第6話 王子《レグルス》

 骨を折らせて骨を断つ――壊すか壊されるかしかない戦いは、統子の勝利で幕を引いた。大剣が食い込んだアラタの身体は、灰色の夕焼けへと溶け込むようにして跡形もなく消えていった。アラタがいたことを示す痕跡は、統子の砕かれた肋骨だけだった。

(もう……限界……)

 統子の手から取り落とされた大剣が、路面に当たって鈍い音をさせる。その後を追うように、統子の身体も崩れ落ちた。

 起き上がろうにも、血管も筋肉も骨も何もかもがずたずたで、指一本動かすことさえ辛い。

(いま狙われたら、不味いよね……)

 と思ったところで、動けないものは動けない。これまでの経験からすれば、そろそろ停戦の鐘が鳴ってもいい頃合いだから、後は運を天に任せるのみだった。

「おめでとう、トーコちゃん」

 だから、そう声をかけられたとき、

(ああ、天に見放されちゃったか)

 統子は顔を伏せたまま、悔しさに唇を噛んだ。

 しかし、声の主は屈託なく笑い出す。

「あははっ、やだぁもぉー。あたしは敵じゃないわよぉ。っていうか、トーコちゃん、あたしのこと忘れちゃったぁ?」

「……レア?」

「当ったりぃ」

 顔を上げた統子に、レアは両手を広げてけたけたと笑った。

 服装こそは男物の燕尾服に白手袋とエナメル靴という、いまから夜会にでも行きそうな出装だったけれど、ワインレッドの癖毛と兎耳のヘアバンドは見間違えようがなかった。

(だけど、どうしてレアがここに……?)

 戸惑っている統子に、レアはにんまりと笑いかける。

「今日のあたしは、トーコちゃんが参戦免除の権利を獲得したってお知らせにやってきたのよん」

「え……」

「まだ十勝していないのにどうして、って顔ねぇ」

「分かっているなら説明して」

「そのつもりだから急かしちゃ駄目よ」

 レアはわざとらしい空咳を挟んで、説明を始める。

「んっ……説明も聞かずに契約したトーコちゃんでも、十勝したら参戦免除権をゲットできるっていうのは、どっかで聞いて知っていたみたいね。でも、必ずしも十勝する必要はないのよ」

「……?」

「まぁ、ボーナスキャラというかボスキャラというか……さっきのアラタくんも、じつはとっくに十勝していたのよ」

「えっ」

「でも、彼は参戦免除権を使わなかった。どんな理由だかは興味ないけど、ここで毎日戦っていたかったみたいね。でも、それってある意味で不公平なのよ。だって、他の子たちより圧倒的に戦闘経験が上になっちゃうだもん。ゲームバランスを崩し過ぎちゃうじゃない?」

「……」

 なるほど、と納得する統子。

「でしょ。トーコちゃんもそう思うでしょ」

 レアは嬉しそうに手を叩いて続ける。

「でも、できるだけ本人の意思は尊重してあげたい。そこで、あたしは考えたの。ゲームバランスを崩すような強キャラは、撃破ポイントを多めに設定することにしたっていうわけ」

「……」

「うん、その通り。アラっちは結構勝ちまくっていたから、撃破ポイントは……あれ? 六だったかな、七だったっけ? んまぁとにかく、トーコちゃんが一気に十ポイント達成しちゃうくらいの大ボスだったわけよ。すごいっ、よく勝った!」

「……」

「あらあら、おやおや。あんまり嬉しくなさそうねぇ」

「どうしてなのかは分かっているんだろ」

「まぁね」

 レアは、ひょいと肩を竦めて苦笑する。

「でもまさか、統子ちゃんまでもが権利放棄を選択するなんてねえ。意外だわぁ」

「……」

「はいはい、嘘です。意外だなんて思っちゃいないわ。だってトーコちゃん、アラっちと同じタイプだもん。現実リアルで被契約者との接点がなくて、一方通行的に慕っている子は戦い続けたがるケースが多いのよね。手段と目的がごっちゃになってるというか、好きなひとのためにできることがなくなっちゃうのは、好きなひとがいなくなるよりも嫌――みたいな」

