第25話

 久しぶりにゆっくりした時間だった。

 私は一人暮らしの出部の部屋で、安っぽいクッションを抱きながらバラエティ番組を見ていた。

 人気の芸人が面白トークを繰り広げる。出部は何度も大笑いしては「面白いね~」と相槌を求めた。まったりしたひと時。

 一人用のローテーブルにオレンジジュースと緑茶が置かれ、小腹を満たすナッツの袋へ手を伸ばす。出部と手を出すタイミングが被ったりなんかもした。

 絵に描いた家デート。もしかしたらこの三ヶ月で一番デートらしきものかもしれない。

「出部って今は夏休みだよね? ジムにいる時以外は何してるの?」

「うーん、勉強してる時が多いかな? 後はこうやってゆっくりしてることが多いかも」

「その割には最近忙しそうにしてるよね。トレーニングした後も割とすぐ帰るし」

 少し邪険な聞き方をする。悪気があるわけではないが最近の出部は不確定要素を多かった。

「そうかな? もしかしたら体が軽くなったからかも。聞いてよ。この前、クラスメイトに「痩せた?」って聞かれたんだ。僕は迷わず「うん!」って答えたんだっ」

 トーンを上げて嬉しそうに語る。両手を合わせて女子みたいににこにこと笑顔を浮かべた。出部のペースだ。

「ねえ、出部。明日は私休みなんだ」

「そうなんだ。だからゆっくりしてるんだね。マチちゃんもいつも忙しそうだもんね。仕事してる時のマチちゃんは本当に格好良いよなぁ」

「お母さんには帰りが遅くなるって言ってある。もしかしたら泊まってくるかもって」

「大丈夫? お母さん心配しないの?」

「出部ん家に行くって言ってある。心配してなかった」

「それは嬉しいなぁ。マチちゃんのお母さんに任されてるなんて」

 ジャブが当たらない。かと言って素面しらふでストレートを打つ気にもなれなかった。

 出部は決して「泊まってく?」とは言わなかった。だから私も「帰る?」と聞かれるまでは絶対に居座ると決めていた。

 きな臭い。そんな言葉が出部に当てはまるとは思わなかったが、今日に限っては出部の動向に気を巡らせた。

「ちょっとトイレ行ってくるね」

 出部が席を立つ。机の上にはスマートフォンが置きっ放し。画面を表示させてみるが当然ロックがかかっている。

 一分も経たないうちに戻ってきて、私の隣に腰を下ろした。その後も特にスマートフォンを気にする様子もない。通知も着信も鳴らない。逆に友達がいるのか心配になってくる。

 時刻は深夜の十一時半。もう大人の時間だ。

 飲み物がオレンジジュースから紅茶に変わり、カップを持つ時に肘が出部へ触れたりする。お互いにどかそうとはしない。ずっと座りっぱなしで体が硬くなったので、伸びをして床に寝そべる。

「うーん」と喉を鳴らして、出部へ視線を送るが当の本人はテレビへ釘付け。不機嫌に頬を膨らませてすぐに上半身を起こす。意味もなく肩を叩いたりもした。

「どうしたの?」

「ううん、別に」

 またテレビへ集中する。日にちを跨ぐ時間帯はスポーツニュースが多く、プロ野球のオールスターファン投票数や、海外で活躍するテニスプレイヤーが取り上げられていた。

「すごいなぁ。こんな風に自由に動けたら楽しいだろうね」

「彼らはあんなに動けるのにきっとまだ不自由だって思ってるよ」

「やっぱり別世界だね。僕なんかこんな体でも前より動けるようになったのを実感してるのに」

「出部は根っからスポーツマンじゃないからね」

「マチちゃん厳しいなぁ」

 横っ腹を摘む。鍛えづらい部分だけあって柔らかな感触が気持ち良い。前に出部の部屋を訪れた時と同じ展開に、私はあえて持ち込もうとした。

「もうだいぶ遅くなってきたね。マチちゃんは帰らなくて大丈夫?」

 いちいち傷つく一言。

「うん、親も了承済み。むしろ私はもう子供じゃないからね。これでも家へ家賃代わりにお金を入れてる」

「マチちゃんはすごいなぁ。そうしたらお風呂入る? ジムで入ってきたけど結構時間も経ったしね」

「出部から先に入って良いよ。一応家主だし」

「別に気を使わなくても良いのに。分かった、すぐ入ってくるね」

 お風呂。意味深な響きのはずなのに今はやたらと健全に聞こえた。出部はベッドの下の引き出しから下着を取り出すと、私の死角になるよう隠しながらお風呂場の方へ歩いた。

 初めて出部の部屋で一人の時間を過ごす。

「ごゆっくり~」

 という声はもう出部には届かない。前に来た時よりも少し床が散らかっている。何やら難しそうな本が転がっており、ひとつ手にとって開いてみたが全く理解できなかった。どうやらプログラミングやエンジニアリングの教本のようだ。唯一パソコンデスクの上だけは何もなくてすっきりしている。

