第四話 贈り物と気遣い

 嫌な夢を見た。

 必死で逃げて逃げて、助かったと思った瞬間、捕まった。その時の感触が手首に残っていて気持ち悪いし、頭痛までしている。最悪な目覚めだ。

 唸りながらのろのろと身体を起こして、かけ布団ごと膝を抱える。

 今日はちょっと空気が湿っぽい。閉め切った雨戸の向こうからはサァサァと微かに雨の音がしていた。


(……悪夢の原因は、絶対、昨日のニンギョウ屋だ)


 傘オバケが薬代として置いていった、赤いハイヒールを履いた女の人の足。本物そっくりのそれを買い取ってもらおうと訪れたニンギョウ屋は、一言で言えば混沌カオスだった。

 壁と床の境がわからないくらい人間の手足や、妖怪のものらしき毛深い身体、ぬめっとした触手などが山積みされていて、しかも一つ一つのクオリティがおそろしく高いから、不気味な事この上ない。

 魔境みたいなそのお店の店主は骨と皮ばかりのおばあさんで、ガイコツ!? と、思わず二度見してしまった。

 足の査定をする間、おはあさんはちらちらちらちらとわたしの方を見ていた。視線に耐えかねてサイラスさんの背中に隠れた後も、どこからか視線を感じて……背筋がぞわぞわしっぱなしだった。

 代金を受け取っていざお店を出ようとした一瞬の隙に、老人らしからぬ強さで腕を掴まれ、「お前さんの腕も買い取ろうか?」と皺だらけの満面の笑みを向けられた時には、思わず悲鳴を上げたほどだ。あの時サイラスさんが助けてくれなかったら、今頃わたしもニンギョウ屋の一角に埋もれていたかもしれない。


(嫌な事は忘れよう。思い出さないようにしなきゃ)


 頭から老婆の顔と声とを追い出して、今が何時なのかを考えた。けど、ここにははっきりとした時間の概念がないんだった。

 一日の長さは日刻鳥ひこくどり次第で変わる。日刻鳥が目覚めたら朝、お腹の音が聞こえたら昼、欠伸が聞こえたら夕方で、眠ったら夜といった具合。ただしお腹の音や欠伸はいつも聞こえるわけじゃないから、あまりあてにならない。

 居間へと続く障子からは、ぼんやりと光が漏れている。少なくとも夜ではないみたいだけど、朝になってからどれくらい経っているんだろう? 寝過ごしていないといいなぁ。

 居候の身で一つしかない寝室を使わせてもらっているのに、水汲みやごはん作りをすっぽかすなんてあってはならない。面倒を見てもらっている分、ちゃんと働かなければ。

 気合を入れるため両頬を叩いて、部屋の隅に置いたつづらから紺色の甚平を取り出す。寝間着用の浴衣と合わせて何着か買ってもらったうちの一つだ。花柄の可愛い小袖も良いなと思ったけど、一人ではとても着られないし、竈の煤や庭の土ですぐ汚してしまいそうでもったいないから、止めておいた。


「でも――」


 どうしてサイラスさんは、わたしにここまでしてくれるんだろう。

 ずっと考えていた。わたしを丸飲みした猫と関係があるってだけで、見ず知らずの小娘の面倒を見るなんて……。サイラスさんは篤志家ってわけじゃなさそうだし、他人と関わることにも消極的っぽいのに。


(聞いてみても、いいのかな)


 赤い前掛けをつけて布団を片づけていると、ふと眉間に皺を寄せたサイラスさんの顔が浮かんだ。聞いたら何かが変わってしまいそうで、怖い。


「これを飲んでみれくれ」


 障子の向こうから聞こえてきたサイラスさんの声で、はっとする。全然気が付かなかったけど、他に誰かいたらしい。お客さんかな?

 そうっと障子の傍へ寄って、少しだけ隙間を開ける。衝立の向こうには、くねくねとした肌色の何かがいた。目で辿って行くと、結い上げた髪にかんざしをさした女の人の頭に行き着く。


(ろくろ首だ!)