「……」

「あー、はいはい。馬鹿にしてるわけじゃないかもしれないけど、怒らせたいわけじゃないから、もう言わないわ。とにかく、もう戦わなくていいけどどうするか、って聞きに来ただけなの」

「じゃあ、もう用事は終わりね」

「んー……トーコちゃんが素直に権利を受け取ってくれたら、そうしてたんだけどぉ」

「……?」

 怪訝そうに眉を顰めた統子へ、レアはにたぁと唇を大きな弧にして邪悪に笑った。

「トーコちゃんが参戦免除ってことになったら仕方ないかぁって諦めたんだけど、まだ戦うっていうのなら話は別」

 レアが芝居がかった恭しい仕草で、統子から見て向かって右手を指し示す。つられてそちらを向いた統子は、目を見開いて絶句した。

「な――」

 レアが手振りで示したさきには、いつの間にか少女が立っていた。統子がよく知っている少女。忘れようとしても忘れられない少女だ。

 そこに立っていたのは、純白のウェディングドレスを着た梨花だった。

「梨花……どう……」

 最後まで言えずに声を嗄らしてしまった統子を、レアが嘲笑う。

「どうして? そんなの決まっているじゃない。この街には契約者しか入れないのよ。あっ、あたしは例外だけど。つまり――契約者なの、リカちゃんも」

「そんな!?」

 統子は信じられずに声を荒げる。レアはそれを無視して、ばっと大きく両手を掲げると高らかに宣言した。

「十ポイント溜めてもなお戦うトーコちゃんと、契約したてのど新人リカちゃんの真剣勝負シュートマッチ! これ、超燃える! ってことでぇ、主催者レアちゃんの名において宣言しちゃいます! この勝負の決着がつくまで、停戦の鐘は鳴らしません。時間無制限一本勝負、心置きなくバトってください!」

 レアは舞台役者のように言うが、誰も聞いていなかった。

 この場にいるのは統子と梨花の二人だけだし、その二人もレアのことなど忘れて見つめ合っている。

「どうして……梨花が……」

 統子はよろよろと立ち上がりながら呻く。

 梨花は微動だにしない。肩と鎖骨を大きく露出させたビスチェに、ふわりと大きく広がった爪先までのスカート。両手には長手袋を、髪には金のティアラまで身に着けている――そんな花嫁姿をしているのに、表情にあるのは氷のような冷たさだけだ。

「ねえ、統子ちゃん……」

 薄くだけ開けられた唇から紡がれる言葉も、機械の声みたいに無個性で冷たい。

「……何?」

 恐る恐る聞き返した統子に、梨花は顔色を変えることなく告げた。

「あんたがいなければ、こんなことにはならなかったんだ。こんなことには!」

 その言葉に、統子は聞き覚えがあった。世界が暗転する直前、梨花が電話で言った言葉だ。

『あんたがいなければ、こんなことにはならなかったんだ。あんたなんか要らない。あんたなんか死んじゃえ』

 あのとき、梨花はそう言っていた。

「梨花、どういう意味なの? わたしがいなければ、って……何があったの?」

「……いいよ、教えてあげる」

 梨花が酷薄に微笑んだ。


  ●


 時間は、統子が体育館裏から走り去った直後に戻る。

「統子、待てよ!」

 風のように去っていった統子を、颯太はすぐに追いかけようとしたのだ。しかし、統子が逃げ去ったのとは反対の方向から颯太を引き留めた者がいた。

「颯太くん!」

 声をかけながら駆け寄ってきたのは梨花だった。

 梨花はそのまま颯太の胸に飛び込むと、背中に両手をまわして縋りつく。

「待って、颯太くん。行かないで。統子ちゃんを追わないで!」

「桜木……!?」

 咄嗟のことに颯太は驚いた顔をしたものの、その驚きはすぐに後ろめたさへと変わっていく。

「……ごめん、桜木。おれは、」

「嫌! 聞きたくない!」

 梨花は颯太の胸に顔を擦りつけて泣き喚く。

「わたしのほうがずっと! 統子ちゃんよりずっと! ずっとずっと、颯太くんのことを愛してる! 颯太くんだって、わたしのことを好きになるべきなんだよ。そのほうが絶対、報われるよ。わたし、尽くすよ。だから……統子ちゃんを追いかけないで! わたしのことを見てよぉ!!」

