彼女と寿司とアンモナイト
夜の繁華街。
ネオンサインに彩られた街は、とても賑やかで人通りが絶えることはない。
無数の自動車が行き交い、道路脇には客待ちのタクシーが溢れている。
そんな賑やかな街の小さな広場で、俺はぼんやりと立ち尽くしていた。
ここは、夢の中だ。
なぜか、俺はその事実を知っている。
夢の中だからといって、摩訶不思議な光景が広がっているのではない。
どこにでもありそうな街並みの中に俺はいる。
今は冬だが、あまり寒くはない。夜風がひんやりとして、心地よいくらいだ。
あちこちに高層ビルが立ち並び、蛍光灯の光で輝いている。
向こうに駅が見える。
そこを目指して、多くの人々が無言の行進を続けている。
今は帰宅ラッシュの時間帯らしい。
俺は、この街には一度も来たことはない。
だが、不思議なことにこの光景を見たことがあると感じている。
現実に来たことはなくとも、夢の中で何度も訪れている。
そんな気がするのだ。
俺は、人を待っている。誰を待っているのかは、分からない。
大切な人を待っているのだとは分かる。
そして、そいつと会うことが、俺を絶望させるのだと知っている。
人込みの中を抜け、彼女は、俺に向かって手を振りながら、やって来た。
彼女の笑顔を見た時、自分が夢の中にいるのだと実感させられる。
中村綾香。
コーヒーとマカロンが好きな女子大生。
大学の化石発掘サークルで知り合った後輩。
そして、一か月前に別れた俺の恋人。
綾香、お前はどうして、毎晩のように夢に出てくるんだ。俺は、お前のことを早く忘れたいってのに。
「祐二先輩、遅れてすいません」
「ああ、綾香。別にええで、気にしてへんから」
俺は、口ではそう言っていたが、心の中ではどうしようもない気怠さを感じていた。
「祐二先輩、今日は私イチオシのおすすめスポットを紹介しますね」
そう言うと、綾香は強引に俺と腕を組み、駅を目指して歩く人の流れに逆らって、歩き始めた。俺は彼女に引っ張られるようにして、夜の街をさまようことになった。
俺と綾香は、いつものようにくだらない話をして歩く。
焼きマシュマロが女子大生の間で流行っているという話。経歴を詐称していた経済評論家の話。綾香が最近ハマっているオンラインゲームの話。そして、新種のアンモナイトが発見されたという話。
甘い香りが辺りに満ちてきた。
赤や黄色の光に彩られた屋台が、道にいくつも並んでいる。
ドーナツ、チェロス、キャラメルポップコーン、そしてマカロン。
綾香の好きそうな甘ったるい食べ物ばかりだ。
「ああ、いい香りですう。でも、今はダイエット中だから我慢しないと……」
綾香は恍惚とした表情で、そんな風に呟く。
「ダイエットって、これ以上肉落としたらお前餓死するで」
「こう見えても私、体重結構あるんですよ」
なぜか、綾香は自慢気だった。
やがて、街はその顔色を変えていく。
スイーツの香りを漂わせていた屋台は消え、いつの間にか紫と緑を基調とした怪しげな通りに出た。
綾香と手を繋いで歩く俺の前に、虹色の装飾を施された光のゲートが見えてきた。
祝福の言葉の掲げられたそのゲートの向こうからは、やけに愉快な音楽が流れてくる。どこぞのテーマパークにでも来た気分だ。
「到着ですよ、祐二先輩、ここが関西デートスポットランキング一位の回転寿司ストリートです」
「何なんや、それ。てか、デートに回転寿司ってどうなん?」
周囲を見渡せば、やたら派手なデザインの建築物が無数に並んでいる。
これが全部、回転寿司だとしたら、悪夢なんだが。
「そんなつれないこと言わないでください。回転寿司は世界に誇るべき日本の文化。クールジャパンですよ」
またしても、なぜか自慢気だった。
そういえば、現実の綾香も、いつもこんな感じだったな。コイツはよく分からないことに対して、プライドを持っているのだ。
そして、それこそが俺と綾香がうまく行かなかった理由であった。
「さあ、行きましょう、祐二先輩。この店の予約取っておいたんです」
「うわあ、なんか悪趣味な店やな。回転寿司のクセにパッと見、テーマパークのアトラクションにしか見えへんし」
