第28話
普段は一日置きに訪れる出部が、珍しく連日通ってきた。
「どうしたの出部、今日はトレーニング休みでしょ。さては私に会いにきた?」
「うん、マチちゃんにも会いたかったよ。でも今日はランニングマシンを使おうと思ってきたんだ」
「ランニングマシン? 有酸素運動だけやりにきたの? 良い心がけだね」
特に構うわけではないが、どことなく仕事にやる気が出る。見回る足取りも軽快で、端的な指導で人数をこなした。
時折り出部の方へ視線を送ると、ゆっくりだがウォーキングをしている。と、思ったらランニングをしたりと、ペースがめちゃくちゃ。さすがに気になったので声をかけた。
「出部、やるならペースは一定の方が良い。別に競技をするわけじゃないんだから」
「あ、うん。実は今日はちょっと試したいことがあってきたんだ。これ」
「何これ。スマホ?」
「うん、見て見てこのアプリ。時計と通信接続されてて運動するとデータが自動的に記録されるんだよ」
「へ~。で、この次元が違う可愛い女の子は?」
「これは利用者のマネージャーさんだよ。ペースが落ちたり早くなったりすると声をかけてくれるんだ。しかもデータを蓄積するほど微妙な変化に対応できるようになってるんだ」
「なるほど。これを使って遊びに来たわけだ」
「うんっ。て、違うよ~。検証だよ検証~」
「何の? 本当に可愛い声で応援してくれるかの?」
「そうっ」
「そんなものいらない。私がしごいてあげるから走れ」
「ふえ~。マチちゃん厳しいよ~」
「今の出部なら多少厳しくしても耐えられるはず。この前のインバディで結果は把握済み」
「うぅ……分かった。ちゃんと走る」
「それでよし」
私は時速と時間を指定し、ついでに傾斜も少し上げてスイッチを入れた。出部も慌てて走り出すが、走り出せばしっかりと腕を振ったフォームになる。
呼吸も意識をし、サボらなそうと判断したところで私は出部から目を離した。なんだかんだ言っても出部は真面目だ。セットした時間に様子を見たが、しっかり走り続けていた。
「出部さん、昨日もジムに来たよ」
コトカからの知らせで私はびっくりした。
「もうすっかり一人前だね」
「うん、そうだね」
毎日来るのは嬉しい。夏休みだから不可能ではないが、さすがに不安になる。しかも私の休みの日に。
「けっこう長い時間かけて有酸素運動をしてたよ。これはいよいよスリムな男へ向けて本腰を入れたかな?」
コトカがにやにやしながら私の腕を小突くが、今はコトカの相手をするよりも出部の動向が気になった。
「ちょっと早いけど入るね」
「あ、うん。彼氏の応援とは精が出ますな」
私はひらひらと手を振ってコトカを話半分で聞き流し、ジムへの扉を開けた。ジム内へ入ると、案の定ランニングマシンで歩く出部を見かける。しきりに腕時計を見たり、ランニングマシンのグリップを握って脈を測ったりと、挙動がおかしい。
「出部、今日も例のあれ? 萌え時計」
「あ、マチちゃん。うん、萌え時計ではないけどアプリの検証だよ」
「歩いてばっかりらしいけど自分のトレーニングはしてるの?」
「うん、ちゃんとやってるよ。今日も筋トレと有酸素運動は終わらせたし。サボってないから心配しないでよ~」
柔和な笑みを浮かべながら歩き続ける。片手間で私と会話をしているみたいで少し悔しかった。しかしやるべきことはやっているのだから文句は言えない。
「ねえ出部、その時計を私も使いたいんだけど」
「え? マチちゃんが?」
「心拍数とか測れるんでしょ? 私のデータを提供してあげる」
「そっか~。データが取れるのはありがたいな~」
出部のためではない。出部が夢中になっているものが気になるだけ。もっと言えば監視に近い。
「でもごめん。この時計はひとつしか持ってないからやっぱり貸せないや」
「え、出部より私のがたくさん歩くから絶対にたくさんのデータ取れると思うけど」
「うん、挙動とかも確認したいからさ。それにちゃんと使えるようになってからマチちゃんには使ってもらいたいし。マチちゃんを実験台になんてできないよ」
「別に構わないって。一応これでも役に立てる自信があるし」
「本当にごめんね」
何でかたくなに謝るの?
