第5話 城市
灰白色の城壁が見えてくる。
僕とヒタスキは、明日の午前中に教会へゆくことになった。司祭は、僕にもなにかさせたいらしい。
なんとなく、見当はつく。
市街に住むようになって二年を過ぎたが、馴染みつつも人間族とはあまり深くかかわらないようにして生きてきた。教会に対しても、そのようなスタンスを取っていた。
しかし、今回の件ではそうもいくまい。
すぐにこの地を捨てて、もっと安全な南の地へと避難してゆく気にはなれない。ヒタスキに命を救われたことも、そう考えるようになった一因かもしれない。
市門の外で降ろしてもらう。
商人の荷馬車は、速度がいくらか遅い。石造りの高い市壁に寄りかかって、二人で待つ。
夕日が大きなオレンジ色になっている。
さびしい気分になる。
僕が心の内に抱えてしまっている孤独感と喪失感が、わずかに膨らむ。
僕の気持ちに反応したのか、ヒタスキもすっかり大人しくなってしまっている。ぽつりと、つぶやくように言う。
「時代は変わる、か……」
「司祭殿も、色々と悩んでいるようだね」
風車がゆったりとまわっている。ヒタスキが指差して言う。
「あれは、面白いのう」
「あー、風車」
「我の故郷にはなかった」
「小さいのはあったんじゃないかな」
「気づかなかったな。とにかく、あのような巨大なものはなかった」
「粉を挽いているんだ。あれが出来て、随分と楽になったみたい」
「成る程の」
風が心地よい。また、冬が来る。
表情をなくしているヒタスキは、声のトーンも平坦になっている。
「……のうメルリウス」
「なに」
「お主は、何故この街に住むようになったのじゃ?」
「流れ流れて、かな」
ヒタスキの声の調子が、より一層下がる。
「我はな、、、エルフ族に会うてみたい」
「……そうなんだ」
「そのためにこの地に来たようなものじゃ」
「傭兵じゃなくて?」
「それもあるが、まぁ、あまり期待はしていなかった」
「そっか」
「我は、自分が何者なのか、よくわからぬ」
「わからなくても、日々生きてゆけるけどね」
「その通りじゃな」
少し黙って、またつぶやくように話し始める。
「我の里親は、我に沢山愛情を注いで育ててくれた」
「うん。そんな感じがする」
「村の皆も、我のことをとても大事にしてくれた」
「いいね」
「ま、若いのに剣がそこそこ振るえたからの」
「そこそこ?」
「国の武芸大会剣の部での、我が十二歳の時から三年連続優勝したのじゃ。大人でも我に勝てる者はいなかった」
「凄いよ」
「その時に賜ったものが、今携帯している三本の剣だ」
「最高級の剣なんだね」
「うむ。製鉄の過程で、ほんの少ししか得られぬ至高の素材で作られておる」
「お金に換えられないね」
「それはともかく」
「ん」
「メルリウスよ」
「なに」
「エルフ族に会うたことはあるか?」
「時々会うよ」
ヒタスキが、弾かれたようにこちらを向く。
「本当かっ?」
「うん。色々お世話になっているし、たまにお世話もしたり」
「い、家に遊びに行ったりしておるのかっ?」
「流石にそこまではない。というか、無理」
「そ、そうなのか?」
「半分エルフの血が混じっているとは言っても、やっぱり向こうにとっては僕なんか異人なんだよね」
「…………」
「人間族との交渉役みたいなエルフと時々会うんだけど、名前教えてくれないし」
ヒタスキは、またしんなりとしてしまって、ゆるゆると座り込む。
「はー」
溜息までつき始めた。
「あ、それでもよくしてくれたエルフもいたよ。練菌術のこと教わったし」
「そうか」
「もう死んじゃったけど」
ヒタスキは、一寸の間ぼんやりとしたのちに、口を開く。
