◆十幕『《真・花一匁》』

 ぼくのジジイの死に際の話。

 うちの爺さんはホラ吹きで表六玉でおそらく犯罪者で無法者で乱暴者で、肉親が呆れかえるほど女にコロコロ騙されて、それでも懲りずに女と見れば浮き足立ってちょっかいを出す。見かねた祖母に叱られて、やがて息子に叱られて、病床に伏してからは見舞いに来た孫が叱られた。監督不行届きだそうだ。

 看護婦さんに迷惑をかけていないか、病状よりそちらの方が心配だった。

 酒と煙草とその他諸々、体に悪いものを自ら率先して摂取し、体に良いものはわざわざ悪くしてから取り込んだ。処方された薬は玩具か実験道具である。カプセルは分解し、粉薬は火で炙り、錠剤は孫に飲ませた。隠し持っていた合成酒で、同じ部屋の入院患者と勝手に酒盛りを始めた。骨折で入院していた大学生は、急性アルコール中毒で集中治療室へと運ばれた。余命数か月にも関わらず、院長が泣きながら頭を下げて退院を懇願してきた姿が印象的である。その医師の判断が功を奏したのか、それからジジイは僕が高校を卒業するまで三年以上も生きる。ゴキブリ並みの生命力に、家族の皆はジジイが死の淵に居ることを忘れた。

 そしてある日の夕方。高校の卒業証書を持ったぼくが彼の寝床をたずねると、今朝までどんぶり三杯白米を平らげていた人が、冷や飯のごとくカチカチになっていた。炒めたらさぞパラパラチャーハンになっただろう。当たり前だが炒めてもパラパラチャーハンにはならなかった。ただの骨と灰になった。

 ぼくの浪人生活は、ジジイの死と共にスタートしたのである。

 ジジイは誰からも尊敬を得ようとしなかった。反面教師の見本市みたいな人だった。買い叩いた恨みで、いつ刺されても不思議ではなく、肉親以外は『くたばれ』と罵った。肉親は思っていても口にしなかった。言えば嬉々として長生きすることを知っていたのである。まあ健闘虚しく生き永らえたわけだが…。

 それでも、さすがにジジイが死んだら涙を流す、かと思いきや、溢れ返る弔問者の対応により忙殺された。通夜から葬式にかけて、開店前のパチンコ屋のごとく長蛇の列が出来た。おそらく開店前のパチンコ屋だと思って並んだ奴も居たに違いない。そして彼らは口々に、おおよそ人間の葬式で耳にすることのない罵詈雑言を浴びせたのだ。

 やれ金だ、女だ、食い物だ。口汚いこと山の如し。

 彼らの生唾によって、カラカラだったジジイの肌年齢は、十は若返ったという。そうやって他人の悪意を吸い込んで生きてきたのである。誰一人涙など流さなかった。

 いつかのアル中大学生が弔問に来ていたので、ぼくは訳をたずねた。

「恨み」

 ただ一言答えて、生死の境を彷徨った腹いせに、枕元に献花ではなく焼酎を置いて帰っていった。他の弔問者も、ジジイを死へ追いやった原因、酒や煙草やヒロ◯ンなど、体に悪いものを次々と放り込む。それらと共にジジイは灰になった。

 墓石に酒がかけられたのは言うまでもない。虫がすごい。

 人間のみならず昆虫まで、死してなお集めることが出来るのか。思わず感心していたら父に殴られた。人気者の周りに人が集まるのは自然の理だが、嫌われ者の周りにも人は集まってくるのである。場合によっては、悪意の方が人間同士を強く繋げる。

 なんにせよ、死に逃げだ。

 幾らジジイを悪く言った所で届く先は無く、謝罪の一つも無い。死人に口無し。そればかりか死すら恰好の遊び道具である。迷惑を被るのは親族だ。死してなお、彼の嫌がらせは留まることを知らない。ジジイの残した負の遺産に、ぼくは振り回されている。

 困る。


 一週間をいかにして過ごすか。《花一匁》で《はないちもんめ》をするとのことなので、出来ることはただ一つ、人を集める。家賃や食い物をちらつかせれば、《めぞんアビタシオン》の人間は動く。だが彼らだけではまだ足りない。鼠算式に参加者を募るべく、ぼくはあの手この手を尽くすが、当日になってみないとどれほど人が集まるのか…。

 マヨ子は依然姿を見せない。どうやら読子さんと連絡はとっているようだが、あれ以降扉に声をかけても無言を貫いていた。

『私がアマゾン…』それがマヨ子との最後の会話にならないことを願う。

 ーーそして時刻は、祭り前日の夕方へ。

「おいキャッチボールしよう」

テングタケは、ぼくの部屋(新)を開けると、有無も言わさずグラブを投げて寄越した。忘れたとは言わせない。手前には怪我を負わされたばかりである。警戒心が急上昇する。

「…何を考えていやがる」「キャッチボールをしよう」「他意はないと?」「キャッチボールをしよう」「くそ、壊れたレコードめ」「キャッチボール、キャッチボール」「万が一手純粋にキャッチボールが目的でも、明日に備えて体力は温存したいし、事故でも怪我したくない。だからやらない」「うるさい」奴にとってぼくの言葉は、東から吹く心地よい風程度である。馬耳東風。

 うるさいって、最強の言葉だな…。

 かくして、夕暮れの河川敷に引きずられて行った。西日を照り返す川面が橙色に光る。眩しさに目が眩む。この調子なら明日は日本晴れだ。

「変な小細工するなよ」

「俺がそんな頓馬に見えるか」

「見えるから言ってんだ、よっ!」

 念には念を入れ、球はぼくが用意した。それも軟式テニスボールを使う。これならさすがに怪我のしようがない。多分、おそらく。

 しばらく黙々と投げあう。

 分かっていたことだが、軟式テニスボールは投げることも、取ることも前提に作られていない。ちょっとした魔球がすぐ生み出せるし、力加減を間違えるとグラブの先端からひょっこりと頭を出し、明後日の方向へ転がっていく。

「だがそれを抜きにしても、きみの球は取りづらいよ…」「ふん。リハビリに付き合ってやんてんだ」「…もしかしてこの足のことを言っているのかい?」「感謝こそすれ文句を言われる筋合いはない」「今更リハビリでどうにかなるものではないよ」「やってみなきゃ分からんだろ」「はは、一理あるね」

 無論一理ない。今更リハビリをした所で回復する症状ではない。しかし奴の超人的運動能力は、そのハンデをものともしなかった。むしろハンデすら利用する奇怪なステップで飛び跳ね、楽々ミートする。さらにどこからか謎の声援が降り注ぐ。犬の散歩中のマダム、帰宅途中の女学生、園児と母親、果ては老婆まで、奴のプレーは観客の心を鷲掴みにした。主に女性陣というのもいけ好かない。一方ぼくは引き立て役に徹さざるを得ない。引き立て役ならまだ良いが、完全に悪者である。園児とJKの視線が特に痛い。

 世の中狂っていやがる!

