第3話

「体重、骨格筋量、体脂肪量が山形のグラフになると理想的な体型と言えます。自身の体成分表を見て確認してください」

 新規会員向けにジムの利用方法を指導する『初めて運動教室』。今回は三名の男性が参加した。

「皆さんはいかがでしょうか」

 誕生日席から、低い水準の直線ガリガリが目に止まる。持ち主である青年はさり気なく腕で表を隠し、私から見えないようにした。

 安心してほしい。恥ずかしい数値だから通い始める目的の人がほとんど。そもそも理想的な数値であればジムになど通う必要がない。今の生活習慣を保てば良いのだ。

出部でべさんはまだ測っていないので終わった後に計測します」

 ぽっちゃり体型の男性は愚直に「はい」と頷く。過剰な従順さに少しやりづらさを覚えるが、質問攻めよりはいくらかマシだと思った。

「それでは早速マシンの使い方を説明していきます。もう準備運動は済んでますか?」

 予定調和の質問。ジム内を一周した時に行動はすでに把握している。一人に至ってはストレッチをしていただけなのに汗だく。Tシャツの色が上下で変わっていた。

「皆さん準備万端みたいですね。やる気に満ちた良い雰囲気です」

 私は三人と歩調を合わせつつ、ガイドみたいに半身で歩きながらマシンエリアの方へと向かった。改めて参加者を引き連れて歩くと、存在感が際立つ。

 周囲からの視線をどことなく感じ、いつも以上に気合が入った。


 トレーニングは目的によって種目が異なる。競技向け、美容、ダイエット。

「皆さん様々な野望を抱いて入会されたでしょうが、本日は主に大きな筋肉に効くマシンの使い方を説明していきます。ひとつめはこれです」

 いつになくハキハキと声を張る。周りからは「常に眠そう」と言われるがこの時ばかりは人が変わる。

 研修中に「フレッシュに!」と口を酸っぱくして言われた。ただ体を鍛えるところではない。テーマパークを意識するのが業務方針なのだ。

「チェストプレス。主に胸の筋肉。加えて二の腕や肩の筋肉を鍛えることができます」

 大げさに胸を手で叩き、どの部位を鍛えるかを明確にする。

「私がこれからやって見せるので、どんな動きか見ていてください」

 物々しいマシンの椅子に座り、胸を張る。両脇のグリップを掴み、まっすぐ前へと押し込んだ。

「重要な点が三つあります。ひとつは胸を張ること。もうひとつはグリップの高さが胸の位置にくるように椅子の高さを調節してください。最後は……」

 一呼吸おいて動作をもう一度繰り返す。

「格好良い自分を想像してください」

 私らしからぬ臭い台詞。キラーフレーズだ。約二名の瞳孔が大きくなる。焚きつけることは継続して通ってもらうために重要。なぜ自分がここにいるのか。どうなりたいか。明確なイメージが体を作ると言っても過言ではない。

 その二人の特徴を端的に表すと……そう。

 デブとガリだ。

 二人はマシンを凝視し、意を決したみたいに喉を鳴らした。椅子に座り、ごそごそとフィットする部分を探し始める。

 グリップを力一杯に握りしめると、始動するべく大きく息を吸った。

「あ、椅子がかなり高いので下げてください」

 私が模範を見せたマシンに座った細身がりの青年が、怯えたように肩を竦める。「胸を張るとトップの位置が上がるので、注意しましょう」

 細身の青年は背中を丸めて、首を突き出すように頷いた。叱られた子供みたいに視線を泳がせると、黙って椅子の高さを直す。

 しかし自信がないのか、堂々と胸を張ることができない。

「始めは無理せずできるところまでで大丈夫です。それでは早速やっていきましょう」

 世の中には感の良い人と鈍い人がいる。

 前者は初心者であっても指摘した部分を「こうですか?」と簡単に修正できる。

「背中はシートにつけたまま。胸を使っていることを意識しましょう」

 今チェストプレスをやっている二人は後者。ひとつ直すと他がおろそかになる。力むと背中が離れたり、腕で押そうとしたりする。

「最初なのでゆっくり、フォームを確認するようにいきましょう。ラスト三回いきまーす」

 一定のリズムで数を数え、一〇を数えると「ふぅ~」という満足げな吐息が聞こえた。

 たくさんの人を見てきたがこの二人もなかなかの強者だ。ラットプルダウンという背中を鍛えるマシンでも、二人は持ち前のぎこちなさを発揮。吊り下げられたバーを下へ引く動作なのだが、力むせいか、フォームがやたらとダイナミックになる。体重をかけて引っ張るものだからなんのトレーニングにもならない。