「メルリウスの工房、見てみたい」
声がすっかりしょげ返っている。
「え、ゴミゴミしてるよ」
「……迷惑か?」
「い、いや、ちょっと片づけたいかな」
「我は気にせぬ」
「いや、僕が恥ずかしいし。いや、ほんとにね、物があり過ぎてね、狭いんだ」
「家族などはおるのか?」
「いないよ」
「そうか」
気遣いかどうかはわからないが、深く聞いてこないのは、ありがたい。
「でも、引っ越そうかと思ってる。もっと広い所に」
「よいな」
「で、今の時期は浮揚茸を採って稼ごうと思ってたんだけど」
「災難じゃったな」
ヒタスキの腹が、キュルキュルと悲哀に満ちた音を立てる。
「おなか減った?」
「減った」
「もうすぐ帰ってくるよ」
「はー」
また溜息を漏らす。
「メルリウスは、強いのう」
不意をつく言葉に、心が揺れる。
一瞬、言葉に詰まるが、なんとか返答する。
「……そんなでもないかな」
僕も、隣にしゃがみ込む。
ヒタスキは両膝を立てて両腕で抱え、膝当てにやわらかそうな頬をくつけて目を閉じている。
脚、長いなぁ。ほとんど丸出しだ。東方辺境女子は、夏場は皆こんな露出度なのだろうか。
ヒタスキの奇麗な顔に目を移し、少し考える。
……一人でいるよりはいいか。
ご招待しましょう、我が練菌工房に。
「狭くても、いい?」
ヒタスキが、目を開いてぱっと顔を上げる。
「え」
「いや、うちに」
「いっ、いいのかっ?」
「ヒタスキさえよければ」
「いくッ!」
急に元気になった。
「じゃあ決まり」
ヒタスキがざっと立ち上がる。釣られて僕も、もっそりと。
丁度、商人の荷馬車が見えてきた。ヒタスキが大きく手を振ると、双子が嬉しそうに飛び跳ねる。
ヒタスキは、柔らかな笑顔で荷馬車を見つめながら言う。
「エルフの話を、いっぱい聞かせてくれ」
鉄竜の装甲皮は、かなり目立った。
荷馬車から商店に搬入する時も、まわりで店を開いている商人が数多見学に来た。
小型の鉄竜を退治する時には、長槍を持った騎士が三人以上で取り囲んで、重く硬い尾の攻撃を避けつつ体を突きまくる、といった戦法が主。首の所が斬られ、体に槍傷が一切ない鉄竜皮は、希少品といえる。
そのような理由から買い取り価格はかなりよかったようで、錬金術師から売上金を受け取ったヒタスキが、かなり驚いていた。
「こっ、こんなに貰えるのかっ! 半年は稼がずに済むなっ!」
「……あー、まぁ、無駄遣いせずに野宿すんならな」
僕も浮揚茸と最高級と評価されたポルチーニを売って、懐がかなり潤った。温かくて美味しいものを食べよう。
錬金術師が商店で物品を買い上げたので一度皆で彼の工房までゆき、そこから飲食店街へ。よい香りが漂ってくる。
「さ、なに食いてぇ?」
ヒタスキは、素早く腹をおさえる。
「な、なんでもよいぞ」
腹鳴を上手く回避したようだ。
「うし、じゃあ今評判の食いもん屋にすんぞー!」
「わーいニャ!」
「わーいニャ!」
仕事を終えた人たちで賑わう商業区の道を歩く。目的の店はさすがの人気店、かなり混んでいたが、席は確保出来た。
「皿もの沢山頼んで、皆でつっつこうぜ」
「ここは煮物が美味しいんですよね」
「我は肉がよいかな」
「フルーツ食べたいニャ」
「フルーツ食べたいニャ」
皆でわさわさと頼む。
僕は、採れたポルチーニのうち小ぶりだが締まった四本をとっておいて、店主と交渉。人気店を仕切るだけあって、手に持って香りを少し嗅いだだけで最高級品とわかってくれる。熟練の仕事師だ。
「いやいや、練菌術師殿の採集してくるポルチーニが最高級であることは、この市では有名ですので」
