第2話 鉄竜

 生物は、大きく動物、植物、菌類にわけられる。

 昔は菌類も植物の一種とみなされていたが、光合成で自らが必要とする栄養を作ることが出来ず、動物と同じく外部から栄養を摂取することから、区別された。

 その菌類たちと、僕は懇意にしている。


 浮揚茸。

 深い森の中に生えている。植物と共生する菌。毒性あり。この樹海以外では、まず見られない種。

 森の住人のエルフは『水に浮く』ということに興味はないし、人間族に売って儲けようともしないので見向きもされず、この鬱蒼とした樹海に入って少し足を延ばせば、かなり繁殖していることが確認できる。

 但し、普段は地面の上に傘を開いているくせに、動物の気配を察知すると地中に潜り込む習性があり、『発見』することは大変難しい。

 魔術師の中には生物としての気配を消し去る術を持つ者もいるが、魔素を持っているこの菌には察知されてしまうことが多く、彼らですら一日森をまわって二十本も手に入れられれば上出来、という状態だ。

 最も効率がよいと見られている菌糸を使って菌を偽装する技術は、百年ほど前にエルフ族の練菌術師が開発したものだが、これも完璧ではない。

 僕は、一人で試行錯誤を重ねて独自の菌配合を考案し、追いつく者がいない程の収穫数を上げるようになった。


 五分ほど樹海を歩き、目を閉じる。樹海と草原の際を、意識する。

 調子よし。

 生物反応感知スキル発動。まずは軽く探知。三百ヤード以内にウサギ以上の大きさの動物は、いない。

 僕には森の住人のエルフの血が入っているからか、純血の人間族よりもはるかに生物の気配を感じ取る能力が高い。森の中に入れば、余程離れない限りは、森の内と外の境界(際)の位置を認識することも出来る。

 際からほぼ垂直に半マイル歩き、その後、際に沿って探索行。一時間で数十本の浮揚茸を発見、背負いの麻袋に調子よく入れてゆく。

 上出来。

 針葉樹が広がる場所に近づくと、見事に太ったポルチーニがそこここにぷっくりと生えているのが見てとれる。

 とても美味しいきのこだ。

 この子たちは市の農村地帯の広葉樹林帯で採れるポルチーニよりも、肉質がしっかりとしていて香りが良い。実は両者は種類が違う菌なのだが、外見も食味もかなり似通っていて、市場では同じ『ポルチーニ』として流通している。

 少し離れた所に、赤いベニテングタケが菌輪を描いている。暗い深緑の樹海の中で出会うと、目が覚める。

 これも持って帰れば引き取り手はあるのだが、何故かこのきのこが大好きなエルフ族のために、そのままにしておく。人間族と交流する時は常に無表情でいる彼らも、身内だけの集まりになれば、この真紅の円環の中で楽しく踊ったりしているのだろうか。

 茶色いテングタケは持ち帰る。これは工房で蒸留酒に漬ける。

 それがもたらす興奮・狂騒・幻覚作用から、昔は戦士に重宝されていたが、最近は大きな戦争など起こらなくなってしまったので、あまり売れないけれども。

 ここで一旦方向転換。五十ヤードほど奥に入り、際に沿って引き返す。

 熊らしき生命反応あり。

 落ち枝で樹をパキパキと叩くと、遠ざかってゆく。彼らは大きな体のわりに臆病で、決して好戦的な動物ではない。

 静寂が戻る。

 すっかり油断している浮揚茸。

 ごめんね、僕も日々の糧を得なければならないのだ。


 あ。

 嫌な存在感。

 かなり大きい動物がいる。熊どころではない。

 こちらに向かってきている。

 五百ヤード以上の距離があるが、感知出来てしまった。

 これは……。

 かなりやばい。

 向こうもこちらに気づいている。

 まさか。

 こんな所までやってくるはずがない。

 「……地竜」

 僕は、一目散に駆け出す。きのこの袋を投げ捨てる。敵の動きはそう速くはない。鋼鉄のような装甲鱗を持つ、竜族の中では下級種で小型の鉄竜だろう。小さいとは言っても、体高は成獣なら七フィートは優に超える。

