◆七幕『人質交換会』

「…旧図書館跡?」

 そこが《八年生会》の根城だと唯イツムは言う。大学にそんな場所があったのか。加えて『旧』であり『跡』である。旧図書館というわけではなく、図書館跡というわけでもない。古い図書館の跡。それが取り壊されずに残っている。考えれば考えるほど、正体不明の謎の建造物である。結局今は何なのか。今は《八年生会》のアジトだ。

「…しかし随分大所帯になってしまいましたね」

 当初の予定では、ぼくと芋太郎さん二人だった。それが『いざとなったらコレで蹴散らしなさい』と言っていた『いざ』が訪れたのである。読子さんは宣言通りジーンペイこと巨大ヘラジカを寄越した。コイツを連れて夜道を歩くのは抵抗があったが、その巨体は心強く戦力としては申し分ない。大型の猛禽類でも太刀打ちできないだろう。

 そして《ジーンペイ》と聞いて奴が現れないはずがない。気怠そうにやって来たヘラジカの腹に巨大なノミが寄生していた。ぼくらの前でゴロンと転げ落ちると、おもむろに吐いた。「…おろろろろ」マヨ子酔う。何の役にたつんだろうと考えるが《花一匁》の活躍は、結果にこそ繋がらなかったものの、面目躍如たる働きであり、無策で突っ込んでいく誰かさんよりよほど信頼に足る。鹿とニコイチで良いだろう。

 さらに騒ぎを聞きつけた住人がやいのやいの言いながら集まって来た。「退屈していた」「報奨金が出るらしい」「やあやあ我こそは」「ドアの無い生活に慣れてきちまった。トホホ…」大義の元、暴れられると知って、血の気の多い連中は妙に生き生きとしていた。何やら裏で水炊さんが焚きつけたようである。

「警察に止められたりしません?」面倒ごとは避けて迅速に任務を達成したい。

「賑やかなのは嫌いじゃねえ。最悪何人か生贄に捧げた隙にドロンだ」

「しかし何故でしょう。大所帯なのにとても心許ないのは…」

 無論浮かれ気分でお祭り騒ぎだからである。先ほどまでのシリアスな雰囲気とは一転、酒瓶を担いで歌っている連中までいた。

「そう言うなって先輩」言って、芋太郎さんは手渡してきた。「これを貸してやっから」

「最強の調理器具ーー片手中華鍋!」攻・防・食を一手に引き受ける無双の鉄塊である。

 テンションが上がってしまう辺り、ぼくもお祭り気分の一端を担っているなあ。

 で。

 我々は旧図書館跡とやらの前に着く。そこは構内に群生する竹藪を掻き分け、獣道を登った先にあった。三階建程度の大きさの、ビルのような倉庫のような建物である。外からガラス窓が幾つか確認出来るが、いずれも月明かりを映すだけだ。ひと気も無く、静まり返っている。時たま笹の葉が擦れる音が、より静寂を際立たせた。

「こういう時って、どうするものなんです?」ぼくはきいた。

「ガーッと乗り込んでわーっと騒いでバチーンとやるんだ」とても詳しい解説である。

「ミスターかっ。つまり先手必勝ってことですね?」

「そういうこった」

 となるとうちのバンビで威嚇を兼ねて扉ごと破るのが正解に思える。しかし一応学校の備品だ。それに搬入口も兼ねる扉は、見た感じかなり頑健なつくりである。

「おい」芋太郎さんが合図をすると、住人二人が扉に手をかけた。「鍵は?」

「掛かっていません」

 ーー辺り一帯に緊張が走る。

 その声に有象無象が思い思いの武器を構えた。

 ぼくも中華鍋を正眼に構える。

 マヨ子に目配せをすると、合わせて八枚、両手で鹿せんべいを投擲する態勢だ。

 扉が左右に開く。地響きをあげながら、ぽっかりと暗闇が口を開けた。

『わああああああ』と申し合わせたような胴間声と、幾重もの靴音を鳴らして、勢いだけで乗り込む。果たしてぼくはこの鉄の塊で人間を殴れるのだろうか。いや、狂乱の渦中へ飛び込めば、無駄な感情は全て削ぎ落とされ、我が身を守ること、そしてスダチを奪還すること、二つに的は絞られる。「わぁぁぁぁ…、あ?」はずだった。