 ぼくのグラブに、奴の放った絶好球が収まる。貶めても貶め切れない、張り合っても張り合い切れない。グラブを球に合わせるのではなく、構えているグラブに球が吸い寄せられていく。よもやぼく不要? お喋りをする余裕まであった。

「なあ。君は丑鍋さんに会って、どうするんだ?」「知れたこと。ぼくが振られた理由をきく」「女々しい奴だなあ」「大きなお世話だ」「それから?」

 それからどうするか。ぼくは何をしたいのか。わけを確かめなければ、進むに進めないが、では行くべき場所はどこか。分からない。だがそんなもの「お前も一緒だろ?」「然り」ほくそ笑む。こいつの方が、ぼくよりも『それから?』レベルは数段上だ。

「学校は辞めるつもりかい?」

「お前には教えてやらん」教えるほどの答えがない。

「俺と一緒に《八年生会》を復興させないか?」

「させない。お前と一緒にだったら、ゴールドラッシュでも参加しない」

「実家に連絡入れていないんだろう?」

「……」

「これが終わったら、ちゃんと報告した方が良い」

「…ぅるせぇ」

 そんな感じの本当にどうでも良いことを喋った。

 喧嘩にならなかったのは、初めてだったかもしれない。

 宣言通りキャッチボールだけだった。

「なあびっこ、明日は晴れるか?」

「さてね。明日には分かるさ」

 大の男が二人して、見えなくなるまで白球を追い回す。やがて日が暮れた頃、蚊の強襲に根負けした我々は、すたこらさっさと逃げ出した。さすがに水場だけあって、その数たるや貧血待ったなしである。いつか根こそぎ焼き払ってやると胸に誓う。

「…まあ恒久的暇つぶしも悪くないな」


 ほどほどに大きな神社がある。名前はよく知らない。ご利益も分からない。

 神社の鳥居からまっすぐ伸びる直線道路は、約三キロに渡りこの町を二分し、緩やかな坂を上って最終的に川に着く。祭りとなれば歩行者天国となり、左右に出店が立ち並ぶ。普段は閑散としたシャッター街も、この時ばかりは沸き返る。近隣の住民は、凶暴な本性剥き出して、老いも若きも入り乱れての乱痴気騒ぎだ。そればかりか遠方から、この熱狂に身を投じようとする奇特な輩まで詰め掛ける。経済効果は計り知れない。と同時にこんな時にしか羽目を外せない田舎の圧倒的娯楽不足は由々しき問題である。

 ぼくたちは、その騒乱が始まってまだ間もない、日常から非日常に次第に変化を遂げつつある、言わば分水嶺となる時間帯に、けったいな石造りの鳥居の前に集まった。

 時刻は正午。

《チームアビタシオン》メンバーを紹介しよう。

 ぼく。テングタケ。スダチ。以上である。

「おいおい…多勢に無勢過ぎやしないか?」

「丑鍋さん《あかべこ倶楽部》の方々はどちらへ?」

「さあ」

 この後に及んで何の用がある。忠臣がきいて呆れる。《丑鍋組》の屈強な男たちが、アメフト選手よろしく、スダチを小脇に抱えてランプレーされたらダウンを取るのは厳しいというのに…。

「ーーんなこたあしねえよ。無粋だべ?」

 我々の目の前には、既に対戦相手が雁首そろえていた。

「よー、おひさしブリーフ。小僧少年くんと愛娘。ハンサムは初めまして」ザラメ氏。隣のテングタケが目を丸くしている。誰が見ても堅気では無い連中に紛れて、そういうレベルじゃ済まない、現代アートの巨匠のような出で立ちをしていた。志茂田景樹かっ。「気合、入れちった」

 彼が率いるのは《カウパン・イレブンズ》である。cowのpanである。直訳だ。イレブンと言う以上十一人、交代要員を考慮しても誤差は二、三人である。だが倍以上居るのは、おそらく数が数えられないのだろう…。

 水炊さんの姿は見えない。

「おい愛娘」ザラメ氏はスダチの方を向いて言う。「今日はすき焼きだから、早く帰って来ないとビーフ食べちゃうぞ」「私はすき焼きよりも水炊きの方が好き」「真夏に水炊きとは、季節感ねえのお」「私、鍋をするって言ったかしら? 今日はおそうめんよ」「捻りのねえ食いモンだのお」「お父さんは、私のすることに全てケチをつけるのね」「間違ってかんねー。間違ってるもん放置出来るほど生半な教育してねえだわ」

 …そうめんぐらい好きに食わせてやれよ、と内心ツッコミを入れるが、ちょっと考えればそういう問題でないことぐらい分かる。

「しっかし小僧くん、随分少数精鋭派だねえ」

 精鋭ならまだ良いが…これが現実か。ひとん家の家族喧嘩など知ったこっちゃない。当たり前である。それに今回の《花一匁》は先月のものとは似て非なる。万人の知る《はないちもんめ》であり、勝敗は運と人数によって大きく変動する。人数が多ければ多いほど勝率は上がり、期待値も高くなる。だがこの人数では三回負ければ《チームアビタシオン》は乗っ取られる。終わりだ。

「私は参加しないわよ」衝撃の言葉をスダチは宣った。

「なぜ!?」

「だって、一度でも負けたら、試合終了だもの」

「……」失念していた。

『あの子が欲しい』で直接お互いの人質を指名出来れば、その時点で試合う意味はなくなる。さらに『みそっかすが一人残るまで終わらないゲーム』読子さんの言葉を思い出した。ぼくにしろテングタケにしろ、一度でも負ければ試合終了である。

「…水炊さん、水炊さんはどこです?」

 人質の安否を確認するつもりで、ぼくは無意識に彼女に頼っていた。

「ここだよ!」

 それは遥か上空から降り注いだ。「おてんばは手に負えないね」とザラメ氏が苦笑する。十メートルはある鳥居の上に水炊恋華は立ち、神を畏れぬふてぶてしさで遠くの山々を睨みつけていた。脇に従えた屈強な男たちが大爆笑している、主に膝で。

「水炊さあん」

「焦るな、ねんね」渋い顔をしながら煙草をくゆらせる。「あんたの幼馴染を見てみろ」

 テングタケは鳥居の下で座禅を組んでいた。ここは神社だぞ? 意図はよく分からないが、落ち着いていることだけは、伝わってくる。傍らにはVシネマから飛び出して来たようなゴロツキがいるし、前衛映画の撮影と勘違いした聴衆を着々と集めていた。

「何時になった?」テングタケは出所不明の風格を醸しながらたずねる。

「…十二時三十分」

「開始は十五時。まだ時間はある。きみは焦りすぎだ。焦るどころか既に負けたような顔をしているぞ。早とちりさんめ」「……」「出店でも回るか?」

 この落ち着きはどうした。悟りを開いたか。即身成仏も間近か。ぼくの願いは、こんな形で叶えられたのか? しかし神社で悟りとはいかがなものか。あとお前と祭りを満喫するとか死んでも御免だ。

「つれないね。きみの減らず口を熱々のたこ焼きで塞いでやろうと思ったのに」

「だったらぼくは、お前の似非ハンサム面に落書き煎餅してやる」

「落書き煎餅するって何だ?」

「ぼくにもよく分からん!」

「じゃあ私が行って来よっと!」水炊さんは言うと、鳥居の柱を伝って一直線に走り抜けた。高下駄の甲高い音が境内に響き渡る。「あ、ちょっと!」と言ったのはスダチだ。勢いに任せて娘の手を引くと、韋駄天のごとく喧騒に飲み込まれる。呆気にとられたのは《丑鍋組》の面々である。言うまでもなく、鳥居の上に残された男たちは間に合わない。ザラメ氏が「行け」と命令を下すと、地上の数人の男が後を追った。「ついでにビール買うてきてなー」とのこと。逃げるつもりはなく、純粋に祭りを楽しみに行ったことは、彼

