第27話

「へえ、こんなところに喫茶店があったんですね」

「そっか。葉花さんは四月くらいに引っ越して来たんですもんね。ここは私のお気に入りなんです。というか近いのにタクシー使わせちゃってすみません」

 葉花さんは喫茶店「くすの樹」の二階で吹き抜け越しに下の階を見渡した。

「仕事中はスーツなんですね。普段はウエアしか見たことなかったから新鮮です」

「しがないサラリーマンですよ。お恥ずかしい」

 しがないサラリーマンが午前中で営業ノルマを達成できるはずがない。

 謙遜しながらもコーヒーを啜る姿はしっかりとさまになっている。期待を裏切らずノンシュガーのブラックだ。

 肩幅が広く、逆三角形の上半身はサイズ合わせも難しいが、黒のツーピーススーツを見事に着こなしている。いつもと違う大人の雰囲気があった。

「何か食べます? 良いところを教えてもらったお礼にご馳走させてください」

 しびれる。女性の理想を全て具現化したみたいな振る舞い。会員さんとプライベートを一緒にするのは控えるよう言われているが、葉花さんに限っては出部とも仲が良いせいで、壁をあまり感じなかった。むしろ今日でトレーニング仲間になりつつある。

「葉花さんって何の営業職なんですか?」

「ITの営業です。人材を必要としている企業に自社のプログラマーたエンジニアを売り込むんです」

「すごいですね。私には到底できそうにないですよ」

「いやいや、うちの技術者が優秀なので自信を持って売り込めるだけですよ」

 仕事仲間を尊敬するのもポイントが高い。

 店員が通りかかったところでローストポークサンドと、私のためにフルーツシュープレートを注文した。さりげなくブレンドをおかわりする。

「すごいですね。メイド服が制服なんて」

 くすの樹の女性スタッフは英国の使用人をモチーフにしている。みんなメイド服を着ているが、ロングスカートにブラウスも長袖。出部がハマり出した萌えとは全く真逆の印象。清楚という言葉が当てはまる。

「葉花さんは秋葉原とかに行ったことはあるんですか?」

「あります。メイド喫茶なるものも行きました。楽しかったですよ」

 さらっと言ってのけるが、不思議とオタク臭はしない。やはり体格は大事なのだろうか。薄暗い店内のせいか、頭頂部もさほど目立たない。今日の葉花さんは下から上まで完璧だった。

「そう言えば話は変わりますが、マチさんは出部さんとお付き合いしてるんですね」

「あ、やっぱりバレてます? お恥ずかしい」

「とんでもないです。見る目あるなぁと思いまして」

「私なんて男勝りで女らしくないですよ」

「あ、いえ。もちろんマチさんもとても魅力的な女性ですので出部さんの見る目もあると思います。それとは逆にマチさんも見る目があるという話です」

「私ですか? 出部を選んでですか?」

 いくら真面目でデキる男の葉花さんとは言え、出部に向けて見る目があるというのは解せない。

「自分の彼氏と比べて言うのも何ですが、葉花さんの方が百万倍くらい良い男ですよ。すみません、言葉が汚くて」

「本当ですか? マチさんに言ってもらえると自信が沸きますね」

「葉花さんって彼女いるんですか?」

「まさか。なかなか振り向いてくれる女性はいないですね」

「今って一人暮らしなんですか?」

「はい、武蔵小金井駅に隣接してるマンションです」

「え? それって新しくできたゴトーヨーカドーにくっつているタワーマンションですか?」

「そうです。よくご存知ですね。って、あれは誰でも分かりますか」

 葉花さんをここまで謙遜させるのは何なのだろう。きっと同年代と比べると収入も多いし、仕事もできる。新築のタワーマンションに住んでるのが良い証拠。健康やおしゃれにだって気を使ってる。

 頭頂部が薄いからなのか。やっぱり禿げはみんな嫌なのか。私も無いよりはある方が良い。しかしここまで人間的な魅力があるなら補って余りあるステータスを葉花さんは持っている。