 深夜一時を回ると、テレビの番組もよりコアになり、可愛らしい女の子がたくさん登場するアニメが流れる。萌えというやつだ。

 しかもブルーレイレコーダーのディスプレイに赤い丸が点灯する。出部はこの萌え萌えなアニメをわざわざ録画しているのだろうか。

 うだつの上がらなそうな冴えない男子がなぜ可愛い女の子に持てはやされているのか。床に転がっている小難しい教本よりも理解できなかった。

「ふぅ~。気持ち良かった~。あ、もう『冴えない彼女の育て方』が始まってる」

「出部、こんなの見てるの? むしろ誰が冴えない彼女だ。殴るよ」

「違うよ~。マチちゃんが冴えないわけないじゃないか。冴えてるよ。むしろキレてるくらいだよぉ」

 出部の腹をグーで殴る。くの字になって「おふ」と情けない声を出した。

「これはガリさんに教えてもらったんだ。今だったら冴えカノだって」

「興味あるの?」

 出部は「うーん」と煮え切らない感じで唸る。まさか最近忙しい原因はアニメの見過ぎではないだろうか。

「出部は今のうちに冴えない彼女とキレてる彼女のどっちを取るが考えておくと良い」

 また「ふえ~」となよっちい声を出したが、抵抗することはなかった。水玉模様のパジャマ姿で、頭をバスタオルで拭き始める。スフェット姿の私より可愛らしいセンスだった。

「あれ? マチちゃんはお風呂入らないの?」

「まあ、ジムで入ってきたし。それに」

 今日の出部からは目を離したくなかった。

「そっか、どうしよう。僕の部屋布団ひとつしかないんだ……あ」

 私はおもむろにベッドの中へ潜り込んだ。

「ベッドは私が頂いた。文句ある?」

「非道いよ~。一応僕の部屋なんだよ~」

「悔しかったら奪ってみろ」

 私はタオルケットを被って、顔だけ覗かせる。分かりやすい挑発だ。出部と目が合うと、困ったように唇を尖らせた。しばし見つめ合う状態が続く。私は顔ごとタオルケットで覆い、完全に隠れて彼女のふて寝みたいになった。

 テレビから流れる「俺がお前を最高のヒロインにしてやるぜ」というフレーズだけがやたらと耳に残る。

 無言が続く。足音も聞こえない。

「じゃあ僕は下で寝るね。マチちゃんお休みなさい」

 その言葉とほぼ同時だった。部屋の電気が消される。私は咄嗟にタオルケットから顔を出すと、出部は座布団を枕代わりにして横たわった。テレビも消され、間接照明だけが部屋をぼんやり灯す。

 出部はベッドとは反対側の壁の方を向いた。私とは目が合わない。腹部に小さなバスタオルをかけているのが妙に心細い。

 クーラーだけはつけっぱなしで、心なしか背中が震えているように見えた。机の上には相変わらずスマートフォンが放置されている。

「ねえ出部、寒い?」

「ううん、大丈夫」

 修学旅行でよく見られる寝ながらおしゃべり。出部とは小中高と一緒のため、修学旅行も同じ場所。

 クラスの男子がトランプをしに女子部屋に忍び込んで来たのを思い出す。その時は出部も一緒で、恥ずかしそうに口数が少なかった。ベタだけど見回りの先生が部屋を覗いてきて、慌てて布団の中へ隠したりした。あの時は出部が私の布団に潜り込んだ。この体格だ。不自然に布団が盛り上がってあっさりバレてこっぴどく叱られたっけ。

「ねえ出部、布団使う?」

「ううん、大丈夫」

「じゃなくて」

「なに?」

「布団、入る?」

 出部の体は動かない。返事もしばらくなかった。居たたまれなくなり、私の方が先にしびれを切らす。

「小さい頃はよく一緒に寝たよね。あと修学旅行の時。あの時は寝たとは言えないけど。みんなですっごい怒られたよね」

「……」

「出部おいで」

 布擦れの音は出部に届いただろうか。私は体を起こし、出部の背中を見つめた。普段は人懐っこく犬みたいに寄ってくるくせに、今に限っては大型犬みたいに横たわって動かない。エアコンが冷気を吐き出し、風向きが出部へ向くたびに胸が痛む。

「おいで」

 二度目で出部の体がのそりを動く。何も言わない。それでも起き上がってゆっくりとベッドわたしの方へ歩いてくる。

「ごめんね」

 どちらともなく漏れた一言。

「やっぱり温かいや」

「何を言ってる。冷気にさらされてたくせに出部の方が温かいじゃん」

 タオルケットは二人で被るには小さく、背中の方が冷える。無理やり覆い隠すたびに出部との距離が縮まった。

「懐かしいなぁ。昔はこのベッドでも十分広く感じたのに」

「出部がそれだけ成長したんだと思う。横に」

「あはは、やっぱりマチちゃんは非道いなぁ」

 いつしか手と手が触れ合い、温もりが指先から伝わる。落ち着く。どこか安心できた。向かい合うように横向きになると、出部の顔が目の前にあり、無邪気に笑っていた。触れるだけだった手がいつの間にか絡み合い、しっかりと握りられる。

 足の指先で突いたりすると、出部は不器用に足をばたつかせた。私は意外と足先が器用で開いた親指と人差し指で足首辺りをつねる。本当に痛かったらしく、手に力が入って私の手を強く握った。

 いつしか寒さも和らぎ、うとうとと眠気に誘われる。

「寝て良いよ?」

「出部のくせに生意気……」

 まぶたが重くて上がらない。出部の胸元に頭を預け、心地良い体制が見つかる。癪なのは今日もこの前も私の方が先にダウンすることだ。

 こんな時だけ優しさをみせやがって。優しさは普段からあるか。こんな時だけ男みせやがってのが正しいかな。

 いびきを立てたらどうしよう。出部は引くかな。幸い鼻を詰まっていない。新鮮な空気が肺に取り込まれる。

 いつしか意識が遠のき、久しぶりに心地よい眠りについていた。

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