第3話 小早川敦士、入学する 3

 私はわざわざ別室に連れてこられた。あのままでは収拾がつかないので隔離されたのである。先輩たちが二人、

「教授呼んでくるべきか」

「いや、俺たちだけでなんとか……」

と相談している隣で、もう一人の小早川敦士と向き合った。

 口元が常にチッと舌打ちしているような感じのする、丸い頬と鼻の、坊主頭だった。一目でいやな感じがするのは名を盗まれたから、だけではないと思う。何を言うべきかと迷ったとき、坊主頭が私の万年筆を胸に差しているのを見て椅子を蹴飛ばしかけた。

「お前、それ返せよ!」

 中古だが舶来の高価なもので、父が入学祝いに譲ってくれた物だ。

 激高しそうになる私の前で坊主頭はへっと鼻をならした。左斜め下四十五度に向けていた視線をちろりと私にやると、こいつは嘲笑ったのである。

「盗人猛々しいってお前のことだろ。……制服返せよ。それは俺の物だ」

「な、なんだと」

 頭の中で千も万も言い返すべき言葉が渦巻くのに、私の舌は漂流してしまう。怒れば怒るほどに言葉を忘れ、後になってからこう言えば効果的だったのにとしみじみ後悔する。それが私である。

 先輩たちは顔を見合わせる。

「君は制服を盗まれたのか」

「はぁ。鞄に入れておいたんですがね」

 坊主頭はしゃあしゃあと嘘をつく。

「……警察を呼ぶべきじゃないか」

なんて呟くのが聞こえ、背中がひやりとした。病院、次は警察じゃあ、絶対行きたくないところを回っているみたいではないか。

 だが、お互い自分が自分がというばかりで、この場では絶対自分が小早川敦士だとは証明できないのである。

「冗談じゃありませんよ、こっちは被害者なんだ。後から来た方が犯人に決まってるじゃないですか」

 何故そうなると追求するより先に狼狽えてしまう。歯ぎしりですり減ってしまいそうだ。

「図々しく制服まで着込んで。全然似合ってないぞ、俺のだから大きさも合ってないじゃないか。返せよ」

 その男も制服を着ていた。古びて継ぎが当たっているような物だ。つかみかかられそうになって、先輩に助けられた。

 とにかくこの場は嘘を突き通すつもりらしい。なんとか誤魔化した後はトンズラであろう。負けるわけにはいかない。いかないが、どうすればいいのだ。

「君、少し落ち着きたまえ」

「だったら先輩、どうしたら真実が分かるんです。小早川敦士は僕です。それが本当のことです」

「う、うぅむ」

 もう一人の先輩が私を見る。

「君はさっきから黙りがちだが―――何も言わないのかい」

 喉が苦しくなった。土饅頭みたいな物がつまって、胸がざらざらした。それで証明できるなら涙だって鼻血だって出してみせるが、逆立ちしてもこいつの図々しさには勝てそうにない。

「僕は……その」

 包帯が棘を持っているみたいに痛い。

「あんまり情けなくて……」

 項垂れてしまった。

「君、もし本物なんだったらその軟弱さはコトだぞ! しっかりしたまえ!」

 叱咤されてしまった。だがこちらは朝から酷い目に遭い続けているのである。気が滅入った。しかし、坊主頭の小さな狡そうな目がこちらをうかがっている。

 突如闘志が湧いてきた。

 その時誰かが部屋に入ってきた。先ほど私の同室だと言った白鳥と、江坂だった。私の鞄を持ってきている。二人は先輩たちに判明しましたかと訊いた。先輩は鬱っぽく首を振る。

「君は確か新入生総代だったね」

 訊かれたのは私ではなく、白鳥が頷いた。

 となると首席で、そしてこの江坂の従兄弟とはこの男ではないか。全然似ていないが。白鳥は痩せ形で、優しそうな顔をしている。

「荷物を使って証明すればどうだろうと思って、持ってきました。例えば靴の大きさの合う方が本物だとか」

 確実に坊主頭の方が足が大きかった。

 しかしこいつは、無理矢理足を詰め込んだのである。

「……では、鞄の中身を全部言ってもらうとか」

 これで本物だと証明できる! と私は勢いづいた。さすが首席、なんと賢いのだろう。白鳥が私を見ている。なにか君が本物だと言われている気がして、早く証明しようと矢継ぎ早に中身を喋った。変、服、下着、筆記用具。いずれろくな物は入っていない。

 本の題を並べてこれで証明完了、と信じた。

 すると、白鳥が冷たい目で私を見ていた。あれ、と不思議になり、「俺、付け加える物はありません」

と坊主頭が言うのを聞いて血の気が引いた。

 後で答えるべきだったのだ! 致命的な失敗だった。自分の髪の毛を全部引っこ抜いてやりたくなる。唇を噛んで睨むと、坊主頭にせせら笑われた。悔しさ絶頂である。

 その時部屋に笑い声が響いた。

 笑っていたのは、江坂だった。

「だいたい怪しかったんですよ、この男は」

 指差されたのは私である。一歩後ろに引きそうになった。だがそれではまるで、探偵小説の犯人ではないか。

「制服も合っていないし、手ぶらだ。不安そうにフラフラしていて極めつけが『病院から来た』!」

「な……っ」

 初めて自分の様子に気がついた。もしかして江坂から見た私は、ものすごく怪しかったのではなかろうか。どこぞの鉄格子のある病院から脱出してきて鬼堂院にやって来、自分は生徒だと言い張り、素っ頓狂な満足をおぼえている。しっくりくるではないか。

 ―――― きている場合か!

