転がる石のように~ある令嬢の転落~

 草原の真ん中にある、とある街。決して大きな街ではないが、交易の中継地点に当たる街だ。晴れていれば、馬車が行き交い、市場も賑わっているのだが。冷たい雨の降るこんな日は、そもそも人影がまばらだ。休日の昼間だというのに、街はやけに静かで、雨の音だけが寂しく響いている。


 そんな街の道端に、酷く汚れてボロ切れのようになった服を着た1人の若い女がうずくまっていた。彼女には、帰る家も、着替える服も、今日の晩御飯さえもない。

 ただ、虚ろな目で、濡れた地面を見つめている。


 気が付くと、彼女の目の前に傘を差した一人の女が立っていた。


「随分落ちぶれたものですね。セーラお嬢様」

「あなた……アリッサなの……?」


 セーラは、かつて、街の外れの小高い丘の上にあった大きな屋敷に住んでいた。セーラの家は、この街で一番裕福だったのだ。彼女の家には、大勢の使用人がいた。アリッサは、その内の一人だった。


 目の前の女がアリッサだと分かると、セーラの中にある一つの想いが湧き上がった。なんとかして、アリッサに助けてもらいたい。


「アリッサ、お願い!今日だけでいいからあなたの家に泊めて!本当に今日だけでいいから!」

 セーラは、叫びながらアリッサの足にすがりつく。以前のセーラなら、このような惨めな行為はしなかっただろう。ゴミをあさり、通行人の情けにすがる。そんな路上での暮らしが、セーラの自尊心を粉々に打ち砕いてしまったのだ。


 だが、アリッサはセーラを足で払いのけると、見下しながら、こう言い放った。

「嫌ですよ。あなたみたいな汚い人。早く私の目の前から消えてくれませんか。それに、一度、家に上がり込んだら、そのまま居座るつもりなんでしょう」

「ちっ、違う!そんなことしない!お願い……一晩だけでいいの……」

「それが人にものを頼む時の態度ですか?もっと誠意を示してくださいよ」

「誠意を示すって、どうすれば……」

「土下座したらどうですか?昔、私が、セーラさんにしたみたいに」


 アリッサの言葉を聞くと、セーラは、地面に頭を付け土下座する。


 アリッサは、軽く溜息をつくと、頭を下げ続けるセーラに唾を吐きかけて、こう言った。

「本当に惨めなものですね、元お嬢様。まるで昔の私みたいです。あなたには、プライドの欠片も残っていないんですか?」

「お願い……アリッサ……許して……私が……悪かった……」

 セーラの声は震えていた。

 アリッサに復讐されている。セーラはそう思っていた。



◇ ◆ ◇


「アリッサ!これはいったいどういうことなの!」

「申し訳ございません。セーラお嬢様」

「昨日、私はあなたにこの部屋の掃除を頼んだはずです。なのに、全く出来ていない。あなたは、本当に役立たずね。道端に転がっている石の方がまだ使い道があるわ」

 煌びやかな装飾に彩られた屋敷の一室で、アリッサは叱られていた。セーラは、アリッサを蔑んだ目で見つめる。まるで、ゴミでも見るかのように。


「お願いします。どうかお許しください」

「そうね、じゃあ、いつもみたいに土下座しなさい」

 その言葉を聞いたアリッサは、ためらう素振りもなく、土下座する。セーラは、そんなアリッサの頭を足で踏みつけると、悪意たっぷりにほくそ笑む。


「あら、あんた、謝るのだけは上手くなったじゃない」

 アリッサは、悔し涙をこらえながら、頭を下げ続けるのだった。

 セーラは、アリッサの惨めな姿を見て、邪悪な喜びを感じていた。


◇ ◆ ◇


 今や、アリッサとセーラの立場は逆転してしまった。

 セーラは今になって、自分がアリッサにしたことを激しく後悔していた。


「アリッサ、お願い許して!私本当に後悔してるの!あなたにしたことは本当に悪かったと思ってる」

 すがりつこうとしてくるセーラを、アリッサは、冷淡に見下し続けていた。何も言わず、かつてセーラがアリッサに向けていたゴミを見るような目で。


「まあ、そこまでするなら許してやってもいいですよ。一日くらいなら、泊めてあげてもいいですし」

「本当なの……アリッサ……あなた……こんな私を許してくれるの!」

 喜びのあまり、思わずアリッサの体に飛びつこうとするセーラ。しかし、アリッサは、その瞬間、体を後ろへと下げた。セーラの体が濡れた地面に転がる。


「と言うとでも思ったんですか?セーラさん。もう何もかも手遅れなんですよ。あなたは、誰からも見放されたんですよ。あなたがいなくなったって誰も困らない。道端に転がっている石と同じなんですよ」


 雨が強くなり、遠くで雷鳴が響く。セーラは、地面に倒れこんだまま動かない。


「でも、まあ……パンくらいならあげますよ」

 長い沈黙の後、アリッサは、懐から一切れのパンを取り出し、地面へと投げつける。


最後に一度、彼女を試そう。そう思ったのだ。


 セーラは、物凄い勢いで起き上がり、雨でグショグショになったパンを手に取ると、何のためらいもなく、それを貪り始めた。その姿は、とても人間とは思えず、腹を空かせた野犬のようだった。


 彼女は、アリッサに薄汚れた笑顔を向ける。こんなことで喜んでいるのだ。


 その瞬間、アリッサは、セーラの全てに失望した。やはり期待外れだったのだ。


 アリッサは、セーラのことが好きだった。まるでダイヤモンドのような彼女のことが。輝かしい未来の約束された彼女のことが。誇り高い彼女のことが。何にも屈することが無い彼女のことが。いつも自分のことを蔑み、踏みつける彼女のことが。自分とは異質な彼女のことが。


 圧倒的な存在である彼女のことが。


 彼女がどんなに落ちぶれようと、その魂の根底にあるものは変わらない。そう信じていたのに。道に落ちたパンを私に投げ返す。そう、期待していたのに。


 こんなものが彼女であるはずがない。こんな救いようのない存在が。

 昔の私と一緒ではないか。これでは本当に道に転がる石と何ら変わらない。

 いや、石の方が野犬を追い払うのに使えるから、まだましだ。


 落ちぶれても、物乞いになっても、汚れていても、卑屈になっても、飢えていても。私とは違って、誇りを捨てていない。そう、信じていたのに。


 もはや、私の好きだったお嬢様はいない。


 アリッサは、パンを喰らい続けるそれから目を背けると、傘を捨て、雨に打たれながら去っていった。


 雨に濡れたその顔は、泣いているようにも見えた。




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