 結果から言うと、倒すべき相手を見つけられなかった。振り上げた武器が所在なさげにゆるゆると降ろされていく。外観よりも広い印象を受ける室内は、再び静まり返る。舞い上がる埃は、先ほどまで床に堆積していたものだ。

 我々は、広大な空間に、ただ放り出された。

 特異点は一つ。部屋の中央。窓から射す月明かりが、一脚の椅子を照らしていた。そこに真新しい包帯を巻きつけた、いけ好かないハンサム面が座っている。鼻につくキザったらしい演出は、奴のやりそうなこった。

「やあ」

「とりあえず、あいつは拿捕」

 キノコ狩りだ。


 ぼくと芋太郎さんは《めぞんアビタシオン》に戻るべく、宵闇の中を疾駆する。これといった理由は無い。しかし妙な胸騒ぎがして、いてもたってもいられなくなった。

 人海戦術。残った人員は二手に分けた。一つはアジトの探索。おそらくこれ以上何かが見つかることは無いと思うが、手がかりでも出てくれば僥倖だ。もう一組は、テングタケの護送である。奴は、鹿の上に縄で縛られており、時代劇で見た『市中引き回し』のようだ。江戸の世でこの仕事は非人の役割だったと言うが、幾ら彼らが見すぼらしいとはいえ、差別的な意味合いはない。断じて。先頭を行くのは鹿使いマヨ子である。

「しかしテングタケは何を考えているんだ?」

 一つだけ確かなのは、全てにおいて奴は対立を選ぶ。妙なのは、罠があるわけでもなく、抵抗するわけでもない。傍観者のよう気軽さだった。唯々諾々と獣の背に縛られる姿は、対立というには、穏便すぎる。

 あの場所に我々を送りんだのは唯イツムだ。

「果たしてあの情報は正しかったのか?」

 いや正しくなかった。スダチと《八年生会》はおろか、久しく人が入った形跡が無い。問題は、誤情報であると知っていたかどうか。要するに、唯イツムが罠に嵌めたのか、それとも唯イツムも罠に嵌められたのか。奴はアパートで待つと言った。『部外者ですから』情報は流すが、あくまで傍観を決め込むつもりらしい。問い質す必要がある。ぼくたちが嵌められたのは、まず間違いない。妙なのは、罠らしい罠が無いことである。

「……」芋太郎さんの言葉が蘇る。

『丑鍋の連中は今、躍起になっている』

『嫁と娘に逃げられたとなれば面目丸潰れだ』

 アパートは今、手薄である。水炊さんの傍に芋太郎さんは居ない。

 しかし《丑鍋組》は《めぞんアビタシオン》に手を出せない。それは絶対だ。その証拠に、スダチも水炊さんも連れ戻されることはなかった。

「…あれ?」

 それなら何故スダチは《めぞんアビタシオン》に入ることが出来たんだ?

 スダチも《丑鍋組》の人間ではないのか?

「ガキには関係ねえからだろ」

「……」

「ヤー公の決め事なんて、知ったこっちゃねえ。だから恐ろしい」芋太郎さんをもってしても恐ろしいと言わしめる。「先輩、ペースあげるぜ」

 芋太郎さんの疾走は、八十過ぎの老人とは思えないほど、俊敏で溌剌としていた。ぼくだって、運動不足とは言え若者代表だ。二十代だ。遅れをとってなるものかと、腕を大きく振るが、あかんこりゃ無理だ。そうだ、病み上がりだった。身体中傷だらけだし脱臼もきちんと医者に見せたわけじゃない。仕方ない。万全であれば、マッハだ。

 ほどなくして《めぞんアビタシオン》が見えた。


 地獄絵図。食堂に広がる光景にぼくたちは目を疑った。バタバタと亡者が倒れていた。

 獄卒は、裏々読子である。

「ぬふっふ」

 読子さんはこちらに気付くことなく、一心不乱に亡者どもの血液を抜いていた。瞳孔が開いている。頰を紅潮させて、鼻息が荒い。研究の一環で採取していたわけではないのか。手段が目的と化している。狂人の域である。それともこれがプライベートの読子さん…?