も分かっていたのだろう。

 残されたぼくとテングタケは軽口で時間を潰す。平常時ならば声だけで、全身寒イボだらけだが、今日ばかりは積極的に声をかけた。かけてしまった。それはテングタケも同様で、何か喋っていないと時間が長く感じる。

 三十分ほどそうやって過ごした。祭りは着々と熱気を帯びてくる。あちらこちらで黒山の人だかりが出来ていた。それぞれ事情はあるのだろう。出店でかき氷を買っていたり、誰かと待ち合わせていたり、特に用事もなかったり。その中でも一際大きな塊が大通りの中央にある。あんなものが真ん中にあったら、歩行者天国とはいえ通行の邪魔だ。

 何かの催しものか? それにしては異様である。

 さらに《大黒山》は、方々の小山を吸収していく。あれよあれよと膨らむ様は、祭りの積乱雲である。揶揄すれば暴徒化していた。烏合の衆というが、人間徒党を組めば、体格や性別に関わらず威圧的である。彼らの気が大きくなるのか、それとも見ている側が勝手に悪印象を抱くのか、果たしてそれは分からない。しかし被害らしい被害が出ている様子はなく、邪魔という以外彼らを邪険にする理由が見つからない。

 ある種の統率が取れている印象を受ける。

 そして《大黒山》が肥大している理由は、もう一つあった。「おい、近づいて来る」テングタケも圧倒的存在感を察知したのか、警戒心を露わにした。一方で彼らは、我々のことなどお構いなしに進軍を続ける。下駄や靴音、笑い声が塊となって目の前で立ち止まった。先頭に立つ小柄なスキンヘッドが不敵にほくそ笑む。


「ちゃーす先輩。ーーこれで満足か?」


「おおメシア!」我々の救世主は海底より出るタコ星人!「…これは、何事ですか?」「先輩が集めて来いっつったんだろ?」そうだ。ぼくは芋太郎さんに高校の同級生たちを集めて欲しいと言った。「…だが何かと聞かれると俺にも正直分からん」

 初めは芋太郎さんもそのつもりで、高校の同級生に声をかけた。それが「面白いことが起こる」という誘い文句で、友達が友達を呼び、その友達の友達がまた友達を呼び、尾ひれが付いて、足が生えて、噂は一人歩きを始めた。そうなると最早全容は掴めない。歩いているだけで見知らぬ若者がくっついて来る。《大黒山》は誰一人拒むことはなく、漏らすことなく、飲み込んで膨れ上がった。

「…だが、一つ気になることがある」

※以下芋太郎さんと友人A氏の会話である。

友人A 「おー、もっちゃんも行くらしいじゃん」

芋太郎 「ああ、てめえも来い」

友人A 「ったりめえだろ。オイラも参加すっぜえ《花一匁》」

芋太郎 「…あ?」

「奴は祭りではなく、《花一匁》に参加すると言ったぞ、先輩」

「…存在を知っていた、ってことですか?」

「ああ。断じて俺は言ってねえぜ」

「…つうか、もっちゃんって呼ばれてるんですね」

 あと高校生でオイラは痛すぎる。なんかぼくの大学生活より、よっぽど馴染んでいる気がして精神年齢の未成熟具合がとっても心配。

「うるせえ大きなお世話だ」

「まあ、こうやって来てくれたわけですし、特に問題はないのでは?」

「そうなんだが…っておい先輩、泣いてんのか?」

「塩分補給です!」炎天下に欠かせない。永久機関である。

 全てが《花一匁》に参加し、協力してくれるなどと思っていない。だが《カウパン・イレブンズ》を圧倒する数であることは言うに及ばない。もしぼくの手元に無限に使える十円玉があったら、彼ら全員を労うべく、自販機に入れては戻す、入れては戻すを繰り返して、人数分のジュースを奢るのに! 最強レベルに面倒臭い行為すら厭わない、それほど感謝しているという意味だ。この人は何を言っているのでしょうね。

「いってええ!」突如、感極まっているぼくの脛に激痛が走った。

「やべ逃げろ!」見れば、子どもだ。子どもが下駄で蹴りやがった。ベンケイにくっきり跡がついている。そして姿を隠す代わりに、大人では物理的にも倫理的にも通れない隙間を縫って逃げていった。

 芋太郎さんの後ろの集団がざわめき始める。無数の子供が、縦横無尽に跳ね回っていた。人の多さも相俟って、ちょっとしたパニックである。その数、高校生集団に負けずとも劣らない。ちびっ子ギャングは、誰の差し金だ。「わー」と散り散りだった子どもが一箇所に固まっていく。その中央に立つ人物は、男だか女だか判然としなかった。

「…フェミさん」「すごいでしょう。《めぞんアビタシオン》のファンだそうですよ?」「扇風機か?」「そうです彼らは《めぞんアビタシオン》の扇風機だそうです。…白秋さん、このやりとり面白いと思ってるんですか?」「フェミさんが面白くしてくれるんだろう?」「ひとに笑いを押し付けないでください」「えー…つめてえ…」「責任を持って落としてください」「これがホントのアンファンテリブルだな!」

「……」

「……」

「例の肝試しが、功を奏しました」「華麗なスルーに興奮するー」「あのちびっこたちは『《めぞんアビタシオン》がイベントをする』と聞いて集まってきたみたいです。もとい僕が働きかけました」「託児所じゃねえぞうちは」「嬉しいくせに」「へへっ」「大学の有象無象も声をかけました」「それは本当に助かる」「まあ大学生なんて勝手に来て勝手に騒ぐんで、僕が無理に集める必要はなかったんですけどね」「でも超ありがたい!」「それにですね、今日はスペシャルゲストがいるのです」「…誰だ」「じゃーんセンパイです!」「…センパイ?」すごく遠い場所で、パッとしない男が小さく会釈したので、ぼくも返した。「で、誰だ?」「だから僕が《めぞんアビタシオン》に来る理由ですよ! あの人の所に遊びに来ている内に、白秋さんに巻き込まれたのです! あの人は万年無気力ですから、こういう賑やかな所に出てくるなんて奇跡ですよ!」「ふーん」「ふーんて…」「まあでも一人でも多いのは助かる。サンクス!」「はい!」

 ドキッとするぐらい最高の笑顔で、ハーメルンの笛吹きもといフェミさんは《センパイ》の元へ行った。ややジェラる。

 と、よく見れば子どもの群れの中に、一際毛深く彫りの深い子がいた。

「おお、白秋くん!」喋りちょっとおっさん臭いし。「祭りは良いなあ!」

「わーい! ドアさんだ! ドアさんも参加してくださるんですか?」

「おうとも! それにきみの大好きなものを持って来たぞお」

 黒い髭を生やした季節外れのサンタクロースは、唐草模様の特大の風呂敷を背負っている。…嫌な予感がする。

「リーダーも手伝ってくださいよお」ドア氏の後ろから、あれは《二号館》の連中だ。ぞろぞろとやってくる。彼らはその手に、ドア氏の家庭菜園で採れたであろう野菜類を持っていた。…嫌な予感がする。

