魔法にかけられた夜

 それは、星が綺麗なある夜のことでした。


 街の外れの小高い丘。私は、そのてっぺんに一本生えた大木の根元に腰掛け、ぼんやりと物思いに耽っていました。


 街は、すっかり寝静まり、喪に服しているようです。

 世界は静寂と闇に包まれ、私の持ってきたランタンと、星と、月の明かりだけが、かすかに輝いています。


 ここに来ると辛いだけだから、もう来ないでおこう。

 そう、思っていたのに、今夜も来てしまいました。


 ちょっと前までは、リノアちゃんと、ここで夜が明けるまで楽しくおしゃべりしたものでした。


 つい最近のことなのに、まるで何十年も前のことのようです。


 でも、私がリノアちゃんとここでおしゃべりすることはもう出来ないのです。


 だって、今日でリノアちゃんが死んでちょうど一ヶ月になるのですから。

 彼女は、長年連れ添った私の一番の親友でした。

 最近は、なんとか涙を抑えられるようになりましたが、私の心は相変わらず悲しみに満ちています。あの日から私の中の時間は進まなくなってしまいました。


 私がこんな風に沈んでいたら、リノアちゃんもきっと悲しむのに。


 でも、次の瞬間、私の身にとんでもない奇跡が起こったのです。



「私ならここにいますよ。ミレーユさん」



 それは懐かしい、でも、もう決して聞くことの出来ないと思っていた声でした。 そう、私の大好きなリノアちゃんの声。


「リノアちゃん!リノアちゃんどこにいるの!」


「ここですよ、ミレーユさん。後ろです、後ろ」


 私は、ゆっくりと振り向きます。そして、彼女の姿を見て思わず叫びました。


「リノア……ちゃん……てっ、えっ!いやあああああああああああ」


 私が悲鳴を上げるのも当然でした。そこに立っていたのは、こちらをじっと見つめて直立する白骨死体だったのですから。


「あれっ、もしかして驚かせちゃいました?ミレーユさんなら喜ぶと思ったんですけどね」


 私は恐怖のあまり何も言えませんでした。ただ地面に腰を付き、震えていました。なにせ、目の前にゾンビがいるんですから。


「もう、そんなに怖がらないでくださいよ。せっかく、あの世から蘇ってきたのに、これじゃあんまりですよ」

「あなた……本当にリノアちゃんなの?」

「それ以外の何者だって言うんですか」

「幽霊……いや、どっちかていうとゾンビ?」

「まあ、確かにそうですけど。私は正真正銘、リノアのゾンビなので安心してください!」

「いや、全然安心出来ないんだけど」


 この会話の噛み合わない感じ……間違いなくリノアちゃんだ!でも、やっぱり恐怖感は拭い切れません。


「あなたがリノアちゃんだというのは分かったわ。でも、万が一ということもあるし、確認させてもらうわ。本物のリノアちゃんなら私のことは何でも知ってるはずよね?」


「当然ですよ。何でも知ってます」

「じゃあ、私の太ももにあるホクロの数はいくつ?」

「二つですね。ちなみに、左右に一個ずつです」

「正解。じゃあ、私の一番好きな生き物は?」

「コビトカバです」

「正解。これが、最後の質問、私がこの場所でリノアちゃんに言った人生で一番恥ずかしいセリフは?」

「『リノアちゃん大好きいいいいいい!愛してるよおおおおおおお』ですね」


「うっ、嘘でしょ……本当にリノアちゃんなのね!会いたかったよおおおお、リノアちゃあああああああん」

「うわ、そんなに強く抱きつかないでください。肋骨が折れちゃいます」


 そうは言われても私は気持ちを抑えられません。リノアをぎゅっと抱きしめます。リノアにまた出会えたということがただ嬉しくて仕方ないのです。


「リノアちゃん、すぐに会いに来てくれなかったの?