 梨花は全身で泣きながら訴える。小細工も何もなく、気持ちの丈を激情のままに颯太へぶつける。颯太が自分から離れていけないようにと、シャツの背中を必死に握り締める。

 颯太はしばらく身動きひとつ取れずに硬直していたが、やがて、両手を梨花の肩に乗せる。

「桜木、ごめん。でも、おれが好きなのは……統子なんだ」

 言いながら、梨花の肩を押して、抱擁を解こうとする。

「嫌よ! 聞きたくない!」

 梨花は何も聞きたくなくて、何も見たくなくて、目をきつく瞑って金切り声を張り上げながら、颯太に必死でしがみつく。

 颯太も、力尽くで梨花を引き離そうとする。

「嫌でも聞いてくれ! おれが好きなのは統子なんだ!」

「やだ、嫌! 絶対に嫌! 聞きたくないッ!!」

 梨花は颯太の言葉を拒絶したいあまりに、叫びながら思いきり両手を突き出していた。

「あっ」

 直前まで必死にしがみついてた梨花がいきなり突き飛ばしてこようとは、颯太はまったく予想していなかった。

 颯太の身体は、さながら指鉄砲から発射される輪ゴムのように、後方へと倒れた。

 受け身を取る暇はなかった。颯太の後頭部は、中庭の花壇を作るのに使って残った分を積んでいたレンガに激突した。

 ぶつかった瞬間、

「げぅ」

 くぐもった奇妙な声を漏したのを最後に、颯太は動かなくなった。

「……え」

 梨花は突っ立ったまま、白目を剥いてぴくりともしなくなった颯太のことを、不思議そうに見つめていた。

 颯太の身に何が起きたのかを――自分が何をしたのかを理解したとき、梨花の肩を誰かが叩いた。

 跳び上がるようにして振り向いた梨花の背後には、兎耳を生やした赤髪の女が、にやにや笑いながら立っていた。


 ●


「そんな……嘘でしょ……」

 梨花の話を聞き終えた統子は、せっかく立ち上がったというのに、またもその場に崩れ落ちてしまう。

 折れた肋骨が刺さっているのだろう右肺が痛くて、まともな声を出すのはおろか、呼吸をするのもままならない。そんな状態でも、統子はいまの話の真偽を問い質したくて、ひゅうひゅうと必死に声を絞り出す。

「嘘だ……颯太が、死んだ……なんて……」

「残念だけど本当よぉ」

 答えたのはレアだ。統子のそばまでぬらりと滑るように近づくと、両手を腰に当てて見下ろしながら嗤笑する。

「なくしたことをなかったことにするのが、あたしの売ってる契約の内容なのよ。亡くしてなかったら契約できないし」

 冗談にしか聞こえない口振りだったけれど、これまで遭遇してきた契約者たちの言動から考えても、レアは真実を言っている――と、統子には直感できた。

「でも安心して」

 レアは猫撫で声で言うと、足の裏で滑るような気色悪い動きで梨花に近づいて、純白のドレスから剥き出しになっている肩を抱きながら嗤う。

「リカちゃんがあたしと契約して、ソータくんの死をなかったことにしてくれたから、リカちゃんが負けないかぎり、ソータくんも死んでなかったという設定でありつづけるわ」

 楽しげに言ってから、まるでいま気づいたという演技で、

「あっ、でもぉ……いまトーコちゃんに負けちゃったら、何もかもおじゃんになっちゃうんだぁ、うわぁ。これってなんて残酷な運命なのかしらぁ!」

 わざとらしい身震いと憐れみの顔をして言った。

(何が、残酷な運命、だ……!)