 怪談とかで知ってはいるけど、実際目の当たりにするとインパクトがすごい。彼女はどういう用件でクスリ屋へ来たんだろう? 気になる。でも来客中は隠れているようサイラスさんに言われているから、見つかったら大変だ。

 音を立てないよう気を付けながら、そっと障子を元に戻したとき。小さな声で「首が伸びすぎて、困っていたんです」と聞こえた気がした。どうやら妖怪も大変らしい。


(しばらくここで待機かなぁ)


 ろくろ首さんが帰らないことには、この部屋から出られない。控えめな雨音を聞きながら壁に寄りかかり、サイラスさんが声をかけてくれるのを待った。




「夏海、もういいぞ」


 うとうとしかけたところで、サイラスさんから声がかかる。

 欠伸を噛み潰しながら障子を開けると、出入り口の向こうに雨に濡れた庭の様子が見えた。


「おはようございます」

「ああ」


 文机の前に座っていたサイラスさんは横目でわたしを見て、手にしていた紙に視線を戻す。相変わらずの愛想のなさだけど、お客さん相手でもこうだったんだろうか。もう少し愛想良くすればいいのに。人をからかう時だけ嬉々としているのは性格悪いと思う。


(あ、色かぶってる)


 シンプルなものを好むらしいサイラスさんの今日の装いは、細かいストライプ模様が入った紺色の長着。同じ色の甚平を着たわたしと並ぶと、師匠と弟子みたいになりそう。本人に言うと「お前が弟子? 寝言は寝てから言え」って言われるだろうけど。


「すぐにご飯作りますね」

「いや、いい」


 台所へ行こうとしたわたしをサイラスさんが手招く。傍へ行くと、茜色の風呂敷包みを手渡された。


「なんですか? これ」

「開ければわかる」


 言われた通り風呂敷を解いてみる。中には笹の葉で包まれた草団子や、おまんじゅうが入っていた。


「うわぁ、和菓子だ!」


 草団子にはこしあんが添えてある。薄皮のおまんじゅうは白が二個、茶色が二個の四つ。どちらも作りたてなのかほんわかあったかくて、甘そうな匂いが胃袋を刺激する。美味しそう……!


「あの、これ、食べても良い……ですか?」


 甘いものは大好きだ。すごく食べたい。欲しいです!

 期待を込めてサイラスさんを見ていると、「好きにしろ」と淡泊な反応が返って来た。


「ありがとうございますいただきます!」


 やった、どれから食べよう。草団子もおまんじゅうも捨てがたい。

 迷った末、白いおまんじゅうに決めた。薄い皮に歯を立てると、中には粒あんがたっぷり入っていた。ちょっと甘すぎる気もするけど、でも久しぶりの甘味! 美味しくて幸せ。生きててよかった。


「よくそんな甘いものが食えるな」

「サイラスさんは食べないんですか?」

「いらん」


 眉間に深い皺を寄せているあたり、サイラスさんは本当に甘いものが苦手なんだろう。そういえば前に甘い卵焼き作ったら、すごい形相で睨まれたっけ。


「茶を淹れてくれ」

「了解です」


 ちょうどわたしもお茶が欲しかった。


「水汲んで来ますねー」


 出入り口の傍に立てかけてある蛇の目傘をさして井戸まで行き、汲んできた水を竈で沸かす。この作業もだいぶ慣れてきた。油断していると火傷したりするけど。


(囲炉裏使わせてくれると楽なんだけどな)


 使った火打石を片づけつつ、ちらりと囲炉裏を見る。

 サイラスさん曰く囲炉裏は製薬用で、調理には使わせてもらえない。囲炉裏の方が魚焼くの楽そうなのに。


(魚と言えば、お隣さんが切り身くれたって言ってたっけ。何の魚かわからないのは怖いけど……夕飯で焼いて出そうかな)


 献立を考えつつ急須やお茶っ葉の用意をしていると、何やら視線を感じた。この世界に来て妖怪に狙われるようになってから、視線には敏感になった気がする。


「……どうかしました?」


 振り返ると、サイラスさんは文机に頬杖をついてわたしを見ていた。真顔で見つめられると照れる……というよりは、不安になる。一つ屋根の下で暮らしていても、サイラスさんが何を考えているのか、よくわからない事の方が多い。