「おー、ご苦労さまだあ」

 テングタケは何故か志村けん風に労う。

「お前…リーダーなのか?」

「まーねー。きみとは人望が違うから」

 そう言うと奴は《二号館》に加担し、テキパキと境内の石畳の上にブルーシートを広げ始めた。V字型に折れたテーブルが置かれる。後続部隊が数人がかりで『ソレ』を運んできた。恐れていたことが現実となる。テーブルの上にどしゃあと置かれたのは、多分猪だ。それも以前見たものとは比べものにならない大きさである。多分と言ったのは、血抜きも済んで内臓も抜かれて、毛が毟られてつるんとしていて頭も無い。あとは骨と肉にバラすだけの状態である。

 …一応、大衆に配慮しているらしい。

 ドアさんの傍では湯が煮立っていた。

「よし諸君、始めよう!」

 風呂敷の中身をシートの上に広げると、商売道具が入っていた。言うまでもなく年季の入った数々の刃物である。氏はおもむろに、それを湯で煮始めた。こうしないと油であっという間に切れなくなるらしい。

 マグロの解体ショーよろしく、猪の解体ショー。すしざんまいもびっくりだ。

 それからは流れ作業である。時には激しく、時には流麗な手つきで肉を捌く。淡々としており慈悲深さすら感じた。ものの数十分で、屠殺場もかくやと量の肉が積み上がった。

 え? これは公序良俗的によろしいのか? と疑念を抱くもギャラリーの反響がすごい。悲喜交々ではあるものの、ドア氏に誰もが釘付けである。さらに言うなら『悲』の方は、これから始まる絶品Bグルメに舌をまくこととなる。

 …おそらく、そろそろ「はあい私よ!」来た。

「…読子さん」「トーキチくん、おまたセックス!」「それは普通ですね」「確かに!」

 後ろから、ドラム缶風呂みたいな鍋がゴロゴロと運ばれて来た。担い手は、待っていました、我らが《めぞんアビタシオン》である。

「皆の衆…」

「お前ばっかり、良い格好させないじゃん」「俺たちは、タダ飯が食えるから来ただけだからね! ふん!」「オマツリ トテモ タノシイネ!」「これが終わったら俺、管理人さんにドアつけて貰うんだ」あ、ドア野郎、変なフラグ立てやがって。

 そして自称タイ人留学生を中心に、手際よくかまどで火を起こす。その上にいくつもの釜と鍋とが乱立する。そこに肉や野菜が次々と放り込まれていく。始めチョロチョロ中ぱっぱ。裏々読子によって仕込まれた従順なる下僕が、絶妙な火加減で米を炊く。

 そう『炊き出し』である。

 豚(猪)汁と握り飯が、敵味方関係なく参加者全てに振舞われた。獣と野草の味わいは格別で、やや塩辛いお握りも今日という日はありがたい。いつの日か食べた男飯は、水炊さんのお手製だったが、今日は読子さんだ。言うまでもなく、いずれも絶品である。

「おりゃああ!」味噌をプッチンプリン感覚で投入している。

「読子さん、水を差すようですが、食品衛生法は?」

「万歳調理師免許!」

 万歳! 正直持っているのか果てしなく怪しい!

 神社の境内って、こんなにフリーダムだっけ? 

 いや年に一度の無礼講だ! 神さんだって肉が食いてえ!

 しかしさすが読子さん、抜目がない。『献血お願いしまーす。恵まれない子どもたちに、愛の血をー』無料で炊き出しを食わせる代わりに、血を抜く気である。あとその啖呵売は赤い羽根のヤツと混ざっている。…啖呵売で良いのか?

 どんちゃん騒ぎ。いよいよ祭りの様相を呈してきた。追い討ちをかけるべく、決まり文句「わっしょい」が遠くから響いてくる。定番たる神輿だ。思いのほか珍しくないのは、ついこの間、同じものを目にする機会があったからだ。あの時は意外性や油断により、えらく圧倒されたが、本職と比べたら些か見劣りする。本職…。

「じゃねえ!」

「丑鍋さん!」

 真っ二つに分かれた人ごみのど真ん中を、大名行列が通り抜ける。幟を掲げ一糸乱れぬ動きで、大同団結して練り歩く姿は、相応の研鑽が積まれていた。その本丸である神輿もまた、豪華絢爛で満艦飾たる出で立ちである。

 連なりたる面々は《あかべこ倶楽部》だ。

 一方スダチは、この二号館で見せた鷹揚たる振る舞いは、すっかり成りを潜めている。耳まで赤くなって顔を伏せて、小さく縮こまっていた。さすがに恥ずかしいと見た。

 よく見れば《あかべこ倶楽部》の面々が、少し変わっていた。《めぞんアビタシオン》に居た連中の他に…「増えている?」

「よくあの人たちを焚きつけられたな」テングタケが言う。「あれは《あかべこ倶楽部》に流れなかった《旧・八年生会》及び《現・八年生会》だ」

「つまりスダチに靡かなかった《野良大学生事件》の被害者か」

 単純に彼女を恨んでいて力を貸したくない、というわけではないはずだ。事情は様々である。しかしなんにせよ、スダチに協力することを拒んだ人たちだ。それが心変わりを起こして、《あかべこ倶楽部》の一員であるかのように、神輿を担いでいた。

「…きみに復讐しに来たんじゃないのか?」

「やめろよ。…有力な説じゃねえかよ」

 スダチだけでなく、ぼくが仇な人たちだ。

 首を捻る我々の元へ、わっしょいがやって来て、赤面しながらスダチは教えてくれた。

「『事情は様々でも、ここに来れば本懐を遂げられる。だから来た方が良い』という風に彼が説得してくれたみたい」

「彼、とは?」

「トーキチのお友達」友達、と言われて心当たりがないのは、我がことながら本当に情けない。「むしろあなたに会うために、私の《あかべこ倶楽部》に入ったというのだから、会則違反じゃないかしら?」

 ぬっと現れた『赤ベコ倶楽部』の担ぎ手と目が合う。その人物を見て、ぼくはうろたえた。「…やあ。久しぶり。ソースケ」

 彼は恋に盲目になった在りし日のぼくを、唯一見放さなかった男である。ぼくとの相性の悪さを滔々と説いてたが、最後までブ男の僻みだと聞き流していた。今だから分かる。ソースケのアドバスは、的を射ていた。休学と同時に疎遠になり、というか一方的に関係を絶ち、会話をするのは数ヶ月ぶりである。

「だから言っただろう。女狐だと」憮然とした面持ちでいう。

 言われた本人は澄まし顔で、確かに狐に見えなくもない。

「…お前休学したんだってな」「う、うん」「連絡もつかない。下宿にも居ない。ホームレスになったという風の噂もきいた。おい、大丈夫か?」「…これから大丈夫になる所かな?」「そうか」「……」「無事で良かった」

丸めた新聞紙のようなソースケの笑顔を久しぶりに見た。ソースケは良い奴だ。友達思いだ。彼に酷い仕打ちをしたぼくの身を案じてくれていた。音信不通のぼくのために《女狐》のしもべになった。そして相変わらず、手の施しようのないほど、不細工だなあ。

「理由は聞かん。だからコレが終わったら、一回実家に帰れ。養生しろ。英気を養え」

 それだけ言うと、くるりと背中を向けた。背中で語る。言葉も妙に芝居がかって、自信満々だ。自信の裏付けは、曲がったことが大嫌いな、高潔な精神である。

 なぜ彼が女性と縁が無いのか。

 こういう輩は往々にして、清潔感と無縁だからである。そしてギャグ漫画のような顔と、奇跡の頭身を併せ持っている。幾重にも絡まりあった頭髪は剛毛で、本人の意思とは関係なく、小さな生き物を絡めとる。常連はカメムシで、最高記録はカブトムシだ。その日の最後に丁寧に取り出して、そっと野に放つのが奴の日課である。