 立ち上がれないほど壊れている統子の身体が、怒りに打ち震える。

 レアは明らかにそれを見透かしていて、さらに揶揄する。

「あぁん、駄目よ、違うわ。トーコちゃんの敵はこの子、リカちゃんよ。あたしを攻撃しても無意味だから、もっと建設的になるべきだわ。トーコちゃんにだって、守りたいものがあるわけなんだし」

「……悪魔め!」

 統子は吐き捨てる。

 この状況を演出したレアがどれだけ憎かろうと、もはやカードは配られてしまっているのだ。そして、降りることは禁止されている。自分のチップを失いたくなければ、戦って勝つしかないのだ。それが、相手のチップを奪う行為なのだとしても。

 統子は慈悲を乞うような姿勢で梨花を見上げる。いまここで、自分が契約して守っているのが梨花なのだと打ち明けてしまうべきかと悩む。

 梨花が柔らかに微笑んだ。

「ねえ、統子ちゃんは、わたしと颯太くんのために、自分が守りたいひとのことは諦めてくれるよね」

「……ごめん。それはできない」

 そう答えたとき、統子の心は決まっていた。自分が誰を守っているのか、答えるつもりはなくなっていた。言おうが言うまいが、やることは変わらないのだ。

(だったら、余計なことを伝えて苦しませる必要はない。わたしが勝てばいいだけのこと……!)

 統子は転がっていた大剣を握り締めると、糸の切れた身体をどうにか立ち上がらせようとする。

「ん……そうね、このくらいのハンデがあったほうがいいかとも思ってたけど、さすがに限界っぽいし、回復してあげる」

 レアがぱちりと指を鳴らす。手袋をしているから音はしないで仕草だけだったが、その途端、統子の全身から痛みが消えた。ずたずたに千切れていた筋や管が、何ごともなかったように治癒されていた。

 冗談かと思うほど唐突な回復に、統子はぎょっとしつつも立ち上がって、腕を振ったり、足踏みをしたりして、身体にまったく違和感が残っていないことを確認する。

「あなた、何でもありね……」

「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」

 統子が呆れたように呟くと、レアは恭しくお辞儀した。

「茶番はもう終わった?」

 梨花が言い放つ。

「いつでもかかってきて良かったのに」

 統子はせいぜい傲然と言い返す。どうせ戦うしかないのなら、嫌い合うほうがいい。

「実力も経験も、わたしのほうが上だ。身体が治ったいま、梨花の勝ち目はなくなったよ」

「馬鹿ね、統子ちゃん。この世界での強さは、守りたいひとへの想いの強さで決まるんでしょう? だったら、わたしが他の誰かに負けるはずがないじゃない」

「奇遇だな。わたしもいま、そう思っていたところだ。わたしに勝てる奴がいるわけない、って」

 言い放った統子は、大剣を肩に担ぎ上げる。四肢の先では、肉体と同じく傷ひとつない状態へ修繕されていた黒環が回転を始めている。その言葉と態度に、梨花も口を大きく歪ませて笑う。

「あはっ、統子ちゃんの冗談なんて久々に聞いたかも。でも……つまんないし、二度と聞きたくないから、黙らせてあげる」

 言い返した梨花の額で、被っていたティアラが黄金色の輝きを放った。

 目を灼くような眩しさに、統子はメットの奥で目を細める。ティアラは輝きを放ったまま梨花の正面へと浮き上がり、見る間に膨張していく。頭に載る大きさだったものが、あっという間に梨花よりも大きな人型になった。

 輝きは、人型に吸収されるように掻き消える。その後に立っているのは、黄金の甲冑を身にまとい、黄金の馬上槍ランスを手にした騎士ナイトだった。

 梨花が喜悦する。

「さあ、わたしの颯大くんナイトわたしおひめさまのために、統子ちゃん悪い魔女をやっつけて! あはは!」

 姫の命令に呼応して、黄金の騎士はおよそ二メートルを越す長大な馬上槍を右手一本で軽々と掲げ、頭上でぐるんぐるりと風を切らせた。

(あの鎧、着るんじゃなくて自動で動くのか。ヤチヨが使っていた小人と似たようなもの?)