俺は、店のデザインの酷さに呆れていたのだが、綾香によって、半ば無理矢理、店に連れ込まれた。
「中は意外と普通やな」
寿司をバカにしているとしか思えない外観に反して、内装はごく普通の回転寿司だった。まるで水族館のようであることを除けば。
店内には、たくさんの水槽があった。
中には、寿司屋のものとは思えないほど巨大なものもある。
アジ、サンマ、タイ、カレイ、イカ、ウナギ、イセエビ、タカアシガニ、ピラルク、マンボウ……。
小さいものものから、大きいもの、ポピュラーなものから、珍妙なものまで、多様な生物がいた。というか、どう考えても寿司ネタにしてはいけない奴らが、混じっていた。
「おお、流石ですね。回転寿司ストリートの店は、やっぱり格が違いますよ」
どういうベクトルで格が違うのかは、この際聞かないでおこう。
「それにしても、色んな奴がおるなあ」
こいつらには、寿司ネタにされ、人間に食われる運命が待っている。
そんな悲惨な末路も知らず、無邪気に泳ぎ続ける彼らの姿に、俺は哀れみすら感じていた。
そんな店内の水槽の一つに、俺は目を奪われた。
アンモナイトが泳いでいた。
夢の中の世界では、絶滅していないのか。
大学の化石発掘サークルに所属していることもあり、古生物には関心がある。アンモナイトは、特に好きな生物の一つだ。
まあ、アンモナイトの寿司は、絶対食べたくないが。
アンモナイトは、水中をフヨフヨと漂っている。大きな貝殻を背負っているせいか、あまり早く動けないようだ。
実際、アンモナイトは貝殻を巨大化させ過ぎたせいで、動きが鈍くなり、絶滅に繋がったとする学説もある。
しかし、遥かなる時を生き抜いたその姿からは、王者の貫禄が感じられた。
それにしても、太古の昔から命をつないできた生きた化石を寿司ネタにしてしまうとは、夢の中とはいえ、日本人とは本当に罪な民族だ。
そうこうしているうちに、若い女の店員がやってきて、席へと案内された。
店員は、なぜかメイド服を着ていた。
なんか間違ってる気がするけど、可愛かったから許す。
「さあ、佑二先輩。好きなネタを頼んでください」
「いきなり注文せんでも、回ってる皿から、とりあえず何か取ればいいんちゃう?」
「さっきから、マンボウとピラルクしか流れてこないですけど、いいんですか?」
「前言撤回。なんか頼もう」
俺は注文用の端末を手に取り、穴子とマグロを注文した。
「あっ、そう言えば、祐二先輩はアンモナイトが好物でしたね。私が注文しときましたよ」
「いや、そんなこと言った覚えないんやけど」
「えっ、この前言ってましたよ。ちゃんと証拠は、ボイスレコーダーに記録してますし」
「お前は、一体何を録音しとるんや」
綾香は、自分の注文のついでに、俺のためにアンモナイトを注文してくれたようだ。これに関しては、好きな食べ物がアンモナイト、という夢の中の俺の設定を恨むしかない。
かくして、俺はアンモナイトの寿司を食べるハメになった。
アンモナイトの寿司が運ばれてきた。
一見すると、イカゲソのようだ。
とりあえず、醤油をかけてみる。
なんか、意外とうまそうだ。
といっても、さすがに抵抗感があり、中々食べる気にはなれなかった。
綾香は、そんな俺を気に留める様子も無く、イソギンチャクの唐揚げを食いまくっていた。
「それじゃ、いただきます」
五分ほどアンモナイトの寿司と対峙した後、俺は覚悟を決めた。
醤油のかかったアンモナイトの寿司に箸を伸ばし、恐る恐る口に入れる。
もはや地球上から消えてしまったその味は、甘く、まろやかで、少し苦かった。
そして、醤油との相性が抜群だった。食感も、歯ごたえがあるが、固過ぎるという事は無く、絶妙である。
意外とイケルな、これ。
アンモナイトは生き延び、綾香は俺の隣で楽しそうにしている。
ありえたかもしれない、もしもの世界。
そんな奇妙な夢の中で、俺は小さくため息をついた。
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