 そんな優しさ、女の子には関係ない。

 ぼくは、笑いを堪えるのに必死で、奴の言葉が頭に入ってこない。

「そして必ず復学しろ」「ぶはぶはは」「相変わらず人の話を聞かないな!」

 ぷりぷり怒りながらテングタケの方を向く。背中では語り足りなかった。

「おい総代」「ああ」「たまには三人で飲みに行こうや」

 総代とはテングタケである。ソースケは友達が多い。テングタケとも仲違いしない。

 返事は待たず肩で風を切って、喧騒の中に戻って行く。ええい、こっちを向くな菌糸類。

「だとさ」「ぼくは行かない」「きみも強情だね」「何とでも言え」「俺は行っても良いかなと思ってるよ」「貴様正気か!」「気が向いたら、顔を出したまえよ」「……」

 よもやコイツ…。

 否。断じて否。恥辱に塗れた日々を、辱めの数々を、涙を飲んで耐え忍んだ在りし日のぼくを、無かったことに出来ようものか。尊厳を踏みにじられ、屈辱で胸を掻き毟り、眠れない日々があったからこそ、今がある。テングタケの過去の罪を、全て清算することは、ぼくの二十年に泥を塗ることに他ならない。それは奴の企みであり、己が存在の全否定である。「…騙されるか。騙されるものか」

「それで丑鍋さん。恋華さんはいずこへ?」

 ぼくの葛藤などつゆ知らず、テングタケはスダチにたずねた。

「お母さんは型抜きで荒稼ぎしているわ」

 アレ、荒稼げるのか? 

 しばらくして現れた水炊さんは、荒稼ぎと言わしめるだけあって、移動式一人縁日といった有様だった。

「私がいない間においしいもの食うんじゃねえよ」

 粉物だけでは飽き足らず、炊き出しにまで手を伸ばす。その痩身のどこに押し込まれるのか、つるつると飲み込んでいく。暴力的な食欲に気圧される。

「しっかし、すげえ人だらけになっちまったねー」

 水炊さんは辺りを見回しながら、目を輝かせて言った。人が多ければ多いほど、興奮するタイプである。そういう彼女の子どもっぽい部分に、ぼくも興奮する。「コラ。発情してんじゃねえぞ」「す、すいません」バレてーら。

 境内は人で溢れかえり、最早カオスである。いつの間にかドアさんの方は、変な掛け声と共にサムライショーみたいになっていた。読子さんの炊き出し兼献血も長蛇の列が出来ている。フェミさんの託児所も、本物の託児所と勘違いしてヤンキー母ちゃんが子どもを預けていく。大丈夫か? 大丈夫だあ。人手には事欠かない。スダチの神輿もひっきりなしに、担がせろと言う輩が寄ってたかっている。美人は担ぎたくなるのだ。当の本人は『もう好きにしてえ』と完全に脱力していた。

「すげえぜトーキチ。殆どお前が集めたんだろう? かっけえとこあんじゃん」

「にへへへへ」

 米やらソースやらシロップがついた手で、お構いなしにぼくの頭を撫で回した。記憶にある通り、彼女は満身の力を込めて、ぼくの頭を押しつぶす。そのせいでぼくの身長はあまり伸びなかったのである。しかし今では、満腔の力を込めようにも、ぼくの方が頭一つ大きかった。そして気持ち良かった。まあぼくの関係者は、十も居ないけれど。

「これはお前の手柄だよ」

 でも水炊さんがそう言ってくれるので、素直に認めよう。

「おっと、俺を忘れてもらっちゃ困るよ」話を聞いていたテングタケが不平を漏らす。

「あら? お母さんは、私の人望をご存知ないのかしら」スダチの抗議の声があがる。

「わあったよ。ーーでは三人の手柄としよう」

 我々三人、異論はなかった。これ以上手柄を分けたら、貢献度の低いぼくの取り分は、ただ同然となり得る。この事実は国家機密扱いである。

「すんばらちぃよ! 小僧くん、ボクは歓喜の震えが止まらない」拍手である。ザラメ氏の拍手だけ、会話もままならない賑わいの中、クリアに際立って耳朶を打つ。「こいつあボクも負けていらんねえ!」

 そう。冷静に考えて《丑鍋組》がぼくたちの快進撃を、静観しているはずがないのだ。

 じゃりじゃり砂利を踏みつけるタイヤ。そこのけそこのけと言わんばかりに、押し入ってきた。

「…ちぃ、応援か」忌々しげに水炊さんは言った。

 バスだ。ワーゲンバスなど目ではない。大型バス。パンパンの人混みをかき分けて、境内に乗り付ける。一端の観光地を名乗れるほど、ここの神社は大きくない。にも関わらずその数十台。…何人か轢き殺されてるんじゃねえか?

《チームアビタシオン》が仲間を集めるように《カウパン・イレンブンズ》が、独自の人脈を使わないはずがない。『横のつながりが連中の生命線』そう言ったのは芋太郎さんだ。一台辺り約六十人乗っているとして…、六百人。そしてそれは楽観的な数字である。バスだけが移動手段では無いのだから。扉が開く。降りてきたのは、強面の海兵隊もさながらの無頼漢「…じゃない」子どもだ。続いてその両親と思しき男女である。老人、アベック、大学生。降りてくる人々は、皆お天道様の下を堂々と歩いている。一見ヤー公と縁もゆかりもない。いや待て。今時由緒正しきヤクザなど居てたまるか。だからそう、テンション上がって走って転んで大泣きしているあのガキンチョも、百戦錬磨の極悪人…。

「はあい。皆さんこちらででーす」最後に降りてきたのは、バスガイドさんだ。邪気のない笑顔で油断させて、大男をバッタバッタと薙ぎ倒す、旗で。

 集団は徒党を組んで神社の拝殿へ向かう。決まりだ。やくざ者は縁起を担ぐ。勝負事の前にお参りをするつもりである。お賽銭も豪気に一万円とか入れちゃうんでしょう?

「……」ぼくはバスを見上げる。前述の通り大型である。そして二文字が目に飛び込んできた。「観光バス…」半ば理解していたけどさ…。

 ひらひらと、どこからともなく、舞い降りてきた。それは一枚のチラシである。駅構内に置いてある類の、目を引くことだけに特化したせいで、逆に埋もれてしまうタイプのアレだ。そこには、以下のように書き記してあった。

『皆で作ろう巨大はないちもんめ! あなたも歴史の証人に!』

「…巨大はないちもんめ?」

 時計は十五時になろうとしていた。

「さあ《げえむ》を始めようぜ」


 稼がせて貰う。祭りの名物を作る。そして《花一匁》の戦力に加える。それが《巨大はないちもんめ計画》である。神社からまっすぐ伸びる直線道路、そこに市内市外、果ては外国から、集められた人々が並行に並ぶ。下手をすれば川まで超えているかもしれない。