 レッグプレスという脚を鍛えるマシンでも同様。勢い余ってリズムもあったもんじゃない。

 今日だけでフォームを正すのは難しかった。

 そんな中、教えがいのない人物が一名いた。

葉花はけさん、きれいなフォームですね。何か運動をしてたんですか?」

「はい、前からフィットネスジムには通っていました」

「前のところは辞めちゃったんですか?」

「引越してきたのでここに通い始めまることにしたんです」

 低めの声でしっかりとした受け答え。本人の言う通り鍛えた結果がしっかり出ている均整のとれた体格。身長も一八〇センチくらいはあるだろうか。姿勢も良い。

 ハーフパンツの下に脚のラインが見える黒の機能タイツ。ウエアもタイトな着こなしだが、十分に見合う上半身。

 いわゆるソフトマッチョというやつ。

「そうしたら初めて運動教室は物足りないですよね」

「郷に入れば郷に従えですね。インストラクターの方々とコミュニケーションを取るのも大事です。それにここはマシンも多いし広くて良いですね。モチベーションが上がります」

 好感の持てる受け答え。

 パッチリとした二重に長いまつ毛。シャープな輪郭。絵に書いたような端麗な容姿。ここまで揃っている人間も珍しい。街を歩けば女子が思わず振り返るレベル。

 ただ、

「これからよろしくお願いします」

 丁寧に下げられたこうべにはバーコードのように髪の毛と皮膚が交互に並んでいた。

「こちらよろしくお願いします」

 気になる。頭頂部だけがどうしても気になる。

 それ以外は完璧。苗字まで葉花はけという格好よさ。だからこそただ一点が余計に際立つ。

 マシンを使うフォームも丁寧かつ綺麗。真面目な性格が伺える。額に汗がじわりと滲み、髪の毛が水分を含んで束になる。頭皮に張り付き、バーコードがQRコードみたいにぐしゃぐしゃになった。

 見てはいけない気になるのに、どうしても目が反らせない。

 今日の初めて運動教室の面子は想像以上に濃い。

 最後はランニングマシンでクールダウンをしてこの日の初めて運動教室は終了した。


「お疲れ様でした。ここからは自由です。もう一回フォームを確認しても良いですし経験のある方は他のマシンを使って頂いてもけっこうです。出部さんはこの後、体成分の計測があるので私についてきてください」

 マシンエリアで解散すると、葉花さんはまた丁寧にお辞儀をした。ちらりと見える頭皮。やはり気になる。

 人見知りを発揮した細身のガリさん(本名)は葉花さんを観察しながらフォームを復習している。しかし決して話しかけることはない。

 軽い不審者である。

 私はメモ帳に『葉花さん 引越してきた経験者。薄め』『ガリさん 人見知りメガネ』と記し、ウエアのポケットへ仕舞った。

 会員さんの顔と名前を覚えるために先輩から教えられた方法。このメモ帳だけは死んでも落とすことは許されない。

 しかし実際に体を動かしながら指導をすると、案外ポケットから落ちていたり、机の上に忘れたりする。品質を上げる代わりに恐ろしいリスクを孕んでいるのだ。

 今回の二人に関してはメモを取る必要もない気もする。忘れられない容姿。

 だがまだ私の大仕事は終わらない。むしろこれから。

「それでは出部さん、行きましょう」

 業務的な堅苦しい口調。普段よりも指先に神経が行き届いた歩き方。仕事の時は自分なりのスイッチを入れているが、今日に限ってはより一層緊張感を持っていた。

 絶対にバレてはいけない。

 隅にあるメディカルルームへ足早に向かう。後ろでは小走りでついてくる足音が聞こえたが振り返らない。足音だけで距離感を掴む。あと少しだ。

「こちらです」

 メディカルルームの扉を開けて、急かすように手で迎え入れる。ガチャン。と重い扉が閉まるの確認すると、全力疾走した後みたいに激しく息が乱れた。

 閉め切ると、ランニングマシンやバイクのファンの音が遠くに聞こえる。時折り「ベンチ補助はいりまーす」という同僚の声が響いた。

「やっと終わった……」

 汗が吹き出る。脇、首、手のひら。私自身は大して動いていないのに緊張が発汗を強烈に促した。

 部屋には私と新規会員の出部草太でべそうたの二人きりだが特別なことじゃない。個別レッスンというシステムもあるくらい。

 それでも私の心臓は高鳴りっぱなしだった。

「マチちゃんの仕事してるところ初めて見たよ。格好良かったなぁ」

 気の抜けた柔い声。

「今日はご飯が美味しく食べられそうだよ」

 好きなものを好きなだけだけ食べた結果を表したお腹。

「僕もこれから頑張らないと。なんて言ったってマチちゃんの彼氏だからね」

「ムリムリムリ! 出部が私の働いてるジムの会員とかやっぱ恥ずかしすぎる!」

 緊張の糸が切れる。例え職場と言えど個室とは油断を生む。目の前の男しかいない状況で取り繕う気にはなれなかった。

「そうだよね。彼氏が同じ室内にいたら緊張しちゃうもんね。僕もドキドキしてる」

「彼氏って何度も言うな! 別に私は出部のことを彼氏だなんて思ってないし!」

「え……」

 思わず声を荒げると、出部は捨てられた子犬みたいに失意に満ちた表情を浮かべた。

「僕、マチちゃんの彼氏じゃないの……?」

「でかい図体して悲劇のヒロイン振るな。デブ」

 ふくよかなお腹をはたくと「あう」と情けない声を出した。そもそも幼稚園からの幼なじみ。酷い仕打ちかもしれないが気を使う方が難しい。

 元彼に振られて傷心な時に、私は出部に告白された。それまで恋愛対象として見たことは一度もない。それ以前にタイプじゃない。もっと言えばその我がままボディを絞ってから出直して来いと言いたい。

