第15話

 「さてと、曲はどれにするかな?」

 エアロバイクは音楽に合わせて自転車マシンとダンベルを使う有酸素運動。バイクを漕ぎながら上半身の筋トレをする一見ストイックな運動だ。ダンベルの重さとバイクの負荷は自分で決められるから誰でも参加できる。

「決めた。上空の城ラプタの『貴様を乗せて』にしよう」

 私はテクノアレンジされたCDを取り出し、プレイヤーで再生する。

 アップテンポなリズムを確認し、気分を上げる。一人でステップを踏みながら鼻歌を歌った。

 脳内で動きを確認し、音ハメなどの演出を入れようか構成を考える。

「そろそろかな」

 ジムへ続く扉をちょこんと開けてチサから参加者リストを借りる。やるからには二〇台を満席にして盛り上げたい。

「人は集まったかな……? あ、出部も参加になってる。早速捕まったんだ」

 席はすでに十七人埋まっており、この時点で成功と言える。あとは新規の会員さんにどれだけ満足してもらえるか。

 毎回参加する人、全く顔と名前が一致しない人、様々だ。名前を一通り確認すると、意外な名前も記載されていた。

「これ……」

 その名前に思わず唸ってしまう。別に困ることではない。私のやることもいつもと変わらないはずだが、心持ちが今日だけは違っていた。

「私は自分の仕事をするだけだ」

 イヤホンを外すと、セミショートの髪を手櫛でとかし、ユニフォームの裾を正す。いつもと変わらず。と自分に言い聞かせるのに、身なりをいつも以上に気にする。

「よし」

 CDケースとインカムを持って扉を開くと、さっきよりも人が増えて騒がしくなったジム内の活気が私を迎えてくれた。


「マチ先輩、もう一人参加する方が増えましたよ」

 扉を開けるや否や、チサが褒めてもらう気満々で寄ってくる。

「さすが忠犬チサ。そうしたら台帳に名前書いてもらって……って、葉花さんじゃないですか。葉花さんもエアロバイクに参加するんですか?」

「はい、熱心に誘われたので参加してみようと思いまして」

 受付の前には葉花さんが立っており、すでに鉛筆を持っていた。

「葉花さんはレッスン系には参加しないと思ってましたよ」

「普段は出ないんですけどね。彼の誘いもありますが、マチさんがインストラクターということも決め手です。ずいぶんとお世話になってますから」

 丁寧な口調で台帳に名前を記していく。流麗りゅうれいなペンさばき。文字も整っており、跳ね、止め、払いも完璧。憧れるくらいの達筆。本当に細かな部分が男前だ。

「お手柔らかにお願いします」

 最後は丁寧にお辞儀まで。そして、

「こちらこそ」

 やはり頭頂部が気になる。

 均等に並べられた髪と皮膚の帯。理想的なバーコード。葉花さんは本当に「惜しい」という言葉が似合う。

 この後、駆け込みで二名の会員さんが参加を申し出て、見事に満席となった。

 しかも、

「まさかこの三人が揃い踏みとなるとは」

 インストラクターが座るバイクを中心にピラミッド状に広がるバイクの列。三列目に座るひと際存在感を出す面々。

 輝きを放つ男、葉花。

 ガリマッチョの高みへ、ガリ。

 ただのデブ、出部。

 二ヶ月ぶり二度目。この三人が横並びとなった。


 コーチ席のモニターは特殊で各バイクのレベルが全て表示される。

「それではエアロバイク三〇を始めまーす。皆さんダンベルは用意してありますかー?」

 マイクを通してスピーカーから私の声が響く。バイクの脇にはダンベルを置けるホルダーが設置されており、重さごとに色分けがされている。

 こちらからは何キロを使っているのか分かるのだ。

 葉花さんは五キロ。これはかなりハードな重さだが、葉花さんの体格と普段の運動量なら妥当だろう。問題は残り二人。

 出部とガリさんも共に五キロ。数回あげる程度ならさほど大したことはない。しかしほとんど三〇分間ぶっ続けの有酸素運動。一抹の不安を覚える。

「ガリさーん出部さーん、二人とも頑張りますねー。大丈夫ですかー?」

 インカムからスピーガー越しに茶々を入れる。周囲からどっと笑いが起きるが、二人は息ぴったりに頼もしく親指を立てた。無闇な自信が余計に不安を煽る。

「水分補給はこまめに行っていきますよー。それではまずバイクのレベルを五にしてくださーい。余裕のある人は六でも結構でーす」

 こう言った煽りは以外と効果的で、体力自慢の会員さんは大抵レベルをあげる。だが以外にも葉花さんは五のまま。そして出部とガリさんは案の定、六。