 問題は、この規模の集団になると完全にコントロールを失うことである。

 無論、彼等の目的は《巨大はないちもんめ》である。よって。それ自体が無くなることはない。しかし混乱状態は、相手方のみでなく、こちらにも伝播するのだ。

「こっち側が《チームアビタシオン》です! こっちに寄ってくださあい!」

 結果、満足に情報が行き渡らない。とりあえず目に付いた方に並ぶ。ザラメ氏の目的はそこにあったのだろう。妨害。《花一匁》の常套手段である。

「敵味方入り乱れて満遍なく分かれている…」

テングタケの報告を受けて見れば《チーム・アビタシオン》《カウパン・イレブンズ》両方にほぼ均等に人の波が出来つつあった。何故だ。

「不公平じゃん? 片方に寄っていたら」水炊さんは言う。「これが余興ならば尚更な」

 ゲームとして成立しなければ、人々は興味を失う。当然の結果である。

 かくして、無基準に、鼠算式に増え、再分配された人間レールは町の真ん中を突っ走る。

《超巨大はないちもんめ》は生まれた。


 勝って嬉しいはないちもんめ

 負けて悔しいはないちもんめ

 あの子が欲しい

 あの子じゃ分からん

 相談しましょ

 そうしましょ


 振り上げた足は空気を震わせ旋風となる。

その風は千本桜の葉を散らし、利根川の水を遡らせ、やがて桶屋が儲かった。

 何千という健脚が一斉に大地を踏みしだく。

 その鳴動は肩こり、腰痛、リウマチ、冷え性、あらゆる症状に効果があった。

 励声一番の狂騒が轟き渡る。

 その声は海を渡り、終末の音として大陸に降り注いだ。

 あちらこちらで歓声があがる。


 参加者にとっては、誰と誰を取り合うなど、元より関心がない。そもそも事情を知らない。ただ大勢で肩を組むことに意義がある。

《げえむ》どころの話ではない。

 人々は大きなことをやり遂げ、盛り上がりは最高潮に達すると同時に、解散ムードを漂わせていた。それは《チームアビタシオン》及び《カウパンイレブンズ》も同様である。第一どちらも姿が見えない。参加者と渾然一体となって、祭りを構成する一部になり果てた。しかし我々の勝負はまだ終わっていない。

「あちゃあ。すごいことになっちゃったねー」と、とぼけるのは丑鍋ザラメである。

 彼の取り巻きは既に群衆に飲まれていた。群衆に飲まれるよう、陣頭指揮に当たったのは芋太郎さんだ。

 幸い、と呼んで良いのか分からないが、ぼくの近くには、ザラメ氏と、水炊さんと、テングタケと、そしてスダチが居た。

 さて、はないちもんめとは、人間を取り合う様式だけ存在し、勝敗方法自体は初めから存在しない。だから《めぞんアビタシオン》の《花一匁》が成立するわけなのだが、今回は勝負の方程式から脱線しすぎた。伝統に則るなら、じゃんけんでもするべきか。

「おいおい誇り高き日本男児が、手前の未来を運否天賦に託して良いのかよ」

 水炊恋華、煽る。

 ならば《花一匁》自体不道徳だ。ここ大一番の勝負を、お遊戯に託したことになる。正気を疑う。だからこそ、彼女の意見を尊重する。

「誇り高き日本男児の勝負っつったら一つしかねえだろ」

「……」

「相撲だ」


 ぼくたちは境内の中にある石造りの太鼓橋の上に立つ。ここは本来神様の通り道なのだが、神をも恐れぬ水炊恋華には縁遠い話だった。境内の中は熱狂の渦中にありながら、驚くほど静謐である。皆祭りに行ってしまった。祭りのさざめきが遥か遠くに聞こえる。残ったのはぼくたち五人である。

『お前ら二人の好きな方が行け』

 水炊さんは無言で、円熟の域に入った仕草で、立て続けに煙草に火をつけ、ぼくとテングタケに示唆する。黙ってそれに従った。意地を張る必要はどこにもない。ぼくはテングタケの背中を押す。

「ねえ白秋桃吉」「なんだビッコ」「俺は足が悪いんだ」「ずるいんだ、お前はよお…」

 テングタケは足をおさえて蹲る。自慢の内反足で悉く健常者を馬鹿にしくさってきた奴が、今までの無茶が祟ったと地面を片膝をつく。一生そうやっていろ。

 ぼくは対戦相手である丑鍋ザラメを値踏みする。

 ジャケットを脱いだその体は、細身であるが痩せてはいない。必要な部分につくべき筋肉がついて引き締まっている。炯炯と光る鋭利な眼光がぼくを貫く。

「ハニー本当にそれで良いの?」「……」「児戯に等しい」「てめえはすっこんでろ!」

 瞬間、水炊さんの声が木々を震わせる。投擲した彼女愛用のジッポが丑鍋ザラメの額に突き刺さった。短い夫婦生活において、唯一貰ったプレゼントだが、今この時この瞬間、満腔の力を込めて叩きつけてやろうと、常に懐中に忍ばせておいた水炊恋華なりの三行半である。振り返る。

「ねえスダチ」

「え? 私?」

「あんたがやんな」

「……」

「あんたの未来はあんたが決めな」

「……」

「あんたが家出してまで、やりたかったことをしな」

 スダチの怯えきって萎縮した姿を初めて見た。テングタケも意外だったのだろう、下手な演技はやめて、静かに動向を見守っていた。

「無理です」

「無理じゃないさ」

「お母さんは、帰って来ない」

「帰りたくねえからね」

「お父さんは、お家から出ない」

「ひきこもりなんだろ?」

「私は父上とも母上とも離れたくない!」

「だから自分で奪い取れって言ってんだよ!」

 水炊さんは一喝したのち、ザラメ氏の額からジッポを引っこ抜いた。

 何の躊躇いもなくそれを愛娘にぶん投げる。

 まずいと判断したテングタケが、超人的跳躍力を発揮するが、指の間を抜けていく。 

 鉄の塊はスダチのご尊顔目がけて一直線に宙を駆ける。

 彼女はーーことも無げにそれを掴んだ。

「私は…三人で暮らしたい」

 ジッポに火が灯る。

 それがスダチが家出をした理由だ。そして安寧の地であった『二号館』を出た理由でもある。父との暮らしも、母との暮らしも、彼女の欲するところでは無かった。三人一緒で意味を成す。片手落ちでは意味がない。

「私はこのメッコール野郎と、よりを戻すつもりはちいっとも無いよ」水炊さんは例え自分の娘であろうと迎合することはない。「でもまあ、あんたが望むのであれば、私の人生ドブに捨てても、もぎ取る価値はあるんじゃん?」

 スダチは、水炊恋華のジッポを、彼女が叩きつけた三行半を、そっと服に仕舞い込んだ。

 しかしてぼくは彼女と太鼓橋の上で対峙する。

 心中穏やかでないが、負ける道理はない。

「行司は私がやろう」

 水炊さんはくわえたタバコを、何の躊躇いもなく宙高く放った。

 それは、ぼくたちの束の間の会話だ。

「スダチが二人の元へ帰るっていう選択肢はないの?」「ないわ」「何故」「《あかべこ倶楽部》が止めなくても、本当は分かってたの。あの二人が、相性最悪だってこと」「そんな所に、帰りたくない?」「関係を悪化させるだけだから」「……」「だから帰るのでなく、二人を攫う」「…それで仲直りするの?」「多分ずーっと喧嘩ばかりだと思う」「それがスダチの望んだ形なの?」「違うわ。だから二人が仲良くなれるように、何かをどうにか頑張るの」「でも仲良しの基準なんて曖昧で、第三者はおろか当事者ですら、往々にして分からない」「簡単よ。私が満足するまで」「……」「だからあなたも協力して」「ずるいや」「ずるいわよ。ずるっこでトーキチに勝つんだから」「…ぼくに勝つことに何の意味があるの?」「知らないわよそんなの」「何にせよぼくが勝った場合は、水炊さんを返して貰う」「いいわ」「でもスダチが《丑鍋組》に戻るって話はいいの?」「今から負けた時の心配をしているわけ?」「そういうわけじゃないけれど…」「けれど?」「ザラメさんの意思は?」「おねんねに発言権はないわ」「…えー」「それよりもご自分の心配をしたら?」「…心配?」「私は籠の中の小鳥ちゃんじゃないから、括っておかないと、飛ぶわよ」「じゃあぼくは勝って、あなたをまた、あの部屋に軟禁するとしよう」「…えっち」「え?」

