第五話 コウブツ屋とガマガエルと
サイラスさんの家を出る頃には、雨は上がっていた。
からりと晴れた空の下、二階建ての木造商店の前では、尻尾が複数ある狐と狸がじゃれていた。なまこ壁の土蔵にはヤモリが張り付き、黒い犬がそれを狙う。
「うちの畑もそろそろ、化け亀のじいさんに雨ごいしてもらわないといけねぇな」
「だがじいさんも歳だからな。三日は無理じゃないか?」
和服姿の住人たちが何やら話している。化け亀? 雨ごい? ここでは雨をコントロール出来る妖怪がいるんだろうか。
「知れば知るほど変な場所だなぁ」
土の道に点々と残る水たまりに、前触れもなく波紋が広がる。そこからひょっこりと魚が顔を出して、すぐに引っ込んだ。かと思えば別の水たまりから丸々太った金魚が現れて、宙を泳いでどこかへ行ってしまった。
この水たまりはどこへ繋がっているんだろう。足を踏み入れてみたいような、そうでもないような。
「わしの家がないーっ!?」
「ん?」
いななきみたいな絶叫に振り返ると、家と家の間にある空地で人身馬頭の妖怪が頭を抱えていた。白いワイシャツと黒いズボンなんて久しぶりに見たなぁ。元の世界では毎日当たり前のように見ていたのに。
「誰ぞ、わしの家を知らんか?」
わたしが郷愁に駆られている間も、馬頭の人は右往左往していた。
そういえばここでは道だけでなく家も移動する、ってサイラスさんが言っていたっけ。なんでも雑に扱うと、家主だけを残して夜逃げしてしまうとか。朝起きて家も家財道具も消えていたら、相当びっくりするだろうな。
(……何か、手伝えないかな)
馬頭の人の嘆きっぷりはあまりにも悲哀じみている。声をかけてみようと近づいたものの、その人は一足先にどこかへ走り去ってしまった。濡れた地面を四つん這いになって……。あああ、白いシャツが悲惨な事になりそう。
ものすごい勢いで小さくなっていく馬頭の人を見送りながら、とりあえず中途半端に持ち上げたままの手を下ろす。お家が見つかるといいですね。
(――わたしも猫を探さないと)
足元を駆け抜けていく色とりどりの子鬼たちを避けつつ、辺りを見回す。明るく暖かそうな場所、高い所。そういう所へ目を向けるなかで、物陰からこちらを窺っている人をちらほら見かけた。
サイラスさんがくれたスカーフのおかげか、今日は妖怪に追いかけられない。傍に寄って来る事もないから、もしかしたら食欲減退以上の効果があるのかも。サイラスさん様様だ。
(しかしコウブツ屋の件は、またしてもサイラスさんにからかわれた気がする)
紫水晶は売り切れだと言うから「そうなんですか」と相槌を打ったら、「三十二個あるよ」と返ってくる。
「じゃあ十個下さい」
「嫌だ」
「え?」
「何コイツ、って思ってるでしょ」
「いえ、そんな事は……」
「五個なら売ってあげる」
「あ、はい」
「やっぱりだめ」
――といった具合で、散々弄ばれた。サイラスさんに頼まれた数を買うのに、何度不毛なやり取りをしたことか。精神的に疲れた。
(この辺りで白黒の猫を見たって話も、本当かどうか……)
天邪鬼の言葉を信じるのはリスクがあるけど、今は藁にも縋る思いだ。
シタテ屋だのシュウフク屋だの職人さんがいそうなお店や、
でも、バクみたいな柄の猫は一向に見つからない。
「ここにはいないのかな……」
サイラスさんは猫は町のどこかにいる、たまに家にも来る、って言っていたけど、もし猫が世界間を自由に行き来できるなら、わたしがいた世界に行っている事もあるんじゃないだろうか。わたしを丸飲みにしたのも向こうの世界だったし。
なんで猫にそんな事が出来るのか、他にそういう事が出来る人がいるのかはわからないけど、このまま猫も帰る方法も見つからなければ、わたしは一生ここで過ごさなければならないのかな。向こうで何日経っているのかも、わたしがどういう扱いになっているのかもわからないままに。
ふと、両親や友人たちがわたしを呼ぶ声が耳の奥に蘇る。身を斬るような切なさが心臓を圧迫し、どうしようもなく泣きたくなった。
(泣いちゃだめだ。泣いても何も解決しない)
目もとにぐっと力を込め、胸を押さえた時。不意に目の前が陰った。
「……?」
俯いていた顔を上げると、イボだらけのガマガエルのドアップがあった。
「きゃああぁぁあぁ!?」
ゴキブリや蜘蛛ほどじゃないけどカエルは苦手だ。出来れば関わりたくない。どこから湧いて出てきた!?