「おいプロフェッサー」

 手段を選んでいる時間は無いと判断したのだろう。芋太郎さんはぼくの手から中華鍋をもぎ取ると、やおら読子さんの脳天に打ち付けた。銅鑼。音が波となって内臓を揺さぶる。「あら」と言って彼女は、こちらを向いた。目に光が宿っている。「おばんどす」正気に戻った読子さんは、それでも手を休めず、テキパキと注射針を打ち込んでいく。まあ、会話が可能ならば良しとする。ぼくはたずねる。

「水炊さんは、いずこへ?」「…攫われちゃった」「誰にですか?」「この人たちに!」

 言うや否や、乱暴に注射針が振り下ろされた。よくよく見れば、地面に転がる亡者どもは、皆お面をつけている。そう《二号館》で見た《元・八年生会》の連中だ。

 読子さんが言うには以下の通りである。

「手際の良さは目を見張るものがあったわ。《彼ら》は、音もなく乗り込んでくると一瞬のうちに私と管理人さんの自由を奪った。そして恋華さんだけを担ぎ上げると、あ別に私が重量的に担ぎ上げられなったわけでは無いのよ? 目的が恋華さんだったというだけで、担ぎ上げようと思ったら私なんて空気のようにふわっと浮いちゃうんだから」「はい」「で、そそくさと《彼ら》は出て行く。抵抗する手段を持ち合わせていない私は、成す術がなくここに転がされていた。ひやひやの床が思いの外気持ち良くて、このままこうしているのも悪くないなーと邪念がよぎるも、不屈の心で誘惑に打ち勝ち、とっても頑張って縄を解いたのです。見てこれ痕になってる! アンタの縛り方がキツいのよ。この、この、ぶすぶす!」「セクシーですよ」「あら、ありがとう。とにかく後を追わなきゃって思い立った私は、玄関へ向かう。ねえ、玄関見た? この人たち土足で上がり込んでいたのよ? 廊下中靴跡だらけで酷い有様! 確かに雑草生えてるけど、配慮に欠けると思わない?」「ぼくが掃除しておきますから!」「ついでにムースの小屋掃除もしてくれたら、読子お料理奮発しちゃうわ」「いいから結果だけ教えてください!」「もう! せっかち! 外に出た時には、既に恋華さんの姿は無かった。代わりに道路に転がっていたのは『彼ら』事態はよく分からないけど、放置するわけにもいかないし、聞きたいこともあるだろうし、腹いせと拘束を兼ねて血を抜いているわけ。二、三日動けないわよ。ぬふっふ」「…喋ることは出来るんですか?」「分からないけど、リリカルバット(中華鍋)で、どうにかなるんじゃないかしら?」「…なんか怒ってます?」「いたーい! いたたた! 首縮まった!」

 読子さんって、こんな人だったっけ?

 ぼくは何があったのか尋ねるべく、亡者の中で意識のありそうな奴を探すが、その前に芋太郎さんの姿が見当たらないことに気づいた。

「…なっ!」

 厨房から出てきた芋太郎さんは、白装束に身を包んでいた。そして手には、どういった経緯でそんなものがあるのか、マグロ包丁が握られていた。マグロの解体ショーでもやったのか。すしざんまいか、ここは。