 火のついた煙草が地面に着く瞬間。

 アレ? と。

 これからスダチと、抱き合うのか? と。

 現実が質量を持って迫る。所詮、男と女、腕力で負ける道理はない。

 だが勝てる気がしない。

 ぼくは決戦の、本当に直前で、生身の女性と触れ合うことに、怖気づいたのである。

 一秒にも満たない致命的な空白が明暗を分ける。勝負の鉄則だ。

「ーーっ」

 ところで、相撲というのは、武器の不所持を証明するために裸で行われる。そしてまわしを締めるのは、相撲を取るのに都合が良いからである。裸では掴む所がない。それではもち肌の力士が圧倒的に有利になってしまう。

 ぼくたちの格好は私服だ。裸でも、まわしでもない。水炊恋華もそこまで厳密さ求めていない。スダチの肌が幾らシルクのそれでも滑ることはない。大丈夫。服である以上、掴む所はある。ーー無いのは、留まる所である。スダチの服装はワンピースだった。

 スポンと、大根抜きだった。

 呆気に取られた彼女は「やー…」と消え入りそうな声で呟いた。意味は分からない。おそらくダチョウ倶楽部は関係ない。一方ぼくは勢いを殺しきれず、彼女の『裸未満の姿』を目に焼き付けられぬまま、太鼓橋から後ろ向きに転がり落ちた。後頭部を強打し、テングタケの追撃も甘んじて受け止める。とても芳しいものが胸から奪われた。引き込まれそうになる意識を懸命に繋ぎとめながら、水炊さんに向かって叫びを上げた。

「あなたはぼくに、勝たせる気など無かったんだ!」

「うんにゃ。どっちに転んでも私が得をしただけ」


 スダチは語る。これはスダチと祖母であるメリー・丑鍋、メリーさんの話だ。


『私は、この世に生を受けて、早々に母と離別を余儀なくされた。正直母の記憶は残っていないし、母親代わりはお祖母様だった。でも親は居なくとも子は育つし、お祖母様の教育は厳しくとも愛情に満ちていた。立派な箱入り娘としてぬくぬく育ったわ。

 やがて保育園を卒園し、小学校に上がる頃、お祖母様は私に言ったの。

『あなたは私の子どもの頃とそっくりね』って。

 もちろん性格の方ではなく、容姿について。瓜二つという意味。

 時を同じくして、お祖母様は白秋桃之輔さんに孫が居ることを知った。お母さんの報告でね。トーキチ、あなたのご実家に母がご厄介になっていたのは、偶然でも何でもなくて祖母の命令よ。理由は監視。今でいうストーカーに近いかもしれない。でもあなたのお爺さんは、それを承知の上で母を受け入れてくれた。

 何となく想像はついていたと思うけど、お祖母様はかつて桃之輔さんとただならぬ関係だったし、ただならぬ感情を抱き続けていた。だから『とある謀り事』を企てた。いや、予め計画があったからこそ、愛孫を奪い取ったのかもしれない。

 未だに、そんなことをする意味が分からない。でもそんなことだからこそする意味がある。そしてそんなことぐらいしかお祖母様には出来なかった。

『いっぱしの美女となった丑鍋スダチが、桃之輔さんの孫を最も残酷な方法で袖にする』

 それがお祖母様の立てた計画。お祖母様そっくりな私に、自分を投影することでしか晴らせない怨み。歪曲した怨念』


 あくまでスダチの伝聞である。過去のメリーさんが、いつどこでどんな言い方をしたか、知る術はない。冗談めかしていたのではないか。つい愚痴を吐き出しただけではないか。第一スダチは、鮮明におぼえているのか。あれこれと憶測を巡らすが、憶測は憶測の域を出ず、当時の状況を知り得る手段はない。

 かくしてスダチは、出会うべくしてぼくと出会い、生真面目に約束を果たした。水炊さんが性悪ババアと言うのも無理からぬ話だ。

 それが、ぼくが振られた理由である。

「…そんなことで」

「そんなことじゃない!」

「つまりスダチはぼくをふるために…ぼくと付き合ったってことでしょう?」

 道理でことがとんとん拍子に進むはずだ。凡人に届く高値の花は、花の方から棘だらけの蔦を伸ばして来る。ぼくはその魅力に、ものの数秒で虜になって手を伸ばす。傷だらけになるのも厭わずに…。

「今更こんなこと言っても信じて貰えないでしょうし、信じて貰おうなどと思っていない。でも楽しかったわ。あなたと一緒に居るの。お祖母様に笑顔が増えたって言われた。私は完全に無意識だったけれど、あの人には一目瞭然だったみたい。何でもお見通しね」

「嘘だ」

「嘘の方が私にとって都合が良い。お祖母様の名誉に賭けて、トーキチに酷い仕打ちをしたのは、思い上がった馬鹿な女の気紛れよ。だからお門違いなのは重々承知しているけど、お祖母様を怨まないで欲しい。悪いのは私」

「……」

「ーーお祖母様はね、私の笑顔を見て泣いてしまったの。『気丈』という言葉が、これ以上似合う人はいない。泣き顔を見たのは一度きりよ。懺悔というには稚拙な言葉で泣きじゃくり、まるで叱られた小さな女の子のようだった」

『好きにおし。

 お前の人生はお前のもんだ。

 お婆ちゃんの言うことはきかなくて良い。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい』

 ぼくはたずねる。

「スダチは困惑しなかったの?」

「私は丑鍋の女ですから。世界を全否定して、新しい生き方を模索するぐらい容易いわ」

 すごいことを言う。やはりスダチはただの箱入り娘ではない。桐箱入り娘だ。

 おそらくスダチは、メリーさんの空虚な怒りを誰よりも理解していた。同時にその復讐劇が間違っていることも知っていた。だからもしかしたら、祖母の過ちを正すべく、復讐に加担したのかもしれない。そうすれば自ずと、過失に気づく、と。

 大変頭が宜しい。

「これも信じなくて良いのだけれど、私、あなたに謝ろうとしたの。あなたの情欲を不用意に煽ったことを。赤の他人同然の人に、髪を切らせたことを。仮初めの恋人ごっこに付き合わせてしまったことを。謝って許して貰えるか分からないけれど、あなたが私に土下座したように、見習おうとした。それからトーキチとの関係を考えようとした」

