第8話 巨馬

 馬の飼育場は、農耕地帯のはずれで樹海に近い場所にあり、すぐに到着。知人だと言う騎士が挨拶にゆくと、人のよさそうな初老の農夫に歓待される。

 「おお、噂の剣士殿と練菌術師殿か。大変だったねぇ」

 彼はこの飼育場の主人で、僕たちが竜監視業務に就いていると聞くと、特別に安く馬を譲ると言ってくれた。軍馬ではなく、乗るだけのものを所望する。

 僕もヒタスキも、馬とはすぐに仲良くなれる。

 にこやかな主人は言う。

 「さすが、エルフの血をひいているだけあって、馬と相性がいいねぇ」

 騎士達がうなずいている。

 「いや、ご主人が愛情を持って育てられているから、よく人に慣れているのでしょう」

 また騎士達がうなずいている。

 「おやおや、錬菌術師殿はお上手だ」

 皆が笑うので、少し恥ずかしくなる。

 「ここの主人は、以前騎士の任に着いていたんだ」

 「はは、大昔のことだよ」

 騎士達は馬を見て楽しそうにしている。皆、馬が好きなのだなと思う。

 僕は、監視業務期間中の一時的な所有、と説明して、最低ランクの馬を購入。

 「そういうことなら、あとで下取りしてあげるよ」

 中古の馬具も揃えてくれたし、なんだか至れり尽くせりだ。

 「みんな可愛いのう」

 美麗な顔をくりくりと振って見回りつつ、そんなことを何度も口走り、ヒタスキは決めかねていた。その姿を見て始終目を細めて優しげな笑顔を見せていた主人が、少し思案げな表情に変わって、言う。