一本を店に提供する代わりに、三本を調理して出してもらうことに。
「薄く切って、炒めてもらえますか?」
新鮮なものは、スライスしてざっと焼くだけでもかなりいける。
「オリーブオイルとガーリックでソテー致しましょう。ネピテッラをあわせましょうか」
「素敵な組み合わせです。ここは良い香草を揃えていますね」
「いや、恐縮至極に存じます。練菌術師殿は褒め上手でありますね」
店主は、はにかみながらもすぐに厨房に行って、調理の指示を出してくれた。
しかし、僕の才覚を認めてくれているのは嬉しいのだが、どこか馴染まないというか、変によそよそしい。まぁでも、半分は人間族ではない僕のような者に対する態度としては、差別意識の低いエクリウス市民の中ですら、一般的なものと言わざるを得ないのだが。
料理が届き始める。皆、待ちきれなかったかのようにすぐに口を動かす。
「うむ。美味いな」
「だろ!」
双子は、リンゴを切って甘く煮たものが入っているプディングを、小さな手に持った小さなスプーンでちまちまと食べている。
「甘いニャ」
「甘いニャ」
料理が揃って間もなく、店主がやってきて焼き菓子を盛った皿をテーブルに置く。
「おう、頼んでねえぜ!」
「いやいや、大変でしたな。竜が出たそうで」
「親父、早ぇな!」
「店からです。どうぞ召しあがって下さい」
「ありがたく頂戴するぜ!」
素朴な焼き色、こじんまりとした外見だが、味は一級品だろう。錬金術師は、早速口に運ぶ。
「美味ぇ!」
この若き天才は、良く出来たものを素早く見抜き、きちんと評価する人間だ。
「お怪我など、ありませんでしたか?」
「だいじょぶだ!」
「一頭ですか?」
「幸いにな!」
「はぐれ竜ですな」
「百年ぶりくれぇじゃねぇか? ここらへんじゃ」
「そのようですね。もう出てこないとよいのですが……」
「ま、だいじょぶだろ! 沢山出てこなけりゃあな!」
一般の市民だと、竜のことをあまりよくわかっていない者が大多数だ。ここはひとつ、お菓子のお礼に情報提供などしてみましょう。
「はぐれ竜ではない可能性もありますね。竜族は基本群れで行動しますが、群れに所属していても単独で獲物を追って足を伸ばすこともあります」
「心配ですな」
店主は、心底困ったような顔を見せる。
「そういえば、竜を退治したと聞きましたが」
「まぁな」
「鉄竜の皮は目を引きますからなぁ」
もう、色々な所で噂になっているのかもしれない。
「して、どのように退治されたのですか?」
「あー、こいつが一撃で斬り倒した」
錬金術師が指差した先には、料理を目一杯頬張っている粗末で奇妙な身なりの小柄な美少女。
「は?」
まわりにいた客何人かが、ばっとこちらを見る。どうやら聞いていないふりをして耳を大きくしていたようだ。
とは言え、錬金術師とホムンクルスはこの街の有名人(いい意味でも悪い意味でも)だし、ハーフエルフもかなり珍しい存在なので、ただでさえ目立つ組み合わせではあるが。
それにヒタスキの格好。ズボンを履いている女子なんていないし、しかも極端に短い丈、かなり目を引く。
「こいつ、東方辺境の剣士。めっさ強ぇぞ!」
店主は、唖然としつつ言う。
「そ、そうでしたか」
背中に背負っている細っこい棒、良く斬れる剣には見えないだろうなぁ。
ヒタスキが、なにかモゴモゴと言っている。助け舟を出そう。
「とてもおなかがすいているようなので、ゆっくり食べさせてあげて下さい」
「あ、これはお話が過ぎました。どうぞごゆるりとお食事下さいませ」
店主は深々と頭を下げて謝意を表し、さらりと厨房に消えていった。