半狂乱で周囲を見回すと、枝ぶりの良い松や大きな岩、石灯籠などが配された庭の様子が目に入る。羽織袴のガマガエルの後方には、平屋の立派なお屋敷も見えた。
嫌な予感にかられつつ後ろを振り返れば、裏口らしきこぢんまりした門があった。どうやらぼうっと歩いている間に、どこかの家に侵入してしまっていたらしい。
(これはさすがに、呆れられるだけじゃ済まなそう……サイラスさんに叱られる)
こめかみを伝う冷や汗を感じつつ、一歩下がって頭を下げる。
「申し訳ありませんでしたっ!」
そのまま振り返り様に撤退しようとするも、むっちりとした手に腕を掴まれた。
(いやああぁあああぁぁぁあぁ!!)
感触が、カエルの手がああぁぁ!!
今すぐ振り払って逃げたいけど、ガマガエルがじっとこちらを見ている。こ、怖い……気持ち悪い…………。
「生きている人間など久方ぶりに見た。うむ、これも何かの縁だ。特別に良いものを見せてやろう!」
「いえ結構です」
きっぱり断るも、ガマガエルは全く聞く耳を持ってくれない。あれ、カエルって耳あるよね?
「あ、あの……折角ですけど、わたし早く帰らないと」
「よいではないか、よいではないか」
悪代官か!? 確かに恰幅良いし、服装もはまっているけど。謹んでご遠慮願いたい。
そんなわたしの願いと抵抗も虚しく、ガマガエルにぐいぐい引っ張られるがままにお屋敷に連れ込まれ、広い廊下を幾つも曲がって、ガマの穂や水辺の風景が描かれた襖の奥へ通された。
イ草の匂いがする畳の間は、サイラスさんの家の居間の二倍くらいある。そこら中に細長かったり正方形だったりする箱が山積みされていて、古そうな甲冑や刀みたいなものもたくさん置いてあった。
「この掛け軸はさる猿の巨匠が描いたものでな」
「さるさる?」
及び腰のわたしを置き去りに、ガマガエルは自慢気に語り倒す。
やれ大モグラが作った一点ものの壺だとか、やれ赤鬼が丹精込めて作った太刀だとか……。芸術品はよくわからないけど、モグラがどうやって成形したんだろう、とか、太刀を佩いた鬼に追いかけられたら生き残れる気がしないなぁ、とか。ツッコミには事欠かなかった。
(そろそろ帰りたいんだけどなぁ……)
ナマズがヒゲで描いたという菖蒲の絵の説明を受けながら、抑えきれなかった欠伸を噛み潰す。タイミングを見て「お暇させて頂きます」と言いたいのだけど、ガマガエルに隙がない。
どうしたものかと溜息を吐きかけたとき、ガマガエルがぐっと顔を寄せてきた。
「ひっ……!?」
出かけた悲鳴を飲み込んで、少しでもガマガエルから離れようと仰け反る。
至近距離でじっとわたしを見ていたガマガエルは数回瞬きをしたのち、弓なりに目を細めた。
「お主を売ればさぞ良い物が買えるだろう。生け捕りならば良い値段になる」
背筋がぞわっ! と震える。二重の意味で気分が悪い。
「わ、わたしはこの辺で――」
口を押え踵を返そうとした所で、
「出合え出合え!」
ガマガエルの声が響き渡った。間髪を入れず、使用人らしき多種多様なカエルがわらわらと集まって来る。もうやめてこれ以上カエルは見たくない!