「先輩、介錯を頼む」

「中華鍋じゃ介錯は出来ませんって!」

「よいしょおお!」切腹の割には、威勢が良い。

 とにかく四の五の言っていられる状況ではない。ぼくは芋太郎さんの頭部を真横から殴った。ぶわーんと、本日二度目の銅鑼は、先ほどよりも大音声である。

「…止まった?」

 カッと目を見開いたまま、気絶していた。危ないので凶器は没収である。

「なんで普通の包丁でやらなかったんだろう」と読子さん。

 確かに。下手をすれば、自分身長よりも長い。腹を斬るには無理がある。

「とりあえず、この人もしばらく動けないようにしておいてください」

「あいさー」

 水炊さんが攫われてしまったのは、失態である。しかしここでぼくが取り乱してしまえば、事態はより混迷を極めることになり、それだけは何としても避けなければならない。

 次は唯イツムに説明を求める。ぼくは食堂の入り口へ向かって声をぶつけた。

「おい。居るのは分かってるんだ。出てこいよ」

「お見事ですね」と部屋の奥の掃除用具入れから出てきた。瞬間移動とは面妖な。唯イツムは言う。

「どうして僕が逃げなかったと?」「ふん。野次馬ってのは、一等席に腰を据えたら中々動かないもんだ。だから死ぬ」「なるほど、以後気をつけましょう」「水炊さんが攫われた」「まず間違いなく《丑鍋組》でしょう」「《八年生会》が攫った水炊さんを、横取りしたってことか?」「ですね。《丑鍋組》と《八年生会》が繋がっているとは考え辛いですから」「つまり《八年生会》の《めぞんアビタシオン》襲撃を《丑鍋組》へ漏らした者がいると?」「そうなりますね」「そしてもう一つ。我々の丑鍋スダチ奪還計画を《八年生会》に漏らした者がいる」「……」「お前は、水炊さんが攫われる瞬間を見ていたんだよな?」「そうですけど、もし僕が助太刀したとしても、ここに転がっている死体が一人増えただけですよ?」「別に責め立てるつもりはない」「…本当ですか?」「ただ一つ、お前は《八年生会》の隠れ家とやらを、どうやって知ったんだ?」「つまり僕が裏切ったのではないかと、白秋さんは気になるわけだ」「我々はお前の流した情報に従ってあの場所へ赴いた。今更だが信憑性を疑わなかったこちらにも非はあるが、蓋を開けてみれば、猛毒の菌糸類が残っているだけだった。《めぞんアビタシオン》は必然的に手薄になる。手を出したのは《元・八年生会》。奴らが水炊さんを攫うのは、完全に想定外であり目的不明である。この状況を仕組んだのは、お前だ。お前を疑わない方が不自然だ」「しかしですね、管理人さんは、あなたたちと共に戦地へ赴こうとしていた。それを難癖つけて、お留守番係に任命したのは、あなた方二人ですよ? 疑わしきは、その方ではありませんか?」「……」「あなたが犯人でないことをあなたは知っているとして、一番怪しいのは横槍を指してきたあの老害殿では?」「しかし腹を切ろうとした人間を疑うのは…」「パフォーマンスでは?」「メリットがない」「《丑鍋組》への、復帰と復権です」「だったら水炊さん誘拐が成功した段階で逃げるだろう。何故まだ残っている」「まだ何かここに目的がある、とかですかね」「……」「『お役目』に振り回されて、疲れてしまったのかもしれないです」

 難癖つけるとは正にこのこと。だが正面切って真っ向から反論出来ないのも事実である。

「…おい。自分は裏切っていないと断言せず、他に注意を逸らそうとするのは、姑息じゃないか?」

「あなたこそ、話を逸らしているではないか」

 ふん馬鹿らしい。何故ぼくが話を逸らさねばならんのだ。芋太郎さんを守る義理はない。この人が犯人なら、再度リリカルバットでとっちめて、水炊さんの場所を吐かせるまでだ。

「……」

 ただ…強い意志を感じた。自分が何十年も仕えて来た人の最後の言葉を、遺言を遵守しようと必死だった。肩を並べて共に夜道を駆け抜けた。あの瞬間が嘘なら、アカデミー主演男優賞だ。

「ねえ白秋さん」フェミさんは、言い聞かせるように言う。「勘違いして欲しくないのは、僕は決してあなた方の味方ではありません。僕は僕の利益のために動いているだけに過ぎず、あなたに力を貸すのも、利用価値がまだありそうだと判断したからです。しかし感謝もしています。僕が《八年生会》を『目の上のたんこぶ』と言ったのをお覚えですか? 一悶着やらかしたんです、彼らと、あの場所で。一応形式上僕らの勝利で終わりましたが、解散させるまでは至りませんでした。いや、負けるというのが、ある八年生会の自己防衛手段でもあるのです。一つ不正行為が潰されればまた別の不正を見つけるのです。メンバーが減るのは、新風を吹かせるチャンスなのです。雰囲気もガラリと変えて、のうのうと新入生を誑かす。雑草のような連中です。それをあなたたちは、たった二人で壊滅状態まで追い込んだ。奇跡ですよ?」「……」「…まあ、そういう経緯から、あそこが《八年生会》のアジト、もしくは元・アジトであると僕は知っていたのです。裏付けは、信じて欲しいという以外ないですけど…」「…分かった。信じたわけじゃないぞ! しかしまだ情報が不確実ではないか?」「その通りです。この話にはまだ続きがありまして、過去の《八年生会》と今の《元・八年生会》は、構成員は殆ど変わらずとも、既に別の組織なんです。だから正直彼らがあのアジトに逃げ込むかどうか、確信が持てませんでした。そんな野良大学生事件を免れた、本物の《八年生会》の残党が、情報をリークしたのです。彼らはあそこをねぐらにしている、と」「お前はそれを信じたのか?」「はい。だってメリットがありませんから。むしろ解散の危機に瀕した《八年生会》が、どうにか体制を立て直し、さてこれからどうするか、というタイミングですよ? そこに諸悪の根源が、超弩級の厄介事を抱えて舞い戻ってくる。それを排斥したいと考えるのは自然なことでしょう。本物の《八年生会》だからこそ、僕は信じたのです」「しかし結果は違った」「違ったというよりは、他の意志が入り込んだというべきですかね。事実彼らはあそこを拠点にしていたのですから、僕は間違ったことは言ってない」「他の意志ってのは?」「さて、《八年生会》が管理人さんを誘拐する理由なんて、想像もつかないです。《丑鍋組》でも脅迫するつもりだったんじゃないですか?」

