第24話

「マチちゃん来たよ~」

 出部は小走りでジムへ入ってくると、人懐っこく手を振った。

「出部ごめん。これから私はパーソナルトレーナーの研修があるからジム内にはいない。出部がサボらないか見張れないんだ」

「そっか~。でも大丈夫。ちゃんとサボらないでトレーニングするから。今日はガリさんと一緒にトレーニングするんだよ」

 本人は気にしていないのだろうが、出部とガリさんのツーショットはやっぱり少し焦る。二人とも会話を回せるタイプではないため、どんな話をするのか想像がつかない。共通の話題と言えば……私くらいだ。

「分かった。あとでガリさんに聞いておくから嘘ついたら罰としてスタジオ三連ちゃんね」

 出部は「はーい」と小学生みたいな返事をして、ジムの奥へと向かった。別に変わったところはない。

 夏休みに入っても献身的にジムへ通い続けている。

「考え過ぎか」

 休憩あがりのコトカへジムの様子を報告してから、私は控え室に戻って研修担当の畑さんが来るのを待った。


 研修が終わった後は、新規入会者の『はじめて運動教室』の担当を受け持った。今日は六人の参加者がいる。ひと枠の最大人数だ。

「皆さん、本当なら夏前に来てほしかった。しかし夏は始まったばかり。頑張っていきましょー」

 新規会員さんをぞろぞろと引き連れてジム内を練り歩く。横目で出部がランニングマシンで走っているのを確認した。サボっていない。

「ではまずは胸の筋肉のトレーニング、チェストプレスからでーす」

 習慣づいた説明。勝手に口と体が動く。ガリさんはフリーウエイトゾーンでバーベルラックへ重りをつけ始めていた。私の視界は良好。トレーニング指導をしながら周囲を見渡せる。

「ベンチお願いしまーす」

 片手間で指示を出す。どこからともなくコトカが「はーい」と返事をした。

「男性の厚い胸板、女性の張りのある胸。どちらも魅力的ですね。その願望を叶えてくれるのがこのチェストプレスです」

 深夜の通販みたいなノリで効果や使い方を説明する。今は別の会員さんがひとつ使っているため、二台を六人で順番に使った。人数が多い分時間がかかる。

 どの時間帯も人が増える時期、合間の時間でコトカと近況報告をする暇もなくなった。


「あれ、出部は?」

「出部さんならもう帰ったよ。マチに伝えておいてって言われたけど言うまでもなかったね。自分から聞きに来るなんて彼女の自覚が出てきたかな?」

 私がはじめて運動教室をしている間に出部は自分のトレーニングを終わらせたらしい。時間的には当然と言えば当然。

「最近の出部さん、少しずつ体つきが良くなってきてない?」

「そうだね。不思議と痩せないけど体格が良くなってる。三ヶ月経ったしそろそろインバディを測り直しても良いかな」

「出部さん、最近ちゃきちゃきしてるよね。しゃべり方は相変わらずおっとりしてるけど。帰り際とか割と淡白というか」

「そうかな」

 と言いつつ、私もコトカと同じ感想を抱いていた。そもそも今まで私と話さずに帰るということがなかった。

 私が忙しそうにしていれば、暇を持て余してでも待つのが出部という従順な犬。

「きな臭いね」

「え?」

「これは女の匂いがするぞー」

 コトカが探偵気取りで親指を立てる。かなり下品だが本人も冗談で言っているため私も気にしない。と言いたいところだった。

「前にもこんなことがあった気がする」

 ふと半年前の記憶が蘇る。お互いの仕事が忙しくなり、すれ違う日々が増え、その結果……。

「別にそうなったところでどうってことないし。出部だし」

 閉館時間まで残り三〇分。ジムの利用時間は終わりを迎える。有線がオルゴール調に変わったところで「本日の営業は~」とそれとなく帰宅を促す。

「ガリさん、今日はもう終わりですよ。むしろずっとやってたんですか?」

 ジム内にはガリさんしか残っていない。脱臼が完治して以来、ガリさんのトレーニングの量は日に日に増していった。今はストレッチマットの上でハムストリングスもものうらを伸ばしている。

「出部は私がいなくてもサボってなかったですか?」

 ガリさんはしっかりと頷くと、自分が座っていたところを乾拭きして立ち上がった。

「負けてられないです」

「どう考えてもガリさんは負けてないと思いますけど。体重以外」

 大きく首を振る。ガリさん的にはどうやら出部が一歩リードしているらしい。

「無理しないでくださいね」

 唯一の心当たりは話題として適さないため、あえて口にすることはなかった。

 充実した仕事ができたのか、心地良い疲れが全身に残る。締め作業を早く終わらせるために、今のうちからマシンの重りを全て一番軽いところに合わせる。

 わずかに残る心のしこりが疲労で今は忘れられていた。


「今日、出部の家に行って良い?」

 出部の行動にきな臭さを覚えてから数日が経ち、今日の私はやる気だった。

「どうしたの急に」

「急にじゃないし。前にも言った時は出部が忙しかったから行けなかったじゃん」

 私はジムから帰り際の出部を捕まえて、半ば強引に訪問を取り付けた。出部は「うーん」と少し悩んだ後に「良いよっ」と明るく答えた。即答しないのが少し腹ただしい。

「どうしよっか? ご飯とか。お酒とか買っていく?」

「まだお腹空いてないから大丈夫。何かあったらコンビニとかでも構わない」

「うん、分かった。じゃあ僕はシャワー浴びて着替えてくるね」

「同じく」

 出部とこんなテンポの良い会話ができることに自分でも驚く。確かに体つきが良くなったからなのか。歯切れも良くなった気がした。

「出部らしくない」

 出部がしっかりとした歩調でジムを出ていく。前よりも歩く速度が速い。全てがもったりしていない出部にはやはり違和感を覚えた。

「じゃあ私はもう上がるね。チサ、後はよろしく」

 チサは相変わらず元気に「はい!」と返事をする。こっちは通常運転。コトカも「頑張ってね~」と手を振る。心なしか顔がにやついている。これも通常運転。

 私は控え室に戻ると早速シャワー室へ入った。仕事で汗がかいたのもあるが、出部とは言え人様の家に上がりこむ。いつもより入念に全身を洗った。

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