「……」

 謝るとか許すとか、ぼくを侮るのも良い加減にして欲しい。

 ぼくは凡庸な男だが、凡庸だからこそ気にしない。器が大きわけじゃない。器の大きさなど度外視して、器に乗せる必要がないのだ。

 むしろ良い思いをさせて貰ったのはぼくの方だ。こんな美人と恋愛ごっこは、一生に一度あるか、ないか。当選確率は宝くじに等しく、外れても文句は言えない。外れて当然だ。

 だからあえてスダチの言葉を借りて言うなら、許すに決まっている。

 しかしメリーさんの話はまだ続いた。

「『彼の顔を見せて欲しい』死の瀬戸際、病床に伏してから、お祖母様は言ったわ。思い返せば、トーキチ、あなたの顔を見たことがなかった。意図は分からない。でも自分が死んだあと、ともすれば孫の一生を左右する人でしょう? 老眼に映る確証はないけれど、一目見ておきたいと願うのは、肉親の情。だから私は、盗撮したあなたの寝顔を見せた」


ーーそれが大きな過ちだった。


 聡明なるスダチに隠し事は通用しない。本人に隠した意識がなくても、全てを見通す眼力がある。メリーさんの目は、ぼくの盗撮写真を凝視していた。スダチは見逃さなかった。さほど見えなくなった瞳の、瞳孔まで開いて、残り少なくなった体力を、刮目することに全て費やす。いや、むしろそんな風に映ってしまったのは、老眼で見えなかったからかもしれない。彼女は一枚の写真に、在りし日のジジイの面影を見ていた、わけではない。

 ジジイによく似たパーツを持った、しかしまったくの別人に、恋をしていたのだ。

「だからもうお婆ちゃんと、桃之輔さんの確執は関係ないの」

「……」

「信じて貰えなくて構わないけれど、私はずっとずっと、悩んだ」

「……」

「でもやっぱり、お婆ちゃんが愛してしまった人と、トーキチとは付き合えない」


 水炊さん愛用の携帯黒電話がけたたましく鳴る。にょきっとアンテナを伸ばして二言三言話して、のびていた丑鍋ザラメを容赦なく蹴り始めた。

「おい起きてんだろ」

「…おう」

「お前んち燃えてるぞ」

「は?」

 それは文字通り《丑鍋組》の豪邸が燃えている。目を凝らせば山の向こうから立ち上る煙がうかがえる、ような気がする。歴史ある建造物が、無機質な炭と灰に変わりゆく様は、一種の芸術だ。丑鍋ザラメは取るものも取り敢えず、一目散に駆け出して行く。

「…マヨ子ですか?」「ああ」「マヨ子はどこに居るんです?」「丑鍋んとこ」「もしかして、例の放火癖ですか?」「…お前マヨ子に何て吹き込んだ?」「『このままでは水炊恋華が居なくなる』って」「嬉しいような悲しいような…」

 水炊さんは珍しく狼狽していた。

 マヨ子は、水炊さんの居場所を奪うため、火を放った。そうすれば《めぞんアビタシオン》が彼女の居場所になる。大好きな人の家に彼女は火を放つ。

「正直マヨ子は保険のつもりだった」「保険?」「ああ《丑鍋組》が勝利を収め、どうしてもアイツが、愛娘と私を連れ去ろうとした時に『家を丸ごと焼きはらうぞ』って脅迫するためのな」「…相変わらず頭狂ってますね」「しかし先走ったのか業を煮やしたのか、アイツは既に火を放った。ただでさえ離散寸前なのに、あーかわいそう!」「もしかして水炊さんは、捕まっている間、マヨ子と連絡を取り合っていたんですか?」「ああ。鹿でな」「…鹿で」伝書鹿である。有能な鹿だ。

「それで? 水炊さんは…これからどうするんですか?」

「さてね。私は愛娘のもんだから」水炊さんは空気に話しかけた。「おいハンサム。手前こそどうするんだ?」

 エアテングタケ(新種の毒キノコ)は、膝を抱えて不思議と満足そうな顔をしていた。

「知れたことです」

「うつけだね。勝手にしろ」

 奴は結局何がしたかったのだろうか。《二号館》の住人であれば、スダチと水炊さんが会っていたことも知っていたはずだ。約一ヶ月間、テングタケはスダチと一つ屋根の下で過ごしたことになる。その間に何もしなかったのか。あるいは、何かして、既に答えを得たのか。

 そうだ。すっかり失念していた。

 ふられた理由を確かめるのがぼくの当面の目的だったが、しかしそれが果たされた今、本当の目的を遂げなければならない。つまり前に進まなければならない。

「…スダチの言ったことは、全て嘘じゃないんだよね?」

「惹かれあっても結ばれない血縁なのかしら」

 答えは明瞭だった。

 嘘から出た誠。動機や駆け出しは不純でも、その程度の嘘、ぼくには無に等しい。

 人類は歴史を繰り返す。それを知らずに失態するのは、己の浅慮を恥じる他無い。が、同じ過ちを犯すと予見しておきながら、尚、過つのは愚行である。惹かれ合う男女が離れ離れになるなど、民主主義国家においてあってはならない。

 幾ら彼女が思慮深く、慈悲深く、あらゆることに造詣が深く、でもちょっと世間知らずであり、しかしそれは愛すべき所であり、責め立てる所ではなく、故に一人では完璧超人足り得ず、誰かが心を鬼にして諭すこともまた愛であるならば、一歳差とはいえ年長者であるぼくの役割だ。

「メリーさんはスダチが幸せになることを望んでいらっしゃる」

「はい」

「きみもぼくも、お互いに好き合っている」

「はい」

「もう一回やり直せるんじゃないか?」

「……」

 スダチは俯いて、首を小さく横に振った。

 おかしい。どうやらぼくの真意が伝わっていないらしい。なるほど、彼女を傷つけまいと、言葉の角を取りすぎたか。真剣味に欠けると判断されたのだろう。となるとやや強い口調で、男らしく行動でーー。

「そういうことじゃねえんだよ坊や。一度冷めた熱はもう戻らねえんだよ」

「うるせえなあ! 分かってんだよ!」

 にぺぺと水炊恋華は笑った。テングタケと肩を組んでいた。

 二人で、適当な言葉で、雰囲気だけの、ホイットニー・ヒューストンを歌い始めた。

 世界一センスのない選曲である。滅。


「後悔させてやる! 良い男になってやる! 左手で世界を回して、右手で人を回すような男になってやる! 金を一銭も使わないで、全知全能を支配してやる! 吐いた嘘を全て本当にしてやる! 世界中の良い女を鼻であしらってやる! 環境問題解決してやる! クリーンな永久エネルギーを開発してやる! 恵まれない子供たちに愛の手を差し伸べてやる! 報われない恋を叶えてやる! 平和と発展に尽くしてやる! 争いを根絶して笑顔の花を咲かせてやる! キングオブポップになってやる! ラブ&ピース! 食べても減らないおにぎりとか、水道からコーラとか、ブルマ復活とか、安眠枕とか! 《めぞんアビタシオン》の管理人になってやる! 今は廃墟同然でもあと数年で高層マンションに生まれ変わるぞ!《二号館》止まりじゃないぞ! 百も千も世界中にアビタシオンを建ててやる! 鉄を金に変えてやる! 不老不死になってやる! タイムマシン開発して過去に戻ってやる! 過去に戻って後悔させてやる! 過去に戻ってから振りなおしてやる! ぼくと一緒にならなかったことを、死んでも後悔させてやる! 嘘じゃないからな!」

「はい」

「絶対幸せになってやる!」

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