「……」

「……」

「ごめんなさい、って言えよ」「はあ? ごめんなさいの意味がわかりません。先述の通り僕はあなたの味方ではないんですよ?」

 意地でも自分の非は認めないスタイルらしい。だから『裏切ったか』という疑惑を即否定しなかったのか。下手に否定すれば、自分の非を認める羽目になる。

「で? その本物の《八年生会》の残党ってのは?」

「あなたの『親友』です」

「…『親友』?」

「やあ」

 ちょうど後続部隊が到着した時である。先頭にマヨ子。手には縄、鵜飼いのような出で立ちである。喋ったのは鵜だ。

「まいねーむいず、ベストフレンドだよ」「テングタケ…お前劣等集団のお仲間だったのか…お似合いだぞ」「《花一匁》の後、丑鍋さんが攫われたと聞いて驚いたよ。しかしその日の内に、彼女から連絡が来た方が、驚愕だった。丑鍋さんは《八年生会》の拠点の場所をトーキチくん、きみに伝えて欲しいという。そしてきみがそこに向かうタイミングを逆に教えて欲しいという。いずれもおれは二つ返事で了承したよ。好きな人の頼みを断れるはずがないからね」「……」「しかし素直に伝えた所で、きみはおれの話を信用しない。そしてきみと唯くんが、繋がっているのは《花一匁》の時に知っていた。だからちょっと利用させて貰った。あとはタイミングを見計らうまでもなく、君らがここを出るのを、待っていれば良い」「…お前はどこまでぼくと対立すれば気が済むんだ!」「無論、どこまでも」「…ストーカーめ」「しかし、まさか恋華さん誘拐が目的だったとは。無茶をする」「何の意図がある」「さてね、それは本人から、きいたらどうだい?」「本人…?」

 と。読子さんがスキップで近付いて来る。妙に上機嫌で、チェックのロングスカートが揺れて…それは、パッチワーク状に貼り付けられた、輸血パックだった。恐怖に震え上がる。主に彼女の筋力に。軽く十キロは超えている。

「トーキチくん、決して成果が無いわけではないのよ」

「そりゃあ、あなたは大量ですけど…」

「ちゃうねん。向こうの部屋やねん」

「…やねん?」

 隣の部屋。言われるまま、ぼくは開いた。電灯が灯っていないので、中の様子がよく分からず、点けようにも電気が通っていないらしい。廊下の明かりで辛うじて確認出来るが、ハズレ物件なのか部屋の真ん中に太い柱が聳え立っていた。根本に『ソレ』は縛り付けられていた。ぼくの侵入に気づいながら、無理矢理顔を逸らしている。髪はボサボサで、身体中泥だらけで、泣いた後なのか、美人という謳い文句を疑いたくなるほど、へちゃむくれだった。「…スダチ」丑鍋スダチだった。


「二人きりにさせて貰えませんか?」ぼくは言って、後ろの野次馬を追い払った。思いの外あっさりと引き下がってくれたのは、何の意図か。妙な勘ぐりはやめてほしい。

 最後まで残っていたのは、マヨ子だった。

「…浮気は許さない」「うるさい」「…一回までなら」「うるさい!」ぴゃあと泣きながら走って行ってしまう。今は慰めている余裕がないので、あとで豆大福でも買ってやろう。

 ぼくは後手でドアを閉める。大した音ではないが、ビクリと身じろぐ音がした。手足の自由を奪われ、密室に二人きり、警戒心を持つのも無理からぬ話である。

 初めこそ暗闇で何も見えなかったが、目が慣れてくると、外から入り込む街灯や月明かりで眩しいくらいだった。部屋の中央、同じ月明かりでも、クソナルシストは鼻につくが、彼女は艶っぽく艶かしく艶やかに映し出す。まるで一国の姫君が座敷牢に囚われているようだ。惜しむらくは、ぼくは捕らえた側の人間であり、助けに来たナイトではない。

