狩られる者の逆襲
穏やかな春の日、俺の心は決して穏やかではなかった。俺は覚悟を決めたからだ。狩られる者ではなく、狩る者になると。
早速、獲物がやって来た。茂みに隠れて様子をうかがうとしよう。
「今日は良い天気ですね」
「森に来るのって久しぶり。やっぱり空気がいいわね」
二人の少女が手を繋いで笑いながら、やってきた。
こいつらなら簡単に仕留められる。
そう確信した。記念すべき最初の獲物にはピッタリだ。
「しかし、今年は例のアレ、あんまり見かけませんよねー。ミレーユさん」
「そう簡単には見つからないわよ、リノアちゃん。でも、そろそろ出てきてもいいはずなんだけど」
楽しげな奴らだ。森にはピクニック気分で来たといったところか。
例のアレっていうのは山菜かなんかだろう。
眼鏡をかけた巨乳の小娘がミレーユ、大きなカゴを背負った貧乳の小娘がリノアか。人間の女を見るとまず胸に目がいってしまうのは俺の悪い癖だ。
ミレーユは知的な雰囲気で、まさに上品な美少女といったと感じだ。
正直、俺の好みである。
一方リノアは、田舎臭い村娘という少し残念な印象を受ける。
まあ、それがいいのだが。
こいつらを捕まえて、売り飛ばす。
それが今日俺の成すべきことであり、人間に虐げられてきた俺たちゴブリンの復讐だ。二人は多分仲の良い友達か何かだろうが、二人仲良く絶望の底に叩き落としてやる。何も恐れることはない。これは我が種族の崇高な復讐であり、俺が真の強者になるための試練でもあるのだ。復讐のついでに、若い娘をお楽しみしたいという下心があるのは言わない約束だ。
もっとも、堂々と捕まえに行く訳にはいかない。相手が非力な少女とは言え、ゴブリンの俺と人間二人ではまともに戦えば勝負にならない。
スキを見つけて、痺れ薬を塗り込んだ矢を放ち、奇襲する作戦だ。
「あれ、あそこで動いてるのは何?」
突然、ミレーユがつぶやいた。
二人は身構える。
ヤバイ、気付かれた。そう思った。
だが、二人の視線は俺の隠れている方向とは違うところに向けられていた。
「にゃーん」
一匹のネコが草むらから飛び出した。
ネコは瞳を丸くして、二人の少女を不思議そうに見つめている。
「か、可愛い。これは可愛い過ぎますよ、ミレーユさん」
リノアは、ネコを見て興奮気味だ。
「あら、この子、人が近づいても逃げないみたい」
ミレーユは、ネコに近づくと、その頭をナデナデし始めた。リノアも一緒になってネコと戯れ始める。
「ネコって本当に素敵ね」
「ミレーユさん。この子うちで飼いましょうよ」
「うーん。お母さんはネコが嫌いだから多分無理ね……」
「私達姉妹が一丸になれば、お母さんも説得できますよ」
リノアは、ネコをよっぽど飼いたいようだ。というか、この二人姉妹だったのか。胸のサイズといい、顔立ちといい、驚くほど似ていない。
「あー、毎日この子と一緒にいられたら幸せだろうなー」
すっかり、ネコを飼う気でいるリノアを見ていると少しやりきれない気持ちも湧いてくる。何せ、こいつらはもうすぐ、ゴブリンに飼われることになるのだから。
しかし、随分と都合のいい奴らだ。
俺たちゴブリンのことは鞭で叩きのめすのに、ネコに対してはあんなに優しい。
貴様ら人間は自分たちが狩られる立場になるなど考えたこともないに違いない。
俺は、人間に捕まり鉱山で働かされてきたから分かる。あいつらはゴブリンのことをゴミ以下の存在だと思っている。
「ネコもいいけど、まずは、例のアレを見つけなきゃね」
「そうですね、アレをたくさんとってくれば、お母さんもネコを飼うのを認めてくれるかもですし」
しかし、例のアレとは一体何なのだろうか。まあ、俺には関係のない事だ。気にしても無駄か。
そういや、こいつらにも家族がいるのか。ふと、自分が幸せだった頃のことを思い出す。俺も昔は、家族で仲良く暮らしていたのだ。
こいつらがいなくなったら、家族は死ぬ程悲しむんだろうな……
いや、だからと言ってどうってことはないのだが。俺が人間に同情する必要などない。しかし、こいつらを売り飛ばすのはやめにしよう。売ったところで大した額になるまい。家族から身代金をふんだくって、さっさと解放、それがいい。
お楽しみもやめておくか……
リノアとミレーユは、木の根元に腰かけて休憩し始めた。どうやら、チャンスが来たようだ。さっさと片付けるとしよう。麻酔薬を仕込んだ矢と弓を取り出した俺は、大きなカゴを下ろして昼食を食べているミレーユに狙いを定める。あとは、矢を放つだけだ。
……なぜだ、手に力が入らない。相手は人間の小娘だ。俺の人生をメチャメチャにしたあの人間どもの仲間だ。
「アニキー、助けてくれー」
弟の言葉が蘇る。
俺は、自分と家族の幸せが踏みにじられるのを黙って見ているしかなかった。
だから、強くなりたいと思ったのだ。ここで、逃げ出したらあの時と同じだ。
「脱走に成功したら俺たちの分も人間どもに復讐してくれ」
鉱山にいた仲間たちの言葉が蘇る。
俺は必ず復讐を果たすと約束した。
俺だって男だ、あいつらを裏切ることはできない。悪魔に魂を売ってでもやり遂げなければいけないのだ。
やるしかない。
俺は、遂に矢を放った。
矢は、ミレーユの左腕に命中した。彼女は、悲鳴を上げ、地面に崩れ落ちる。
「ミレーユさん!」
リノアの叫びが森に響く。
すぐに、リノアに狙いを移し、矢を放つ。左足に命中した。
彼女も叫びながら、倒れる。
二人は立ち上がることもできず、もがき苦しむ。
やがて、眠るようにピクリとも動かなくなった。二人に近づき縄で縛り上げる。
俺は、ハッと我に返った。矢を放ってから今まで、何かにとりつかれていたようだった。自分の心を冷静に見つめ直す。興奮や喜びは何一つない。ただ、虚無感だけが満ちている。
本当は分かっていたのだ。こんなことをしてもどうにもならないと。
何の罪もない少女を苦しめて、誰に復讐するというのだ。
俺は強くも何ともないじゃないか。
自分より弱い者を痛め付けているだけだ。ただの弱くて、卑劣なゴブリンだ。
気が付くと、俺の目からは涙がこぼれていた。
身代金をとるのももうやめだ。
こいつらに、俺の身の上を全て話そう。狩られる者の物語を彼女たちに語ろう。
人間にも俺たちゴブリンの苦しみを少しだけ分かって欲しかったのだ。
こんな二人のガキに話したところで理解してもらえるかどうかはわからない。相変わらず、ゴブリンは世界中で狩られ続けるだろう。しかし、できることをやるしかないのだ。人間どもに奴らの行ってきた罪を自覚させる。
それが俺の成すべき復讐だ。
穏やかな春の日、俺の心は決して穏やかではなかった。覚悟を決めたからだ。人間たちに俺たちゴブリンの物語を語ろうと。
だが、次の瞬間だった。
「何してくれとんじゃ、ボケ!」
俺は突如、投げ飛ばされた。そして、地面に強く叩きつけられた。
「全く、人間様に歯向かうなんていい度胸ですね」
「私のミレーユを傷つけやがって。絶対に許さんぞ。そこのゴブリン!」
立ち上がると、目の前には、怒り狂うリノアと微笑むミレーユの姿があった。
予想外の事態に俺は戦慄していた。
「お、お前たち……なんで、動けるんだよ」
「しびれ薬ならあんまり効きませんでしたよ。それに縄も簡単に抜けられました」
俺は完全に失敗したのだ。何とかしてこの場を生き延びる方法を考えねば……
「お、お怪我がなくて何よりです……どうか命だけは……」
俺は、必死に土下座する。
人間に追い詰められたゴブリンが生き延びるにはこれしかない。
とにかく、死にたくない。
なんとか二人のご機嫌をとろうと必死だった。
「ゴブリンごときが私達を捕まえようなど片腹痛いわ!」
リノアはドスの聞いた声で怒鳴り付ける。
さっきまでの小娘と同じ人間とは思えない。彼女の怒りは、まるでドラゴンの咆哮のようである。
「お、お願いします。どうかお許しを」
「あんたには死をもって償ってもらうわ」
そう言うと、リノアは俺の方に近づいてきた。その目をみれば、先程の言葉に嘘がないことは理解できた。俺は死を覚悟した。
「リノアちゃん。こいつは殺しちゃダメよ」
ミレーユの言葉にリノアの足が止まった。
許してもらえるのだろうか。
だが、次の瞬間その希望は完全に打ち砕かれた。
「殺すなんてもったいないよ。死ぬまで、私達の奴隷として働いてもらわないと、それにそもそも私達、ゴブリン狩りに来たんだし」
一体どういうことだ。訳がわからない。
「そう言えば、そうでしたね。すっかり忘れてました」
「というわけであなたには、今日から死ぬまで私達のために働いてもらうわ」
ミレーユは狂気に満ちた満面の笑みでそう告げた。俺の復讐は最悪の結末を迎えた。
「は、はい。光栄でございます。ご主人様」
自らの運命を受け入れ、そう答えるしかなかった。
こうして、俺は二人の少女の奴隷になった。
体に鎖を巻き付けられた俺は、大きなカゴの中に放り込まれた。
「まさか、ゴブリンの方から出てくるなんて驚いたわ。まあ、わざわざ探す手間が省けてよかったかも」
「早速、例のアレ、一匹捕獲できましたね。今日は、やっぱり素晴らしい一日になりそうですね」
例のアレとは、ゴブリンのことだったのか。俺たちは、やはり狩られるものでしかなかったのだ。
「じゃあ、この調子でどんどん捕まえよっか」
彼女たちは、何事もなかったかのように楽しいゴブリン狩りを再開する。俺たちゴブリンの復讐が成し遂げられる日は一体いつになるのだろうか。
しかし、よくよく見れば、この二人かなりの美少女じゃないか。
人間の奴隷ってのもそんなに悪くはないか……
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