 インバディの結果で年齢は知っているが、とても二十代中盤の精神年齢ではない。畑さんより大人っぽい。

 Tシャツに七部丈のパンツというシンプルな格好の自分が恥ずかしくすら思えてくる。

「マチさんの服装は似合ってますね。インストラクター職らしい快活なスタイルで」

 タイミングの良いフォロー。心を読まれているのではとすら思う。

「マチさんは出部さんとお付き合いしているのが、あまり誇らしくないのですか?」

「え?」

「いくら彼女だからと言ってもかなり卑下している様子だったので」

 この人には小細工が通じないようだ。営業職というのは注意深く人を見る人種らしい。私も人を見る仕事をしているが、ここまで的確に相手の心理を突ける自信はない。

 それに今の葉花さんに私が危惧していることは言いづらかった。

「あ、話したくなかったらで結構ですよ。すみません、舞い上がって色々聞いてしまいました」

 そう言われると話したくなるのを、葉花さんは知っていてやっているのか。あるいは本当に気を使っているのか。おそらく両方。仕事で培った技術と育った環境での本質的な性格。

「えっと、出部って世間一般で言うと、まあぽっちゃり体型じゃないですか」

 紅茶を一口啜ってからたどたどしくしゃべる。

「そうですね。お世辞にも理想的とは言いがたいでしょう」

「ですよね。自分で言うのも何ですが、出部じゃなくても良いような気がして」

「マチさんは自分に自信があるんですね。とても良いことだと思います」

「そんなこと」

 自分で言っていて嫌な女だと思って少し後悔する。

「おっしゃる通りきっとマチさんは出部さんでなくても恋人はできたでしょう。ですが反対に出部さんも同じかと言うとそうではないと思います」

 失礼ない物言いを柔らかい言葉に置き換える。決して不快には思わない。

「出部さんは体型のことはあまりコンプレックスには感じていないと思います。わずかな期間ですが接してみてそう思いました」

「だからあの体型なんですよね」

「マチさんとのお付き合い以外では」

「……」

「だからあんなにトレーニングを頑張ってるんです。他の誰でもない。マチさんにだけは誇れる彼氏でありたいから」

 知っている。出部は頑張ってる。一番体裁を気にしてるのは私だ。結局昨日だって。

「葉花さんはずいぶんと出部の肩を持つんですね」

「やはり情は沸きますね。一緒にマチさんのはじめて運動教室に参加した同期ですから」

「あはは、確かに。そうしたらガリさんもですか」

「はい、三人は熱い友情で繋がってます。不足三人衆。絆は無駄に固いですよ?」

 言葉に詰まった。さり気なく発した言葉だが、葉花さんに表情の変化はない。

「僕からしたらマチさんよりもあの二人の方が幸せになってほしいくらいですから」

「あはは。それ、さり気なくポイント高いですよ? 友情を重んじる男性。女子からすれば格好良いです」

「お恥ずかしいです」

 葉花さんとはトレーニングの話で盛り上がった。学生の頃は野球と空手をしていたとか、ベンチプレスの上げ方について語った。

 楽しいひと時。軽くお茶をして帰る予定だったが、すっかり話し込んでしまう。話題が変わってからは、出部の話をすることはなかった。

 葉花さんは一度会社に戻るらしく、私をわざわざ途中までタクシーで送ってくれた。

 くすの樹ではあんなに話が弾んだのに、不思議と車内ではお互いに無言が続く。私は家から少し離れた母校である小学校の辺りに降ろしてもらい、葉花さんを見送った。

 一人になると、なぜか後ろめたさが胸をしめつける。特に何もないはず。ただおしゃべりをしただけ。

 もし出部が私以外の女性と二人で会っていたらどう思うか。

「帰ろ」

 遠くの方でカラスの鳴き声が聞こえる。小学校の校庭では子供がドッチボールをして遊んでおり、傍らの中庭では外だとというのに携帯ゲーム機を熱心にいじっているのを見かけた。

「私はやっぱり校庭派かな」

 校庭から目を離し、すぐ近くの自宅の方へ足を向けた。

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