 統子は敵の挙動について、内心で目まぐるしく思考をめぐらす。

(何にしても、あれほど大きな槍を軽々と振りまわしているのは厄介だ。剣と槍で戦い、か)

 スポーツチャンバラでは、槍も一般的な獲物だ。統子は槍の使い手と稽古したときの記憶を手繰って、戦い方を決めた。

 大剣と黒環を光に分解させて、鎧とライダースーツに戻す。一撃の威力を求めるよりも、剣士としての本来の動きへ立ち戻ることにしたのだ。

(槍の間合いでやり合っても勝ち目はない。とにかく、懐に潜り込むことを第一に考えるんだ)

 かりに大剣の一撃で槍を弾いたとしても、黄金の騎士がいま見せた槍捌きなら、統子が間合いへ踏み込むよりも速く、槍を戻して打ち込んでこれるだろう。その槍をまた力任せに打ち返せたとしても、同じことが続くだけだ。相手が人形のようなものだとしたら、一方的に体力を消耗するだけの展開になりかねない。

(それを避けるためにも、まずは相手の出方を窺うことだ)

 負けるわけにはいかないと思うと、慎重にもなる。しかし、梨花のほうにそんな葛藤はないようだ。

「あはっ! 統子ちゃんの剣が小さくなった。わたしの颯太くんに怯えちゃったんだね。統子ちゃんにも可愛いところあるんだ……でも、全然可愛くない! やっちゃえ、颯太くん!!」

 梨花が切り裂くように叫ぶと、その意思を受けて黄金の騎士が頭上で槍を大きく振りまわし、統子へ猛然と襲いかかった。

 統子も素早く、右半身を前にしたフェンシングの構えから剣を繰り出して、突き出された槍の先に打ち合わせた。

 金属の塊同士が強かにぶつかって、ごっ、と鈍い音を響かせる。直後、統子の身体は大きく吹っ飛ばされた。

 馬上槍の一撃は、統子が予想していたよりずっと重たくて、とても片手で受けられるものではなかった。身体ごと跳んでいなかったら、剣を握る右腕だけ弾かれて、無防備な体幹を晒すことになっていただろう。

(片手じゃ無理なら――)

 統子は剣を両手で握り直し、時代劇に出てくるような青眼の構えを取る。臍のところで握った剣の切っ先を、相手の眉間にぴたりと向けた構えだ。

「片手で吹き飛ばされたら今度は両手だとか、統子ちゃん、安直すぎ!」

 梨花が壊れたように笑うなか、黄金騎士の馬上槍が胴を突いてくる。

 馬上槍というのは要するに、手元に笠状の鍔をつけ、先端が円錐状になった金属の棒だ。矛や薙刀のように刃を備えていないが、叩かれれば痛い。金属バットより硬くて重くて長いものを、風が唸るほどの速さで叩きつけられれば、痛いだけでは済まない。

(いまは鎧があるから、いきなり肋をもっていかれることはないろうけど……食らいたくはない!)

 統子は、真正面から真っ直ぐに伸びてきた槍の先に、片足を退いて体を開きながら振った剣を合わせる。今度は槍の威力に吹っ飛ばされることなく、両足を踏み締めたまま、槍の軌道を反らすことに成功した。

(――ここだ!)

 相手の唯一の武器である槍は、支える腕が伸びきった状態で流れている。この体勢からすぐさま次撃に移ることは不可能だ。踏み込むなら、ここしかない。

「はッ!!」

 気合いの声とともに踏み込んだ統子の剣が、騎士の首へと真一文字に吸い込まれていく。普通なら胴を狙うところだが、相手は動く甲冑だ。胴部装甲よりも、兜との継ぎ目を狙うのは当然の選択だった。

 しかし、統子の剣は空しく中を薙いだだけに終わった。

(まさか!?)

 剣を振り抜いた体勢で固まっている統子。

 黄金の騎士は統子の遙か前方で、手元に引き戻した槍の穂先を統子へ突きつけていた。

(どういうこと……瞬間移動?)

 何が起きたのか分からず、統子は伸びきった腕を引き戻すのも忘れて、黄金騎士を凝視する。

 その耳を、梨花の陶然とした笑い声が打つ。

「あは! すごい、すごい。颯太くん、やっぱりすごい! 白馬の王子様みたい。素敵よ!」

(白馬の……?)