「大事な商品だ、傷つけるなよ」
横柄に命じるガマガエルが憎い。出来る事なら、断れずにのこのことこんなところまで来てしまった過去の自分をも殴り飛ばしたい。
「かかれ!」
「うわああぁあぁ!!」
あちこちから一斉にカエルが飛びかかってくるのを、身を捻ったりしゃがんだりして懸命に避ける。カエルに抱き着かれるなんて冗談じゃない!
ガマガエルの宝を蹴っ飛ばさないよう気を付けながら広い畳の間を駆け抜けて、ようやく廊下に出られたと思っても。そこにもカエルたちが控えていた。このお屋敷どれだけカエルがいるの!?
「待て!」
「大人しくしろ!」
「いーやーでーすー!!」
もうなりふり構っていられない。カエルに足払いして転ばせ、傍にいたカエルを盾にして、ひたすら外を目指す。頭の中にニンギョウ屋の老婆が手招きする不吉な絵が浮かんだけど、全力で打ち消した。ぜったい再会なんてしたくない。最後に見たのがガマガエルや皮と骨の老婆だなんて最悪だ。
「ええい何をしている! 役立たず共が!」
別のルートを通って先回りしたらしいガマガエルが、正面からどたどたと走って来る。その形相は鬼気迫るものがあった。金の亡者ってこういう人の事を言うんだろう。
(まずい!)
ガマガエルが中腰になって、後ろ脚に力を入れる。飛びかかられる! と思った瞬間、思わず右腕が動いていた。
「げふこっ!?」
「あ」
ガマガエルの横っ面に、わたしの右ストレートが綺麗に入る。カエルって意外と乾燥してるんだ。陸にいれば乾燥もするか――なんて現実から目を反らしているうちに、磨き抜かれた廊下にガマガエルが不時着した。
白っぽいお腹を見せて倒れているガマガエルを見て、周囲のカエルたちが騒然とする。「しっかりしてください旦那!」「お気を確かに!」としきりに声をかけ、助け起こしている。
「ご、ごめんなさい。つい……」
グーじゃなくて、パーにしておけばよかった。カエルに触れた手を甚平で擦りつつ、そろそろと縁側へ向かう。殴ってしまった申し訳なさはあるけど、この隙を逃す手はない。
「き、ききき貴様ぁ~~!!」
起き上がったガマガエルは顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えている。だいぶご立腹らしい。
「生け捕りでなくて良い、手足などもいでしまえ!!」
「うわぁぁあ! それは困ります!!」
カエルたちのぎょろりとした目が再びわたしに集まる。これ以上ここにいたら本当に危ない。
縁側から庭へと飛び降りて、靴を引っ掴んで出口へと走り出す。が、
「何を騒いでやがんだ!?」
裏門の方から、ガラの悪そうな高めの声が聞こえた。次いで、幼稚園児並の身長のカラスがひょこひょこと飛び跳ねながら近づいてくる。その後を、二足歩行のツキノワグマがのんびりと着いて来ていた。
どちらも素肌の上に、銀色の糸で虎柄が刺繍された黒い長羽織を着て、下は半ズボンみたいなものを履いている。何かの制服のようなものだろうか?