 しかし初めてできた彼氏に振られた私は自分が思っていた以上に落ち込んだ。そんな時に出部の温和な雰囲気に癒されたのも事実。

 結局OKしたものの、冷静になってからもやはり恋愛感情が生まれることはなかった。

「ほら、早く脱いで」

「え、個室だからってそんないきなり」

 おもむろに汗で湿ったシャツを脱ぎ始める。恥じらいながらも積極的な脱衣が余計に腹が出る。もとい腹が立つ。

「出部が男の性を出すな。脱ぐのは靴下だけ」

「そっか、これから体重とか測るんだもんね」

「まあある意味これから丸裸にするんだけど」

 フィットネスジムには体重はもちろん、体脂肪量、筋肉量、左右のバランスなどを細かく測定できる機械がある。通称、体成分分析装置インバディ

 部位ごとに数値が出るため、トレーニングの指針として重宝される。

「インバディの数字を見てトレーニングメニュー作るから」

 付き合い始めた以上、今更なしというのも無責任で気が引けた。だったらちゃんと向き合って、それでも「ない」と思ったら終わらせれば良い。

 何より私はフィットネスのインストラクター。運動指導のプロフェッショナルだ。二年目のペーペーだけど。

 出部は体重計をものすごく豪華にした形の体成分分析装置インバディに乗り、じっと立ち尽くす。

「はい、終わり。降りて良いよ」

「すごいね。これだけで計れちゃうの?」

「これでも三百万円くらいする機械だからね。出てきた。どれどれ」

 私は印刷機から吐き出された一枚の紙切れに目を通す。

「……ねえ出部。いやデブ。この結果に敬意を表してそう呼びたい」

「え、そんなに僕の結果よかっ……」

「悪いに決まってるでしょ。理想的なデブだよ」

 結果表を出部へ投げつける。出部は「わあ本当だ~」と危機感のない呑気な声で興味を示している。

 許せるはずがない。フィットネスインストラクターの彼氏がデブなど。指導者としての評価まで下がりかねない。全身から血の気が引くのが分かる。

 つぶらな瞳をこちらへ向けて、不思議そうに首を傾げる仕草が憎らしい。

 もし同僚に付き合ってることがバレて「マチの彼氏って太ってるよね?」と言われた時に平常で居られる自信など到底なかった。

「三ヶ月……」

「え?」

「三ヶ月で出部を理想的な体型に仕上げる。覚悟して。フィットネスインストラクター人生で最高の仕事をする」

「マチちゃん気合い入ってるね」

「まず私が働いてる時は毎日通うこと」

 のっけから傲慢なことを命令するが、出部は「わーい、毎日マチちゃんに会える~」と万歳をして喜ぶ。

 自分がこれから何をされるのか分かっているのだろうか。

「それじゃあ今日中にメニューを作るから。明日もこの時間からね」

「明日は大学の講義があるから無理だよ~」

「講義終わったら来ること」

「はーいっ」

 人懐っこく元気に返事をする。一度断ったことなど忘れているようだ。出部を見ていると体重や体型を気にするのは女子だけなのかと疑問に思う。

 思い返せば男が「痩せなきゃっ」と焦ってる姿など目にしない。女子からすれば体型だって大きな評価ポイントだ。世の男性に理解してもらいたい。

 私は出部から結果表を奪い返すと、四つ折りにしてメモ帳に挟み込んだ。

 出部は「今日は運動したからご飯が美味しいぞ~」と上機嫌に頬を釣り上げる。危機感が皆無だが今はそれで良かった。

「最後の晩餐をしっかり堪能するといい」

「マチちゃん何か言った?」

「明日から頑張ろうねって言った」

「うん、僕も頑張るよっ」

 電気を消してメディカルルームを出ると、出部はトレーニングをするわけでもないのにジム内へ残った。初めてのフィットネスジムに興味深々。参加もしないのにエアロビクスのスタジオレッスンをガラス窓越しに見つめた。

 少年みたいに目を輝かせる。出部の脳内には自分が軽やかなステップを刻む姿が浮かんでいるのかもしれない。

 私は出部の動向を伺いながらも、仕事帰りの社会人や、学校終わりの学生でピークを迎える夜の時間帯で指導に没頭した。

 すでに明日へ向けて血が滾ってしまい、同年代の会員さんへ熱い指導をする。声を張って気合を煽ると、歯を食いしばって応えてくれるから嬉しい。

「初心者とて容赦はしない」

 私の指導で出部が見る見る痩せていく姿を想像し、思わずにやつく。格好良くなるからではない。自分の仕事っぷりを今から自画自賛しているからだ。

 そう、私は結果にコミットする。

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