 そして、人を喰う。

 全力疾走で森から脱出。仲よくひっついて暢気に寝転がっている三人に向かって叫ぶ。

 「逃げてーー!」 

 「ああ?」

 「地竜だ!!」

 「おいおい、こんなとこに出るわけねーだ……」

 僕はありったけの力を振り絞って声を上げる。

 「時間稼ぎします!」

 錬金術師はほんの一瞬無表情になったのち、ばっと双子を小脇に抱きかかえて超速で馬車のところまで突っ走ってゆく。いい足だ。ヘルメス属性も伊達ではないな錬金さん、どうか転ばないでくれ。

 さて。

 使うことなどないと思っていたが……熊除けの幻覚きのこ玉、どこまで通じるか。森から出てきた瞬間を狙う。急に明るくなって、一瞬でも動きが鈍るはずだ。

 向こうの感知スキルのほうが上、隠れても無駄。

 僕は、仁王立ちになって待つ。

 呼吸を整える。

 玉は四発。

 竜族はそう樹海から離れることはないだろうし、二分も稼げばいいだろう。

 数万ポンドの重量に、大地が小刻みに揺れる。地を叩く重い音が近づいてくる。大音響の咆哮が空気を震わす。

 見えた。

 長い首、鈍く光を反射する漆黒の鱗。魔族ではあるがほとんど獣といってもいい四つ足の巨躯、やはり鋼鉄装甲の鉄竜だ。

 樹海から首が出たタイミングで、鋭利な牙の並ぶ開ききった口腔に熊除け玉を投げつけ、間髪入れず右方向に疾駆。

 着弾前に首を傾けられるが首筋にヒット、幻覚きのこの毒成分を粉末にしたものの煙が、鉄竜を中心に広がる。それは殺傷性はないように作ってはいるが、目や鼻腔粘膜を強烈に刺激する。

 鉄竜が首を振っている間にもう一発顔に投げつけつつ、回り込むように走り込んで鉄竜の背後の森に入る。

 一瞬ひるんだ鉄竜が、振り向いて再び僕に向かってくる。

 僕は樹の陰に隠れつつ、鉄竜が樹海に首を入れた瞬間に一発、瞬時に左移動。

 玉は見事にヒット。

 同じパターンでもう一発当てたのち、今度は樹海の外に向かって一直線で走る。

 よし。これでおさらばだ。あとは馬車まで全力疾走。

 樹海から飛び出す。

 後ろから咆哮が聞こえる。近い。回復が早い。

 とにかく走れ!

 あっ!

 そう思った時には、僕は地に倒れ臥していた。

 大きめの枝を踏んでしまったようだ。

 上体を起こした時には、目前に鉄竜がいた。


 ……喰われる。


 パキン! という乾いた高い音がして、鉄竜の首が少し揺らぐ。僕の顔にも、なにかの細かな破片がいくつか当たる。

 誰かが石のようなものを投げたらしい。

 鉄竜の首が左を向く。

 緋色の瞳に緋色の髪。手に細い棒状のものを持った小柄な少女が、ゆっくりとこちらに走ってくる。

 剣か?

 ギラリと光る白銀色は金属には違いないが……細すぎるし、薄すぎる。

 腰までの長さの髪はうなじの後ろで束ねられていて、風になびく。

 「おおおおおおおお!」

 突然雄叫びを上げる少女。

 堅牢なる防護鱗を持つ鉄竜も、迎撃の咆哮をあげる。巨岩のような怪物の攻撃対象は、完全にその少女となった。

 一直線に走って来る少女。僕は、援護のつもりで横にあった石を拾い、起き上がって敵の頭に投げつける。

 少女が叫ぶ。

 「厳鉞山抜刀術ッ!」

 緩慢に見えた少女の動きが、距離二十ヤード程度になったところで突然加速。

 と、思ったら、、、消えた!

 いや、鉄竜の目前に立って剣を振るった?


 「斬伐ッ!」


 な……?