(誰だろう、この人たち。カラスの方はものすごく目つきも態度も悪いけど……)
ガマガエルが舌打ちしているから、仲間というわけじゃないみたいだ。肩? で風を切るように近づいてきたカラスはわたしの頭の先からつま先まで値踏みするように見て、顔をしかめた。
「なんで人間がこんなとこにいんだよ?」
「それは」
「お前たちには関係ない。さっさとわしの家から出ていけ!」
答えようとしたわたしを遮って、ガマガエルが前へ出る。その左頬は少し腫れていた。
「あぁ? んだと」
カラスは黒い翼の先で器用に十手を持って、ガマガエルを見下す。身長的には見上げているけど……そのやるせなさは良くわかるから、言わないでおこう。
それに、カラスの左目には縦に傷が走っていた。危ない人っぽい気配がダダ漏れであまり関わり合いたい相手じゃない。
「ここいらはオレらのシマだ。騒動起こされちゃ団長に顔が立たねぇ」
「はっ、ごろつき風情が偉そうに」
睨み合うカラスとガマガエルの間には険悪な空気が流れている。使用人らしきカエルたちもカラスや熊を良くは思っていないようで、顔が険しい。
(……仲裁に入るべきか、こっそり帰るべきか)
じりじりと距離を取りつつ、そっと片手を上げる。
「あの、帰っていいですか?」
「「いいわけあるか!!」」
ガマガエルとカラスに息ぴったりに怒鳴られた。ですよねー、と苦笑いしていると、ふいにお腹の下に圧迫感が生じた。
「え? うわ!?」
いつの間に傍に来ていたのか、ツキノワグマがわたしを肩に担ぎあげた。一瞬で目の前が黒と銀の虎模様に占拠され、太ももの裏あたりに熊の手の温もりを感じる。このままの態勢でいたら、頭に血がのぼりそう……。
「お前にも話を聞かせてもらう。自警団の詰所でたっぷり」
「うひゃ!?」
「人が話してんのにうっせぇな!」
「ご、ごめんなさい!」
クマがわたしの腰のあたりに鼻を寄せているのが、すごくくすぐったい。服越しとはいえふんふんと匂いを嗅がれているのも恥ずかしくてたまらない。
「……美味そう」
「お、美味しくないですからっ! ぜったいお腹壊しますよ!?」
「おい、事情聞くまで食うなよ」
「聞いた後でも食べないで下さい!」
「ん」
カラスの言葉に頷いたものの、クマはわたしの足の硬さを確かめるみたいに手を動かしている。クマに食べられるとか洒落にならない……。せめて下ろしてもらえないかと訴えてみても、クマは首を横に振るばかりだった。
「おら行くぞ」
ガマガエルと話を終えたらしいカラスが裏門へと向かう。その後を、わたしを担いだクマがのんびり着いていく。歩幅の差があるからこれくらいの速さがちょうどいいみたいだ。
頭を上げてちらりとガマガエルの方を見てみると、悔しそうに地団太を踏んでいた。
(助かったのか、それとも状況が悪化しているのか……)
さっきのカラスの話からして、自警団の詰所とやらに連れていかれるんだろう。どんな所かわからないけど、カラスのガラの悪さからして嫌な予感がひしひしとする。
「あの、お使いの途中なので一度家に帰らせて欲しいんですが」
「ダメだ」
前を行くカラスはこちらを振り向くことなく言い捨てる。身体を起こして周りを見てみると、町の人たちは道の端に寄ってこそこそと何かを囁き合っていた。これは……もしかしてまずい状況?
さぁっと血の気が引くのを感じながら、サイラスさんに頼まれて買った石を前掛けのポケットの上から触る。
(サイラスさん心配してるかな。わたしがいなくなってせいせいしていたら、すごくショックだけど……)
自警団の詰所についたら、ドラマで良く見る「弁護士を呼んでください」じゃないけど、保護者としてサイラスさんを呼んでもらっても良いんだろうか。サイラスさんには、また多大な迷惑をかけてしまうけど。
(どうしよう)
ツキノワグマの広い背中で溜息を吐いたとき、天高くから「ぐぎょるるるるる」と
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