 良いところを見せたいのだろう。

「まずは脈を少し上げていきたいと思いますのでペダルの回転数を八〇にしましょー」

 ペダルの摩擦音が大きくなり、体を横に振る。

「良いですねー。では早速ダンベルを持ってください。次の八カウントでアームカールでーす」

 しゃべりながら私が動作を見せる。腕を下げた状態から肘を支点に持ち上げる王道の種目。上腕二頭筋ちからこぶのトレーニングだ。

「はい、いち、に、さん」

 音楽に合わせて一カウントで持ち上げ、一カウントで下げる。次に一カウントで持ち上げ、三カウントでゆっくり下げる。

 ここまではまだ余裕な表情が伺える。

「続いて四カウントで持ち上げて四カウントで下げるスローテンポーでーす。早くならないように気をつけてくださーい」

 徐々にきつくなる。八回繰り返した後にペダルの負荷をふたつ分上げるよう指示。回転数も一〇アップ。ショルダープレスという耳の横へダンベルを添え、頭上に持ち上げる種目。さらにサイドレイズ。腕を下げた状態から横へ広げる運動。今度は前へ、リアレイズ。三角筋地獄だ。

 真っ先に苦悶の表情を浮かべたのはガリさん。いくらベンチプレスをやり始めたとはいえ、軽い負荷で回数をこなすいわゆる持久筋へのアプローチはあまりしていない。

 首あたりが筋張って顎が上がっている。

「ガリさんつらそうですねー。ダンベルを軽いのにしますかー?」

 ガリさんは首を横へ振るが、声を出す余裕はないらしい。

「ではさらにペダルの重さを三つ上げましょう。続いては二の腕地獄にいきますよー。皆さんついてきてくださいねー」

 終盤に差し掛かると、私も余裕は無くなってくる。研修の時に口を酸っぱくして言われたのが「やってみせる」。

 力を誇示することで初めてインストラクターとして認められる。そう教わってきた。そしてそれは正しいと私は思っている。

 すでに脇も首も汗が滴っているが、余裕の表情を作る。強がるのは出部やガリさんとなんら変わらなかった。

 彼らよりも人を欺くのが上手いだけだ。

 出部はもはや過呼吸みたいに息が上がってる。ダンベルはほとんど持ち上がっていないがやろうという姿勢だけは立派だった。歯を食いしばって持ち上げようとするのに腕が微動だにしない。少し滑稽だ。

 葉花さんはさすがというか、フォームもリズムも乱さない。口をすぼめて呼吸を意識しているのが分かる。

 ガリさんはなんだろう。何かと戦っているみたいだった。目を見開き、口を大きく開けて鬼のような形相。こんな表情豊かなガリさんは初めて。ダンベルはまったく上がってないけど。

 最後はもう三段階ペダルのレベルを上げて、ひたすら回す。二五分が経過したところでクールダウンに入った。

「お疲れさまでーす。バイクのレベルを三まで落としてゆっくり漕いでいきましょう。汗を拭いて水分補給をしてください」

 葉花さんは大きく息を吐き安堵の表情を浮かべる。ガリさんは相変わらず表情が険しい。出部はほとんど放心状態。

 音楽でしっかり聞こえないが葉花さんが二人へ何か話しかけている。きっと労いの言葉をかけているのだろう。ガリさんが力なく拳を上げて応える。互いに拳を合わせた。彼らにとってはロードバイクのゴールテープを切ったのと同じなのかもしれない。こんな光景をツール・ド・フランスの中継で見た気がする。

 クールダウンも終え、バイクを漕ぐのをやめる。最後にバイクの横に立ち挨拶をしてエアロバイクのレッスンを終了した。

「それではエアロバイク三〇のレッスンを終了します。皆さん、お疲れさまでした。またぜひ参加してくだい」

 やりきった手応えで充足感が満たされる。何より疲れながらも笑顔で散っていく会員さんを見ると、運動で活発になった心臓がさらに脈打つ。

 後片付けをしている時も出部たちは三人で何やら互いの近況報告をしている。葉花さんが「今度一緒にトレーニングしましょう」と誘っているのが聞こえた。

 出部もガリさんも激しく首肯をくりかえす。入会の初日に顔を合わせただけの三人だが、意外にもなかなかの友情が育まれている。

 ガリさんの一件でやきもきする感情も、今だけは男の友情という光景で美化された。

「今日は美味しいご飯が食べられそうだ」

 私は出部が良いそうなことを考えながら、自分の汗で濡れたバイクのシートを、丁寧に拭いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る