錬金術師が、ヒタスキに小声で言う。
「おいおい、こりゃあ人気出ちゃうかもよ」
首を左右にぶんぶんと振りまくる、ヒタスキ。
「剣のお姉ちゃん、良く食べるニャ」
「良く食べるニャ」
双子が、ヒタスキの背中をさわさわとさする。
「ぐふー」
「落ち着いた?」
「ああ。まだまだ食い足らぬがな」
「おう! 宴はまだ始まったばかりだぜ!」
錬金術師は、思い出したように言う。
「そいやさ、おめー竜斬る時なんとか術とか叫んでなかった?」
「厳鉞山抜刀術。故郷の技じゃ」
「それ、叫ばんと斬れねぇの?」
「そ、そんなことはないが、、、気合いが入るのじゃっ!」
「厳しい鉞(まさかり)の山か」
「由来はよく知らぬが、なにしろ深山じゃ。樵が多かったな」
「あー。そんでドゥワーフみたいな爺さんが!」
「うむ。あんなんばっかしじゃった。皆、気のいい奴ばかりでなぁ」
少ししんみりとした雰囲気になってしまったが、空気を読んだ錬金術師が、すぐに話題を変える。
「そうだ、おめーさんに礼だ!」
腰につけた小振りの巾着袋から、丁寧な手つきで陶器の蓋付小皿を出す。大胆で豪放でありながら、細心さもきちんと兼ね備えている、良い研究者だ。
「こいつをやるぜ!」
「なんぞ?」
「俺様特製の口紅だ。売れ筋だぜ!」
途端にヒタスキがわたわたとしだす。
「くくくちべにだとう?」
「おうさ! キラキラ光るもんとか透明なもんなんかうめぇこと配合してあってな、ピッカピカのテラッテラになる! どんな男もメロメロだぜ! 俺以外はな!」
ヒタスキの顔が、真っ赤になっている。
「そっそんな物はいらぬわ!」
「おいおい、おめーさんすっげーべっぴんさんだからな! 似合うぞ!」
「つっ、つけたことなぞ、ないし!」
「故郷にはなかったんか?」
「いや、あったけど、おお、大人が持ってたな!」
「いっぺんつけてみろって!」
錬金術師が仕草で説明する。
「指で、こうやってな」
実際にヒタスキの唇につけてやろうとすると、物凄い速度と回転数で首を振って嫌がる。
口紅は、この錬金術師の収入源の一つだ。教会が喜ばないこともあり平民は普段化粧をしないが、たまに求めに来るようだし、上流階級の一部の女性たちには密かに人気らしい。彼の作るものは一般的な赤色ではなく、ピンクやオレンジ、茶色などという特殊な色で、独自の技術によるグロス加工、毒素を含む素材を使用しないなどの商品特性が、好事家の心を大いにくすぐっているとのこと。
作るものまで変わりもの。全くブレない天才だ。
ちなみに錬金術師は直接売ることはせず、全てつき合いのある商人に任せている。彼は、自分の認めた人間のことはとことん信じる。
「それと、こいつもやるぜ!」
別の陶器蓋付小皿を出す。
「こいつを塗ると肌が真っ白になる! しかも、肌にいい成分がたんまり入ってるんだぜ! お肌がプリップリになるし、シミも出来ねぇんだ!」
「よよ余計なお世話じゃー!」
「そりゃあおめーさん超絶美白さんだし、必要ねぇかも知らんが、ここぞってぇ時にゃ、持っといて損はないぜ!」
「こっ、ここぞとか、ななないからっ!」
ヒタスキは、顔を紅リンゴのようにして小声でなにかしら呟きながらも、最終的には「しっ、仕方がないなぁ……貰って進ぜようぞ。使わないけど」などと仰って、二品を受け取っていた。
やはり女の子なのだなと思った。
食いっぷりはもの凄いけれど、服も汚れまくっているけれど、それも含めて、なんだか、とても可愛い女の子だと思った。
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