 その形容に訝しんだ直後、統子も気がついた。正面からでは分かりにくかったが、黄金騎士の下半身が二脚から四脚に――人間の下半身から馬の下半身に変じていたのだった。

半身半馬ケンタウルスなら弓矢でしょうに、今どきの子は細かいところがなっちゃないわねぇ」

 離れたところで二人の戦いを見物しているレアが呟いている。

「リカちゃんのほうは半身半馬で、トーコちゃんのほうは巨人殺しヘラクレス、ねぇ……個々のモチーフは悪くないんだけど、ケンタウロス対ヘラクレスってどうなのかしら?」

 片方の肘を押さえ、顎に手を添えて小首を傾げるレア。

 でも、

「んまぁ、どうでもいっか」

 すぐに肩をすくめて、観戦に戻るのだった。

 レアが独りごちている間に、戦況は黄金騎士の優位へと大きく傾いていた。長さ、重量ともに優る馬上槍に、騎馬の機動力が加わったのだ。もはや統子にできるのは、突進しながら扱き出される強烈な槍突きから必死に逃げまわることだけだった。

「くっ……!」

 このままではジリ貧だ――そう思って振るった長剣は、黄金騎士にひらりと躱される。強靱な四つ脚から生み出される脚力は、正面への突進力だけでなく、突進からの急停止、前後左右への跳ぶような急転換など、およそ縦横無尽な機動性を実現させていた。

 攻撃は単純な槍突き突進チャージングだけだったが、左右への踊るような足捌きを織り交ぜつつ前後左右を駆けまわり、少しでも隙を見せれば、どんな体勢からでも急加速して迅雷のごとく突撃してくる。おまけに、信じられないほど動きまわっているというのに、一向に疲れを見せる様子がない。

 避けに徹しようと、当たらない剣を振りまわそうと、このまま打開できずにいれば、槍の直撃を食らうのは時間の問題だった。

(その前に、どうにかしないと――!)

 しかし現実問題、統子は相手の機動力にまったく対応できていない。直線的な速さだけならまだしも、そこに変幻的な足捌きまで加わってくると、もうどうにもならなかった。

(いや、待て……そうか!)

 正面から突進してきた黄金騎士の槍から紙一重で逃れた瞬間、統子の脳裏に天啓が奔った。と同時に地を蹴るや、統子は梨花へと向かって一直線に駆け出した。

「……え?」

 それまで子供のようなはしゃぎっぷりで黄金騎士を応援していた梨花は、きょとんとした顔で迫り来る統子を見つめる。だが、その顔はすぐに事態を理解して、恐怖と驚愕に染まった。

「わたしを殺すの、統子ちゃん!?」

 統子は足を緩めない。裾を引きずるほど長いドレスの梨花に、逃げる術はない。

「あっ……颯太くん、助けて!」

 そう叫ぶまでもなく、黄金騎士は百八十度の急旋回をして、統子の背中を目がけて突撃していた。

 統子も全力で走っているが、二脚と四脚では出せる速度が違う。黄金騎士は瞬く間に統子へ肉薄し、槍の射程にその背中を捉える。統子の剣は、まだ梨花には届かない。

 だが、

(狙い通り――だッ!!)

 統子はぐるりと百八十度振り返る。その全身を銀と黒の光が包み、分解された鎧とスーツが大剣と黒環に再構成される。振り返った遠心力をそのまま載せて振り抜いた長剣は、その軌道の途中で巨大化して、さっきまでの背後を激しく薙いだ。

 変幻的な動きも、軌跡を一直線に限定させてしまえば意味がない。どれだけ速くとも、フェイントなしで突っ込んでくると分かっていれば対応できる。その軌跡上に刃を置いてやればいいだけだ。

「ぐっ……!」

 長大な刀身から伝わった衝撃が、統子の右腕を軋ませる。だが、呻いたのはそのせいではない。守るもののない素肌の左脇腹を、馬上槍で背中まで貫かれたせいだった。

「ううぅ、うあ――ッ……」

 身を焼くような激痛が、統子の動きを鈍らせる。黄金騎士のほうも、動きを止めている。甲冑の右脇腹から背骨のあたりにまで、水平に振り抜かれた大剣の刃が食い込んでいたからだ。

 統子も騎士も、だが、まだ終わっていない。

「う、ううぅ……ッ!!」

 統子の両手両足で黒環が回転数を上げていく。甲冑の胴を裂いた大剣が、ぎりぎりといっそう深く食い込んでいく。

 黄金騎士は声ひとつ発しないまま、よろけるように後退しようとする。その足取りに、疾風のような脚力は見る影もない。

「逃す……かッ!!」

 黄金騎士がよろめくのを追いかけて、統子も足を一歩、一歩と踏み出していく。自分から槍を腹に食い込ませていく行為は、一歩踏み出すたびに激痛の火をいっそう激しく燃え上がらせる。痛みと出血で目の前が真っ暗になって、意思も感覚もいますぐ手放してしまいたかった。もうこのまま倒れてしまいたかった。

