第18話

 歩いているのか歩かされているのかよく分からない。

 ちどり足を出部の肩を借りることでかろうじて進める。

「でべ~。ごめんね」

 私が脈絡なく何かを言っている。自分でも理解できない。出部は「うん、いいよ~」とこれまた良く分からない相槌をするが、出部の方は何となく理にかなっている気がした。

 駅方向へ坂道を登る小金井街道は車通りが多く、ほとんど閉じている瞼を自動車のライトが刺激する。

「駅ついたらタクシー捕まえるからもう少しだよ」

 私はかろうじて頷く。

「マチちゃんは今日すごく気分が良いんだね」

「そだよ。畑さんに焼肉おごってもらったし、出部とガリさんと葉花さんが仲良くしてたし~」

「見てたんだ。実はそうなんだ。今日、ガリさんと葉花さんとエアロバイクで隣同士になったんだよ。二人ともすごいなぁ。最後までマチちゃんについていって。僕も焚き付けられちゃってさ、調子に乗ってダンベルを重いのにしたら見事に途中であげられなくなっちゃったよ」

「でも出部だって頑張ってたよ~。ちょっと応援したくなっちゃった」

「そう言われると照れるなぁ。あ、今度ね、二人と一緒にトレーニングしようって約束したんだよ。葉花さんが色々教えてくれるって」

 出部が嬉しそうに今日のことを語る。本当だったらもっとちゃんと聞いてやりたいが頭が回らない。明日まで覚えているかも怪しい。

 歩道が狭いせいか、人とすれ違うと密着する。会話もなんとなく途切れるが、すれ違った後にまた喋りだす。

「着いたよ。あ、でも北口の方が良いよね」

 高架下から線路を渡り、駅前のロータリーに出る。タクシーに乗ったら今日はもうおしまい。楽しい時間が終わると思うと少し寂しい気もした。

「でべ~本当に帰っちゃうぞー良いのか~?」

 私は肩にかけた腕を腰の方へ下ろし、出部へ抱きついた。ふくよかな胸やお腹の感触が気持ち良く、顔を擦りつける。

「あれ、マチ? どうしたのこんなところで」

 聞き覚えのある快活な声が唐突に届く。重い頭とまぶたを上げて前を見ると、今は会うべきではない人物と鉢合わせた。

「コトカ?」

 私は反射的に出部から離れた。

「コトカの方こそこんな時間にどうしたの」

 一瞬吐き気が喉の奥を襲うが無理矢理に飲み込む。酔いが一気に覚めた。

「私は今日C大の法学部と合コン……あ」

 コトカが出部の顔を認識し、慌てて口をつぐむ。

「出部さんでしたよね。あちゃ~。恥ずかしいことを聞かせちゃいましたよね。すみません」

「大丈夫です。ジムを出ればプライベートですもんね。マチちゃんと仲が良いのはよく聞いてます」

「それはありがたいです。私はこんなにマチのことが好きなのにマチは全然構ってくれないの。あれ、マチはずいぶん顔が赤いけど飲んでたの? っていうか出部さんと肩組んでたよね? ひょっとして二人って」

 見られた。しかも察しの通りの疑いをかけられる。言い訳しなきゃ。でも今言い訳したら出部が傷つくのは必然。唇まで重ねておいて嘘はつきたくなかった。

「…………付き合ってる」

 私は消え入りそうな声で小さく頷いた。

「マジ? いつから?」

「二ヶ月ちょっと。出部がうちのジムに入会する少し前」

 懸命に呂律を回す。もう飲酒はバレているが酔っている雰囲気を極力消した。

 コトカは私と出部の顔を見て、難しい表情を浮かべた。きっと引いているのだろう。こんな冴えないぽっちゃりと付き合っていることに。

 私だって恥ずかしかった。未だに男としての出部の魅力なんて分からない。しかしコトカの浮かない表情は私の下らない見栄に対してではなかった。

「ガリさんに申し訳ないことしちゃったなぁ」

 ぽつりと漏れた本音はとても小さいはずなのに私の耳へはっきりと届いた。当然出部にも。

「マチちゃん、タクシー来たよ。乗って乗って」

「出部は来てくれないの?」

「うん、運転手さんには場所を伝えたから大丈夫。はいタクシー代」

 出部は私を後部席へ座らせると、コトカへ「もし同じ方向だったら乗って行ってください」と小さな気遣いを見せた。

 いつもと変わらない柔和な表情。それが微かに険しく見えるのは私の偏見だろう。後ろめたい証拠だった。

 コトカは「私は別の方なので」と丁寧に断った。ドアが閉まると、出部はにこっと笑いながら手を振ってくれた。

 胸のあたりが締め付けられるように痛い。出発するタクシーに揺られ、私は情けない気持ちになりながら、酔いに耐えた。

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