「じゃあ君……」

「とんだ間抜け野郎です、この小早川って奴は」

 江坂は私の目を見て断言し、坊主頭に向かって

「名門鬼堂院の生徒はそんなふうではない」

と告げた。そして弁明しようとする私を、片手を挙げて押しとどめた。

「こちらの小早川君は付け加える物はないと言ったが、二人とも忘れていたか知らないかで洩れていた荷物があります。多分、小早川君の愛読書でしょう。それを読んで彼が英雄気分にひたっていたことは想像に難くない。

 さぁ。本物だけが題が分かるはずだ」

 江坂は私たちを見下ろした。

 二の句も告げず、考え込んだ。さっき言った以外に荷物など、思いつかない。威張れたことではないが愛読書など私にはない。誰も口をきかずに私たちを見守っている。心臓の音でいっぱいになる。これで間違ったら警察行きだ。それはいやだ。最悪でも親がやってきて嫌疑は晴れるだろうが、そんな人生の汚点を作りたくない。

 嗚呼、間抜けという言葉が身にしみる。

「そんなの、ありましたかねぇ」

「ある。題を言えばいい」

「いえいえ、もうちょっと考えてから……」

 またこいつは私の後に答える気だと分かって、苛立った。しかしこちらは分からないのだ。愛読書―――英雄気分?

 この男はもしかして、ヒントを出していたのか。

 「小早川が間抜け」などという侮辱がヒントなわけがあるか。偽物の方がまとも、みたいなことを言いやがって。鼻をならし、考える。

 英雄。

 ―――― あ。

「分かりました」

 先輩たちがこちらを見た。江坂と白鳥も。

「……『ジュリアス・シーザー』です」

と言った。

 江坂は目を細めて私を見ると、坊主頭を向いた。

「君は」

「そう……シーザーでした、はい。確かです」

「間違いないか」

「はい」

 狡そうに笑う。

 自分が罠にかかったとも知らず。

 私はすぐに手を挙げた。

「間違いでした、正しくは『桃太郎』です」

 は、と先輩たちと坊主頭が息を吐く。その気持ちは……分かる。自分でも情けないが、本当に『桃太郎』が入っていることが、江坂がそれを取り出すことによって証明された。

「そんな、そんな馬鹿なことあってたまるか!」

 坊主頭がつかみかかってきた。

「お前ぇッ、鬼堂院生がそんなもの読んでいていいと思ってるのかよ!」

 噛みつかれそうになった。胸ぐらを掴まれたのを振り払う。

「妹が餞別に宝物をくれたんだ! 別に愛読してるわけじゃないっ!」

 自分のために思い切り叫んだ。

「ち、畜生ーっ」

 二三発殴られて、やり返した。先輩と江坂が間に入ってきて、止められた。

 坊主頭は脱力して床にへたり込み、泣き出した。

「こ、こいつはぁ、女に見とれて転んで気絶しちまうような大馬鹿野郎なんですよゥ! なんでこんな奴が受かって、俺が、俺が……うぅっ」

 不審な目で見られて必死で違うと抗弁した。決して女性に見とれていたわけではなくて、ただ滑って転んだのだと。そちらも間抜けの誹りから逃れられないが。

 この男はあの時駅にいたらしい。そして私の行動を見ていて、心底あきれ返ったのだそうだ。荷物が置き去りにされているのを見て、はじめは親切心をおこしたらしい……が。鬼堂院生の中でこの男の格好は浮かなかったのだ。中古の学ランの奴など沢山いる。

 この男は初めから騙すつもりだったのではなく、間違えられてしまったのだ。そしてそれを否定しなかった。聞くと、四兄弟のうち末っ子の自分だけが鬼堂院生になれなかったのだとか。

 それは辛かろうと思ったが、しかしこちらに被害が及んではおちおち同情もしていられない。

「四兄弟というと、君はもしかして藤岡先輩の弟か!」

 先輩がこの男の兄を知っていた。

 そうして彼は連れて行かれてしまった。


 私としてはちゃんと己を証明できたものの、いろんなことがありすぎて心底疲れてしまった。荷物を見ても持ち上げる気力が湧かず、ため息をついた。

「変な展開だったけど、とりあえずよろしく、小早川。僕は白鳥だ」

 だが、伸ばされた手を握り返す力もないわけじゃなかった。

「君たちのおかげで助かったよ、有り難う。その、君は僕が本物だって思ってくれていたんじゃないかと思うんだけど、どうしてだったのかな」

 白鳥はにこりと笑った。

「それとなく訊いたらあいつ、風呂は一週間に一回だって言ったんだ。洗濯はしたことがないし、掃除も嫌だって。僕はそんな奴と同室でいたくなかったからね。君の方がましに見えた」