(でも、それじゃあ梨花が死ぬ。そんなの――)

「そんなの嫌だあぁッ!!」

 四基の黒環が金切り声を張り上げる。大剣が、膂力と体力の限界を超えて振り抜かれる。槍に抉られている腹の穴が拡がって、鮮血が溢れる。槍が真っ赤に染まっていく。

 急速に血を失ったことで、統子の意識は瞬間的に途切れる。それでも、身体から力が失われることはなく、ついに大剣を振り切った。

 腰を捻りきったことで、腹に刺さっていた馬上槍が脇腹を裂いて、肉と内臓を飛び散らせながら外へ飛び出す。しかし同時に、統子の大剣も黄金騎士の胴を左脇腹から右脇腹へと真一文字に断ち割っていた。

 ぐらり、と黄金騎士の上半身が揺れる。

「颯太くん!?」

 梨花の叫びが止めとなったかのように、騎士の腰から上は路面に落ちた。どぉんという重々しい音に続いて、馬のような四つ脚の下半身も横倒しに崩れ落ちた。

 下腹部の左側を失った統子の身体も騎士の後を追って崩れ落ちそうになったが、大剣を路面に突き立てて堪える。その背中に、

「い、いっ……いやあああぁッ!!」

 梨花の悲痛な絶叫がぶつけられた。

「ふふっ、まだよぉ」

 レアが喉を擂るようにせせら笑って続ける。

「勝負の決着、まだついてないわよ……意味、分かるよねぇ?」

「……」

「はいはい、黙りますよぉ。分かっていればいいんです」

 統子に睨まれたレアは、笑いながら大袈裟に身震いする。統子はもうそちらを気にせず、大きさを元に戻した長剣を杖にして、梨花に歩み寄っていく。

「ひっ……ぃ……や、嫌ぁ……いやぁ……」

 梨花は逃げようとしてドレスの裾を踏み、その場に尻餅をつく。そのまま手と尻で這うようにして後退りするのを、剣を杖にしなくては歩けない統子が一歩ずつ追いかける。

 梨花が逃げまわってたら、統子は遠からず力尽きていたかもしれない。だが、武装を失った梨花には、理性的な思考ができなくなっていた。

「い、やぁ……ぁ……統子ちゃん、嘘だよね? わたしのこと殺そうなんて、そんなのしないよね? だって、だって……統子ちゃん、わたしのこと好きでしょ!? わたしのこと大事でしょ!? 颯太くんより、わたしのほうが大事でしょ!?」

 喚き散らす梨花の顔は、颯太を失ってしまうことへの恐怖で引き攣っているのに、それでも必死に媚を売ろうと微笑んでいる。梨花にそんな顔で見上げられていることが、統子には何よりも辛かった。

「ね、統子ちゃん。しないよね? わたしのこと、苛めたりしないよね? ね? ねぇ!?」

 歩みを止めない統子に、梨花は声を裏返させて訴える。統子は一度も立ち止まることなく、腰を抜かしている梨花の正面に立つ。そして、杖にしていた剣を、切っ先を下に向けたまま、ゆっくりと持ち上げる。

「ひっ……ぁ……わっ、わたしが死んだら、颯太くんも死んじゃうのよ! 統子ちゃんだって、本当は颯太くんのこと好きでしょ? 統子ちゃんが誰を死なせたくないのか知らないけど、そんなひとより颯太くんのほうが大事よね? ね、ね!?」

「……そうね」

 初めて、統子が口を開く。

「颯太のことは憎いけど、嫌いじゃない」

「じゃあ――」

「でも、もっと大事なひとがいるの」

 その言葉を最後に、剣が振り下ろされた。

 純白のドレスに赤い花が広がった。

「決着、ついたわね」

 レアは笑みの形に唇を歪ませる。停戦の鐘が、笑い声のように鳴り響いた。

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