 「剣士殿、ちょっとこちらの馬を見てみないかね」

 「む、なんじゃ?」

 厩舎の一つへと歩を進める主人のあとを、皆でぞろぞろとついてゆく。

 中に入ると、一番奥の少し隔離されたような場所に、一匹だけ、馬がいる。

 薄暗い厩舎の奥で、闇のような色を発している。遠目からでも、かなり巨大な馬とわかる。

 「あの若馬なのだがね」

 ヒタスキが、さっと走ってゆく。

 真紅の髪と瞳を持つヒタスキと、暗黒色の巨馬が見つめ合っている。頭のてっぺんまでが、ヒタスキの身長の二倍以上はあるようだ。

 ヒタスキが、丸太のような首を撫であげる。

 「可愛いのう。可愛いのう」

 「おお……」

 主人が感嘆する。

 「……あの馬は、気が荒すぎて鞍も着けられない程なのだよ」

 ヒタスキは、巨馬の首筋を叩いたりしながら言う。

 「おーい、こいつは表に出たいようだぞ」

 考え込むようなそぶりを見せつつ、主人は、独り言のようにつぶやく。

 「他の馬とは顔を合わせないようにしないと、大変なのだが……」

 柵の内側にするりと入って、その大風な体をこすり始めるヒタスキ。

 「……出してみよう。警戒心が強い上に力のある馬なので、皆距離をとって欲しい」

 上機嫌で巨馬に話し掛ける、ヒタスキ。

 「おい、お前の背に乗っていいか?」

 巨馬が、軽くいななく。

 「いや、それは……」

 主人はそう言いかけたが、ヒタスキの耳には届かなかったようで、ひらりとその隆々とした背に飛び乗り、肩のあたりを按摩する。

 「な、なんと……」

 気が荒い、と言われた超重量級の馬は、特に暴れるでもなく平然と小柄な少女を乗せ続ける。

 主人は僕たちに表に出るように言い、巨馬の入れられている奥の場までゆき、ゆっくりと柵を開ける。

 巨馬はずっしりとした足取りで、表に歩んでゆく。

 「よかったなお前。おんもに出られるぞ」

 ヒタスキは、首のつけ根あたりを強くこすっている。

 陽の下に出ると、巨馬の闇色がひときわ目を引く。青毛の馬はこれまでも見てきたけれど、これほど真黒なのは、ちょっといない。

 すべての光を吸収するような、黒。

 異様と言ってもいい。

 加えて、人を寄せつけない威圧感。

 「よーし。ゆけー!」

 そう言ってヒタスキが巨馬の首筋を何度か叩くと、軽く走り始める。巨体のわりに敏捷そうだ。小山のような塊の黒色に、風にたなびく真紅の長髪が映える。

 主人が、険しい顔をしてうなっている。

 「鐙もなしで、よく振り落とされないなぁ」

 騎士達が感心している。

 「よーし! とまれ!」

 とヒタスキが声を掛けて首筋を平手で強く打ったが、余計に加速、勢いよく走ってゆく。だめじゃない、と思っていたら、ヒタスキは背からぴょんと飛び降り、巨馬と並走、首の辺りを撫ぜて「とまれー! とまれー!」と何度か叫ぶと、やっと停止。