「…………」

 顔が凍りついた。

 にじみ出る私の人間的魅力が、などと少し思っていたのに。風呂の回数だと。ましだと。

 江坂を見た。

「俺はお前が犯人だと思ってたんだがな。道中、いかにも怪しかったし。だけどこいつがこう言い張って、じゃんけんで負けたんだ」

 じゃんけんと来た。

 情けなくてへたり込みそうになった。

「小早川、忠告しておくがこいつは病的な潔癖性だからな。床に髪の毛一本も落とせないぞ。毎日雑巾がけだ、頑張れよ」

「大袈裟だよ。髪の毛ぐらいは許すよ」

 嘘だった。白鳥の優しそうだという第一印象もろともに嘘だった。それからの私の寮生活は、苛烈な専制君主に首根っこをひっ掴まれた平民のそれだった。助けてもらったし勉強は教えてもらえるしで文句を言うこともできず、とんだ清潔空間が保たれることになった。足の臭い奴フケ症の奴服の汚れた奴蚤のついている奴は、総じて立入禁止となった。

「君は一体何故こういうことになった? 言ってはなんだが、前代未聞だぞ」

 先輩に訊かれて、朝からの顛末を説明した。皆沈黙した。無言になられるくらいなら、笑われた方が数十倍ましだった。落ち込んでいると、突然

「バッキャロー!」

と怒鳴られた。罵倒しているのではない。高校生の鳴き声のようなものである、バッキャローは。

 でもその時は知らなかったので自分は馬鹿野郎だと言われても仕方がないと、真面目に沈んだ。

「どちらが本物かは見ていたらだいたい分かったが、君は覇気がなさすぎる! 偽物と言われた時点でなぜ立ち向かわない! もっと鬼堂院の雄たる気概と誇りをもち、毅然としていたまえ。毅然と!」

「はっ、はい!」

 だがこちとら入学式すら受けていないのである。自覚と言われても、あれだけ憧れた鬼堂院生に、ただ試験に受かったからといってそうそう同化できるだろうか。見下ろせば、情けない自分しか見えないのに。

 鬼堂院生にもピンキリあるということだろうか。

 とぼとぼと元の集合部屋に戻った。

 先輩は肩で風を切って教壇のところまで歩いていき、私たちは空いている席に着いた。こっちが本物だったかとばかりにじろじろ見られてしまった。

「アー、君たちは寮生の心得を聞き終わっただろうが、今日は運悪くも入学式に遅れてきた奴らがいる。大した馬鹿野郎どもだ」

 忍び笑いが聞こえてきた。先輩は教壇を叩いた。

「だが、我が校の歴史は馬鹿野郎が作ってきたといって、過言ではない! 常識、慣習、くだらんものはぶちこわしていくべきだ! アー、入学式などでなくて良いという意味ではない。どうせなるなら大木になれ、盆栽になってすましているなということだ!」

 熱っぽい弁論が続いた。気持ちが盛んで、だんだんと言葉足らずになっていくものの、使われている語彙は難解だった。聞いている方は分かるやら分からないやらで混乱してくるのだが、何か心意気の固まりのようなものが胸にぶつかってきた。

「皆、鬼堂院生だ!」

と叫ばれたときは、自分に言ってくれたのだと思った。

 そして、

「じゃあ体で覚えろ!」

 興奮した先輩が拳を突き上げ、

「鬼堂院高等学校青雲寮寮歌ァーッ!」

と一喝した。がたがたと音を立てて先輩たちが立ち上がる。一年坊たちは何が起こったかと辺りを見回す。

 貫禄ある男たちが皆ウォーッと吠えている。身体の底から力を込めるそのうなり方は、人より獣の方に近い。

 寮歌には、ろくな旋律などない。音痴も構わず、いやむしろ音痴の方が大きな声で歌うのだ。歌詞を知らぬ一年たちも立ち上がる。座っていられるものではない。声を出せッと叱咤されて、うなり声に参加する。

「1(アイン)、2(ツヴァイ)、3(ドライ)!」

 さながら花火を打ち上げているような騒ぎとなった。床を踏んで拍子を取り、思う様叫ぶ。黙っている場合ではなかった。知らない奴に背中を叩かれてよろしくと笑われたかと思うと、もっと多くの手に殴られた。痛くても、笑った。

 無茶苦茶だったそれが、私の初めて嗅いだ学生生活のにおいだった。雑多で、乱暴で、荒々しいことこの上ない。

「敦士君も、頑張ってうちに来ると良いよ」

と彼が言ったのは、名門だからとかそういう意味ではなくて、こういうことだったのかもしれない。

 考えながら、私にとっては入学式となったその野蛮な歌をうたった。

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鬼堂院高校 日常茶番劇 花房牧生 @makio

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