私すごく寂しかったのよ」

「向こうの世界から戻るのも結構大変だったんですよ。手続きとか結構面倒だったし。たらい回しにされてものすごく時間がかかりました」

「あの世の運営って、なんだかお役所みたいなのね」


 ああ、やっぱりリノアちゃんと話していると楽しい。

 でも、きっとすぐにあの世に帰らないといけないのだろう。私はそう悟って、少し悲しい気分になっていました。


「向こうでの暮らしも結構大変なんですよ。天国ってやたら暑かったり、寒かったりするんですよね。しかも、仕事サボってるとすぐムチで叩かれるし」


 リノアちゃんがいるのが天国ではなく、おそらく地獄だということは、内緒にしておくことにしました。


「そんなことよりさっきから気になってたことなんだけど、なんでリノアちゃんは白骨死体の姿なの?」

「ああ、これですか。手続きの不備ですね。あの世の担当者が肉や皮をつけるための書類を忘れちゃったみたいです」

「あの世もなんか色々大変そうね」

「まあ、なんだかんだで楽しいんですけどね」


「ふふっ、リノアちゃんが元気そうで良かった」

「私もミレーユさんが心配だったんですよ。ミレーユさん私のこと大好きだから、立ち直れてるかなって」

「私は、リノアちゃんがいなくても大丈夫よ」

「ううっ、それなんかひどい」


 始めは、あの世から帰ってきたリノアちゃんの姿に困惑していた私でしたが、かつてと変わらない彼女の様子に安心しました。


 そして、リノアちゃんとのたわいもない会話は弾み、時間を忘れて楽しくおしゃべりしていました。


 まるで、リノアちゃんが生きていた頃のように。


 でも、遂に別れの時が来てしまいました。


「ミレーユさん、そろそろお別れの時間です。私みたいな死者は、日が昇るまでには、あの世に帰らないといけないんです」

「やっぱりそうなのね。大丈夫……私は……寂しくなんか……なっ、うわあああああああああ」

「うわっ、ミレーユさん!いきなり抱きついてこないでください。今回は鎖骨がヤバかったです」

「だっ、だってせっかく会えたのにすぐ消えちゃうなんてあんまりじゃない」

「安心してください、ミレーユさん。ミレーユさんが寂しくなったら、また会いに来ます。だから、私がいなくなっても泣かないでください」


 私がリノアの死から立ち直れていないのは、きっと彼女にもお見通しなのでしょう。リノアが私のことを心配してくれていると思うと、余計悲しい気分が込み上げてきます。


「今から向こうに帰ります。10秒だけあっち向いててくれませんか?絶対振り向いたらダメですよ、そんなことしたら本当に二度と会えなくなっちゃいますから」


 確実に10秒待ったのを確認してから、そっと振り向くと、そこにリノアちゃんの姿はありませんでした。


 私は、急に現実に引き戻されてしまいました。


 私に訪れた魔法の夜は終わったのです。

 あのリノアも私の心が見せた幻だったのかもしれません。


 いや、もっと言えば、ただ私が狂っただけなのかもしれません。


 私の心に悲しみと絶望が押し寄せます。

 やっぱり私には耐えられません。

 でも、私の目から涙がこぼれそうになったその時でした。


「ミレーユさんが寂しくなったら、また会いに来ます。だから、私がいなくなっても泣かないでください」


 リノアちゃんの言葉を思い出します。


 彼女は死後の世界で、楽しく生きようと頑張っていました。

 そうです、前に進まないといけないのは私の方なのです。


 気が付くと、東の空には日が昇り、世界は朝の光に包まれていました。


 なんて美しいのだろう。


 リノアちゃんが死んでからは、こんな風に世界を美しいと思うことなどありませんでした。


 止まっていた私の時間がようやく動き始めたのです。


 そして、悲しみの代わりに、私の心にはリノアちゃんへの抑えきれない愛が満ち溢れていきます。



「リノアちゃん大好きいいいいいい!愛してるよおおおおおおお」


 私は思わず叫んでしまいました。

 地獄……いや、あの世にいるリノアちゃんに届くような大きな声で。


 少し恥ずかしい気分になりながらも、私は丘を下り、動き始めた世界へと歩み出します。


 また、いつかこの場所に来よう。

 たとえ、リノアちゃんが来なくても。


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