の人を見ていると、不意に目があった。
「んだよ」
「いえ何も!」
凄まれて、ぶんぶんと左右に首を振る。
(しかし見れば見るほど似てないなぁ。カイトはヤヨイさんを見習えばいいのに)
そんな事を考えていると、がしっ! と頭を掴まれた。
「ぎゃ!」
「手前、人の顔見てにやけてんじゃねぇよ」
いつの間に距離を詰められたのか、目の前には不敵な笑みを浮かべたオオカミ男がいて、大きな手でわたしの頭をぎりぎりと締め付けてくる。
「めめめ滅相もない! にやけてな……いたたたた!」
頭が、割れる……!
「自分の立場わかってんのか? 手前なんぞ細切れにするなり喰いつくすなり、どうとでも出来んだぜ?」
「ごっ、ごめんなさいぃ!!」
カイトの手を叩いて離してくれるよう訴えるも、逆に力が強くなる。ちょ、これ以上は……ほんとまずい。中身が出る……!
「そこまでにしときな、カイト。お客さんのお着きだよ」
「チッ」
ヤヨイさんのおかげで、カイトの責め苦から解放された。助かった……。痛みの余韻が残る頭を擦っていると、外の方から「失礼」と聞きなれた声が聞こえた。
「こちらでうちの居候がやっかいになっていると聞いて、引き取りに来た」
詰所に現れたサイラスさんは相変わらずの無表情だ。でも今はその素っ気なさが懐かしくて、胸にこみあげてくるものがある。
「サイラスさ」
「よぉクスリ屋」
「ん?」
駆け寄ろうとしたわたしの前に、虎の毛皮――オオカミ男が割って入る。なんだか不穏な空気が流れてるような……。
「あの、カイト……さん?」
そろそろと声をかけるも、オオカミ男は大股でサイラスさんに近づき、
「どういう企みがあってこのガキの世話してんのか知らねぇが、
「……す、すみません」
人通りの多い所を逃げたときは、確かにいろんな人に迷惑をかけてしまった。もう一つの方は嘘つきというか無茶な事いうクレーマーみたいだけど……そんな事で自警団の人の手を煩わせていたなんて。わたしの存在自体が公害みたいで堪える。
「あんたが気にする事ないよ。妖怪から逃げるのは命がけだろうし、文句言ってくる人らをいなすのもアタシらの役目だしね」
「でも……」
項垂れるわたしの肩に、ヤヨイさんが優しく手を置く。その優しさが嬉しくて、でもやっぱり申し訳なさもあって。きっと苦笑いみたいな顔になってしまっているだろうけど、「ありがとうございます」とお礼を言った。
「さぁ、お行き」
ヤヨイさんに促されて靴を履き、サイラスさんの傍へ行く。
手を伸ばせば届く距離も、見上げるくらいの身長差も、苦そうで甘そうな不思議な薬草の匂いも。何もかもが「あぁ、これだ」としっくり来る。いつの間にか、傍にサイラスさんがいるのが当たり前になっていたんだなぁ。
「サイラスさん、あの」
「帰るぞ」
サイラスさんはわたしの後方にいるヤヨイさんに目礼し、踵を返す。戸惑いがちにその後を追おうとしたとき、出入り口横で腕を組んでいたカイトが「気に入らねぇ」と忌々しそうに呟いた。わたしと目が合うと、カイトは舌打ちして詰所の奥へと姿を消してしまった。
「夏海」
「はい」
ヤヨイさんに呼ばれて、振り返る。
「何か困った事があれば、いつでもおいで。話し相手が欲しい、ってのも大歓迎さ。お茶と菓子を用意しておくよ。カイトにも噛みつかないよう、よぉく言っておくから」
ひらひらと手が振られ、ヤヨイさんの着物の袖に描かれた蝶が小さく揺れる。親や先輩よりも身近で気安い――お姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかな。
「はいっ、また今度遊びに来ますね!」
頬が緩むのを感じながら、ヤヨイさんに元気良く手を振り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます