第11話 森人

 三日目。

 竜の気配は全く感じられず、事あらば途端にその力を発揮するのだろうけれども、今は始終のんびりとした表情を見せている騎士たちのお陰もあって、少し落ち着いた。今日は樹海の奥までゆくことにする。

 お昼のお弁当を用意。

 ヒタスキも一緒。

 隊長に、エルフ族とコンタクトを取る旨、伝える。めずらしく硬い表情を見せるリーダーは、重要な任務の遂行に対する感謝の言葉を述べる。

 ヒタスキはそわそわとしている。

 ヒタスキの精神状態を感じ取っているのか、巨馬がずっとあとをついてくる。

 「お主は野っ原で草を食べているがよい」

 そう言って胴を押しても、離れようとしない。

 「馬も一緒に行こう」

 今日は浮揚茸狩りはあきらめた。

 「……すまんの」

 菌糸のマントと帽子を脱いで、巨馬のおやつ用にリンゴとナシ、ニンジンをしこたま持つ。巨馬のための水は桶を二個用意、怪力のヒタスキが両手に一個づつ。

 二人と一匹でしずしずと樹海を進む。

 馬がいるのに僕もヒタスキも乗ろうともしない。考えてみるととても変だけれど、僕たちは自然にそうしていた。


 エルフに会うには、樹海の北の方角にある峻険な山岳地帯に向かってひたすら歩いてゆけばよい。三時間も経つと、彼らはこちらの存在に気づいてどこからか現れる。

 なにも話さず、ただただ腐葉土の積み重なった柔らかな樹海の土を踏んでゆく。

 時々、巨馬が果物の詰まった袋を鼻でつつくので、適当なものを取り出して口に放り込んでやる。

 「あ」

 僕は立ちどまる。

 「む?」

 感知スキルが反応。僕たちのほうへ真っすぐに歩いてくる。

 「エルフだ」

 「……あ」

 二人並んで、動かずに待つ。

 姿が見えてくる。

 エルフは、音もたてず歩を進める。一帯の空気が変わりだす。

 待つ間も、僕はエルフと視線を交わし続ける。

 無表情の端正な顔立ち、透き通るような白い肌、麗しい大きな瞳、薄いグリーンの虹彩。銀の長髪を後ろで結い、頭に色とりどりの羽飾りのついた布を巻きつけている。

 服は植物繊維で出来たダークブラウンの貫頭衣。同じ素材で織り込まれた太目の帯で、腰のあたりを締めている。

 細い四肢をしなやかに動かして歩む。

 エルフ族の対人間族交流担当のうちの一人だ。何度も会っているが、名前は知らない。人間族の言語をよく理解している。

 じっと見ていると、やはりヒタスキも僕も、彼らの血が混じっているのだと感じる。

 三ヤードの距離で静止する。

 「こんにちは。森の人」

 「こんにちは。練菌術師よ」

 「ご無沙汰しています」

 「そちらの少女は、どうされました?」

 ふと横を見る。

 ヒタスキが体を小刻みに震わせ、ぽろぽろと涙をこぼしている。

 「どうしたの?」

 僕の問いかけに答えず、エルフを凝視したまま泣き続ける

 エルフは、ヒタスキがエルフと人間のハーフであることにすぐに気づいたはずだ。無表情のままのエルフは言う。

 「エルフと人間が親密になっても、良いことはありません。しかし、あなたたちに罪はありません。用があればいつでもいらっしゃい」

 エルフは、僕と同じようにヒタスキが心のうちに抱え込んでしまっている孤独感と喪失感をも、見抜いたのだと思う。

 ヒタスキは僕のうしろに隠れつつ、背中に抱きつく。

 嗚咽を始める。

 気づくと、エルフが巨馬を見つめている。

 空気も動かさないような動作で、ふわりと巨馬のすぐそばまで進む。

 巨馬は落ち着いた雰囲気で、長い首をゆっくりと下げる。お見合いをするような形になる。

 「よい馬です」

 エルフが美しいかたちの鼻を巨馬の鼻面にくつける。エルフと巨馬が、見つめ合っている。

 「森の加護を授けましょう」

 エルフが巨馬の首を抱きしめて目を閉じる。

 神代言語に近いと言われるエルフの言語の『なにか』を、無声音で詠唱する。辛うじて認識出来るのだが、不思議と記憶出来ない。

 僕も、昔受けた。

 受けたのに、どのような効果があるのか、さっぱりわからない。

 ほんの数秒で身を離す。

 「また、お会いしましょう」

 「はい。それでは」

 エルフは音もなく去ってゆく。

 竜のことを聞きたかったのだが、ヒタスキがこんな調子では仕方がない。僕は地面に置かれていた水桶の片方を持って、泣きやまないヒタスキの手を握る。

 「帰ろう」

 ヒタスキは抱擁を解き、嗚咽を続けながらも水桶の一つを持ってくれたので、ゆっくりと歩き始める。

 お弁当も食べずに、歩き続ける。

 ヒタスキは長いことヒクヒクと言っていたが、草原の光が見えると泣きやんだ。もう少しで樹海から出る所で、ヒタスキは歩みをとめる。

 「大丈夫?」

 「……すまなんだの」

 胸がきゅっとなった。

 ヒタスキの頬を撫ぜて言う。

 「今日、手を繋いで一緒に寝よっか」

 ヒタスキが抱きついてくる。柔らかく抱きしめてあげる。

 「一緒に寝よ」

 「……うん」

 詰所で隊長に、今日は収穫がなかったこと、明日またゆくことを伝える。

 一旦、自室に戻る。ヒタスキもついてくる。

 部屋に入ったとたんに、うしろから密着してくる。もう、子供のようになってしまっている。

 僕のお腹に回された両手を、丁寧に撫ぜる。

 「ベットでころんとしよ」

 腕を放してくれないので、そのままベッドまでよちよちと歩く。

 ベッド際でやっと腕を放してくれる。

 二人で寝転がる。

 ヒタスキが僕の体に覆いかぶさってくる。あたたかくてやわらかな頬を、すりつけてくる。

 「うにゃー」

 謎の言葉を発して、またさめざめと泣き始めたので、背中をさらさらと撫でてあげた。

 しばらく、やわらかく撫でてあげた。

 

 エルフは、ヒタスキに森の加護を授けなかった。

 その分僕が、ヒタスキをたくさん大切にしようと思った。

 

 ヒタスキは夕ごはん前にはなんとか持ち直した。

 「お馬をブラッシングしてやらねばならぬ」

 そう言って、表に出ていった。

 少しほっとした。

 エルフも僕たちになにか伝えたいことがあったように感じた。明日はきちんと話そう。

 夜は手をつないで一緒に寝る、という予定だったと思うが、ヒタスキは今日も巨馬と一緒に野宿すると言った。

 「落ち着いた?」

 「ああ。もう大丈夫じゃ。ありがとな」

 ひしと抱きしめ合う。

 元気になってくれれば、それでいい。

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