「おひさしブリーフ」せめて道化を演じて、重苦しい空気を和やかにしようと努めるも、結果は芳しくない。ソーリー坂野。「…思いのほか、お早い再開だったね」

「……」無視、か。

 さて何をしよう。二人にして欲しいと言ったものの、明確な目的があるわけではない。言うまでもなく、連中が期待する展開はない。ありえない。おそらく会話も成立しない。スダチが喋らない。見ようともしない。必然的にぼくが喋り散らすスタイルになるが、だからかと言ってどうしたものか。

「スダチはさ、どうしてここに居るの? 誰に捕まったの?」

「…ほどいてよ」

 おー。想定よりもだいぶ早い段階でお喋りが出来た。しかし「…駄目だよ」だからと言って、言いなりになると思ったら大間違いだ。「ほどいたら逃げるだろ?」出来る限り平静を装う。「もう逃がさないから」

 キッと、睨まれた。普段表情筋を殆ど使わないくせに、こういう時だけはいやに動くのだから、辛い。数ヶ月前のぼくなら、ヘナヘナと萎れて傀儡となっていただろう。いやそれ以前の段階で、ご機嫌取りに苦心していた。無論それは、今も変わらないが、距離が違う。以前は近く今は遠く。真意を探るべく、疎まれるのも辞さない覚悟である。

「丑鍋さん、ぼくの仮説を聞いてほしい」「……」「『家出』ときいて、ぼくはてっきり、あなたがご実家から逃げ出したとばかり思い込んでいた。しかし『家出』をして《丑鍋組》と無関係になれば《めぞんアビタシオン》に入ることが出来る。ーーそう芋太郎さんのように。それが『家出』の真意だった」「……」「あなたの目的は家出ではない。ここに潜入し、水炊さんを連れ帰ること。それが目的だ」

 唯イツムが『失策』と下した判断、それこそが失策だったのである。《花一匁》の後、スダチが《めぞんアビタシオン》を出たのは、水炊恋華の誘拐と逃亡のためである。アパートを一歩出れば、その道のプロ《丑鍋組》が、全自動式に助けてくれる手筈だった。

「だが計画は破綻した。想像以上に早く訪れた白秋桃吉によって手順が狂う。おそらくあのグラスは、水炊さんを眠らせるために用意したものでしょう? それをぼくに使わざるを得なかった。だから水炊さんの逃亡を許してしまった」「……」「結果あなたたちは、もう一つ策を立てる。それが今日の一件」「……」「ぼくが丑鍋さんを捜索すること。そして芋太郎さんが水炊さんを外に出さないこと。その二つは推測可能な域で、対処は容易い。あとはタイミングの問題だが、それもテングタケを抱き込むことによって解決する。事態は恙無く進行し誘拐も成功、あとは意気揚々とベンツでご帰宅と相成る、はずだった」「……」「《元・八年生会》の連中が、存外有能だったんだろう? 結果『誘拐』されたのは水炊さんだけで、あなたは彼らによって匿われてしまったんだ」