 僕らのほうを見て言う。

 「面白い馬じゃなー!」

 君のほうが、よっぽど面白い。

 その魁偉をマッサージし始めたヒタスキのところへ、主人が歩み寄ってゆく。皆もそろりそろりとあとについてゆく。

 ヒタスキは、手をとめずに主人に言う。

 「よい馬じゃのう……」

 主人は、複雑な表情を浮かべる。

 主人の顔を見てなにかを感じ取ったのか、ヒタスキは急にしょんぼりとして言う。

 「値段……、さぞかし高いのじゃろうなぁ」

 「この馬は、人が乗るための訓練が出来ていないのだよ」

 「そうか。わがままだが素直なところもある奴じゃが」

 気位が高い、といった感じか。

 「この体で足も速いしスタミナもある。間違いなく国でも屈指の名馬だね。但し、鞍を着けられればの話だよ」

 「はは、そういうのを嫌がりそうだな。こやつは」

 巨馬の体に触れ続けるヒタスキ。

 「我とこやつとは、結構気が合うぞ」

 主人は、依然厳しい顔をしている。

 ヒタスキは、巨馬に話しかけるように言う。

 「鞍などなくても、乗って走る分には問題ないじゃろ」

 「え、さっきとまらなかったけど」

 「ははは。とめる時は飛び降りればよいのじゃ」

 騎士の一人も巨躯に触れようと少し近づくと、蹄を鳴らし歯をむき出しつつ低くいなないて威嚇する。

 「おお、こいつぁ気が荒い!」

 すぐに距離をとる。

 すっかり笑顔の消えた主人が、口を開く。

 「剣士殿」

 「うむ」

 「この馬は、容易に人に慣れない」

 「そうなのだろうな」

 「人を背に乗せたのは、今回が初めてだ」

 「……」

 「とても、売り物にはならぬのだがね」

 ヒタスキは、巨馬の首筋に抱きついて頬ずりしている。

 「剣士殿なら、上手くやってゆけるかもしれない」

 「……我にも、ようわからぬ」

 「剣士殿に一ヵ月ほどこの馬を預かってもらって、様子を見るのはどうかな」

 「うーん、しかしこやつ、他に面白そうなことがあれば、ぷぃっとどっかへいってしまうかもしれぬぞ」

 「もしそうなったら、諦めるよ」

 「よいのか?」

 「ああ。正直この馬をどうしたものかと悩んでいたところなのだよ、それになぁ」

 「なんじゃ?」

 「この馬はとんでもなく大量の飼い葉と水を必要とするのだよ」

 「ははは。我そっくりじゃな」

 「はっは! そうなのかい?」

 主人に笑顔が戻る。

 ヒタスキは、巨馬の目をじっと見つめて言う。

 「お主、しばらく我と一緒に暮らそうぞ」

 巨馬が太い首を下げて、その顔をヒタスキの顔に近づける。ヒタスキが、その鼻の辺りをやわらかく撫ぜる。

 「毎日たんまりとこすってやるぞ」

 巨馬は、漆黒の瞳でヒタスキの真紅の瞳を覗き込むようにしている。

 「馬用のブラシは持っておいでかな?」

 「いや、持っておらんが、藁を束ねたものではダメか?」

 「それも悪くはないが、よいブラシがあるのでお貸ししよう。この馬に使って欲しい」

 諸々、主人より細かな気遣いを頂く。ヒタスキは、たいそう主人に気に入られていた。

 鉄竜を一撃で斬り倒した話も伝わっていようが、馬との相性がとても良いところを見て、戦士として有能と判断されたようだ。

 僕は馬の代金を支払い、ヒタスキは『預かり』という形で巨馬を連れて帰ることとなる。

 さて、どう乗りこなすのかと思っていると、ヒタスキが言う。

 「とりあえず皆先にいってくれ。あとからついてゆく」

 「了解」

 常歩でゆっくりと先行したのち、聴覚を鋭敏化、聞き耳を立ててみる。ヒタスキは僕達を指差して、新しい相棒(?)にこんなことを言っている。

 「あいつらは我の仲間じゃ。ついてゆくぞ」

 豪壮なる若馬を手招きしつつ、ヒタスキは駆け出す。どうやら『乗る』のではなく、一緒に走るらしい。そのあとを、相棒(仮)が追い始める。

 とりあえずは、なんとかなったようだ。ちらちらとうしろを見つつ、監視所への道をゆく。

 いつの間にかヒタスキは、その巨大な相棒の背の上に乗っていた。


 監視所に到着。

 「よう走ったの」

 ヒタスキは早速巨馬の体に水をかけてやり、ブラッシングをし始める。巨馬は気持ちよさそうな表情を見せる。

 「あとでリンゴをたんまり食わせてやるからな」

 走らせたあとすぐになにか食べさせるのは良くない、ということは知っているようだ。

 僕は樹海へ入ることにする。

 「ヒタスキ、ちょっと森できのこ採ってくるね」

 「お、ちょっと待っとくれ。これ終わらして一緒にゆくぞ」

 「あ、いいよ。今日は軽くだから」

 「そうか! 無理するなよ!」

 あっさり言われた……。

 巨馬の闇色のが、僕のことをじっと見ていた。

 隊長にも、『偵察』ということで一報入れておく。

 一人で大丈夫か? と問うので、僕の生物反応感知スキルや森と草原の際を認識する能力を軽く説明する。

 隊長はにこやかに、深くうなずく。

 「うん、大したものだね。司教様が強く推薦するわけだ」

 ああ、そんなことがあったのか。

 「気をつけていっておいで」

 明日昼前には浮揚茸を扱っている業者が来ることになっているので、手土産なしでは宜しくない。

 

 いつもの通りの樹海。とても静かだ。

 のんきに生えている浮揚茸を、ぽんぽんと袋に詰めてゆく。今日も調子よし。

 しかし、午後も遅いので、小一時間ほどで採集を切りあげる。初日だし、こんなものだろう。

 おまけで、皆にふるまうためのポルチーニも、採っておいた。

 

 監視所に戻ると、丁度ドゥワーフが数人ガヤガヤとやって来たところだった。

 「オウ。さすが人間族は手が早いノウ! もう家を作りおったわ!」

 見張りの騎士が、声を掛ける。

 「おー、ドゥワーフの衆! どうかされましたか!」

 「ホレ、開店祝いじゃ!」

 その太い腕に持った肉と酒を掲げる。

 少し離れた草原で巨馬とぶらぶらしていたヒタスキも、手を振ってイノシシ並の速度で走ってくる。巨馬もたかたかとついてきたが、やはり人間を警戒しているのか、途中でとまってそこらへんの草を食み始める。

 「おお剣士殿! なんじゃあの裸馬はッ!」

 「うむ。預かっておる。可愛いやつだがちと気難しくてなぁ」

 「フム、馬具もつけられんかッ!」

 隊長はドゥワーフたちを詰所に案内、皆で軽く飲食。話題はすぐに竜族の動向になる。隊長もドゥワーフ族のことを気にしている。

 「近所ですし、密に連絡を取り合いましょう」

 「ウム。宜しく頼むゾイ!」

 「我はまだドゥワーフの衆の工房へいったことがないのじゃが、近いのか?」

 「徒歩でも三十分程度の所じゃ! 樹海に沿って西に歩いてけばよい! 明日にでも遊びに来るかっ?」

 「隊長、明日少し様子見にいってもよいであろうか?」

 「うん。いいことを思いついた」

 隊長の発案で、毎日ドゥワーフの工房まで樹海沿いに騎乗往復、近辺に異常がないか確認する『巡回業務』が作られる。

 「三人組くらいでいいだろう」

 騎士達は工房の武器を見るのが好きだし、ドゥワーフ達も商売なので大歓迎、日々の情報交換も出来るという妙案。第一回は明日午後、ヒタスキと僕、騎士一名でゆくことになった。