出部が私のわがままに申し訳なさそうな顔をした。これ以上は何も言えずに、ランニングマシンから離れる。出部がこちらを振り向くことはない。また時計とスマホを交互に見合わせては、首を傾げたりする。
「どうせ運動結果が計測できるアプリでしょ。そんなのもう他の誰かが作ってるし」
出部を否定したいわけではない。ただかまってほしいだけの自分が情けないが、どうにも気持ちを切り替えられず、ジム内を悶々としながら歩く。何周も見回って、出部の後ろを通り過ぎるたびに、意味もなく睨みつけた。当然振り向くことはない。
「出部のくせに……」
頑張っているはずなのに素直に応援することができなかった。
「おいマチ、今時間空いてるか?」
「なんですか。今はむしゃくしゃしてるので手荒な真似するかもしないですがそれで良ければ」
むしゃくしゃしているところに、空気を読まずに声をかけたのは畑さんだった。私とって都合がいい。畑さんになら口が悪くてうまく受け入れてくれる。
「内容によっては突然怒りだすかもしれないのでお許しを」
「尖ってるな。せっかく朗報を持ってきてやったのに」
「なんですか? まさか特上のワイン」
「そんなわけあるか。仕事中に酒の話をするな。全く懲りてないな」
「さっさと要件を言ってください。暇なんですか?」
「おめでとう。パーソナルトレーナー試験の合格通知だ」
「……え」
人とは現金な生き物だ。
「よしよしよし……」
心の声が漏れ出るのを抑えきれない。出部は今もランニングマシンを使って歩いているが、全く気にならなくなった。
「マチさんどうしたんですか。やけに嬉しそうですが」
「分かります? さすが葉花さんです。人の気持ちが分かる男はモテますよ」
機嫌よくジム内を歩き回っていると、聞き上手の葉花さんに声をかけられて、さらに浮かれる。普段はありえない笑顔をにこにこと振りまいた。
「本当に嬉しそうですね。そんなに良いことがあったんですか」
「はい。今日から私はパーソナルトレーナーの資格を持ったんです」
「え、では個別の指導ができるということですか」
「その通りです」
「それはおめでとうございます。まだ若いのに本当に大したものです。マチさんの仕事への情熱には以前から尊敬の念を抱いてました」
「エリートサラリーマンの葉花さんに褒められるとはこっちのが光栄ですよ」
「いやいや、僕自身にはスキルはないですから。技術職の方やスキルに特化した方というのは頭が上がりません」
軽く頭を下げる葉花さんだが、目のやり場に困るので頭を上げてほしい。
「良かったら葉花さんをビシバシ鍛えてあげますよ? なんちゃって」
珍しく冗談すら口にする。我ながら浮かれていた。
「え、本当ですか? ぜひお願いしたいです」
「え、別途で料金が発生しますよ? 決して安いとは言えないですし」
「サラリーマンは管理されるくらいがちょうど良いですよ。それにマチさんの仕事ぶりはいつも見てましたから。信頼をおけると僕は思ってます」
「……本気にしますよ?」
「ええ、ぜひとも」
個人指導の客をとることは会社への貢献度も高く、評価もされる。が、さすがに資格を持った数分後にこうもあっさり結果がでるのは私ですらためらう。
「ちなみに三ヶ月コース、半年コースとありますが希望とかってあります?」
「そうですね。一年コースとかありますか?」
葉花さんは私の想像を超えてくる。
「すみません。期間に関しては一応マネージャーに相談してみます」
「分かりました。無理を言って申し訳ありません。難しそうでしたら半年コースでも全くかまわないので」
よどみのない口調で言ってのけるのは本気だからだろう。いくら独身貴族だからと言ってもはぶりが良い。冗談抜きで葉花さんは高給取りだと想像できる。
今日もいつもとわらず頭頂部は薄いが、妙に格好よく見えた。いつしか出部へのイラつきはなくなり、とんとん拍子で進む仕事のことばかりが脳内を占めた。
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