 「縮地だな」

 「え?」

 「瞬時に距離を詰める、東方の技でぇ」

 錬金術師が戻ってきていた。

 一瞬だった。

 首の付け根の下側半分を断ち斬られた鉄龍が、体液を撒き散らしながら、身悶えつつ倒れる。

 重い体重に地面が揺らぐ。

 少女剣士は手に持った剣を一振り、付着した体液を振り払うような動作がさまになっている。

 一撃で終わった。

 助かった。

 「あ、ありがとうございます」

 少女剣士がこちらを向く。

 「うむ。大事ないか?」

 若い。というか……幼い印象。

 澄んだ高い声、低い身長。肌は磁器のように滑らかで白い。

 顔立ちは幼さが残るも、整っていてとても美しい。形の良い二重のぱっちりとした瞳、緋色の前髪は真っすぐ切り揃えられている。手足はすらりとして細く長く、腰も華奢な印象だが、胸のボリュームはある。

 服は上下とも汚れた感じの茶灰色。腿も露な丈のズボン、袖がなく襟の大きく開いた薄い筒型衣、膝と肘の部分に当て物を着けているが、肌の露出度が異常に高い。

 この国の女子の格好ではない。

 わりと自由な雰囲気がある新興都市エクリウスでも、ここまで突飛なファッションはまず見かけない。

 腰の一本の他に、背に二本の長剣(?)を背負っている。盾は持っていない。

 所々、鉄龍の返り血を浴びている。

 少女剣士は投げ捨ててあった巾着袋を拾いに戻り、片手を上げて森に入ってゆく。草や葉で血を落とすのだろう。

 「服装はアレだが、顔立ちは東方辺境の人間には、見えねぇなぁ」

 数分で森から出てくる。錬金術師が声を掛ける。

 「縮地だろ」

 「知っておるのか」

 「剣もこっちのもんじゃねぇな」

 「東方の秘刀じゃ。鉄をも断つ」

 「旅の途中ですか?」

 「うむ。我はエクリウス市に向かっておる」

 「また、どうしてこんな所に来たんでぇ」

 ほんの少し表情を曇らせて、一瞬返答を躊躇する少女剣士。

 「……いや、樹海を見ておこうと思ってな」

 「馬は?」

 「徒歩じゃ」

 騎士ではないらしい。

 「俺たちの街だ。荷馬車があっから乗ってけ!」

 「ありがたし。世話になる」

 「いや、すっかり助けられました。なにかご馳走させて下さい」

 「美味ぇもんたらふく食ってけ!」

 突然、少女剣士の腹が地鳴りのような音を立てる。顔を赤らめて素早く腹を押さえる剣士。ご馳走、美味いもの、という言葉に反応してしまったようだ。

 「わはは! なんでも食いてぇもん言えよな!」

 「僕はメルリウスと言います」

 「俺はレンティヌス。天才錬金術師だ!」

 「我はヒタスキじゃ」

 錬金術師が、地に横たわり一切の動きを停止した鉄竜を指して言う。

 「ところで、こいつどうすんの?」

 「市街まで運ぶのも面倒であるな」

 「まぁ最下級の竜だしなぁ。それでもちょいと解体すりゃあ装甲と眼球、肝臓くれぇは持ってけるだろ!」

 またもや少女剣士の腹が、ぐるぐると音を立てる。

 「ぐはは! それどころじゃあねぇってか!」

 「ううううるさい! 今日はまだなにも食っておらんのじゃー!」

 「とりあえず教会に報告しなきゃならないですね。こんな所まで竜族が来たとなると、厄介だ」

 「了解。じゃあ俺様が残って解体しとくわ。そんかわし売上半分くれ!」

 「いや、まだ竜が出るかもしれませんよ」

 「そしたら走って逃げるぜ! 森から離れちめぇば大丈夫だ。こいつもあるしな」

 手に一フィートはある太目の棒状の物を持っている。

 「なんですかそれ」

 「ん? 秘密兵器。さっきは大丈夫かなーと思って使わなかった」

 「どんなものですか?」

 ニヤリと笑う錬金術師。

 「ま、そのうちな」

 少女剣士は、気恥ずかしそうな表情を見せて言う。

 「ま、任せてもよいか?」

 「いいぜ。早く帰って教会のボウズと商人呼んで来な!」

 「助かる。恥ずかしながら所持金が寒くなってきておったのじゃ」

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