 「では明日なッ! 待っておるゾイ!」

 にぎやかなドゥワーフ達が帰ると、少ししんとなる。

 ヒタスキは巨馬のほうへと戻る。

 「そろそろ夕ごはんだよー」

 僕の声掛けに手を振って答えつつ、一直線に走って行ってしまった。


 さてと、ポルチーニを料理しましょう。炒めるだけだから、料理っていうほどのものでもないんだけどね。

 採って帰ってきてすぐ詰所の端っこにずらりと陳列しておいたので、すでに騎士たち全員が狙っている。口はにこやかだけれど、目が笑っていない。

 そんなに大量にはないので、ちょっとした口安め程度のものですよ。

 教会に言って取り寄せてもらっていた堅いチーズと白ワイン、オリーブオイル、ガーリック、岩塩、ネピテッラを入手、とはいかなかったので、スペアミント系のそんなに香りのきつくないものを樹海で見つけて引っこ抜いておいたもの、お好みでシトロン。

 まずはポルチーニについている泥を、丁寧に落とします。こういう作業のほうが大変。虫がついていたりするけれど、気にしなーい。

 もう、何人かの騎士が、すぐそばまで寄ってきている。牽制、威嚇等の小競り合いも始まっているようだ。

 「準備が出来ましたな」

 「ああ、美味そうだ」

 「さあ早く食べましょう」

 「まだです」

 チーズをナイフで削り取るようにして、細かな小片にします。やー、これも意外と時間がかかるなあ。

 「まだですか練菌術師殿」

 「これは、なにを?」

 「炒めたポルチーニの上にかけて、一緒に食べるのですよ」

 「ほほー」

 「わざわざチーズを粉のようにして?」

 ミントは細かく刻んで、ガーリックを薄く切る。シトロンは半分に割って、汁を絞りやすいように。

 最期にポルチーニを適度にスライス、準備完了。

 それぞれの夕食用のパン、チーズ、煮物、飲料等は、もう揃えているようだ。

 フライパンの大きさと、ポルチーニの量から計算。

 「三人分づつ作りますので、食べる順番を決めてくださいな」

 「こういう時は隊長が一番だろう」

 「ずるいです隊長」

 「却下」

 いつの間にか、ヒタスキが来ていた。

 「戦士らしく腕力で決めようではないか」

 「却下」

 「却下」

 結局くじびきにしたようだ。

 では、調理開始。

 フライパンに薄くオリーブオイルをひいて、ガーリックをソテー。

 「いい匂いがしてきたなぁ」

 「たまらんなぁ」

 「先に夕食始めてくださって結構ですよ」

 「練菌術師殿、すんません!」

 「いただきまっす!」

 頃合いを見計らって、スライスポルチーニ投入。軽く刻みミントと岩塩を振って炒める。はい出来上がり。

 三つの皿に均等に分け、チーズ片をふわさっとかけて、お運びさん。

 「オリーブオイルを好みの量かけて食べてください。シトロンをちょっと絞っても、いい味が出ますよ」

 後半の人からは、炒めの終盤に白ワインをちょこっと加え、蓋をして軽く蒸す感じのものを。

 「おお、これはまた優雅な味になったなぁ」

 「いろいろな料理の仕方があるのだなぁ」

 前半の人が自分も食べたいと暴動を起こしそうになったので、また採ってきますからとなだめておいた。

 本当に、楽しい人たちだ。


 巨馬は厩舎に入るのを嫌がったようで、もう陽が落ちるという時間になっても表に出たままだった。

 「かわいそうじゃから、おんもで一緒に寝てやることにしたぞ」

 ヒタスキは、野宿をするようだ。

 今日も手をつないで一緒に寝るつもりだったのに、とは言わないでおく。

 ええ、言いませんとも……。

 いつも一人で寝ていますし……。

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