「今日は外へ行くか?」


 淡々とした問いに、すぐには答えられなかった。

 ニンギョウ屋での事があって、正直気は進まない。雨も降っているから逃げる時に水たまりや泥に足を取られかねないし。

 でも、猫を見つけないことには元の世界へ帰れない。


「少し、行ってみようと思います」

「――それなら」


 おもむろに口を開いたサイラスさんは、少し逡巡しているふうだった。


「使いを頼まれてくれないか。俺はこの後来客の予定があって、出られない」

「構わないですけど……どちらまでですか?」


 立ち上がったサイラスさんは薬棚から何かを取り出して、台所にいるわたしの元まで歩いてきた。


「これと同じものをコウブツ屋で買ってきてくれ」

「石……?」


 わたしの目の前で開かれた大きな手のひらの上には、乳白色の細長い石と、透明感のある紫色の石が乗っている。どちらも爪先くらいの大きさだ。


「紫の方はアメジストっぽいですね」

「っぽいではなく、紫水晶アメジストだ。白い方は鍾乳石しょうにゅうせき

「あの洞窟とかにある?」

「そうだ」

「石が薬になるんですか? それとも道具として使うとか?」

「薬になる。が、すべての者に効果があるわけではない。ある者には薬になっても、別の者には毒となるものは多々ある」

「へー。触ってみても大丈夫ですか?」

「ああ」


 鍾乳石だという白い石を摘まんで、目の高さまで持ち上げる。見た目はミルク味の飴みたいだ。ちょっと美味しそう。


「鍾乳石と紫水晶、それぞれ十ずつ必要だが、コウブツ屋には気を付けろ」

「……それは、危険人物ってことですか?」


 思わず頬が引きつる。出来る限りサイラスさんのお手伝いをしたいと考えているけど、危険な所はちょっと……ご遠慮したい。


「それもあるが」

「あるんですか!?」

「落ち着け」


 落ち着いていられますか! という抗議は、顔に緑色の布を押し付けられて封じられた。


「それを首にでも巻いておけ」

「ふぐ……な、なんですかこれ」


 この前キモノ屋で嗅いだような、そうでないような……あまり馴染のない匂いがする。柔らかい手触りと長さからして、スカーフみたいだ。鮮やかな緑色は、サイラスさんの目の色と似ている。


「その布には、食欲減退効果のある植物の汁を染み込ませてある。よほど食欲旺盛な輩でない限り、お前を食おうと襲ってこないだろう」

「……わたしのために、わざわざ用意してくれたんですか?」


 スカーフを胸に抱いて、サイラスさんを見上げる。

 サイラスさんは基本素っ気ないし、笑ったと思えば意地悪くからかってくるし、倍くらい歳が違うおじさんだし、眉間に皺が寄ると強面がパワーアップするけど……優しい所もある。なんだかんだとわたしに気を遣ってくれているし。

 感極まって、視界がちょっと滲んだ。


「お前が怪我をして帰って来ると、薬がもったいない」

「……は?」

「それに夏海は意外と使える。妖怪に壊されては不利益にしかならない」

「…………」


 わたしより薬が大事ですか!? しかも人をこき使う気でいるし。最初は「お前が何の役に立つんだ?」みたいな反応だったのに。


(でも裏を返せば、少しは認められた、って事なのかな)


 わたしを見下ろし皮肉るように笑っているサイラスさんには、正直むっとするけど。このスカーフがあれば、今までよりも安全に外を歩けると思う。

 すごく複雑な心境ではあるものの、わざわざ用意してくれたのは事実だし。ちっとも嬉しくないわけじゃない。


「ありがとうございます……と、言っておきます」


 ぼそっと付け加えたわたしの小さな反抗心は、サイラスさんに鼻で笑われた。悔しい……!


「それで被害が減るとはいえ、油断はするなよ。ニンギョウ屋のように人間を金にしようとする奴には効果がない」

「はい。気を付けます」


 骨と皮しかないような老婆が頭をよぎる。あの狂気じみた目はやっぱり、ちょっとやそっとじゃ忘れられそうにない。もうあんな恐怖体験をしないですむように、危ない人や場所には近づかないようにしなきゃ。

 緑色のスカーフを首に巻くと、なんだかちょっとレベルアップした気分になった。


「ところでサイラスさん。いつの間にこれ用意してくれたんですか? まさかの手作りだったり?」


 スカーフを指さして問うと、サイラスさんは腕を組んで首を左右に振った。


「昨日ソメモノ屋に行って作ってもらった」

「昨日? 夜中に出かけたんですか?」


 この家には妖怪避けが施されていて、サイラスさんが立ち入りを許可した人しか入って来られないらしいから、夜中に一人残されても問題はないけど……ちょっと心細いな。

 そんなわたしの心中を読み取ったのか、サイラスさんは揶揄するように口角を上げる。


「どこかの間の抜けた小娘がぐうぐう寝こけている間に、日刻鳥は二度目覚めている」

「…………つまり、わたしは丸一日寝過ごした、と」


 なんてことだ。ニンギョウ屋へ行ったのは一昨日だったなんて……。


「障子越しでもいびきが聞こえた」

「うわああぁあ! 重ね重ねごめんなさいっ!」


 迷惑かけたうえにいびきまで……! 穴があったら入って埋もれたい。すごく熱くなっている頬を押さえて、へろへろとその場にうずくまった。


「湯が沸いたようだぞ?」


 頭上から、なおも楽しそうなサイラスさんの声が降ってくる。


「……今、お茶を淹れます」


 恥ずかしいやら申し訳ないやらで耐えられなくなって、意地悪く笑っているだろうサイラスさんに背を向け、急須片手に逃げるように竈のもとへ駆け寄った。

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