 あの惨状は、そういうことである。でなければ、筋もんと言えど一般人に、それも今回の功労者に、あのような仕打ちは出来ようはずがない。

「《八年生会》と《丑鍋組》が繋がっていたのではなく《丑鍋スダチ》と《丑鍋組》が繋がっていたんだね。当たり前っちゃ当たり前だけど、ーーずるいなあ」

 卑怯だ、色々と。家出をしていれば《めぞんアビタシオン》に入れたり、簡単に《丑鍋組》に戻れたり、何より利用された《元・八年生会》の諸君を思うと心が痛い。

「……」

 それは、癇に障ったとでも言えば良いのか。スダチは見たこともない顔をしていた。ふつふつと湧き上がる怒りを押し殺す顔である。まずいと思った時には時既に遅し。

「《あかべこ倶楽部》っていうのよ、彼ら」「…あかべ、え?」「ファンクラブなの。可愛いでしょう?」「…あ、うん」「ねえ、トーキチ。私のファンクラブをあんまり侮らないで頂戴。彼らは全て知った上で私に協力して、理解した上でヤー公とバトったのよ? その団結力と執着心は、賞賛ことすれ、あなたに哀れがられる筋合いはないわ。それを何かしら、同族意識でも持っているわけ? 共感しちゃっているのかしら? 共感ー共感ー共感して欲しいーって、ちゃんちゃら可笑しいわ! おたんこなす! すっとこどっこい!」「江戸っ子!?」「なに? それに正義のヒーローの次は、探偵の真似事?」「そういうわけじゃないですけど…」「シャーロックハット被って鹿ブッ殺してこいよ!」「鹿撃ち帽だからね! むしろ正しい用途だ!」「三十点」「…え?」「ガバガバの推理ね」「……」「じゃあこの一ヶ月、何故私は、あなたの言う『計画』を実行しなかったというの?」「それは…」

 何故だろう。逆に言えば、この《花一匁》に計画を合わせる必要があったのか。

 それ以外にも得心のいかぬことがある。芋太郎さんの言っていた『嫁にも娘にも逃げられて、躍起になって探している』とは何だったのか。スダチの計画を把握しているなら、悠然と構えることはあっても、慌てる必要は全くないのでは?

「いいトーキチ。これは最終手段なの。最悪のケースなの」「さいあく…?」「私は家を出て、ひっそり母と暮らすつもだった…」「家出は、家出だったの?」「家出は家出よ。前にもそう言ったでしょう? 他意はないわ。私が《めぞんアビタシオン》に入れたのは、古臭い掟なんて知ったこっちゃないからだし、実家には二度と戻りたくない」「…わお」「その時はね」「……」「しかし計画は早々に潰えた。あなたがいたから。あなたと暮らすなんて、まっぴらごめんだから」「…またそれだよ」「あまつさえ母は、私とあなたの仲を取り持とうとしている節がある。トーキチを追い出すことが不可能なのは言うまでもないわね。ーーだから計画は、妥協案に変更する。それが、母を実家に連れ戻すこと」「……」「一ヶ月間、私が何をしていたか。『説得』よ。だってあの人が帰って来ない理由は、もうないんだもの」「……」「しかし意見は行線を辿る。やがて《花一匁》が訪れて、トーキチが勝利したことによって、最悪のケースを選択せざるを得なくなった」「それが水炊さん誘拐…」「でも最悪って言っても選択肢がるだけまだマシね。大義の前に、小さな目的が手段に成り下がっただけだから。家の中は窮屈だけど、決して不便ではない」「…でもそれも失敗した」「ええ、大失敗ね。母だけ向こうに攫われるし、私は私で監禁状態だし、全然駄目ね。センスが壊滅的にないんだわ。どうする? トーキチ。腹いせにレイプでもする?」「……」

 丑鍋スダチという人間をぼくはひどく誤解していた。男を手玉に取り、自由気ままに、万物を手中に収める。思い通りにならないことなど、ただの一つも存在しない、と。

 何一つうまくいってないじゃないか。

 母親と暮らしたい。それだけの目標が、悉く達成不可能とは、なんたる因果か。

「良いんじゃないですか? レイプ」その声は後ろから唐突に降り注いだ。開いた扉の先、廊下に唯イツムが立っていた。「白秋さん、僕こういう女、反吐が出るんです。世界中の男が自分のために奉公すると思っているんです。その証拠に彼女の周りには、男しかいないでしょう? それを平気で犠牲にする。犠牲にしても自分の目的は、崇高なものだと信じているんです。タチが悪い。一度男の怖さを叩き込んでやってください。思いっきり無茶苦茶にしてやったら、真っ黒な腹もグレーぐらいにはなるんじゃ、ぴゅぎゃっ!」

『黙れ』

 目指せ魚顔。ぼくの拳と、テングタケの拳が、左右からフェミさんの顔をプレスした。これであなたも面長フェイス、細い隙間もラックラク。

「二度と戻りたくない場所」

「……」

「そこにスダチは、水炊さんを送り込んでしまったんだよ?」

 皆幸せにならねえかなあって思う。思うだけで方法はピンとこないし、怪しい宗教の宣伝文句のようで、軽薄さばかりが前面に出る。だが少なくとも二人、水炊さんとスダチが、大手を振って親子ごっこを満喫出来る方法は分かった。シンプルだった。

「よし分かった。ぼくはここを出て行こう」

 やはりぼくは《めぞんアビタシオン》の敷居を跨ぐべきでは無かったのである。

 そもそも、ここに固執する理由がない。

 彼女らには理由がある。それだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る